バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

キモノのしきたりを考える(後編) 晴れと褻、その境界を意識する

2018.02 10

2月7日は、北方領土の日。第二次大戦後、ソ連(ロシア)に実行支配され続けている北方四島(国後・択捉・歯舞群島・色丹)の返還を求めるために、国民的な関心を高めようとして、1980(昭和55)年の国会決議により制定された日。そしてこの日は、日本とロシアの間で、最初に国境を定めた日にあたる。

 

今から160年以上前の1855(安政2)年、日本とロシアの間で、初めての国家間の条約・日露和親条約が締結された。この時交渉にあたったのが、日本側は幕府大目付・筒井政憲と勘定奉行・川路聖謨、ロシア側が海軍軍人・プチャーチンであった。

隣接する国家の間で、最も重要な問題は、国境に関わる取り決めである。日露和親条約では、日本の千島からロシアのクリル群島へと繋がる地域の中で、どこを国境と定めるかが話し合われ、その末に択捉(エトロフ)島以南を日本領、得撫(ウルップ)島以北をロシア領としたのである。

この時、樺太は日露混住の地として、明確化されなかったが、1875(明治8)年の千島・樺太交換条約により、領土がすみ分けられた。そして、日露和親条約で決めた千島の国境線が変更され、日本領はクリル群島の北東端・占守(シュムシュ)島まで広がることになった。

 

カムチャツカ半島の目と鼻の先まで、日本の領土だった時代は、第二次大戦敗戦により、終わりを告げる。終戦直前ロシア(終戦時はソ連)は、日ソ中立条約を反故にし、参戦してわずか6日で、それまで日本領だった地域を奪ってしまう。

日本は、戦後のサンフランシスコ平和条約締結により、樺太や千島の放棄は認めたものの、北方四島に関しては、旧来(日露和親条約締結時)から固有の領土だったとして放棄を容認せず、それが現在まで続いている。2月7日を北方領土の日として制定したのは、このような理由からだ。

領土問題は、北方四島に限らず、韓国との間には竹島が、中国との間には尖閣諸島が横たわっている。どれも歴史的背景と国情が複雑に絡まり、単純には解決出来ない。どの国も主権に関わることだけに、譲歩する訳にはいかない。

 

境界は区切りであり、物事を分け隔てる決め事。これは国家間の領土のような大事ばかりでなく、どんな事象にも存在する。

人々が身につける衣装にも、フォーマルとカジュアル、晴れと褻の区分があり、それは生活の中における身近な境界と言えよう。人々は洋装において、そしてまた和装において、違いを認識しながら使い分けている。

特に和装のフォーマルでは、場面ごとに使うアイテムが決められていることが多く、それは「しきたり」として根付いている。けれども、晴れと褻の両方の機会で着装出来るような、あいまいな品物も存在しているように思える。

昨年の9月、「キモノのしきたり」について稿を書いたが、その時には、「季節に応じて、品物を使い分けること」をテーマにした。前稿から少し時間が経ってしまったが、今日は「着用する場面に応じて、品物を使い分けること」について、考えてみる。

 

右・薄サーモンピンク地 菊葉飛柄小紋  左・濃サーモンピンク地 色無地

キモノには、はっきりと晴れと褻に区分できる品物がある。振袖・黒と色留袖・訪問着・付下げはフォーマル。紬に代表される織物類はカジュアル。結城や大島など、いくら絣の精緻な高額品であっても、正式な場所で着用することは出来ない。中には、訪問着になっているものもあるが、素材が紬であるならば、フォーマルには使えない。

帯に関しては、晴れの席では袋帯と決まっている。ただフォーマルでも、喪服に合わせる時には、名古屋帯を使うことが多い。慶事では、喜びが重なるようにと、二重太鼓の袋帯を締めるが、忌事だと、不幸が重ならないようにと、一重太鼓の名古屋帯を使う。そんな意味をも、含んでいるように思える。

