バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

白地裾墨色ぼかし ツツジ・藤花 辻が花模様 総絞り振袖

2016.08 19

リオ・オリンピックも終盤。体操・水泳・柔道・レスリングなどでは、期待された選手が期待通りのメダルを獲得している。そして、個人での表彰台には上がれなかったものの、卓球の福原愛ちゃんや、男子7人制ラクビーの選手達の頑張りは、見ている者を感動させてくれた。

 

オリンピックで心に残る選手は、日本人だけではない。柔道男子90K級に出場した、アフリカ・コンゴ生まれの難民・ポポル・ミセンガ選手の試合ぶりは、強く心を揺さぶられた。

ミセンガは内戦が20年続くコンゴから、親や兄弟を残したまま、リオデジャネイロに逃れてきた。難民となった彼は、苦境に立たされても、柔道への情熱を失うことなかった。ブラジル柔道界はそんなミセンガに支援の手を差し出し、練習の場を提供する。こうした努力が実を結び、「難民選手団」の一員として、オリンピックに参加する夢が実現したのだ。

インド選手との1回戦をTVで見ていたが、試合中盤に「腕ひしぎ十字固め」という腕への関節技をかけられ、苦境に陥る。この技は、かけられると激痛が走り、場合によっては靭帯損傷などの大けがをする。だがミセンガは、苦悶の表情を浮かべながらも、「参った」をせずに耐え続け、ついに技を解いてしまう。

その直後、得意の背負い投げで有効のポイントを取り、そのまま勝利。彼の境遇を知っている会場のブラジル人たちは、立ち上がって健闘を讃えていた。次の試合では破れたが、ミセンガを援助し、指導し続けてきたブラジル人のコーチは、「私には、ミセンガの胸にメダルが掛かっているように見える」と、涙ぐんで語った。

相手の技に耐えている姿は、苦難の中にあるコンゴ国民の姿と重なる。「あきらめない」ことの大切さを、教わった気がした。豊かさの中にある日本人には、忘れていることが沢山ある。オリンピックという場所は、そんなことをも気付かせてくれる。

 

さて、オリンピックや高校野球を楽しんだお盆休みが終わると、朝晩少しだけ過ごしやすくなった気がする。夏の課題が終わっていない子どもたちは、そろそろ慌てはじめるだろう。

バイク呉服屋では、例年夏休み中に、振袖の仕立て直しを行う。うちが依頼される振袖の仕事は、新しいモノを売ることではなく、もっぱら古いモノを直すこと。多くが、私の父や祖父が手掛けた品物であり、それを娘や孫が使うために店へ戻ってくる。

母親であるお客様からは、「私が使ったもので大丈夫でしょうか」などと相談を受けるが、大丈夫どころか、それが一番良い品物なのである。今では手に入り難いような良質な仕事のものが、30年前にはあった。今まで持ち込まれた振袖を見て、使えなかったことは一度も無い。

一緒に来た娘さんにも、丁寧に品物の話をすると、皆さん納得される。今のプリントで安易に作ってあるモノとは、質がまるで違う。その差は、どんな人が着姿を見ても判るような、大きな違いだ。若い時に、きちんとした品物を見ていれば、否応無く質の違いがわかるようになる。この経験の差は、如何ともし難い。

 

娘さんは、普段家から離れているが、夏休み中には帰省される。その時に時間を作って頂き、寸法を測る。だから、今の時期に振袖直しの仕事が多いのだ。

今日は、最近直した振袖の中に、様々な絞りの技が駆使された上質な振袖があったので、それをご紹介してみたい。

 

(白地裾墨色ぼかし 躑躅と藤花辻が花模様・総絞り中振袖  山梨市・I様所有)

うちでも、先代の頃までは、熱心に振袖を扱っていたのだが、私はあまり関心がない。とはいえ、一応呉服屋なので、質の良いモノを数点仕入れて置いてある。だが、滅多にウインドや店先に飾られることはなく、棚に仕舞われてじっと出番を待っている。

