バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

9月のコーディネート  菊小紋と三つ兎の帯で、仲秋の月を愛でる

2021.09 26

十干は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。十二支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・羊・申・酉・戌・亥。ご存じのように、暦の表記はこの二つを組み合わせた干支(えと)だが、これは時間や方角、角度等にも用いられている。起源は、BC11世紀以前の中国・殷代というから、今から3000年以上も前になる。

十干(じっかん)は、最近表記される場面が少ないので、あまり人々に馴染みはないのだが、十二支の方は、その年を代表する動物なので、生まれ年などを表す時にも用いられて、良く知られている。今年の干支は、辛丑(かのとうし)にあたるが、同じ組み合わせを辿れば、それは六十年前に遡る。ということで、今年還暦を迎えられた方は、1961(昭和36)年の生まれである。

 

さて、暦の表記として登場する「栄えある動物達」は、いかにして決まったのか。十干の使用は殷代だが、十二支に動物が当てられたのは、かなり時代が下がって、BC2世紀頃の秦代とされる。日本書紀によれば、中国から日本へと暦が入ってきたのは、554(欽明天皇15)年。それは、当時の中国・南朝の宋や斉で使っていた元嘉(げんか)暦だったが、それを基として、604(推古天皇12)年には、日本で初めての暦が作られた。もちろん、十二支それぞれの動物はすでに決っていた。

十二支の動物のことは、今に伝わる民話や説話に多く残る。最もポピュラーな筋書きは、まず神様が動物たちに対して、「年の初め、自分の所へ早く着いた順に十二番目までを、一年を代表する動物として認める」と宣言したことに始まる。そしてこの十二支争奪レースの結末は、足が遅いと自覚した牛が、最も早く神様の下へ向かうが、この牛の背中に乗った鼠が、ゴール直前で降りて一番を獲得。その後に、虎、兎、龍、蛇と続き、最下位に滑り込んだのが猪だった。

不思議なのは、ここに猫が入っていないことだが、猫はレースの日を聞き逃したので、鼠に確かめたところ、鼠は足の早そうな猫を除外するべく、その日を元日ではなく二日と教えた。そのため、猫はそもそもレースに参加できなかったのである。その恨みもあって、猫は鼠を追い回すだとか。また、神様の所へ行くまで、どういう訳か猿と犬は喧嘩が絶えず、いつも鳥が仲裁に入っていた。そのため干支も、申・酉・戌の順番。「犬猿の仲」というのは、ここから生まれたという説もある。

 

ということで、選ばれし十二の動物たちは、由緒正しき獣でもあり、装飾や文様のモチーフとしても度々使われてきた。もちろん染織品の意匠にも多く見られるが、その中でも卯=兎は、その愛らしい姿から様々にデザイン化されてきた。

月にウサギが住んでいる伝説は、BC3~5世紀の中国・戦国時代に生まれており、飛鳥期には日本へも伝わっている。それは、日本最古の刺繍作品ともされる中宮寺・天寿国繍帳に、薬壺を前にした兎の文様が描かれていたり、法隆寺・玉虫厨子の須弥壇の漆絵の中にも姿が見られることで、兎というモチーフの起源が理解出来る。そして、この動物が文様として盛んに使われるようになるのは、桃山時代から。代表的な文様は、名物裂の花と組み合わせた「花兎文様」である。そして、十三夜や十五夜といった名月が現れる秋の意匠として、秋草などと一緒に表現されることが多くなっていった。

昨年の10月にも、菊の小紋と兎の帯を使ったコーディネートをご紹介したが、やはり秋の定番として、この二つのモチーフはどうしても使いたくなる。そこで、皆様からワンパターンとお叱りを受けることを承知の上で、また菊と兎にタッグを組ませてみた。前回総柄だった菊の小紋は飛柄に、袋帯だった兎は名古屋帯に替えたので、昨年の組み合わせとは幾分雰囲気が変わっているように思う。それでは、ご覧頂くことにしよう。

 

(薄胡桃色地 菊花模様 小紋・紫鈍色 三つ兎模様 九寸織名古屋帯)

すでに古墳時代には、動物を文様のモチーフとした金属器や鏡、装身具などが作られていたが、図案は、大陸から持ち込まれたものをそのまま使ったものや、それを独自にアレンジした独創的な模様も見られた。そして、遣隋使や遣唐使の派遣により、公式に交易が始まった飛鳥~天平期は、唐草と動物を組合わせた、ある種の定型的な図案の配置方法を取り入れた文様が、多数生まれる。

大きな樹木の下で、鹿や羊を向かい合わせに置いた「樹下動物文」や、小さな丸を重ねて円を形作る・連珠式円文の中に、馬上から獅子を射る王の姿を描いた「四天王獅猟文」などは特に良く知られており、いずれの文様もシルクロードを通って、遠くペルシャから伝えられたものである。

