バイク呉服屋の忙しい日々

むかしたび(昭和レトロトリップ)

果て遠き道の、その先へ(前編)  フレシマ湿原・別当賀

2020.12 02

自然保護区とは、生物の多様性を維持している生態系を守るために、必要な地形や地質、あるいは水源を保全するために設けられた特定の区域を指す。この形態は、国や地方公共団体などの公的機関が設置・管理する場合と、私的な団体やNPO法人等により保全される所に分かれ、保護区における規制や規定は、各々で異なる。

国際的な自然保護区としてよく知られているのが、ラムサール条約に基づく保護区。これは水鳥の生息地を守るために、特定の湿原を保全している。現在この条約における日本の登録湿地は、釧路湿原や尾瀬など52か所である。

 

日本の自然保護区として最も認識されているのが、鳥獣保護区。ここは、国(環境省)や地方自治体によって指定・管理されているが、この区域内では、全ての鳥獣の捕獲は禁止され、埋め立てや干拓、また人工物の設置など、野生動物の生息に支障をきたす行為は、厳しく制限されている。

そして私設保護区の代表が、野鳥保護区。ここは、野鳥の生息環境を保全するために設置された区域で、自然環境保護団体が主体となって管理している。この活動を牽引しているのが「日本野鳥の会」で、公的保護の無い場所で希少な野鳥が生息している場合には、その土地が開発されないように買い取ったり、地権者と環境保全に関わる協定を結んだりしている。

 

こうした一方で、国際的な保護の形として「世界遺産」に認定されている地域、また日本国内では、国内法の自然公園法に基づいて「国立公園・国定公園」として指定されている地域がある。双方とも、指定区域の環境を保護することはもちろんだが、反面、前述した自然保護区ほど、動植物の生態を守る厳密な管理や規制がされていない。

例えば、世界遺産の登録地であっても、開発行為には厳密な規制は掛かっておらず、国立・国定公園内では、環境保護と共に利用促進を図ることも目的として掲げられている。つまりこれを考えると、完全に環境保全を目的とする、ラムサール条約に基づく湿地保護区域や鳥獣・野鳥保護区と、世界遺産や国立公園等の認定地域では、その意味するところと、各々の場所を訪れる人の意識が、全く異なっていることになる。

 

判りやすく言えば、保護区の主人公はあくまで鳥獣や植物であり、この生態系を守ることが、何より優先される。だからそこには、観光的な要素は全くと言っていいほど含まれていない。翻って世界遺産や国立公園を考えれば、「訪れる人間」のために道や宿泊施設を整備し、観光スポットとして発展させるという、いわば「観光業の目玉」として位置づけることが、ある意味で目的化されている。

動植物本来の姿や生態を守り、あるがままの自然景観を維持するのであれば、「保護区化」すべきことは自明の理であり、多くの人間がやってくる「観光地」になってしまえば、やがて荒廃していくことも間違いない。

日本では、観光地は知っていても、保護区を知らない人が何と多いことかと思う。そしてほとんどの旅行は、観光地を巡ることにしかなっていない。おそらく、そうしたことが、環境保護に対する意識の薄さの遠因となって、繋がっているのだろう。

 

コロナ禍の今年は、遠くへ出かけることが憚られているが、私は例年通り、10月の第3週に北海道を歩いてきた。もちろん、政府推奨の何とかキャンペーンとは関係無い。私は、自分が好き勝手に動く旅に、税金を投入してもらうことなど、あってはならないと思う。また訪ね歩く場所は、獣はいても人はいない場所ばかりなので、密になる心配はほとんど無く、感染リスクはかなり低い。しかも、宿泊は自炊宿である。

ということで、今秋のブログ旅は、人をほとんど遮断している野鳥保護区の道を歩き、人知れぬ湿原と荒涼たる海岸を辿るお話。毎回のことだが、私がバイク呉服屋ではなく、バックパッカーとして記す稿をお許し頂きたい。

 

(フレシマ湿原 東ホロ二タイ川流域 野鳥保護区  根室・別当賀)

フレシマ湿原と聞いて、その場所が何処にあるのかご存じの方は、ほとんどおられないだろう。それは北海道民はもとより、もしかしたら根室にお住まいの方でも、判らない人が多いと思われる。それほど、この湿原については知られておらず、それは、人の手が全く入っていない証とも言えよう。

フレシマのある別当賀を含め、霧多布から落石を経て根室へと続く太平洋沿岸は、ほとんど開発がされておらず、北海道の海岸線の原風景を今に残す、貴重な景観。そしてそこは、希少な動植物が数多く生息する楽園でもある。

