バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

縁あって、手直し(1) 手仕事を極めたアンティークな長羽織

2020.03 03

バイク呉服屋には、手直しのために、多彩な品物が運ばれてくる。手を尽くした華麗な友禅のフォーマルモノから、日常の中で着倒されたウールや木綿まで、それこそ、和を装うための全ての品物がやって来る。

品物それぞれは、作られた時代も千差万別。和装が衣服の中心を占めていた戦前から、需要の広がりにより呉服業が隆盛を極めた高度成長期、さらに法外な価格で品物が取引されたバブル時代、そして職人の手仕事が消えつつある現代まで。一点一点の品物には、その時々のエッセンスが散りばめられている。

 

依頼される品物の中で一番多いのが、振袖や黒留袖、色留袖。未婚・既婚女性の第一礼装にあたる品物には、親から子へと代を繋いで使う意識がまだ残っている。また、50歳以上の女性は、振袖を誂えてもらった人が多く、結婚した頃はまだ、キモノが嫁入り道具として認識されていた時代でもあった。だから、箪笥の中には自分のキモノが入っている。受け継ぐ人が家族にいれば、これを使いたいと考えるのは自然であろう。

手直しの内容は、品物ごとに違う。汚れを落としたり、寸法を直したり、裏地を変えたり、紋を入れ替えたりなど、依頼されるお客様と相談しながら、仕事を進めていく。

 

和装品のもっとも優れたところは、手を入れることで、長く使うことが出来ること。もともと品物の構造には、最初から「直して使うこと」に対する備えが出来ていて、その仕事を専門に施す職人の存在もある。だから依頼を受ける呉服屋側にも、直す意識が強く求められる。「呉服屋の仕事の半分は、直すこと」とは、祖父から聞いた言葉だが、長くこの仕事を続けていると、それがよく判る。

祖父や父が扱った品物は、時折店に里帰りしてくる。そんなフォーマル品の多くは、どんな時代になっても色褪せないスタンダードな古典模様で、職人の手を尽くした仕事がかいま見える。たまにこのブログの中でも「ノスタルジア」の稿でご紹介しているが、これは私にとっても、どうしても受け継いで欲しい、いや受け継ぐべき品物だと思っている。商いをした先人が、品物の本質を見抜く力=慧眼を持っていたからこそ、今も専門店の跡継ぎとして、私は暖簾を掛けることが出来るのだと思う。

 

さて、多くのフォーマルモノが、家族の中で受け継がれているのに対して、店にやってくるカジュアルモノが辿ってきた道は、様々である。無論、親の持ち物は多いが、親戚筋や友人、さらにお稽古事のお師匠さんからもらい受けた品物というのも、かなりある。また昨今では、リサイクルショップで手に入れたり、ネットオークションやメルカリで購入した品物も、やって来る。

呉服屋の中には、自分の店で扱った品物以外の手直しに、難色を示すところもあるらしいが、私はお客様が品物を手に入れた経緯など、どんな事情であろうと全く構わない。きれいに洗い、自分の寸法通りに直して、きちんと着用したいという当たり前の要望に応えるのが、呉服屋の役割であり、それは「どんな品物であれ」同じことである。

こうして、様々な事情を抱えて店にやって来る品物の中には、呉服屋の関心をいたくそそるものが、たまにある。今となってはほとんど見られないアイテムや、作った(着用された)時代が感じられる意匠。そして、その時代の職人の精緻な仕事ぶり。時を超え、過去からやってきた品物には、現代に何かを伝えようとする力が備わっているような気がする。

そこでこれから、手直しの品の中から興味深いものを見つけた時には、皆様にもご紹介していこうと思う。今日は、第一回目として、アンティークな長羽織をご覧頂く。

 

(紫地絞り刺繍 有職八つ藤に橘模様・長絵羽織)

預かった品物は、その特徴から製作年代を予想することができる。そして、あしらわれた地色や意匠、配色、さらに誂えた寸法の内容からは、どのような年齢、また立場の人が着用したのかが、類推できる。こうして、品物の過去を想像することは楽しい。

今日ご紹介する長羽織は、市内のお客様から預ったもの。この方から依頼される品物は、新しい誂えでも手直しでも、ほとんどがカジュアルモノ。それだけ日常の中でキモノを着用していることになるが、そういう方だけに、いろいろな所から品物を貰い受ける。フォーマルはともかく、カジュアルモノはいくら箪笥にあっても、着用の機会が無いという人が多いからだ。

この品物も、「あなたなら、使ってくれると思って」と友人が持ってきたものらしいが、その友人には和装の嗜みは無いと言う。つまり、本当の出所がはっきりしていないのだが、先述したように、品物の姿を見れば、ある程度過去が判ってくる。ではこの羽織はどのようなものなのか、仔細にあしらいを見ていくことにしよう。