 

ただ、こうした外来の天平的な図案やモチーフは、国風への意識が強くなった平安中期には、すっかり影をひそめる。そして文様として使われる動物の種類も、あしらわれる姿も、図案というより写実的に描かれることが多くなった。その代表とも言える作品が、平安末から鎌倉初期に製作されたとされる、京都高山寺の鳥獣戯画である。

全四巻からなる墨書き絵巻物は、動物を擬人化して、当時の世相を面白おかしく描いたもの。兎と蛙が相撲を取ったり、一緒に弓を引く姿は、つとに知られている。この戯画はほとんどの教科書に記載されているので、動物モチーフの図案と言うと、これを真っ先に思い浮かべる方も多いだろう。

 

そして、鎌倉から室町にかけては、再び外来の動物文から大きな影響を受ける。これが、中国の宋や明との貿易で輸入された絹織物のあしらい、いわゆる「名物裂うつし」である。鯉が波の上に跳ねる姿の「荒磯文」や、襷文の中に角ばった鹿が入る「有栖川文」、そして花の下に見返り兎を配した「花兎(角倉)文」等々。同じ外来文様でも、天平の文様とは一線を画した、形式も雰囲気も異なる姿として、表現されている。

その後動物たちは、それほどポピュラーなモチーフとして文様の中で使われていない。形式的に図案化されているのは、犬張子や唐獅子、春駒(馬文)くらいが思い浮かぶ程度。だがそんな中にあって、最も良く使われているのが、兎文であろう。十二支を考えても、一番愛らしい動物は兎。その姿は様々に意匠化され、どれをとっても可愛く仕上がっている。こんな動物は、他には無い。もちろんこの文様は、「可愛いモノ好き」のバイク呉服屋の心も捉えて離さない。また前置きがかなり長くなってしまったが、兎を帯に使ったコーディネートを、これからご覧頂くことにしよう。

 

(紫鈍色地 三つ兎文様 唐織名古屋帯・錦工芸)

兎をモチーフとした意匠は、やはり秋を意識したものが多く、アザミや女郎花、薄など秋草の咲く野に遊ぶ姿や、そのイメージ通りに、月の中で餅を搗く姿を描いた作品もある。兎のあしらいは、写実的でも図案化しても愛らしい姿となり、どちらにせよ品物の雰囲気は和ましいものとなる。

月の兎は、伝説の発祥地・中国では、不老不死の霊薬を搗き続けていることになっているのだが、日本の兎が搗くのは餅。これは、十五夜に見える満月のことを「望月(もちづき)」と呼ぶことから、薬が餅に転化したと考えられている。兎という動物に「旬」は無いのだが、こうした文様の成り行きを考えてみると、やはり相応しい季節は、仲秋の今頃ということになろう。

三羽の兎がうずくまっている「三つ兎」の文様。図案における兎の姿は、真正面から、真横から、上からと様々な角度から描かれている。特徴的なシルエットを持つ兎は、緻密に描こうが単純化して表現しようが、持つイメージから外れることは無い。その点では、実に重宝なモチーフと言えよう。

この帯に織り出されている兎も、正面、後、横と三方向に坐る三匹。お太鼓の真ん中にちょこんと居座る兎の姿は、なんとも微笑ましく映る。これは、着姿を見ている方にも、秋が感じられる意匠である。帯地の色も、墨色を基調とした鈍色(にびいろ)に、僅かに紫を含ませたような、深く落ち着きのある色で、秋の訪れを感じさせてくれる。

前の兎模様も、横向きと正面。手を回す方向を変えれば、異なる姿が前に出てくる。装う方が、スイッチヒッターのように、左右どちらにも手を回して帯を締めることが出来れば、二通りの前姿を楽しむことが出来る。

兎本体の色はほぼ白だけで、目にほんの僅かなピンクが見える。体に付いているギザギザの波がアクセント。緯糸が浮き上がって模様を形作る唐織の帯だけに、白い兎の姿が立体的にあしらわれている。

さて、愛らしく秋らしい三つ兎の帯には、どのようなキモノを合せると、より「仲秋」に相応しい装いとなるのか。これから、組み合わせるキモノを小紋で考えてみよう。

 

(一越 薄胡桃色地 菊模様飛柄小紋・菱一)

菊ほど、多様な姿で表現される植物モチーフは、無いだろう。今は、一年中欠かすことがない菊だが、元々はやはり秋を旬とする花である。多くの植物がそうであるように、奈良天平期に中国・唐から薬草として伝来したのが、始まり。

