バイク呉服屋の忙しい日々

最近の投稿

呉服屋以外で、今でも「風呂敷」を仕事の道具として使っている人といえば、「検察官」であろう。風呂敷に包まれた書類を、法廷の机の上で広げている姿などは、日常的に見受けられている。 検察官が風呂敷を使う理由は、沢山の裁判資料を…

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とても懐かしい品物が「里帰り」してきた。今日ご紹介するのは、私が呉服屋になって初めて「振袖をコーディネート」し、お客様にお求め頂いたものである。今から、30年前ほど前のことなので、1980年代の品ということになる。 今度…

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当店では、県外から依頼される仕事が少なくない。大概は、山梨から他県へ嫁いだ方からで、結婚する前に、その実家がうちとお付き合いをしていたからである。 最近では、「嫁ぎ先」の「嫁ぎ先」から「直しモノ」の相談を受けることもある…

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昨今では、「キモノ」というものが、「着ているだけ」で目立つ存在になってしまったようだ。世間的には、「手の届かない高価なモノ」とか、「居ずまいを正した、堅苦しいモノ」という評価がある一方、フォーマルの席では、「どんなブラン…

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1904(明治37)年生まれの、私の祖母(母方)は、東京の大妻高等女学校(現在の大妻女子大学)に通っていた。この当時、高等小学校から、女学校に進学する女子は、全体でも5%ほどである。まして、山梨の田舎(一宮町)から、東京…

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2,3日前、ある映画製作会社の小道具担当の方から、メールで質問を頂いた。 その内容は、戦前(昭和19年頃の設定らしい)、呉服屋が顧客のところへ反物を持って商売に行くとき、どのような「道具」で反物を包んで運んだかということ…

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ここ何年間かずっと、何軒かの「振袖屋」さんから案内状やカタログが届いている。うちには、一歳おきに三人の娘がいるのだが、一体どこで「個人情報」を調べたのか。 うちの住居は、仕事場(店舗)とは別のところにある。プライベートな…

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「西陣」という場所が、京都市内のどの辺りなのか、ご存知だろうか。京都の町で織物が作られるようになったのは、5世紀頃で、平安期には、すでに職人集団の町が出来ていた。 「西陣」という地名の由来は、室町中期に京都市中で勃発した…

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土曜日から、急激にブログへの訪問者が増えた。このところ、150人前後で推移していたのだが、200人を超えている。 理由は、「御嶽山の噴火」である。調べてみると、「昭和レトロトリップ」の稿「消えた仙人境・王滝 濁川温泉」の…

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「秋分」の頃は、昼と夜の時間がほぼ同じになる。日の出は朝5時半頃、日の入りは夕方5時半頃。次の二十四節気「寒露」にあたる来月8日頃まで、この昼夜ほぼ同時間が続く。 「寒露(かんろ)」の頃は、「雁」などの冬鳥が渡り、菊が咲…

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

ご感想・ご要望はこちらから e-mail : matsuki-gofuku@mx6.nns.ne.jp

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