バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

寸法を変えて、品物を受け継ぐこと(後編) 加賀友禅・黒留袖の再生

2015.12 20

もう10年も経てば、かなりの職種が消えていくそうだ。ITに社会が席巻されていることと相まって、急速な機械の進化、さらにロボット化が、人間から仕事を奪う。

インターネットは、新聞や郵便の役目を完全に奪い、機械の進化は、スーパーのレジや車や電車の運転も自動にする。そして、人間の介護さえ、ロボットが代行するようになる。

さらに、自然消滅の道を辿るような職種もある。農家である。小規模農家や兼業農家は、高齢化とTPPの影響により、近いうちに淘汰される。そして、専業主婦の座も危ない。一部の富裕層を除けば、年金などの社会保障制度に将来不安が消えないために、安穏と家に止まっていられるような、経済的な余裕がなくなる。つまりは、外に働きに出ざるを得ないのである。

 

どこへ行くのも、何を買うのも、機械やロボットと向き合うことになり、人間同士が話すこともなくなる。つまりは、「感情を交える機会」というものが、日常の中からほとんど喪失してしまう。

効率を最優先にして、豊かな生活を目指した挙句が、こんな社会である。「人の手」による仕事を失くすことの代償は、極めて大きいという他ない。

 

こんな状況下では、旧態依然とした呉服に関わる職人仕事など、ひとたまりもないだろう。もうすでに、インクジェットを代表とするような、人の手を経ない品物が市場に蔓延し、仕立等の加工にも職人の手を使わない。先行きは暗澹たる状況になっている。

けれども、キモノや帯を日本の伝統衣装として尊重しようとする人々は、まだ残っている。それも僅かな人数ではないように思われる。

職人の手の温もりで満たされているような、上質な品物を求めたい方々。そして、一つの品物を長く、丁寧に、大切に使おうとしている方々。いずれも、効率に重きを置き、使い捨てを容認するような現代社会とは、相反する考え方である。

 

バイク呉服屋が接しているお客様方を見ていると、人の手を大切にされる方は、人と感情を交えることをも、大切にされているように感じられる。今日は、前回の続きで、一つの品物を受け継ぐために、どのように職人の手が入っていくのか、完成までを見て頂くことにしよう。

一つの品物を再生させるためには、呉服屋とお客様が向き合い、気持ちを交わさなければ、納得出来る仕事には決してならない。

 

(庭園模様 加賀友禅・黒留袖 登恵弌製作 1980年代初期)

前回は、手を入れる前に確認すべきことを、御紹介した。これをきちんと把握することで、直す手順が決まってくる。もちろん、依頼される方にも、今あるキモノがどのような状態になっているのか、一緒に見て頂くことが必要になる。

汚れやしみの付き方で、仕事の内容が変わる。例えば、一度も手を通していない、ほとんど汚れがみられない品物は、洗張りではなく、すじ消しをするだけで済むこともある。そして、今回の品物のように、洗張りだけでは落とせないような汚れがある場合には、補正やしみぬきをしなければならない。つまりは、それぞれの品物の状態により、直し方も変わり、それとともに費用も変わる。お客様がこのことを理解していないと、工賃が判り難くなる。

 

洗張り・補正・しみぬきを終えて、戻ってきた品物。

キモノ・胴裏・比翼地の三点に分かれ、それぞれがハヌイされてつながっている状態。

この品物の最初の送り先は、洗張り職人・加藤くんのところである。そこではまずキモノが解かれる。解くと判るのだが、キモノは、身頃・袖・おくみ・衿の四箇所、八枚の布で構成されていて、実に単純なものである。そして、洗いにかける前に、一旦解いた布を繋ぎ合わせる。これが「ハヌイ」と呼ばれる作業になる。

ハヌイされて、一枚の布となったキモノを洗いにかける。中性洗剤を使い、刷毛を使って汚れを落とし、水洗いする。カビなどは、この作業で落とせるが、カビが原因となって付いた変色までは落とせない。また、しみも落とせるものと、落とせないものがある。この黒留袖の衿についていた変色や、色ヤケなどは、落とせない汚れになる。

胴裏や比翼地、羽裏などの裏地類も、それぞれにハヌイされ、別々に洗いにかける。前回ご覧頂いたように、この黒留袖の比翼地には、かなりひどいしみが付いていたが、これも洗っただけでは無理である。

ハヌイされて、つなぎあわされている黒留袖。画像は身頃部分。

洗い終わった品物は、天日干しされ、生地が乾かされる。この時は、生地が均等に乾くように、生地の両端を「はりて」と呼ぶ木の留め具で止め、「伸子(しんし)」という、竹ひごの先に針が付いた道具を使って、生地を引っ張る。この張り方を「伸子張り(しんしばり)」というが、この方法で、生地がピンと張られることにより、洗張りで取れなかった汚れや、しみを改めて確認することが出来る。

洗張りについては、加藤くんの仕事場を訪ねて、その内容を御紹介した稿(2013.5~6月)があるので、ぜひご参考にされたい。

 

ひどい変色と生地のスレが見られた衿部分。見事に補正されていて、どこに汚れが付いていたのかもわからない。

補正職人のぬりやさんは、週に二度ほど、加藤くんの仕事場にやってくる。それは、この品物のように、洗張りで落とせないしみや汚れ、変色などの補正が必要になったものを、引き取るためだ。洗張り職人と補正職人は、互いの仕事を補完する関係であり、直しの仕事においては、欠かすことの出来ないパートナーである。

