バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

出張代わりの、おうち仕入れ(前編・お召編) 今河織物の品物を選ぶ

2021.10 03

「今時、催事も展示会も開かない店なんて、ほとんど聞いたことがありません。」  うちに来る取引先の社員は、いつも感心したように、そして半ば呆れたように話す。

裏を返せば、「よくそれで、商いが成り立っていますね」と、揶揄されているようなものだが、それだけ、毎日の店売りだけで仕事が成り立っている呉服店が少ない、ということなのだろう。調査によれば、呉服の小売では、売り上げの80%以上を催事・展示会で作っているとされている。ということは、現在の市場規模・2780億円のうち、店頭での商いは50億程度に過ぎないことになる。

 

現在、多くの呉服小売の場で行っている催事販売は、品物ばかりか、実際に商いを行う売り手(販売アドバイザーとか、マネキンと呼ばれている)まで、取引先の問屋が用意する、いわば「全て借りモノ」による方式がほとんど。これだと呉服屋の仕事は、当日客を催事場に引っ張ってくるだけでしかない。

こうした状態は、かなり長い間「業界の商慣習」として続いているため、小売店の問屋依存は、もはや当たり前のようになっており、今更他の手法で商いを行うことなど、ほとんど考えられないようになっている。自分で品物を買い取って仕入れることもなく、またひどいところでは、自分で売ることすらできない。これでは、呉服屋は基本的な知識すら身に付かずとも、商売が出来てしまうことになる。だから展示会販売の弊害は、店にとっても消費者にとっても、ことに重大と言わざるを得ないのだ。

私には、「百害あって、一利なし」としか思えない商い方法だが、業界は見直そうともしない。いやもう各々の店では、とっくに「独自に商いの方法」を考える気力すら無くしていると言った方が、正しいのかもしれない。この先もこれまで通り、売り手が楽をして、目先の利しか追わないような方法を採り続けるなら、いつの日か必ず、消費者からソッポを向かれるだろう。そしてもし、店側がそれを判っていて、なお続けていくとすれば、それは「救いようのない阿呆」としか言いようがない。

 

こうしたことは、今のバイク呉服屋の商いには全く関係のない「対岸」のことなので、放っておけば良いことだが、弊害は、業界全体を覆う暗雲となり、それに伴う呉服屋の極端な質の低下は、和装に関わる仕事全ての未来を、危ういものにするだろう。そして、気づいた時にどうにもならないとなれば、文化を育んできた伝統衣裳としての和装の役割が、そこで終わってしまう。

呉服業の先行きは、こうした状況を見れば不安でしかないが、私としては、淡々と自分のやるべきことをやるだけ。きちんと品物は仕入れをして、それをきちんとお客様に説明しながら、お求めを頂くという、極めて当たり前なことを、これからも出来る限り続けたいと思う。

そこで今日は、私が品物を仕入れる様子を、ご紹介してみよう。ここ数か月、疫病の急激な流行により、県外に出ることもままならず、従って取引先へも行っていない。とはいえ、仕入れを怠ることは、即座に毎日の仕事に影響する。せっかく来店された方に、ご覧頂く新しい品物が何もないことは、店主の怠慢以外何物でもない。ということで、メーカーから店に商品を送ってもらい、そこから品物を選ぶという、いわば「おうち仕入れ」をやってみた。今回ご覧頂くのは、その時の様子である。では、始めてみよう。

 

今河織物さんから送って頂いたお召。ここから気に入った色、地紋の品物を選ぶ。

バイク呉服屋が扱う品物は、現在実際に商いとして成立するものとなると、カジュアルモノが7~8割を占める。おそらく多くの呉服屋では、フォーマルモノが7割以上と思われるので、現状はそれと全く逆転しており、いかにうちの仕事が「世間離れしているか」が判る。しかも、催事や展示会を全く行わないとなれば、平然と「商いの裏街道」を歩いているようなものだ。

うちに品物や悉皆を依頼されるお客様の多くは、日常の一部として和装が定着している方、あるいはこれから取り入れようとされる方である。「何かあるからキモノを着る」のではなく、「何は無くても、自分が楽しみたいから着用する」となれば、当然手直しの用事は増え、品物に対する関心も日常的に高くなる。だから自然と、店へ足を向けて頂けることになる。

 

お客様方は、来店されて私と交わすキモノ談義や、飾ってある品物や棚に並ぶ品物を見ることが楽しみであり、それが簡単に出来るところに、バイク呉服屋の価値があると考えられているようだ。「他では、たとえ品物が豊富に並んでいる店でも、気軽に品物を見せてもらうことが出来ない。」との声をよく聞く。店内で、こうして消費者に無言のプレッシャーが掛かるようでは、足は遠のいても仕方があるまい。

私なんぞは、とにかく「自分で仕入れた品物を、見て頂きたい」と思う。買うとか買わないとかは全く関係無く、お客様が見て、どのように品物を感じるか、まずはそれを知りたい。もし評価を頂ければ、自分の感性が正しかったことが確認できる。お客様の意見こそが、品物に対する店主の感性や見る目を高めさせてくれる。だからこそ、「見て頂くこと」がとても大切なのだ。