多くの呉服屋は、振袖が商いの中心と考えているようだが、へそ曲がりなバイク呉服屋には、そんなに重要なアイテムとは思えない。未婚女性の第一礼装と意識されている方や、質にこだわりを持っている方に求められれば、一生懸命良いモノをご提案するだけで、広く浅く消費者を取り込もうとは思わない。

現在、振袖商いの主流になっているのは、怪しい名簿屋から振袖対象者の名簿を仕入れ、大量生産されているインクジェット振袖と、どこで織られたのかも判らない帯を満載したパンフレットを撒き散らすこと。私は、そんな業者の姿を、傍らでただ傍観している。どの振袖屋さんも、毎年飽きもせずにこの商法で頑張れるものだと、変な感心をしてしまう。私なんぞには、到底出来ない芸当である。

 

振袖商いの現状など、全くツマラナイことに話がそれたが、昔うちで扱っていた振袖は、当時の品物の中でも、上質の部類に入るものだと思える。北秀、菱一、千總などから仕入れた江戸友禅や京友禅。加賀染振興会に登録された地元商社のうちの一社、吉田工芸から入った加賀友禅。さらに名古屋の老舗絞りメーカー、藤娘・きぬたやの絞り振袖。そして、キモノに合わせた帯は、ほとんどが紫紘か龍村の品物であった。

今日ご紹介する振袖は、今から30年以上前の昭和50年代に、当店で求められた総絞りの振袖。製作したのは、先述した絞りメーカーの藤娘・きぬたやである。

 

当時扱っていたきぬたやの絞り振袖には、二種類あった。一つは、絞りの技法を駆使して模様付けされているもの。これは、模様の全てが何らかの絞りで表現されていることになる。もう一つは、予め模様を染めた生地に、疋田絞りをほどこしたもの。これは「小紋バック」という名前で呼ばれていた。

価値が高いのは、当然絞りだけを使って作られたものであり、一つ一つの模様の中には、様々な技法が見られる。これが、熟練した絞り職人の手で、時間をかけて作り上げたものだと理解出来る。小紋バックの方は、模様そのものは型友禅で染めたものであり、その生地の上に絞りをほどこすという、いわば、染めと絞りを併用したものであった。

もちろん、その価格も大きく異なり、小紋バックの振袖は、絞り技法だけで模様表現したものと比べると、三分の一程度の値段で求められた。

この品物は、ご覧になってお判りのように、各所に多彩な絞りの技が伺える、上質なもの。まずは、この振袖に表現されている辻が花模様について、さらに、その中にはどのような絞り技法がほどこされているかを、お話していくことにしよう。

 

模様のモチーフとして使われている花は、躑躅(つつじ)と藤。躑躅の花を繋ぐように伸びる藤の花。この独特な模様は、辻が花染だけに見られる特徴的な模様ということで、別に「辻が花模様」と呼ばれる。

辻が花染の発祥は、室町末期から桃山期にかけてで、今から500年ほど前に遡る。この技法が最初にほどこされたものは、現在のキモノの原型とも言われている小袖である。現存する最も古い辻が花染は、1530(享禄3)年に作られた「藤花模様辻が花幡裂」。この幡(祭祀用の布)は、元々紬地の小袖として使われていたものが、裂として寺に奉納されたものであることから、小袖に辻が花染が使われていたのは、もう少し前からと想像出来る。

この裂地の模様は、紅・藍・黄・紫・緑などで彩られた藤の花。それを、「縫絞(ぬいしぼり)」という絞り技法を使ってあしらっている。この技法は、文様の部分を糸で縫い、その糸を引き締めて(縫締と言う)縮めた状態のまま染色して絞る方法。

縫絞には、多様な方法があり、文様の輪郭を縫い取って絞ることもあれば、模様の中のある部分だけを縫い締めて袋状にし、そこに糸を巻きつけて絞ることもある。縫締の方法を駆使することにより、変化に富んだ絞り模様の姿を演出することが出来る。

