バイク呉服屋の忙しい日々

むかしたび(昭和レトロトリップ)

果て遠き道の、その先へ(後編)  春国岱砂丘列・根室東梅

2021.08 10

エクスタシーを感じる時とは、どんな場面か。それは人それぞれで、違うだろう。そして、我を忘れるほどの快感、恍惚感とまでは行かなくとも、日常を忘れて夢中になれる時間や空間を持っていることは、生きていく上でとても貴重なことと思える。

バイク呉服屋の場合、人知れぬ林道や行き止まりの道、果てなく続く道を、一人黙々と歩いている時こそが、忘我の時間である。そして困ったことに、年々行く場所はエスカレートして、人の気配が全く無いような、情報が限定されるところを探すようになってきている。簡単に足を踏み入れることが出来る所では、もう自分が望むエクスタシーを得られないと、自覚し始めているのだ。

昨年秋にご紹介したフレシマ湿原、そしてその前の「遺されしものに、会いに行く」の稿で取り上げた、霧里(むり)や上足寄鳥取、光地園、上茶路等々は、おそらく北海道にお住まいの方でも、その場所を特定出来る方はあまりおられまい。それほど、マニアックな所に行かないと、私は己の心の琴線に触れることが出来ない。

 

しかし、人の気配が無い場所へ行くことは、即ち獣の領域に入ることに他ならない。そこでは、貴重な鳥獣に出会えると同時に、攻撃されるリスクも伴う。北海道で特に恐ろしいのは、言うまでもなくヒグマ。偶然であっても鉢合わせしたら最後、死ぬことすら覚悟しなければならない、本当に危険な獣なので、考える限りの防御策を講じない限り、熊の領域へ踏み込んではならない。

私のように、常に一人で行動する場合は、自己責任が求められる。ひとたび事故が起これば、多くの人に迷惑が掛かる。これを自覚することなく、やみくもに自分勝手な危ない旅を企ててはならない。自己陶酔を得る前に必要なことは、冷静さなのである。

呉服屋の仕事もお盆休みに入るので、ブログの稿も勝手をさせて頂き、久しぶりにバックパッカーとしての旅の記録を書きたいと思う。テーマは前回に引き続き、「果て遠き道の、その先」を辿るお話。今回の旅先は、北海道の根室にある風蓮湖と根室湾を隔てる三つの砂州、春国岱(しゅんくにたい)。なかなか遠くへ行くことが難しい今、お休みの暇つぶしにでも、読んで頂けたなら嬉しく思う。

 

立ち枯れのアカマツが見える春国岱・第二砂丘。河を渡るのは、母子五頭のエゾシカ。(根室市・東梅)

バックパッカーの旅の基本スタイルは、歩くこと。荷物を後ろに背負い、常に両手を空けているのは、そのため。鉄道やバス、車は、あくまで旅の起点へ向かう手段であり、目的地はまだずっと先にある。歩いてしか辿り着けない場所だからこそ、手つかずの自然が残り、希少な動物にも巡り合える。行ってみなければ、何が起こるのか判らない。そんな偶然性を秘めているからこそ、歩くことに心が躍るのだ。

一般に道東と呼ばれる北海道の東側は、釧路と根室に加えて、十勝やオホーツク沿岸の一部地域も含む。この道東地方にこそ、北の大地を代表する雄大な自然や日本離れした景観が残る。しかも、開発の手を免れ、観光地化することなく、環境が保護されている「保護区」や「ラムサール条約に基づく登録湿地」も数多い。

そんな場所では、自然と人とを共存させるために、一定のルールを設けている。当然、旅人の基本となる条件は「歩くこと」であり、だからこそ、貴重な自然環境を守ることが出来る。観光と自然保守は、絶対に並立しない。そのことを自覚する者だけが、美しく豊かな自然や景観に触れることが出来る。

