国立社会保障・人口問題研究所では、5年ごとに夫婦の結婚過程を調査している。直近の2015(平成27)年の調査によると、初婚夫婦の平均出会い年齢は、夫が26.3歳、妻が24.8歳。平均交際期間は4.3年で、結婚年齢は、男子が30.7歳、女子が29.1歳である。
これが、1987(昭和62)年の調査で見ると、出会い年齢は、夫25.7歳、妻22.7歳で、交際期間は2.54年。結婚年齢は男子28.2歳、女子25.3歳。
現在、結婚した夫婦が25歳までに出会う割合は、夫46.3%・妻53.8%。30年前に比べて、出会う年齢が約2年遅れ、さらに交際期間が1.8年長くなっている。これが、初婚年齢を上昇させ、晩婚化している大きな要因となっている。
そして、結婚が恋愛か見合いかだが、戦前には7割を占めていた見合い婚が、戦後徐々に減り続け、60年代末には、恋愛婚と見合い婚の比率が逆転。現在、見合いでの結婚は、僅か5.5%に過ぎない。こうした資料からも、昭和から平成にわたる30年で、すっかり結婚事情が様変わりしたことが判る。
では時代を遡って、江戸の世では、どのように人と人を結婚に結びつけていたのか。ご承知の通りこの時代は、士農工商と厳格に身分を区切った階級制度があり、身分違いの結婚は許されていなかった。そして、町人同士であっても、家柄や資産内容が重要視され、分の違う相手との結婚は難しかった。
結婚にあたっては、依頼を受けた仲人が、男女それぞれの家の格を見極めながら、マッチングをするが、こうした「結婚仲介」を業としている者のことを、「肝煎(きもいり)屋」と呼ぶ。肝煎屋は、元来人の世話をする者で、相手との間を取り持つ役割を意味し、江戸の職制の一つでもあったが、男女を繋ぐ役割、すなわち家を繋ぐ役割として、この名前が付いたと思われる。
肝煎屋は、結婚が成立すると両家から成約料として、結納金の1割程度を報酬として受け取っていたらしいが、これは現在数多く存在する「結婚仲介業者」と、何ら業態に変わりはない。
この肝煎屋こそが、のちに「仲人」として、結婚式を仕切る役割果たすのだが、明治以降は年々形骸化し、多くの式では、当日にだけ「仲人役」となる「媒酌人」を立てることが慣例化する。そして平成以降では、その媒酌人すらすっかりいなくなってしまった。現在、仲人あるいは媒酌人が列席する式は稀で、関東圏では約1%前後に止まっている。
媒酌人の妻は、新郎新婦の母親や親族と同じように、結婚披露宴では、黒留袖を着用しなければならず、会社の上司や学校の恩師など、媒酌人依頼の多い家では、必ず用意すべき品物であった。こう考えてみると、約30年前には、各々の家にとって黒留袖はどうしても必要なアイテムであり、また媒酌人からの需要も多かった。値の張る品物が多かった黒留袖は、昔の呉服屋にとって、商いの大きな柱だったのである。
だが、媒酌人の存在は消え、その上結婚式・披露宴そのものが簡素になり、今では昔の形式に捉われる意識はほぼ消えている。そして、黒留袖の需要は無くなり、たとえ着用するのであっても、レンタルで済ますことがほとんどになった。
かくして、呉服屋の商いから黒留袖は姿を消しつつあるが、品物はまだ作り続けられている。そこで今日は、希少になりつつある良質な黒留袖を御紹介し、これこそ「華燭の典」に相応しい姿と言えるような、コーディネートを考えてみたい。
(松皮菱に四季花模様 加賀友禅黒留袖・扇面に桜楓散し模様 金引箔手織袋帯)
今、手直しの依頼として最も多いものが振袖だが、黒留袖の仕事もかなりある。すでに「ママ振袖」は一般化しているが、「ママ黒留袖」の需要も多い。黒留袖を着用する母親は、50歳代が中心だが、この世代では、自分の品物を持っている人は少ない。だが、この上の代の母親達、凡そ70~80代以上になると、誂えた方が多い。
50代の母親が結婚した30年前では、まだ結婚は「家と家を繋ぐ儀式」という意味合いが強かったので、母親だけではなく、列席する親族も揃って黒留袖を着用することが多かった。だから、自分の子どもの式に限らず、着用する機会の多い留袖がどうしても必要だったのだ。
