バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

呉服価格の問題点(2) 仕入先と仕入れリスクの大きな差

2013.11 15

「利益に走ればモラルはないがしろにされる」というのが、昨今の「食材偽装」問題の発覚から見えてくる。このことは、別に今新たに出てきた問題ではなく、どの業界、何の職種でも「利益」を最優先にするあまり、社会的に認められない「嘘」や「ごまかし」、また「他人を傷つける行為」などが、それこそ枚挙に暇のないほどこれまで繰り返されてきた。

「儲ける(もうける)」という言葉に使われる、「儲」という漢字をよく見てみると、「人」と「者」の間に「言」が挟まって構成されているようにも見えるし、また「信」と「者」がくっついて構成されていると見ることもできる。

つまりは、「言葉」により人と人が信頼しあってモノが動く、その結果が「儲け」になって表れるということを「この漢字」そのものが示しているように思える。「信頼」は「正直」や「まじめさ」の裏返しとして生まれるものであり、そのための「情報の公開」は欠かせない。

「高い価格」のものはそれなりの裏づけがなければならず、「安いもの」はなぜ安いのか説明できなければならない。「価格」がわかりにくい品物ほど「説明責任」が求められるのは言うまでもない。それを提示した上で「取引」が成立すれば、「儲け」の文字に恥じない「利益」を受け取ることが出来る。

「呉服の価格」などは、一般の方にこれほどわかり難い品物はないほど「厄介な代物」であろう。だからこそ、「正直な情報」を提供する必要がある。知識を持っていただく、モノの見方を身に付けていただくということを、「モノを売る側」の者がしなければならないのは当然である。そこに「ごまかしや嘘」があってはならない。

 

前回この「価格の問題」について、「小売屋」の形態(振袖屋の実態)」という観点で話を進めてきた。今日は、「利は元にあり」ということで、「仕入れ」問屋の違いとそれに繋がる「販売方法」の違いで大きくなる価格差について話をしてみよう。

小売屋が仕入れをするのは言うまでもなく「問屋」である。ただこの問屋というものに「二種類」の問屋があることは以前お話した。モノづくりをしている「メーカー問屋」とそのメーカーから仕入れをしてモノを動かしている「買い継ぎ問屋」である。

このブログに登場する商品には仕入れた問屋の名前を表示することにしているが、今まで度々紹介した「菱一」や「龍村美術織物」、「紫紘」などはみな「メーカー」である。「ノスタルジア」の稿でよく出てくる、今は亡き「北秀」もそうであった。

この「メーカー」は、自分のところで「商品」を作る。「菱一」や「北秀」などの「染め問屋(染物一般・留袖や訪問着、無地、小紋類まで)は、それぞれ、傘下に職人を持っている。「職人」といっても、正しくは「職人集団」を抱える「親方」(染匠あるいは悉皆屋)といった方がよい。その親方に依頼して商品を作る。もちろん色、柄、生地など、商品に関するあらゆることを考える「プロデューサー」。当然出来上がった品物は全て「買い上げる」(職人に賃金として払われる)。

「紫紘」や「龍村」などの帯メーカーも同じだ。独自の図案や紋紙を作り、自分のところの機で織る。また自分のところ以外の小さな織屋にも委託して「織らせる」。この外注方式は「出機(でばた)」と呼ばれる方式である。このやり方は、全ての織り職人を抱え込まずに済み、生産調整をしやすく、もの作りのリスクを分散させる一つの方式として西陣に古くから根付いてきた。

「染め問屋」にせよ「帯屋」にせよ、「モノを作る」ということは、「モノを抱えるリスク」と隣り合わせであり、それなりの「覚悟」を決めなければならない。「作ったものが売れなければ」経営の浮沈に直結する。

だが、「質」にこだわるメーカーの存在こそが、この業界を支えているといってもよい。呉服という品物の流通の仕方は、未だに「問屋制家内工業」が基本なのだ。特に江戸友禅や京友禅のような品物は「分業」の形態を崩すわけにいかない。一つの品物に何人もの職人の手が加えられ完成する。「職人」の手仕事を残し、伝統や文化を守るためには、この方式を守るしかない。

 

では、「買い継ぎ問屋」とはどういう存在なのか、それは、「モノを作るリスク」を負わない問屋である。品物は「メーカーから仕入れ」をしたものであり、モノの売れ行きに応じて「仕入れ調整」をする。もちろん「職人と共に」モノを作る仕事がない、どちらかといえば「小売屋」に近いような存在と言えるかもしれない。

小売屋が取引をする場合、「メーカー問屋」から直接仕入れる方が「安い」ことは疑いない。メーカー問屋と取引がない店の場合「買い継ぎ問屋」経由で品物を入れる他ない。当然のことながら「ワンクッション」余計に流通の段階が増えることで値段の高騰は避けられない。つまり、小売屋が「どんな形態の問屋」と取引しているかで、モノの値段が変わってくるということだ。