辻が花染は、この縫絞による絞染めを基調としながら、空白部分には、墨で模様を描くという特徴が見られる。友禅染が生まれる以前のこの時代には、絞りという技法が、模様を表現する大きな手段の一つとして使われていたことが、よくわかる。そして墨で描かれた一部の模様は、絞りでは描ききれなかったところかと、想像される。

 

縫絞り・鹿の子・小帽子と、三種類の絞り技法を使って表現されている「躑躅の花」。辻が花と名前がついた染め方が、何故「辻が花」と呼ばれるのかは、定かではない。

江戸中期の享保から天明年間に活躍した有職故実の研究家・伊勢貞丈(いせさだたけ)の書・貞丈雑記によれば、辻が花というのは「つつじが花」であり、名前が付いた理由は、躑躅を思わせるような紅色で模様が染められていること、としている。つまりは、模様が「躑躅色」だからという色彩説を唱えていることになる。

また、江戸後期の天明から天保年間に売れっ子の戯作家(いわゆる通俗小説家)として知られた柳亭種彦(りゅうていたねひこ)は、辻というのは、この文様の基本的形態が、十字の斜め格子だからであり、それに花の文様がついていることから、辻が花と名付けられたという、文様形態説を唱えている。なお、辻とは十字に交差する場所を指し、京都には「帷子の辻」とか「札の辻」などという地名が、今も残されている。

話は逸れるが、柳亭種彦が書いた「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」という戯本は、この時代のベストセラーであった。内容は、男女の恋愛感情が情緒的に書いてあるという、通俗的で他愛の無いもの。けれども、彼には「似世紫浪華源氏(によむらさきなにわげんじ)」という紛らわしい名前が付けられた著書が、もう一つある。内容は、男女の営みをリアルに描ききった「春本=エロ小説」。この本が江戸男性の興奮を誘ったことは、明らかであり、隠れたベストセラーであった。それは、あまりに過激なものだったため、幕府から「発禁処分」のお咎めを受けたことからもわかる。

若い頃、川上宗薫や宇能鴻一郎などの、昭和の春本を愛読していたバイク呉服屋の「いやらしい隠れ知識」をついぞ露呈してしまい、申し訳ない。話を元に戻そう。

 

躑躅の花の絞りを拡大してみた。花の中心が「鹿の子絞り」、蘂が「縫絞り」、花の輪郭が「蜘蛛絞り」。

鹿の子とは、この絞姿が鹿毛の斑点に似ていることから、この名前がついた。この絞りは、指先で布を小さくつまみ、糸を巻いて括ってから染められる。

この絞り模様は、江戸期に大流行したものだが、その姿が豪華に見えると幕府から咎められ、例の「奢侈禁止令」で何度も規制された。この絞りが、模様の中のあしらいだけでなく、帯揚げや男モノの兵児帯、襦袢生地や羽織地と、幅広く使われていることは、皆様ご承知の通りである。

縫絞りについては、先述したので、もう一つの蜘蛛絞りについて、触れておこう。模様を見て判るように、染めた姿が蜘蛛の巣のように見える。そのことから、蜘蛛絞りの名前が付いている。

技法は、布の一点に鉤針を引っ掛け、シワを寄せた後に根元から布を巻き上げて絞るというもの。絞り方としては、最も単純で原始的なもので、有松絞りの代表的な方法の一つである。

 

藤の花にあしらわれている「中帽子絞り」。この名前は、布を括った姿が帽子をかぶったように見えることから、その名前が付いている。

帽子絞りには、模様の大きさにより、大・中・小に分けられる。二つ上の画像にの中に、躑躅の花の中の帽子絞りが見えるが、これは小さいので「小帽子」になる。藤の花の帽子は、中くらいの大きさなので、「中帽子」に当たるだろう。

帽子絞りは、まずあしらう文様の輪郭に従って、糸を入れる。そして糸を締める前に芯を含ませながら引き締める。染料が入らないようにする部分には、紙とビニールをかぶせ、括る。この姿が「帽子をかぶったように見える」ので、「帽子絞り」なのだ。

