バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

色染職人 近藤染工・近藤さん(1)

2016.09 06

地方の者にとって、縦横無尽に張り巡らされた東京の地下鉄路線を、熟知して使いこなすことは難しい。知らないうちに、新しい路線や駅が出来ていたり、私鉄との乗り入れが始まっていたりする。

バイク呉服屋が、東京で学生生活を始めたのは、1978(昭和53)年。この時代にすでに営業していたのが、営団では(今の東京メトロ)銀座線・日比谷線・丸の内線・千代田線、都営は1号(浅草線)と6号(三田線)。私が下宿していたのは、杉並区のはずれ・西荻窪だったので、東西線と丸の内線くらいしか乗る機会がなく、当時東京の地下鉄が、どこをどのように走っているのか、一向にわからなかった。

 

呉服問屋やメーカーは、日本橋という街の中の、ごく狭い場所に位置している。駅は、日比谷線・人形町と小伝馬町、半蔵門線・水天宮前、都営新宿線・馬喰横山と浜町。だいたい、この駅群に囲まれた地域内だ。

地下鉄には出口が幾つもあり、これを間違えると思わぬ場所に出てしまい、とまどってしまう。30年近く、この界隈を歩いているが、同じ取引先の同じ場所だけに通っているので、通る道は限られている。もちろん駅の出口も、同じところしか使っていない。

数ヶ月前に、小物メーカーの加藤萬が、同じ富沢町内に移転したのだが、初めて新店舗を訪ねた時には、道に迷ってしまった。以前、このあたりには、幾つもの取引先があったのだが、新しいマンションが何棟も建設されて、昔の面影が無くなっている。目安にしていた建物が消えてしまうと、歩いている場所がどこなのか、わからなくなる。

 

この20年、問屋街の町並みは大きく変わった。それはそのまま、呉服業界の低迷を象徴しているだろう。需要の大きな減少は、問屋や小売など流通の者を苦悩させる以上に、モノ作りの現場にいる職人や加工職人達を苦境に陥れた。

例えば、「色を染める職人」の仕事というものも、以前とは比べ物にならない程、少なくなった。それは、小売屋の商い事情を考えただけでも、理解出来る。

昭和の時代、入学式や卒業式に母親が着用していたのは、色無地紋付。つまり子どものいる家庭では、「必需なモノ」だったのだ。だから、嫁入り道具として持っていくキモノでも、色無地は欠かせない商品であった。それが、冠婚葬祭や儀式に着用するという「意識」が薄らいだ現代では、キモノそのものが、「嫁入り道具」に入らなくなった。

無地モノが売れなくなったと同時に、キモノ全体の需要の減少が、染屋に打撃を与える。袷のキモノにはどうしても必要な裏地・八掛(別名・裾廻し)。この裏は、表地色に近い共色を使う場合や、小紋などの洒落モノには、客の好みの色が付けられる。この八掛の色を染めるのも、染屋の仕事だ。売れる袷キモノの量が減れば、当然染める裏地の量が減り、仕事は廻らなくなる。

 

すでに、呉服需要が落ち込み始めて30年近くになる。今なお残る色染職人は、こんな厳しい時代に、どのようにして技術を繋ごうとしているのだろうか。先日、当店の仕事を請け負って頂いている江戸の色染職人・近藤染工さんを尋ねて、お話を伺ってきた。

今日から二回に分けて、代表者である近藤良治さんのお話を交えながら、仕事場の様子をご紹介してみたい。

 

近藤染工さんの最寄駅は、清澄白河。東京メトロ・半蔵門線と都営・大江戸線が乗り入れている。

水天宮前から半蔵門線に乗れば一駅。染を発注する問屋やメーカーとは、ほど近い距離にある。A1出口を出ると、すぐ左手に高橋という名前の橋が掛かっている。下を流れるのが小名木川で、徳川家康にこの運河の開削を命じられた、小名木四郎兵衛の名前が取られている。

橋に掛かる通りは、清澄通り。この先で清澄橋通りと交差し、直進すれば月島。東砂と清澄橋への分岐にもなっている。

高橋には、船乗り場もある。以前は、水上バスが定期運行されていたようだが、今は貸切の観光船が立ち寄る程度。この運河は、浦安の塩を江戸市中に運ぶために開削された人工運河。中川と隅田川とを結んでいる。

川の両側には、新しい高層マンションが立ち並ぶ。日本橋や大手町とは至近距離なのに、水辺もあり緑も多く、恵まれた住環境に見える。近くには、清澄公園や、深川江戸資料館もある。このあたりのマンション価格はどのくらいなのか。バイク呉服屋の稼ぎでは、一生かかっても、払い切れるものではないだろう。

 

駅を出て、すぐ路地を右に曲って100mほどで、近藤さんの仕事場に着く。建物は四階建ての近代的なビル。外見からは、ここで染めの仕事をしていることはわからない。

一軒先のビルから、鬢付け油の薫りとともに、唸るような声が聞こえる。少し気になったので玄関を見ると、そこには「尾車部屋」の大看板がある。昭和50年代に活躍した、元大関・琴風が興した相撲部屋だ。9月の秋場所も近いため、稽古にも力が入っているのだろう。