 

かように晴れと褻が分かれる中で、そのどちらにも応用が利きそうな品物がある。こういうキモノは、時と場合によって、袋帯と名古屋帯の双方を臨機応変に使い分け、着姿を形作ることが出来る。

そんな役割を持つキモノが、無地モノや江戸小紋、そして無地場の多い飛柄小紋であろうか。では、この境界に位置する品物は、どのように意識されているのだろう。そして、使い道には違いがあるのか。帯の組み合わせを考えながら、話を進めてみよう。

例として使うアイテムは、無地と飛び柄小紋。判りやすいように、同系統の色目・サーモンピンク地色の品物を使いながら、試すことにする。

 

色無地と金地・菱花模様 袋帯との合わせ。

色無地の場合には、ほとんどが紋付きにする。染め抜き紋、あるいは刺縫紋を入れるが、染抜きは日向紋になり、縫紋は陰紋となる。紋は数や技法により、品物の格を上下出来るので、着用する方の使い道によりどのような施しにするか、決めることになる。

紋の付いた無地のキモノは、フォーマルの席で使うものと位置付けられる。入学式・卒業式で母親が着用するアイテムとして、もっともポピュラーなものが、色無地紋付であろう。日向紋の入った無地は、初宮参りや七五三の祝いなど、子どもの節目の席でもよく使われ、シンプルでもっとも使い勝手の良いフォーマル着と言えよう。

また、お茶席で着用する時などには、日向紋ではなく、縫いの陰紋を入れることもよくある。これはキモノを、あまり仰々しくさせたくない時の工夫で、準フォーマル的な扱いになる。

無地を完全なフォーマル着と決めてしまうと、使う帯は上の画像のように袋帯となる。また、準フォーマルとして使う時も、袋帯を合わせることが多いが、名古屋帯でも構わないことがある。但し、この時の名古屋帯は織姿や、図案などにより、使えるモノと使い難いモノが出てくる。もちろん、紬地系の織帯を使うことは無い。

 

色無地と黒地・松波に雪輪模様 染名古屋帯との合わせ。

準フォーマルとして、あまり畏まることの無い席での無地を考えた時、名古屋帯を使うとしても、少し重い図案を選ぶ方が無難であろう。上の画像は染帯だが、こんな模様ならば、キモノの格を下げることにはならないように思える。また、袋帯にも使う有職系の図案、例えば菱文とか七宝文の織名古屋帯ならば、なお違和感が無い。

ほとんどが紋を付けて使う色無地だが、稀に故意に紋を入れない方もおられる。これは、フォーマルに限定することを避けるための、一つの方策。無論無地は、カジュアル着にはなり難い品物だが、紋の有無により、格の違いが出てくる。つまりは、紋付の仰々しさが、疎ましく感じられるからこそ、紋を入れないという選択になるのだ。

家の象徴である紋を背負う必要がある品物か否か、フォーマルキモノの中でも微妙な違いがある。黒・色留袖や喪服に、紋を入れないことはあり得ないが、無地ならば許される。時代が変わり、家制度への執着が薄れ、儀礼の形式が簡略化している今においては、旧来のように、純然たるフォーマルとして決めて掛からないというのも、無地というアイテムの選択肢には、あって良いのだろう。

もちろん、紋の入らない無地キモノなどあり得ないとして、これまでのしきたりを守る方が、大多数かと思う。バイク呉服屋自身にも、その意識は強い。だが、着用の範囲を広げるという意味では、柔軟に対処すべきであり、晴れと褻の境界にある品物と認識しておいた方が、私は良いように思う。

 

飛柄小紋と薄鶸色・花菱模様 織名古屋帯との合わせ。

本来小紋は、カジュアルの範疇に入るアイテムだが、図案の表現方法や位置取り、嵩などで、フォーマルとして使える品物もある。特に江戸小紋は、紋(多くが縫紋)を入れて使うことも多く、準フォーマル的な小紋として理解されている。