これまで、この環境を守るために様々な方策がとられてきたが、別当賀からフレシマ湿原に至る場所は、すでに1970年代には、タンチョウの繁殖地であることが確認されており、2005年には日本野鳥の会が203.7haの土地を地権者から購入して、野鳥保護区とした。そのため、区域の立ち入りは厳格に制限され、別当賀の駅から車が入るダート道は僅かにあるものの、保護区の前で行き止まりとなっている。

 

これまでの経緯を考えると、フレシマ湿原に足を踏み入れることは、事実上不可能なのだが、2003年、根室の厚床から別当賀に点在する酪農家のグループが運営者となり、「根室フットパス」を立ち上げたことで、別当賀駅を起点として、湿原から海岸線まで、歩いて到達することが出来るようになった。

フットパスとは聞きなれない名前かと思うが、これは、「歩きながら自然を楽しむ道」のこと。この運動の発祥地・イギリスでは、海岸線や森林、田園地帯、市街地など、国土の至る所に「歩くための散歩道」が張り巡らされている。いかにもウオーキングが日常の中に浸透しているこの国らしい発想で、この道を、自然回帰のために必要な文化と捉えている。

根室フットパスの目的も、イギリスのパスに習い、ゆっくり歩くことで見えてくる北海道の自然が、旅行者だけでなく、地元の者にとっても、生活する地域の再発見に繋がる試みと意義付けている。

 

根室フットパスの運営者名・AB-MOBITは、所在場所の厚床のAと別当賀のB、そして五軒の酪農家苗字(村島・小笠原・馬場・伊藤・富岡)の頭文字を表したもの。フットパスで歩く道は、五軒それぞれの牧場や土地を繋ぎ合わせて出来ている。現在コースは、別当賀パスの他に、主に農道を歩く初田牛(はったうし)パスと、牧草地を行く厚床(あっとこ)パスがあるが、野鳥保護区を通ることでパス上に鍵があるは、フレシマ湿原に向かう別当賀パスだけである。

さて前置きばかりが長くなってしまった。私がこの別当賀パスでフレシマを歩くことは、かなり長い間温めていた計画である。今年ようやく実行することが出来たが、そこは私の想像をはるかに越えて、とても日本とは思えない、厳しくも美しい風景が広がっていた。では湿原と海岸への道・パスを、ご案内することにしよう。

 

根室・別当賀周辺の大まかな位置。(1980年・国鉄路線図による)

今回の主な旅の目的は、フレシマ湿原と春国岱の砂丘をひたすら歩くこと。そこで気になっていたのが天候だったが、幸いなことに、どちらの日も快晴に恵まれた。フレシマは、北海道へ着いたその日のうちに歩く計画を立てていたので、出発地の根室線・別当賀駅には、いち早く到着する必要があった。

だが歩く前には、まず入域許可証・別当賀パスのルートマップを200円で購入し、野鳥保護区へ入る扉の鍵を借りなければならない。現在パスの案内所になっているのが、酪農家集団・AB-MOBITに所属している厚床明郷地区にある伊藤牧場。この牧場内にある酪農喫茶で、パスと鍵を受け取ることが出来る。

朝一番のエアドゥで釧路に9時半に着くと、空港ですぐ車を借りて、国道44号をひたすら東へ。お昼過ぎに伊藤牧場に着いて、すぐパスの手続きをして、鍵を受け取る。そして受付の方から、装備の確認を受ける。湿原への道では、頻繁にクマが出没しており、厳重に注意を払う必要があるとのこと。ひとりで歩くリスクは、結構高いようだ。「くれぐれも気を付けて」との言葉を受けながら、出発地の別当賀駅に向かう。牧場からだと、30分ほどで着く。

 

1時少し前、別当賀駅に到着。駅舎は、北海道でよく見かける貨車製。周りには、数軒の牧場がある程度。もちろん駅前には何もない。この駅舎の前に車を止めて、ホームで急いで昼食を摂る。フレシマ湿原を抜けて、海岸に出るまでの道のりは約5キロ。湿原での滞在時間を1時間と見ると、往復するのに3時間は必要だ。日暮れまでにここに戻って来るには、すでにギリギリの時間になっていて、悠長に食事をしている暇はない。

ホームで、もう一度装備品を確認。クマよけの鈴は、ザックとズボンのベルト通しに一つずつ付ける。「歩くには、鍵が必要です」と記されたパス証と、二万五千分の一・国土地理院地形図。磁石付きのホイッスル。保護区ゲートの鍵。そして一番重要な命綱、「クマ撃退スプレー」。鈴を鳴らしながら、駅を出発する。