ぬりやのおやじさんは、亡くなった加藤くんの先代とは、とくに親しかった。だから、後を継いだ息子にも、何かと目をかけていて、師匠のような存在になっている。

 

ひどい変色やスレを直すには、まず生地の表面に蒸気を当て、しみを浮きあがらせる。しみ抜きを試し、全てが取れないまでも、出来る限り薄くしておく。そして、色刷き(ハキ)の作業にかかる。

色ハキは、元の地色に戻し、取れない汚れを隠すための仕事。この品物は黒留袖なので、当然黒い色をかける。但し、黒であれば何でも良い訳ではなく、あくまでこのキモノの地色に近い黒になる。黒は、色の中でも一番難しい。留袖や喪服など、黒地色のモノは揃って使われるものだが、何人もの人が同時に黒を着ると、赤茶っぽい黒もあれば、青みがかった黒もあり、さらに漆黒と呼べるような黒もあったり、多様に映る。

このような、色ハキの場合には、出来る限り元の地色に近付けることが、要求される。直した部分だけ、黒の色が違っていたら、取って付けたようになってしまう。あくまで、「直したことがわからないように」色を刷くことが大切なのだ。

かなり薄くはなったが、完全に落とせなかった比翼地・衿部分の黄色い変色しみ。お客様にも、この部分の直しは、「出来る限りで」ということで了解頂いているので、元より少しでも改善されていれば、納得して頂けるだろう。

袖先に付いていた汚れは、完全に落とすことが出来た。時間が経過した品物には、様々な理由で汚れやしみが付く。それを職人は、自分の経験を基にして、汚れに応じた直し方を試みていく。汚れの付き方が千差万別ならば、直し方も千差万別、マニュアルなど通用しない仕事である。

なお、ぬりやさんの仕事ぶりも書いている(2013.6~7月の稿)ので、よろしければ、そちらもご覧頂きたい。

 

こうして出来る限りの汚れを落として、戻ってきた品物は、仕立職人の手に委ねられ、新しい寸法に作り変えられていく。

この黒留袖の場合、身丈・裄・袖など、ほぼお客様の寸法通りに直すことが出来るので、そのまま仕立職人が縫うことが出来る。しかし、品物の状態によっては、仕立ての工夫が必要になることもある。

例えば、洗張りや補正では汚れが抜けない時などだ。もしその部分が衿だったならば、「切り替え」を使って仕立て直す。これは汚れの取れない上衿と、汚れのない下衿を交換して、付け直す方法である。身頃も同様に、上前と下前を切り替えることがある。

紬などは、リバーシブルなので、部分的に表と裏をひっくり返して、仕立をする場合もあるし、八掛けなどは、生地が切れた裾部分を上にして、付け直す(天地にすると言う)こともある。

仕立も、汚れを直す場合と同様に、品物の状態を見ながら、臨機応変に対応することが求められる。直し仕事というのは、一筋縄ではない。

裾部分のぐししつけ。黒留袖なので、白糸でほどこされるぐししつけが、否応無く目立ってしまう。このキモノを縫ったのは、小松さんという30年以上のベテラン仕立職人。画像からは、まるで一本の線のように付けられた細やかな仕事ぶりが、見て取れる。

およそひと月半ほどかけて、完成した品物。トキ・ハヌイ・洗張り・しみぬき・色ハキ・仕立て。その全てが、人の手よる仕事である。一枚のキモノを再生するというのは、一つのしみ、一つの変色を疎かにせず直し、その上、一目一目を大切に縫い進めていくことで、仕上がっていく。

効率などは考えず、ひたすら丁寧に慎重に、仕事が運ばれる。そこには、何とかして、新しい使い手に着心地の良い品物を使っていただこうとする、職人達の心意気が表れているように思える。

 

さて、この黒留袖は上質な加賀友禅なので、簡単に品物のほどこしを御紹介しよう。

庭園を写実的に描いた、加賀友禅らしい意匠。作者は登恵弌(のぼりけいいち)。あまり知られていないが、うちにある一番古い落款名鑑(昭和53年版)には、すでにその名前が見える。この方の作品は、庭園や山水をモチーフに使うことが多かったようだ。

「恵」と「一」を組み合わせた、独特の落款。

 

それぞれの木には加賀独特のぼかしが使われ、その中の一枚一枚の葉を丁寧に描いている。拡大してみると、もっとよくわかる。

細かく描かれた葉。丹念に糸目糊を置いていることが、よくわかる。加賀友禅が絵画的と言われるのは、小さな模様一つにも、手抜きをしない仕事の姿勢が見えるからこそ、なのである。

 

二回にわたり、一枚のキモノを預るところから、再生して仕上がるところまで、職人の仕事の過程を追いながら、見て頂いた。

品物を受け継ごうとしている方には、ぜひ仕事に関わる職人達のことも、知って頂きたい。そして、多くの良品が、長く大切に使われることを願いたいものである。

 

呉服屋の仕事は、人の手を欠いたら成り立ちません。モノを作る人、加工する人、直す人、それぞれの人がそれぞれの持ち場で、伝統に培われた技術を受け継いでいます。

お客様と職人を繋ぐ呉服屋の役割は、とても重要です。お客様には、どんな希望があるのか伺い、職人には、それを伝えて行かなければなりません。お客様とも職人とも、実際に向き合わなければ、「正しい伝達者」にはなれません。

人と人とが、感情を交えることが無くなれば、やがては間違いなく、大きな社会の歪みとなって現れて来るでしょう。そんな時代まで、生きていたいと私は思いませんが。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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