ということで、この「見て頂く品物」が無ければ、何も始まらない。うちの経営規模はとても小さく、沢山の品物を一度に買い入れることは難しいので、厳選した仕入れが常に求められる。ただ失敗しても、それはたまに奥さんに咎められる程度なので、私には常に反省が足りていない。

今回の「おうち仕入れ」も、頭をあれこれ悩ました末に、選んだもの。本音を言えば、支払いのことを考えず、一度くらいは思うがままに、仕入れをしたい。前置きというか、愚痴が長くなってしまったが、本題に入ることにしよう。

 

お召9反の他には、名古屋帯10本と小物類。何点仕入れるかは、品物の内容次第。

今回の仕入れに、今河織物(木屋太)さんの品物を選んだきっかけは、ここの小物類・帯〆と帯揚げの在庫が底をついたこと。他ではあまり見られないビビッドな配色の帯〆や帯揚げは、薄色やパステル系の色を中心とするうちのキモノや帯の合わせには欠かせない。ブログの月・コーディネートの小物合わせでも、今河さんのキリリとした帯〆を度々使っているので、お気づきの方も多いだろう。着姿を引き締めるには、またとない小道具になっている。

だから、売れてしまって欠けた色の帯〆や帯揚げは、その都度送ってもらっていたが、コロナ禍だったこともあり、このところ仕入れを躊躇していた。だがそうこうしているうちに、全部売れてしまって、どうしてもまとめて仕入れる必要が生じた。そこで、ついでと言っては語弊があるが、この織屋本筋の仕事(主要商品)であるお召と名古屋帯を一緒に送って頂き、目に留まる品物があれば、小物と同時に仕入れることを考えた。

 

何年か前に、お店の方に伺って話をお聞きし、品物の質の良さはもちろん、今河さんのご主人や奥様のモノづくりの姿勢もよく存じ上げている。品物にも作り手にも魅力のある、今となってはとても貴重な織屋である。

そこで今河さんとの商いの窓口になっている、買継問屋のやまくまさんに連絡し、品物を選んで送ってもらう手配をする。やまくまさんの女主人・山田さんとはもう30年以上のお付き合いで、私の好む色や模様をよく判っている。こういう時に、仕入れる品物の傾向を理解している人が仲立ちをしていると、送ってもらう品物に齟齬が無くなる。仕入れを前提にする時は特に、こうしたメーカーと小売りの双方に、「顔のきく人がいること」は重要である。

さて、こんな経緯で送って頂いた品物、まずはお召からモノ選びに入ってみよう。

 

お召は、商品に付けられた名前の由来が「将軍のお召モノ」であることからして、男モノのイメージが強く、従ってその色目も、紺や茶系統の渋みのある深い色合いが想像される。実際に男モノでは、そうした傾向が見られるが、女性モノでは濃い色合いではなく、優しい雰囲気の品物も沢山ある。

今回送ってきたお召の色は、ご覧の通り、すべてパステル色。山田さんが私の好みを熟知しているから、こうなる。ただ、織の表情はそれぞれ違い、浮かび上がる地紋に個性がある。染めた色と地紋が重なり合い、品物の表情となる。これを一点一点見ながら、自分のツボに入る品物があれば、仕入れをする。では、お召各々の特徴を見ていこう。

 

お召は、先に糸を色染めした後、織り出されるもので、いわゆる「先染め」の品物になる。これは紬類と同様なのだが、全くのカジュアルモノではなく、織り出される模様や色合い、また合わせる帯によって準礼装(セミフォーマル)としても使える。将軍のお召モノとして愛用された織物だけに、格調高い。つまりは、フォーマルとカジュアル双方の顔を持つ「中間的アイテム」となり、キモノとしては珍しく、中庸的な立ち位置にある品物と言えようか。

一見して、ほとんど無地にしか見えないのだが、近づいて生地表面をよく見ると、ご覧のように「七三」に分かれて、織模様が異なっている。右側・7割にあしらわれている細い縞を、滝のような簾、左側3割のさらに微塵な筋を、和紙を揉んだ姿に擬えている。この、ほんの僅かに覗くグラデーションが、さりげない美しさを演出している。

今河織物のお召は、左右両方向に3000回転も撚りをかけて糊を付けた「強撚糸」を緯糸・お召緯(おめしぬき)に使って織り上げているため、生地の風合いは柔らかく、軽くてしなやか。そして画像からはあまり判らないが、実際には光沢もかなりある。その上、こうしたパステル系の色だと、品の良さがなお際立つ。

 

クリーム色を基調とした二点。左は、クリーム色濃淡に染め分けた幅の広い横段で、右は、薄黄色と白を交互に付けた縦縞。最初の七三分けよりも、模様に表情がある。けれども、色合いは極めて薄く、左の横段などは濃淡と言っても、ほとんど色の差は無い。色の表情より、模様の分け方が印象に残るお召。