 

パスの起点となる場所には、経路を示す看板が立つ。フットパスの所々には、こうした標が立てられているので、ほとんど道に迷うことは無い。

駅のすぐ前にある牧場のわき道から、フットパスに入る。

左右に牧草地を見ながら、一本道を歩く。緩やかな坂になっていて、先は見渡せない。

 

牧草地が尽きると、道幅は急に狭まって、森の中に入る。ここは、湿原にそそぐ川筋の一つ・五本松川の流域になる。春先なら、傍らに薄紫のエゾエンゴサクや、可憐な黄色の小花・シコタンキンポウゲが見られるところ。画像では、森が明るく映っているが、本当は少し暗い。この辺りは、いつヒグマが現われても不思議ではない場所。別当賀から落石にかけては、鉄道沿いでも出没が確認されている。

嫌な予感に苛まれながら、足早に歩いていると、突然、道の左から「ゴソゴソ」と音がして、大きな動物が飛び出してきた。一瞬のことで、体が全く動かなくなる。幸いなことに、ヒグマではなく、エゾシカの親子だった。こんな状態では、いくら撃退スプレーを持っていても、万が一クマに出くわした時には、正しく噴霧出来ないだろう。それよりも、「救心」が欲しい。何せ、心臓が止まるかと思うほど、驚いたのだから。

無事に森を抜けたところに、ゲートがある。そして、一気に視界が開けてくる。ここからが保護区で、いよいよフレシマ湿原への道が始まる。

日本野鳥の会が管理する「野鳥保護区」の赤い看板。ゲートには有刺鉄線が張られ、鍵がかかる。ここで、伊藤牧場で借りた鍵を使い、中に入る。動植物の環境を保護するには、厳密な入場制限はどうしても必要になるだろう。歩く人間は、生き物たちの生活場所に「入らせてもらっている」と認識する謙虚さが必要だ。ここが、保護区と観光地の大きな違いである。

小高い丘陵に囲まれた保護区内に入ると、丘へと向かう一筋の道が付いている。道の両脇は泥炭地で、傍らに東ホロ二タイ川が流れる。夏には、ハマナスのお花畑になる場所だが、今はすっかり草枯れしている。

道はカーブしながら、高度を増して、上へと昇る。遠くで、何か声が聞こえる。鳥か獣か、少し恐ろしくなる。

やがて道は、丘の上に出る。空の下に、柵とゲートが見えている。

そして、牧草地のゲートから右を見ると、遠くに湿原と幾つかの湖沼群、その向こうに海も見える。ようやくフレシマの端まで到達したが、まだかなり遠い。

 

丘を上がりきると、またゲートがあり、ここにも有刺鉄線が張ってある。だが鍵は付いておらず、柵を押すと。中に入ることが出来る。

さらに進むと、簡単なゲートの先は完全な牧草地となり、道が途切れている。例のフットパスの案内が付いていて、草地を直進する指示が記してある。

フットパスの指示に従い、そのまま草地を歩く。

周囲を見渡しても、何もない牧草地だが、ここは馬の放牧地になっている。そして草地の途切れた先には、海が見えてきた。微かに、波の音も聞こえる。

草地が途切れると、崖となって、海と湿原の風景が目の前に広がる。ようやく、フレシマに辿り着いた。海に出るには崖を下るしかないが、道が途切れている。ここからは、歩きやすい場所を探しながら、下に降りて行かなければならない。

 

薄原の向こうは、太平洋。湿原の色は茶褐色。この寂しげな風景は、いかにも晩秋。

沼の畔まで歩いてみる。水鳥の影は無い。晴れてはいるが、風は冷たい。高山植物が咲き誇る緑の季節は、今と全く印象が違うのだろう。

湿原の中の僅かな踏み跡を辿って、ようやく海岸へ出る。テトラポットに打ち寄せる波。画像で遠くに見える半島は、落石。別当賀の海岸線上には、風と波で浸食された地層がはっきり現れていて、一部は風化している。

 

海が見える小高い丘の傍ら、二基の筒のような建物が見えるが、これはサイロ。根室フットパスを運営しているAB-MOBIT、その一軒・馬場牧場の人たちが、三代にわたってこの地で暮らしていた。昭和初期から、半農半漁で生計を立てていたそうだが、この僻遠の地に、長きにわたって生活していた労苦は、如何ばかりかと思う。

サイロは、この当時としては珍しい、レンガとブロック作り。以前は家屋も残されていたらしいが、痕跡は見つからない。

 