上の品物のような、模様が飛び飛びに配置されていて、無地場が多い品物は、「飛柄小紋」と名前が付いているが、江戸小紋のように紋を付けることはほぼ無く、その意味では、少しカジュアルに寄った品物と言えよう。

江戸小紋は、遠目から見れば、ほぼ無地にしか見えないが、飛柄小紋には、模様の主張があり、少しだけ着姿にアクセントが付く。この品物の図案は菊葉だが、七宝や源氏香、角倉文等々様々なモチーフが見られ、バリエーションも豊かだ。そのため、お茶席で使う人も多く、別名「茶席小紋」とも呼ばれる。

 

そして最近では、カジュアルな結婚披露パーティの席でも、こんな飛柄小紋を着用する人がいる。以前と異なり、今は結婚式や披露宴の形も、かなり多様化している。昔の式は、家と家とが繋がる意味合いをかなり強く持っていたが、今は個人と個人を結ぶ場に変わった。

従って、式の会場も形式も変わり、若い方は旧来のような畏まった形態には、捉われなくなっている。郊外のレストランで、親戚やごく親しい友人だけを招いて、こじんまりと行う。そしてその招待状には、「平服で」と記されている。

例えば、友人としてこのような席に招待を受けた場合には、平服でも良いとは言え、洋装ならば、男性はスーツ、女性はスーツかワンピースあたりが無難であろう。逆にタキシードや煌びやかなドレスを着用すれば、浮いてしまう。和装でも同様で、重厚な色留袖や訪問着よりも、少し軽めのキモノの方が、間違いなく雰囲気には合う。

こんな場では、飛柄小紋や、紋を付けない色無地が使いやすくなる。無地などは通常とは逆で、むしろ紋が無い方が良いのかも知れない。

 

飛柄小紋の場合には、袋帯も使える。また名古屋帯でも、やはりある程度のフォーマルっぽさは必要で、こんな有職文・花菱文は最適であろう。蛇足だが無地同様に、たとえどんなカジュアルな式であっても、紬系の織帯を使わないことは、言うまでも無い。

 

今日は、晴れと褻にまたがる品物について、話を進めてきた。具体的にお話しなかったが、江戸小紋も無地や飛柄小紋と同様に、着用する場所によって帯を変えて、臨機応変に着回すことが出来る。この三つのアイテムを、等式で表現すれば、色無地>江戸小紋>飛柄小紋の順となり、フォーマル度合いに、僅かな差があると思われる。

時代と共に、フォーマルの形式が変化し、それにより品物の使い方にも、変化が生まれる。その意味で、晴れと褻の境界に位置する品物には、新たな着用の場が生まれ、幅に広がりが見られる。そして無論、旧来のように、畏まった場所で厳かに着用しなければならない品物もある。

フォーマルの席には、しきたりを厳密に守らねばならぬ場所と、それが少し緩和される場所とがあることを認め、それぞれの場面にふさわしい品物を選び、着用していくことが、肝要かと思う。境界にある品物をどのように使い分けるか、その判断は、呉服屋によっても異なるだろう。今日の見解は、あくまでバイク呉服屋独自のものと、皆様にはご理解頂きたい。

 

着用する場所に、最もふさわしい品物を選ぶ。これは、なかなか難しく、悩ましく思える時もあるでしょう。

フォーマルであれば、招待する側が考える式のあり方や、催される会場の規模と雰囲気、さらには、どのような立場で出席するのかなど、様々な要因で使う品物が変わっていくと思います。今日取り上げた「境界に位置する品物」は、組み合わせる帯によっても着姿が変わるために、扱い難い一面があります。

けれども、様々な工夫を凝らしながら、多様に使うことの出来る品物であり、境界に位置するからこその、楽しみ方もあるように思います。時と場合によりますが、しきたりに固執しない、自分らしい自由なフォーマルの着姿も、また良いものです。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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