当時でも「貸衣装」で済ます人はいたものの、家として「最も晴れやかな席で装う特別な品物」と考え、誂える方が多かったように思う。ということで、多くの家の箪笥には、前世代の母親が着用した黒留袖が残っている。
着用の場が決まっている黒留袖は、着る回数が数えられる。だから、手持ちの品物があれば、使わない手はない。前に着用してから20年、30年と経とうが、手を入れさえすれば、使うことは十分に可能である。母親が使ったキモノを、娘が受け継いで、自分の子どもの式に使う。これは、振袖同様に、代を繋ぎ思いを繋ぐこととなる。
だからこそ、第一礼装に着用する品物は、長く使い続けることが前提となり、その結果、他の品物以上に質が求められるように思う。では、次世代にも繋がる品物とは何か、早速ご紹介しよう。
(松皮菱に松・梅・菊模様 加賀友禅 黒留袖・白坂幸蔵)
昨今の極端な需要減を考えれば、黒留袖は最も仕入を躊躇するアイテムだが、呉服屋として暖簾を下げている限り、在庫を持たない訳にもいかない。何時売れるのか全く目途は立たないが、店に置くとすれば、やはりいつの時代でも色褪せることのない、良質な品物であることが条件になる。これは今年の春、数年ぶりで仕入れた黒留袖。
松皮菱だけを図案の輪郭に使い、中に松と梅、菊を繊細に描いたもの。いかにも加賀友禅らしい品の良さだが、構図は斬新である。最近は、製作数が少なくなり、ありきたりな意匠ばかりの留袖の中で、これは、作者の模様へのこだわりが、作品に表れている品物かと思う。
幾何学文の中でも、菱文ほど多種多様な姿で表現される文様は無いだろう。菱形は、左右斜めの平行線を交差させて生まれるが、キモノや帯の意匠の中では、その形を繋げたり割ったりし、さらに他の文様を組み込んだりして、変化させている。この形態は千差万別であり、数に限りがない。
この留袖に用いられている菱形は、松皮菱。これは、松の皮を剝がした姿に形容が似ていることで、この名前が付いた。品物の意匠を見ると、松皮菱の中に松、梅、菊を埋め込み、それぞれの図案も松皮菱で繋いでいる。そして、裾模様全体を見ても、上前から後身頃にかけて、菱形となるように構成されている。
後身頃の図案。松皮菱を重ねて横に連ね、松と梅の菱文を二つ、菊と大松葉を一つずつ配している。間を埋める菱の中にも、小さな七宝文と亀甲花菱文が入っている。
梅・松皮菱を拡大したところ。枝を丸めて、「梅の丸」のように表現している。柔らかな枝ぶりや、一枚ずつ違う大小の梅花を見ると、丁寧に引かれた模様の輪郭・糸目がよく判る。また、不揃いな花の蘂や、挿し色、そして色ぼかしには、いかにも加賀友禅らしい繊細な仕事が見て取れる。
松・松皮菱を拡大したところ。定型化した松文様だが、幹は色挿しを工夫し、所々苔がむしたように見える。松葉一つ一つにも、手描きならではの不揃い感と、手挿しならではの各々の色目の違いがよく表れている。
大菊・松皮菱を拡大したところ。菱形の中に目一杯あしらわれた大輪の白菊。こうして拡大してみると、白とグレーのグラデーションが見事で、日本画を見ているようだ。花芯の挿し色・蛍光的なパロットグリーンが目を惹く。
大松葉・松皮菱を拡大したところ。先ほどの松文と異なり、松皮菱の輪郭を利用して、思い切り松葉だけを大きく描いている。赤く挿した新芽の色で、図案にアクセントを付けている。
裾模様全体を写してみた。着姿の中心・上前衽と前身頃の松皮菱は大きく、後身頃は小さい。こうして、位置により模様に強弱が付いていることで、平板な着姿にはならない。カクカクとした松皮菱だが、その図案の特徴からくっきりと模様が浮かび上がり、個性的な装いとなる。
作者・白坂幸蔵(しらさかこうぞう)氏は、1943(昭和18)年生まれ。昭和34年に毎田仁郎氏に師事して、友禅の道に入った。1978(昭和53)年4月に加賀染振興会が発行した最初の落款登録名簿には、すでにその名前が見える。2010(平成22)年、加賀染技術保存会会員となり、現在は重鎮の一人。
白坂幸蔵氏の落款は、草書体の「幸」。下には、「幸蔵」の印も見える。
さて、斬新な松皮菱の構図に繊細な加賀友禅の技法を組み入れた、特徴のあるこの黒留袖には、どのような帯を使うと良いのか。時代を経ても変わることのない、スタンダードな第一礼装の姿となるように考えてみよう。