だが、左側にある横段お召の濃い部分をよく見ると、最初の品物と同様、七三分けした滝簾れと揉み和紙の織り出しが見える。これもまた、ほとんど判らないところに、凝ったあしらいがされている。

反物の一番手前には、今河織物の和紙証紙が貼ってある。創業は1912(大正元)年、今河與三吉氏がお召屋として創業したのが始まり。以来100年以上同じ場所で、織物一筋に勤しんでいる。

 

薄桜色と同系の灰桜色を使った、控えめな色のお召。ただ有職文・立湧模様のような、流線形の筋を全体に付けているため、あまり平板なイメージにはならず、結構立体感のある着姿になりそう。

そして拡大すると、白い筋の間の生地面には白いドット模様が見えている。無地のようで無地でないこんな凝り方は、作り手によほどこだわりがなければ表せまい。

木屋太の御主人は、最初お召の色目は地味な色ばかりと感じていたと、HPで語っている。そして色の冒険を試みることが、現代に生きる人の感覚にも通ずる個性的なお召を作ることに繋がり、すなわちそれこそが、新しいモノづくりの礎となる。だから糸を染める職人には、「いかに安く仕事を済ますか」というコストを下げることを目的とするのではなく、「新しい色に挑戦する」という前向きな姿勢、それまでの技術を最大限生かす仕事を求めていると述べている。

 

最後の三点は、絣のように見える青磁色の縞、小さな市松の地紋を織り出し、それを薄紫とサーモンピンクの横段に区切った複合的な模様、そしてブルーグレーの地に小さな動物を浮織した品物。いずれも、個性的なシルエットを持つお召。

横に白いグラデーションを付けた縞は、絣のようにも見える。今河さんはこのお召模様を、「スマトラ縞」と名付けているが、なるほどインドネシアの絣模様の雰囲気が品物全体に表れている気がする。この柄は、以前色違い(桜色)を扱った。

市松の地紋が浮き上がっているのが、よく判る画像。先ほどのクリーム色濃淡の横段とは異なり、ピンク・薄紫の異なる二色を使い分けて、あしらっている。この横段の色を、交互に組んで市松文のように誂えれば、かなり大胆な着姿に仕上がりそう。

薄グレーの色に、白く動物が浮き上がる「東武動物公園」あるいは「富士サファリパーク」的図案のお召。発想は面白く、そばに行かなければ何の模様が織り出されているか、判らない。

だがこれも生地表面をみると、小さな点が全体に散りばめられ、まるで江戸小紋の「吹雪模様」のような姿になっている。そこに、白抜きした動物の姿が浮き上がる。それも駱駝や蝙蝠、キリン、鰐、豹など、アフリカのサバンナに生息するような動物ばかり。これがサファリお召でなくて、何であろうか。

 

さて、こうして小一時間かけて、9反のお召をくまなく見てきた。そしてその結果、次の二反を仕入れることに決めた。

(薄桜色 立湧にドット模様・お召  青磁色 スマトラ縞・お召  今河織物)

それぞれに特徴のある9点のお召だったが、この2点に決めた大きな理由は、反物全体に織模様が行き渡っていて、それが品物の表情として際立っていること。そしてこんな淡い桜と青磁は、私が最も好む色であることだ。

大胆な横段や縦縞だと、色よりも織模様に目が行ってしまいそうで、万人向けとはならない気がする。もちろん、これが似合う方はおられるだろうが。また、七三分けの和紙揉みと滝簾れの品物は、品は良いのだが、あまりに無地に近いために、カジュアル的な面白さが出し難いと思う。そしてアニマルお召は、少し惹かれるものがあったが、扱う自信がつかずに諦めた。

 

もちろんこの選択は、実際に仕入れをする店の主人によって、異なるだろう。また画像で品物をご覧になった読者の方も、それぞれに好む品物は違うはず。カジュアルにも準フォーマルにもなる重宝なお召は、その使い道や季節によっても、色や模様の選択は変わるだろう。もちろん合わせる帯の工夫によっても、着姿は変わる。

着用される方が、時と場合を勘案して、臨機応変に着姿を整えることが出来る。そんな自在な楽しさが、お召の特徴なのだろう。薄くて柔らかいが、とても丈夫。そして独特の着心地の良さは、他のアイテムでは経験できない。ぜひ皆様も、お召という品物に一度目を向けて頂きたい。稿が長くなってしまったので、帯(木屋太ブランド)の仕入れについては、次回のお話とさせて頂こう。

 

仕入れた品物が、1年の間で捌けていくのは、およそ2割ほど。ですので必然的に、長い目で品物を見ることが必要になります。私の中では、これまでの商いの経験を踏まえ、「そんなに簡単に売れるものではない」と、常に意識されていると言えましょう。

しかしどの品物も、それなりに頭を悩まして仕入れ、店の棚に並んでいるだけに、とても愛着があります。もちろん、いつまでも売れずに残るのは困りますが、かといって、店に飾る間もなく求める方が現れてしまうと、何となく拍子抜けする気がします。おそらくそれは、自分の娘と同じように、見初める方が現れて欲しいような、それでいて売れて出て行くと寂しいような、そんな感じですかね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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