馬場牧場の跡から続く丘へ、登ってみる。途中から湿原を見下ろすと、ご覧のような絶景が広がる。冬の初め故、彩は無い。だが、この日本離れしている景色は、そう見られるものではない。

ここは、旧馬場牧場の上にある台地ということで、「お台馬場」と呼ばれている。上からは、すり鉢状に広がる湿原の全景を見渡せる。

逆光になってしまったが、台地から西側、西ホロ二タイ川流域に広がる湿原と湖沼群。ここがフレシマ湿原の中央部。ありのままの風景を、きちんと画像に残せなかったのが、なんとも歯がゆい。

海に流れ込む西ホロ二タイ川。海岸線は、霧多布方向へと続いている。

お台馬場に残るモニュメント。2005年に設置されたもので、別当賀パスの標にもなっている。ほとんど人工物が無い中で、唯一ともいえる目印。

お台馬場から、東海岸を望む。海辺から見た時より、落石半島の姿がはっきりと見える。この先端に、昨年歩いた落石岬がある。さて、歩き回っているうちに、陽が傾き始めた。ここまでは、1時間ほどで着いたが、見る場所が多くて全く時間が足りない。ただ、暗くなってから、あのクマの出そうな森を歩くのはリスクが高いので、後ろ髪を引かれつつも、戻ることにする。時刻は、すでに3時半近い。

影が伸び始めた湿原を見つつ、帰路につく。季節を違えて、もう一度来てみたい。

 

もと来た斜面の道を、今度は登らなければならない。歩いている時には気づかなかったが、こうして見てみると、かなり勾配がきつい。だが、週に二回、12キロの山道を往復して鍛えているので、今回のフットパスの行程は、全く苦にならなかった。体は正直なので、日ごろの鍛錬こそが大切になる。

丘を登り終わって、最後のフレシマの海と湿原を写す。次はいつ来られるだろうか。それとも、これが最初で最後になるか。いずれにしろ、しっかりとこの風景を目に焼き付けて、帰りたい。

牧草地を抜けて、東ホロ二タイ流域まで、戻ってきた。日が傾いているせいか、枯れ色が、より色濃く映っている。こうして画像で振り返ってみると、フレシマへの道は、「果て遠き道」である。

湿原の入口ゲートでは、次の旅人を迎えるために、しっかりと鍵をかける。そして改めて、フレシマへと思いを馳せる。遮るものが何もない、北海道の原風景は、想像以上に素晴らしかった。

ヒグマに出会うことなく、無事に森を抜けると、夕映えが道を包み始めた。

別当賀の駅に帰り着くと、まもなく、夕陽がレールを染めて、さいはての小さな駅舎は、オレンジ色に包まれていった。フレシマへの旅のフィナーレを飾る、心に染み入る夕暮れ。

このフレシマ湿原を含む、初田牛・別当賀・厚床から根室にかけては、湿地帯が多く、開拓当初に原生林の伐採が進まなかった。それが、今も水場と森が多く残り、野鳥をはじめ希少な動植物が生息することに繋がってきた。そしてそのことが、結果として、貴重な北海道の原風景を残すことになったのである。

別当賀フットパスが生まれて、すでに20年近くになる。今年は特にだが、ここを訪れる人は本当に少ない。英国人と違い、日本人にはフットパスの理念が浸透しないのだろう。ただ、皮肉なことだが、人が入らない方が環境は守られる。だからフレシマの姿は、これからも、変わることはあるまい。もう一つの「果て遠き道の先・春国岱編」は、またいつか後編として、書こうと考えている。

 

(フレシマ湿原への行き方)

JR花咲線・別当賀駅より5K(往復10K) 別当賀フットパスと野鳥保護区の鍵を、厚床・伊藤牧場で準備する。往復の所要時間は2時間程度だが、湿原や海辺歩きに2時間ほど必要。4時間あれば余裕をもって往復出来る。

詳しいことは、www.nemuro-footpath.comで。他に準備するものとして、ヒグマ対策の鈴や撃退スプレーは必ず。靴は、トレッキングシューズで。そしてなるべく、複数人で行く方が安全と思われる。もし私のように一人で歩くなら、それなりの覚悟が必要。

 

一人で歩いている時は、何も考えず、無になります。そして、人の手を全く加えていない場所は、まさに「無為自然」と言えましょう。目指す生き方として、「何もせずに、あるがまま」というのが、私には理想に思えます。だから時折、こうした旅に出てしまうのでしょう。

次回の稿から、また呉服屋の日常に戻ります。ここまで長い話を読んで頂いた方、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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