フレシマ湿原は、保護区の入口に鍵をかけ、訪問者を管理するという、かなり念の入った方法で、環境を保全していた。春国岱はそこまで厳密な管理はしておらず、自然観察路や木道を整備して、訪れる人々に便宜を計っている。だが道は、管理されている観察コースに止まらず、歩く人の意思で行くことが出来る、遥かに遠い道もある。これからお話するのは、その道の先のことだ。

 

春国岱の最寄り駅は、根室本線の終着駅・根室。バスか車で、国道44号を厚床方面へ戻る。15分ほどで、市内西側の汽水湖・温根沼(オンネトー)が広がり、そこを長い橋で渡るとまもなく、根室湾に向かって口を開けた風蓮湖の中に横たわる、三つの砂州が見えてくる。

春国岱の位置関係が判る地図。それは、海に続く風蓮湖の中に浮かぶ小島のようにも見える。ここは、根室市の東梅(とうばい)という地名のつく場所だが、東梅とは、アイヌ語で、to(湖)paye(入口)=湖に入るところという意味を持つ。このように、北海道の地名の多くはアイヌ語に由来し、それを漢字に変換して読ませている。なお春国岱は、sunku(エゾマツ)nitai(林)=エゾ松の林と言う意味である。

 

春国岱の入口、国道わきの奥にはネイチャーセンターがある。まずここに立ち寄り、ガイド資料を受け取る。そこには、春国岱にやって来る野鳥と開花する植物が月ごとに分類されていて、判りやすい。訪れた時期は10月の下旬なので、花はほとんど咲いていないが、多くの鳥たちが迎えてくれそうだ。

ネイチャーセンターに隣接する道を下ると、小さな駐車場があり、そこに車を止める。目の前には、春国岱へ渡る橋があり、その先に木道が続いている。さあこれから、この三つの砂州を巡りつつ、最後は最も長い、第一砂丘の道の果てを目指すことにしよう。

 

国土地理院発行・「東梅」の二万五千分の一の地形図に記載された春国岱。

地形図ではっきり判るように、春国岱は三つの砂州から形成されている。これはオホーツク海流によって運ばれた砂が堆積したもので、およそ3000~1500年前に出来ている。面積は600haで、長さは8K。砂州の最大幅は1.3Kに及ぶ。

3列で構成されている砂州・砂丘列は、標高は僅かに3mという低地であり、砂丘と砂丘の間には湿地が広がる。また砂丘の微高地は、針葉樹林で覆われていて、原始よりほとんど人の手が入っていない。風蓮湖を塞ぐような形状の砂州は、海岸から砂浜、森林、塩性湿原、干潟とその姿を次々に変えている。だからこそ、多種多様の生態系が垣間見える。それではまず、陸地に近い一番手前の第三砂丘から、歩くことにしよう。

 

春国岱橋を渡ると、河の右岸に木道が付けられている。ここが第一砂丘の入口に当たる場所で、第二砂丘と第三砂丘へは、この先に設えてある木橋を渡る。この水辺は河に見えるが、風蓮湖の一部。湖は砂州の間で分流し、幾筋もの河を形作る。そしてそこには、多くの鳥たちが集まってくる。

河を隔てて向こう岸に見える森が、第三砂丘。この日は快晴で、目の覚めるような青い空が広がっていた。

川面に群れ飛ぶ鳥たち。ヒドリガモやオナガカモ、マガモなど美しい羽を持つカモたちが水辺で憩う。そして、どちらとも見分けが付かないオオセグロカモメやウミネコが、時折一斉に何十羽も飛び立つ。辺りには「キュイ、キュイ」とカモメの鳴き声が響きわたる。

 

第二、第三砂丘へ向かう橋の上から、砂丘列の上流部を眺める。今日の最終目的地は、この右岸を4K以上歩いた春国岱の先端で、そこは第一砂丘の果てになる。

第三砂丘に向かう途中の湿地帯では、枯れて横たわるエゾマツの木の横で、サンゴ草(別名アッケシソウ)が、赤い珊瑚色を放っている。この草は、汽水湖の水辺に繁茂する塩生植物で、秋になると茎と枝が赤く紅葉する。北海道では、能取湖やサロマ湖に群落がある。この時期、枯色で覆われた春国岱で見られる唯一の色付き植物であろう。