奇数を陽とする中国の陰陽思想においては、その極である9の数字が重なる9月9日は、従来陽の気がみなぎり過ぎて「不吉」と見なされていたが、次第に「陽の重なりは吉祥の証」と考えられ、祝い事を行うようになった。そして陽を重ねた=重陽(ちょうよう)の宴は、盛りを迎えた菊の花を愛でて、菊酒を飲んで長寿を願う「節句」になる。それは古来から人々が、菊には、邪気を払う力と、長寿を司る力が宿ると信じてきたことに由来している。

小紋にあしらわれた菊の花。小菊の枝を添えた大小の菊が、地を空けて飛んでいる。菊が文様として意匠化されたのは鎌倉期以降で、室町から桃山期にかけては、日本的文様の代表として、染織品や漆器類の装飾に数多く見られるようになった。

染織品に見られる菊の姿は、豪華な大輪の花から、楚々とした野菊まで様々。そして、尾形光琳が描くところの、細やかな花弁を一切省略した「光琳菊」に見られるような、極端にデザイン化された花から、花弁を一つずつ丹念に描いた精緻な花まで、その描き方も本当に多彩である。

飛柄だけに、誂える際には、模様の配置には十分気を配らなければならない。地空きの部分のバランスや、模様大小の位置取りが不均衡になると、どうしても着姿に不自然さが生まれてしまう。こうした小紋は事前に、呉服屋と和裁士の間で「模様積り(もようつもり)」、いわば誂えの設計をしておく必要がある。どのような着姿に形作るかを決めて鋏を入れなければ、仕上がった時に「思わぬ姿」になってしまうことがあるからだ。失敗してからでは、取り返しがつかない。

地色は、薄いベージュにやや茶色の気配を感じる、胡桃に近い色。薄い色だが、これもまた秋を意識させる温かみのある色。胡桃そのものも、秋の季語として使われる。

小紋の菊配色も、極めてシンプル。花弁は赤みのある紫が基調で、暈しを付けた大きい菊と、染疋田を使った小菊の二種類。そこに白と黄の二輪の小菊を添えてある。色使いが単純で規則性があることから、より菊の模様がクローズアップされ、この品物が「菊のキモノ」として印象付けられる。

では、どちらもすっきりした意匠の兎の帯と菊の小紋をコーディネートしてみよう。

 

キモノ地と帯地が、同じ系統の色の濃淡になるので、双方の雰囲気がそのまま着姿に現れる。またキモノが、模様間隔の広い地空きであり、帯模様は、お太鼓の真ん中に図案が集まっていることから、合わせた時に全体がすっきりと見える。またキモノが植物文、帯が動物文と異なることも、キモノと帯のバランスが上手く取れる一因になる。

小さいながらも、帯の前模様にある「ワンポイントうさぎ」は、それなりに主張があって目立つ。むしろ、控えめな姿だからこそ、この図案が着姿の中に生きるのだろう。

小物の色は迷ったが、少し個性的にと考えて「真紅」にしてみた。くっきりと鮮やかな赤で、着姿を引き締めてみる。赤は兎のイメージカラーでもあり、小物に使うと可愛さが引き立つ気がする。また、もう少し落ち着いた色を使えば、秋らしさをもっと前に出せるように思う。(帯〆・加藤萬 帯揚げ・木屋太今河織物)

 

今日は、十五夜・仲秋に因んで、うさぎと菊をモチーフにした品物をコーディネートして、旬の姿を表現してみた。四季のある日本には、見ただけで人々に季節を意識させる道具がある。それは目に映る植物であり、動物であり、気象であり、そして季節ごとに繰り返される年中行事であろう。

これを意匠として、装いの中で表現できるキモノや帯は、日本人の美意識を象徴するもの。秋には秋の、春には春に相応しい姿を、装う方それぞれが考えて演出する。これこそ、最も大きな和装の楽しみ方ではないだろうか。皆様もどうか、ほんの少しでも良いので、着姿のどこかに季節感を匂わせて頂きたいと思う。

最後に、今日ご紹介したした品物を、もう一度どうぞ。

 

十二支に選ばれし動物ですが、国により若干の違いがあるようです。神様の所へ最後に着いた猪ですが、日本以外の国では豚になっています。また、タイやベトナムでは、兎の代わりに猫が、モンゴルでは虎ではなく豹、またアラビアでは龍に代わって鰐が入っています。どのような経緯で、各々の動物が入れ替わっているのか、良く調べて見ないと判りません。それこそそこには、それぞれの「お国の事情」があるのでしょう。

私は、一昨年干支が一回りして、還暦を迎えました。果たしてあと何回、自分の干支・亥を迎えることが出来るでしょうか。おそらくは、多くてあと1~2回でしょう。そう考えると、持ち時間はあまり残されてはいません。ですのでこの先、せいぜい悔いのないように、自分らしく時間を使いたいと思っています。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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