(本金引箔 扇面に桜楓散し模様 手織袋帯・紫紘)
黒留袖に合わせる帯を考える時、地色は金か銀、あるいは白系が基本になるだろう。中でも金地の帯は、黒を引き立たせ、着姿を恭しくさせる効果がある。だが、金地なら何でも良いという訳でなく、やはり金の質にこだわる必要がある。
以前にもお話したが、帯に織り込まれる金糸には、和紙に金箔を押して作る本金箔糸と、テトロンフィルムに銀やアルミを蒸着させ、そこに金色を着色した蒸着糸がある。もちろん、本金箔を使った糸は、費用も手間もかかるが、蒸着糸には無い金本来の深みと輝きがあり、やはり織り上がった姿は違ってくる。
この扇面模様の帯は、本金箔糸を使い、手で織り上げたもの。光沢のある輝きを放つ姿が、画像からも判るように思う。
扇の中には、光琳椿と桜。そして有職文の亀甲と立枠に花菱が入る。周囲に桜の花びらと楓の葉を散らし、雅な扇面文を引き立たせている。
扇の別名は「末広」。黒留袖を着用する時には、末広を帯に差すが、これは縁あって結ばれた両家の弥栄(いやさか)を祈念する意味で使う。末に広がる扇は、繁栄を意味する吉祥文として、平安期から長く使われ続けている意匠の一つであり、その意味からも黒留袖に合わせる帯図案として、相応しいと言えよう。
扇面に表現されている文様を拡大してみた。扇の四本の骨に、四つの文様が組み込まれている。こうした細かい織姿は、紫紘ならでは。
では、加賀友禅の黒留袖と扇面散しの帯を合わせるとどうなるか、試してみよう。
松皮菱の中で優しく描かれる花々を、輝きを放つ金地の帯が、しっかりと抑えている。キモノの図案が少し角張った感じなので、帯の扇面でしなやかさを出す。キモノ、帯どちらの図案も、図案の中に花をあしらうという点では同じ。
帯の前模様も、お太鼓と同じ扇に桜楓散し。余計な図案を付けず、すっきりと前姿を見せる。こうしたシンプルな金引箔帯を使うと、着姿全体が格調高くなる。
キモノ、帯ともに古典的な図案を使いながらも、所々に斬新さと個性が窺える。作家、職人が手を尽くした品物には、不思議な力が備わっていて、何年経っても飽きずに、長く使い続けることが出来る。それは、「時代を超える技」であり、それこそが真のスタンダードなのだろう。
時代が移りゆく中で、結婚式の形式もすっかり姿を変えた。けれども、これからも黒留袖が、「和装の第一礼装」として役割を果たすことに変わりは無い。華燭の典を彩る姿として、良質な品物を受け継いで長く着用する意識を、多くの方々に持って頂きたいと思う。
最後に、御紹介した品物をもう一度ご覧頂こう。
平成27年の厚生労働省の調査によると、離婚率は35.6%。これは、夫婦三組のうち一組の割合で、離婚していることになります。そして昨今では、結婚生活20年以上の熟年離婚が増えているようです。
離婚理由のトップは、男女ともに性格の不一致なのですが、もともと生まれ育った環境が違う者同士なので、一致する方が不思議です。ですので、性格というより価値観の相違ではないでしょうか。
恋愛にせよ見合いにせよ、結婚前に相手のことを全て理解することなど、到底不可能なこと。後は、結婚してから、相手のことをどれだけ許せるか、その許容量により、結婚生活が持続するか否かが決まるように思います。
うちの奥さんはよく、私に向かって「あなたとは本当に性格が合わない」と言いますが、私自身も合わないと思っています。ですので、性格の不一致は間違いないところですが、それでも何とか30年以上夫婦生活を継続してきました。別れずに済んだのは、彼女の許容量が、人並み外れて大きかったからなのでしょう。
しかし、安心してはいけません。もしかしたら「許容タンク」はすでに限界に達しているかも知れず、明日突然いなくなるなんてことに、なるかも知れません。もしもの時に備え、事前に懐柔する手立てを考えなくてはいけませんが、名案は浮かびません。どうやら私くらいの年齢になると、男の方が立場が弱いような気がしますね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。