木道を辿って第三砂丘に入ると、辺りは急に鬱蒼となり、アカエゾマツやトドマツ、ミズナラ、ダケカンバの巨木が林立する森になる。地面に目を移すと、びっしりと青苔に覆われていて、まるで太古から時を止めたかのよう。この第三砂丘は、春国岱の砂丘列の中で最も古い。

しかし、森は荒廃が進み、途中からポキンと折れてしまった大木や、葉が全て削げ落ち、枝だけが残る骸骨のような木もあちこちに見られる。これは、地盤が沈下して砂丘が海水に浸食され、塩分が増加したために木の生育が妨げられた結果、こうした立ち枯れの姿となってしまった。

 

第三砂丘から第二砂丘へ移動すると、湿地帯には立ち枯れたアカエゾマツの木が林立し、ある種異様な風景となる。アカエゾマツは、湿地帯や火山灰地のような悪条件の環境下にあっても生育する。第二砂丘は、このアカエゾマツの純林で構成されている。

紺碧の空の下で、天に向かって屹立するエゾマツ。野付半島のトドワラは、ここと同様にトドマツが立ち枯れて特異な風景を見せているが、今は木がほとんど倒れてしまい、ここ春国岱のような、こんな枯木の姿を見ることはもう出来ない。

「この世の果て」を想起させる荒涼とした風景。この日は空が青かったのであまり感じなかったが、もし雨が降ったり霧で煙っていたりしたら、この風景はもっと幻想的になるだろう。

第二砂丘から第一砂丘へ戻る間では、木はすっかり湿原の中に倒れて、枯野の風景が大きく広がる。ここから、橋を渡って河の右岸に戻り、第一砂丘の先端を目指す。ここからは木道がなく、草原の中をひたすら歩くことになる。

 

木道の切れた先から、第一砂丘の奥を見渡す。今度は左に河、右に海が見える。これから、二つの水辺の間に形成された砂州の上を、ひたすら歩く。ここからがいよいよ、「果て遠き道の先」の本番だ。

第一砂丘と第二砂丘を隔てる河・風蓮湖が、海の出口までずっと寄り添うように続く。河畔からは、対岸の立ち枯れのエゾマツが遠望出来る。第二、第三砂丘側の木道では、大きな望遠レンズのついたカメラを手にしたバードウオッチャーを数人見かけたが、こちらの道なき道に来ると、もう誰もいない。

1キロほど歩くうちに、河岸は枯野から、時折水たまりのある湿原に変わる。第一砂丘には森林は無く、草原が主体で、この辺りは夏になるとハマナスやセンダイハギの大群落がみられる場所。私が北海道を歩くのは、決まって晩秋なので、花にはほとんど縁が無い。たまには、可憐な野の花を愛でながら歩いてみたいと思うが、夏は強烈な虫の攻撃を覚悟しなければならないので、やはり無理かと思う。

 

サクサクと枯草の上を歩いていると、遠くに動物の姿が見える。エゾシカだ。私の旅歩きでは、ほとんど毎日のように遭遇するので、ことさらに驚くこともない。鹿たちにとっても、そろそろ食べ物が心もとなくなる季節。大好物のハマナスも、とっくに花を終えて枯れているが、年々鹿たちに喰い尽くされてしまい、砂丘の花の群落は少なくなっている。

小高い草地の上に、三頭。残りの二頭が来るのを待っている。これから河を渡って、対岸の第二砂丘へ移る。立ち枯れの木と背後にある森が、河越しに見えている。

五頭のエゾシカが、徒党を組んで河を渡り始めた。すでに3Kほど歩いたが、このあたりで風蓮湖は細い筋の流れへと変わっている。

一旦、河の中州に上がって休み、湿地に生える水草を食んでいる。手前から、草地、河、湿地、エゾマツの立ち枯れ、森と続く春国岱。一枚の画像からも、この場所の多様性が見て取れる。