 

裾を拡大したところ。模様の無い地の部分は、すべて鹿の子絞り。このように、模様を隙間無くきっちり詰めて絞った模様を、「疋田(ひった)」あるいは「疋田鹿の子」と呼ぶ。

 

改めて、全体像をお目にかけよう。白地に辻が花模様特有の、躑躅と藤の花を配し、挿し色はあくまで淡く、上品である。多様な絞り技法を駆使して模様が描かれており、豪華ではあるが、控えめな印象も残る。

画像の袖を見ると、少し短く感じられるが、この振袖が作られた昭和50年代は、今より5~6寸は短い「中振袖」が主流だった。また、このお客様は小柄な方なので、普通よりなお短い袖になっている。幸いなことに、この振袖を受け継ぐ娘さんも、おかあさんと同じように小柄なので、袖丈の短さは気にならないだろう。

スタンダードな模様を、しっかりとした手仕事であしらった品物には、時代を超えた美しさがある。とても、30年以上前に作られたものとは思えず、古さを全く感じさせない。このような振袖こそ、世代を越えて受け継がれるべきものであろう。

 

折角なので、この振袖に合わせた帯も、ご紹介しておこう。

(金地 唐花に瑞鳥 正倉院模様袋帯・紫紘)

少し濃い金の地に、規則的に付けられた横段模様。図案は、唐花と一対の瑞鳥の二つ。これも特徴のある正倉院模様と言えそうだ。それぞれ濃緑と濃朱地を背景にしていて、織図案がはっきりと浮かび上がっている。いかにも紫紘らしい、カチッと決まった帯姿である。

 前の合わせ。柔らかい配色で淡く優しい振袖を、帯の地と模様できっちりと引き締めている。帯〆と帯揚は、帯の中の、濃朱色か濃若草色を使うと良いだろう。

豪華な上に、品の良さも兼ね備える、若々しいコーディネート。こんな良い品物をお持ちの方には、今新たに勧めるような振袖は、もちろん無い。

 

今回、娘さんがこの振袖を受け継ぐにあたり、手を入れたことは、汚れを確認して部分洗いをした程度。保管状態が良いと、手があまり掛からない。また、お母さんと娘さんの体格がほとんど変わらないため、仕立て直しや、部分的な寸法直しも不必要だった。

帯は、シワを伸ばし仕上げ直しをしただけ。お母さんの希望で、帯〆と帯揚げだけは、変えてみた。また一緒に付いていた長襦袢も、そのまま使えたので、一応丸洗いだけをして、刺繍衿のみ付け替えをした。

さらに、草履とバッグは、龍村のピンク地の「菊もみ」模様。これは、今でも同じものをうちで扱っている。お母さんは、「30年前と同じ品物が、今もあるのですね」と驚かれていたが、優れたスタンダードの品物は、どんな時代になっても、良いモノだ。

草履の鼻緒だけが少し傷んでいたので、龍村に送ってすげ替えてもらった。フォーマル用の草履やバッグは、使う機会が限られているので、それほど傷むことは無い。

 

お客様からは、「安く仕上げて頂いて済みません。これでは松木さんの商売の足しにはほとんどなりませんね」などと、感謝して頂きましたが、良い品物を受け継ぐための手直しには、驚くほど費用が掛かるはずがありません。

お客様が品物を娘に繋ぐように、私も手直しの仕事を先代から受け継ぎました。次の世代に品物を渡すという仕事は、呉服屋にとってはもっとも重要なことでしょう。この仕事を疎かにすれば、店の暖簾にキズが付いてしまいます。

これからも、多くの方に良い品物を受け継いで頂けるよう、丁寧な仕事を心掛けたいと思っています。思い出と思い入れが深く籠るような品は、キモノや帯を置いて、他にはありませんので。

 

今日は、大変長い稿になってしまいました。最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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