以前近藤さんから、仕事場のそばには相撲部屋が沢山あると聞いていたが、これほど近いとは思わなかった。ちなみに、同じ通り沿いに、元関脇・安芸乃島の高田川部屋があり、エジプト出身力士・大砂嵐の大嶽部屋もご近所だ。

大江戸線に乗れば、清澄白河の隣駅は両国。国技館に通うのにも、便利な場所である。お相撲さんの日常風景は、やはり独特なもので、それだけで江戸の風情が感じられる。

 

玄関先に乾されているどんぐりの実と、ログ・ウッド。植物染めが行われている証。

柱に貼られている案内。9月17日の土曜日に、近くの深川江戸資料館で開かれる色染め実演。最近は、体験学習の一環として、仕事場に大勢の中学生がやってくるそうだ。実際に自分で、スカーフやハンカチを染めることで、伝統的な仕事を理解する。人の手でなされる仕事を見て、ぜひ何かを感じ得て欲しいもの。

 

1階の奥まったところが、仕事場。石畳の床の上に、所狭しと機材が並ぶ。水洗い場、様々な大きさのタンク、染める時に使うシンク、生地を乾燥するための機械、染料が入った壺などなど。

近藤さんとお会いするのは、5年ぶりくらいだろうか。普段は、こちらから品物を送って、仕上がったところで送り返されてくるという、品物のやり取りだけである。

 

お願いする主な仕事は、白生地の無地染めと八掛の別染め。当店でも、色無地を買い求められる方は、昔よりもかなり少なくなった。けれども、お客様の色へのこだわりというものは、以前よりもむしろ強くなったと感じている。折角作るのだから、自分の思う色を着用したいと思う気持ちは、当然だろう。

昭和50年代には、まず白生地を選び、その上自分で色見本帳を見て色を選ぶという、オリジナルな「誂(あつらえ)無地」を作る方がかなりおられた。それがいつしか、すでに染め上がっている無地反物の中から品物を選ぶ人の方が、多くなっていった。これは、あらかじめ染まった色の方が、着用した時の姿が想像出来ること(判りやすく品物が選べること)と、生地や色を選ぶという、面倒な手間を省けることが要因であろう。

 

今のような時代に、和装に関心を持ち、キモノを存分に楽しみたいと考える若い方は、やはり品物へのこだわりがある。これは、色や素材、図案、作り方など多岐にわたる。熟慮した上で、自分らしい一枚を選ぶのだ。

無地モノは、一見単純だが奥が深く、個性を出すにはまたとないアイテム。しかも、誂が自由に出来る品物。ということで、ここ数年は、色無地を求められるお客様に、白生地からの無地染をお奨めしている。その仕事を、近藤さんに請け負って頂いている。

 

この日、近藤さんに染めの依頼をした白生地。少し大きな葡萄唐草文の紋織生地で、着用されるのは30代の若い方。染める色は、明るいコバルトブルー。

糸は、国産繭の最高品質である、山形県産・松岡姫。糸だけでなく、図案や製織、精練までこだわりを持ち、一貫した生地生産をする「伊と幸」の白生地。千切屋治兵衛さんにお願いして、お客様が希望される葡萄唐草文の品物を探してもらった。

 

生地は三丈モノなので、別に八掛が必要となる。四丈モノならば、表地と八掛が取れるだけの寸法があるので、反物を染めるだけでよい。三丈生地は、八掛分の生地を用意して、別に染める。無地モノの八掛は、表地の共色(同じ色)にするので、同じ染場の同じ方に仕事を依頼すれば、間違いがない。

無地以外の品物は、八掛見本帳を見て選んでいくのだが、その時思うような色が無ければ、別染依頼をする他はない。年々、八掛を自分で染め出すような問屋・メーカーは少なくなり、染めたとしても、色数は減っている。

バイク呉服屋が使ってる見本帳は、菱一が染め出している「芳美」と、すでに倒産して無くなったメーカー・北秀商事の「秀美」。この八掛、元を正せば、近藤染工さんで染められているものである。菱一や北秀といった、高級染メーカーの八掛を一手に引き受けてこられたのは、ひとえに近藤さんの染技術の高さからである。

 

久しぶりにお会いして、挨拶もそこそこに近藤さんが見せてくれたのが、この品物。「今日は、こんなものを染めているんですよ」。

さて、この素材がどんなもので、どんな染め方をしているのか、次回にお話することにしよう。キモノに関わる色染めの需要が減る中、染職人として生き残る道を探す姿が、そこには表れている。

そして、「自分の思う色を出す時に、何が一番大切なのか」というお話も、ゆっくり聞かせて頂いた。それも皆様にぜひ、お聞かせしたい。

 

小名木川の川べりには、散策の小道があります。近藤染工さんからの帰り道、少し歩いてみました。暑い日盛りでしたが、木陰に吹く川風の涼やかさは、まるで別天地。まさに都会のオアシスでしたね。

東京の街歩きの途中で、こんな場所を見つけると、ほんの少し得をしたような気がします。日常の中の、ささやかな喜びといったところでしょうか。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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