「品物に対する思い入れや責任」ということに対して、メーカー問屋の方が遥かに強い意志が感じられるのは当たり前であろう。そして、「作った品物が売れなければ、次の品物が作れない」という危機感と常に背中合わせなのである。

 

次に「仕入れ方」の問題だ。これは、以前「浮き貸し」商品の問題の所で詳しくお話した。「展示会」に出品されるもののほとんどは、一時貸しの商品であり、小売屋のリスクがないものである。

この商品リスクをどこの段階でとるのか、ということがこの業界全体の最大の問題点だと考える。「小売屋」が商品を買取仕入れせず、「浮き貸し」主体の「展示会方式」で商いをするとすれば、その商品を出品した問屋にリスクがかかる。

だが、「浮き貸し」をしている問屋も実は「買い継ぎ問屋」の場合が多く、その問屋も商品を「メーカー問屋」から借りてくるのである。つまり、「二重」に借りられた品物ということになっている。(問屋が問屋から借りてくるため、すでにその段階で価格は通常より上がっている)。

結局商品のリスクは「小売屋」でも「買い継ぎ問屋」でも取られることがなく、「メーカー問屋」に集中することになる。当然メーカーはその防衛策として、買い継ぎ問屋に「安く」商品を貸さないだろうし、買い継ぎ問屋は「安く」小売屋に商品を貸さないであろう。「展示会」で付けられる「浮き貸し品」の商品価格というものは、このような、商品の「キャッチボール」の果てに付けられた、「法外」な値段と見ることができるのである。ここに、「安く出来ない」理由が存在する。(無論前回お話したような、振袖屋における販売方法ならば、この上に、さらに販売費や人件費、広告費が乗せられる)

 

もちろん「質のよい」品物を作るメーカー問屋は、そもそも商品を貸さない。昨今のように需要が落ち込み、作りたくとも沢山品物を作れなくなっている現状では、「浮き貸し」に廻せるだけの商品を持ち合わせていない。そして、「いい加減」な売り方をする店や、「品物を大切に扱うことをしない」店と取引することをしなくなっている。

つまり、品物を見る目を持つ「モラルのある小売屋」に買い取ってもらうことが、商いの「全て」でありたいと、常に良心的なメーカー問屋は思っている。またそういう意識がないと「良い商品」を作り続けることができないように思う。小売屋としては、そんな商品を「買いたい」し、出来ればなるべく売りやすい値段で提供したいと思っている。だから、自分の店のお客さまの顔を思い浮かべたり、店にある手持ちの商品を考えたり、迷いながら「仕入れ」をすることになる。

商品のリスクは、当然「小売屋」も共有すべきものだ。もの作りをする者だけに被せてしまってよい訳がない。そして、そのリスクはそのまま「いつでも質のよい品物を店頭におく」ことになり、その店の格とも直結することになる。専門店の店主には、その商品を選んで買い、それを自ら売り切る力が要求される。

商品を仕入れる(買い取る)ということは、商売をする基本であり、「人の褌で相撲を取る」ようなリスクを取らないやり方では、商品に対して、思い入れも責任もあろうはずがない。当然メーカーから直接買い取った品と浮き貸しの展示会商品では、その質、価格、そして、商いをする人自身の思い入れや気持ちにおいて「雲泥の差」があると言わざるを得ない。

 

ただし、「メーカー問屋」といっても、プリントモノまがいのものを量産するような問屋や、「売れればどんなやり方でも構わない」といった小売末端のモラルを問わないような問屋が存在することも確かである。そんな問屋に依存する小売屋自身にモラルを持てというのが無理であり、商いのやり方にそれが自然と出てきてしまうのは避けようもない。また、買い継ぎ問屋が全て駄目と言う訳ではなく、モノは作らずとも、小売の専門店と同じように商品を勉強し、作り手のところまで品物を見に行って、吟味し尽した品物を扱うような問屋もある。要するに、「玉石混交」である。

 

結局のところ、「どんな問屋」とその小売屋が取引しているか、ということでその店の格や形態、また商いに対する考え方がわかってしまう。それは、店に日常どのような商品が置かれているか、ということで消費者は判断することができると思う。だから、「質の良い」品を見る目を持つことが何より必要であり、そのことで、その「小売屋」がどのような「呉服屋」としての「商い」をしているか見抜くことに繋がるのである。

 

店先のウインドは嘘を言わないというのが、私の考えです。ウインドは顔であり、店の扱う商品の代表といってもよいでしょう。だから、季節に応じた品や飾り方を工夫することが必要で、当然一つのアイテム(例えばいつも振袖しか飾らないとか)に偏ったウインドにはなりません。

以前と比べれば、甲府の中心商店街の人通りは少なく、寂しくなりました。ただ、そんな中でも、通る方に「良い品物」を見て頂きたいという気持ちは強く、出来る限りいろんな品を飾ろうと心がけています。

それは、厳しい現状の中でもの作りをするメーカー問屋の品を、迷いながら買い取ってきた私を、どのように評価していただくか、店先に飾ったウインドには、そんな思いも込められているのです。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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