穏やかな秋の光が、湿原いっぱいに降り注ぐ。そして、「ピー」と高く鳴く鹿の声だけが、静かに響く。枯草の上に座って、しばし鹿の様子を眺める。私にとって、こんな時間こそが、何にも代え難い忘我の時間である。

 

第一砂丘を進むにつれて、河(風蓮湖)と海(オホーツク海)の距離が狭まってくる。間を挟む草原の幅は、50mほど。草原には、所々に2mほどの自然な盛土が出来ていて、そこに登ると砂丘の先が遠望できる。見れば、もうあと少しで、砂地が途切れる。ようやく、そんなところまで来た。

というところで、アクシデント発生。小高い丘から、何気なくカメラのファインダーを覗くと、草原に何やら黒い物体が見える。もしかしたらこれは、一番遭遇してはいけない獣かも。そう考えた瞬間、足が震える。これまで「糞」は何度も見たことがあったが、「実物」は初めてである。

目視で、約200mほど先。相手はまだ、気づいていない。急いで、ザックに付けている二つの熊鈴を外す。何も好んで、相手に存在を知らせることは無い。今は私が、ここからそっと立ち去れば事態は回避出来る。その方が「お互いのため」である。

望遠に切り替えて、獣を写してみた。恐ろしさのあまり、ピンボケになっている。帰ってから画像を見ると、熊のようでもあり、鹿のようでもある。そばに行って確認していないので、どちらかはわからない。ただ、やはり回避して良かったと思う。けれども、これで湖側の道をふさがれてしまったので、やむを得ず、ここからは海岸べりを歩くことにした。

 

草地と違い、砂浜は足を取られて歩きにくい。だが、雲は低く浮かび、海と空の距離が近く感じられる。この日のオホーツクは穏やかで、静かな波が打ち寄せている。歩いているうちに思わず、中島みゆきの「空と君のあいだに」を口ずさむ。それはきっと、空が美しく、そして低かったからなのだろう。

海沿いの砂地が狭まり、砂丘の終わりに近づく。僅かに草地は続いているが、荒涼としてくる。地の果てを感じさせる光景。「果て、遠き道」の終わり。雲はなお、低く浮かんでいる。

戻りながら、春国岱の全景を伺わせる場所を、もう一度画像に残した。今度は、真冬か曇天の時に歩いてみたい。やはりここは、光に満ちていない時に、凄みを感じさせるはず。いつかきっと、また訪ねると心に決めて、帰り道を急いだ。

 

フレシマ湿原・春国岱と、遠き道をひとり辿ってみたが、歩きながら、人と自然が共存することは、如何なることかと考えさせられた。私は、毎回テーマを決めて、旅に出ている訳ではないが、何かを心に刻むことが出来なくなったら、もう出かけることは無いように思う。

いつまで、充実した「忘我の時間」を持つことが出来るか。それは、体力としなやかな感受性がいつまで続くかに、関わっている。

 

(春国岱砂丘列への行き方)

根室本線・根室駅より、厚床行きか中標津空港行きのバスで、15分。東梅下車。木道・自然観察路のある第三、第二砂丘だけを歩くなら、約4Kで2時間ほどあれば十分。また第一砂丘の先端までは、約8.5K。途中で野鳥や植物を観察する時間を含めれば、4時間くらいは欲しい。いずれにせよ、余裕を持って、ゆっくりと歩く時間を楽しむことをお勧めしたい。

 

休み前なので、私自身が楽しみつつ、回想記を書いてしまいました。北海道へは、今年の秋も間違いなく出掛けます。そして現在、今回以上に「危ない場所」へ出掛ける計画を、立案中。本当に、熊に喰われる日も、近いかも知れません。

今日は、キモノの話が出来ず、申し訳ありませんでした。そして、こんな長ったらしいマニアな稿を、最後まで読んで頂いた方には、本当に感謝申し上げます。なお、明日11日から15日までは、夏休みを頂きます。頂いたメールのお返事も、16日以降になりますので、何卒よろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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