 

長羽織の後姿。まず、この羽織の意匠に注目すると、大きな橘の花と、有職文の一つ・八つ藤が、全体に散りばめられている。地色は少し赤みのある紫色だが、花の配色が黄色だけに相当目立つ。そして二つの模様の間には、梅や楓、菊など四季花の枝が見えている。

予め模様の配置が決まっている絵羽織だが、これほど大胆な意匠は、現代の品物にはまず見られない。生地は少し薄く、所々地色がヤケを起こしているものの、着用するには問題がなく、状態はそれほど悪くはない。

長羽織の前姿。寸法を測ってみると、羽織丈は2尺7寸で、袖丈が1尺8寸とかなり長くなっている。この長い袖丈と、模様の派手さを考えれば、この羽織を着用していたのは、未婚の若い女性と想像がつく。

それと同時に、品物の質感や全体から醸し出す雰囲気を考えると、作られた年代は戦前。つまりは、アンティーク品の範疇に入るだろう。だがこの羽織は、単にアンティークモノというだけではない。それは、丹念に模様のあしらいを見ていくと、手を尽くした贅沢な友禅の技が随所に見られ、質の高さが伺えるからだ。

以上のことを勘案してみると、着用していた女性は、かなり裕福な家の娘と思われる。田舎であれば大きな商家か旧家、都会ならば一定以上の上流階級だろう。明治から戦前までは、羽織の丈が長く、キモノの裾から2~3寸上がったところ(今で言うところの八分丈くらい)に、前下がりの下端が来るよう誂えられていた。では、どのような技がこの羽織に施されているのか。具体的に模様を見ていくことにしよう。

 

前袖と前身頃の模様配置。画像で判るように、両袖ともに、絞りを使った大きな橘と八つ藤が一つずつあり、左前には橘、右前には梅が刺繍であしらわれている。また、身頃も袖同様に、絞りの橘と八つ藤があり、楓と菊の刺繍が見える。

輪郭に桶絞り、花弁の内側に疋田絞りを使った花と、染疋田だけで表現された花。実と葉が定型化された橘図案は、どの時代でも変わらない。

二色に染め分けた有職文・八つ藤。こちらも模様の境界に桶絞りを使い、藤図案は型を使っている。八つ藤は、藤の丸とも呼ばれているので、周囲を丸くかたどる必要がある。桶絞りは、模様を浮き立たせる時には、効果的な技法になる。公家装束に使われていた有職文の中でも、この藤文は権勢を極めた摂関家・藤原氏の紋所でもあり、特に高貴な文様として意識されていた。

 

この羽織の贅沢な施しを象徴しているものが、散りばめられた枝花にあしらわれた刺繍。各々の花ごとに技法を変えて、多彩に表現されている。花弁を一輪ずつ見ていくと、その美しい姿が実感できる。

梅花のあしらい。金糸の梅は、駒繍。使っている糸は、刺繍針に通せない太い糸だが、これを「駒」と呼ぶ糸巻に巻きつけ、それを引き延ばしながら下絵に這わせ、別の糸で止めていくという技法がとられている。画像で見ても、太い金糸を止めた赤糸がある。駒繍という名前は、巻付けた糸巻=駒からとられている。この技法は、線で平面を表現したり、縫い詰めたりする時に用いられるが、上の梅花のように、花全体を縫いで埋め尽くす場合は、特に「駒詰め」と呼ぶ。

手前のベージュ色梅花は、刺し繍。これは、模様を幾つかの段に分け、まず一段目には針足に長短を付け、外から内へと縫い進める。次の二段目は、不揃いになっている最初の段の繍糸の間に割り込ませながら、やはり針足に長短を付け、外から内へと縫う。これを、三段、四段と重ねて模様を埋め尽くす。こうすることで、図案は写実的な姿に仕上がる。また、使う縫糸の色に濃淡を付けると、模様に暈しの気配が生まれる。確かに上のベージュ梅花にも、色の差が出来ている。

楓と橘の縫い。どちらも葉の技法は割り繍。これは平面を縫いつめて花弁を表現する時に用いられる「縫い切り」という技法を応用したもの。割り繍は、木の葉のように、中心線を境として左右対称になっている図案に用いる。楓のあしらいをよく見ると、左は左斜め、右は右斜めに糸が縫い詰められているが、これが中心線に対して、左右別々に鋭角に縫い進めたものと判る。

割り繍の特徴は、糸がV字の谷を重ねたように見えること。これが、葉の左右で光沢が違って映るため、模様はより写実的に見える。なお、双方の枝には線を表す技法・まつい繍が、また橘の花弁は、梅同様に刺し繍が使われている。

こちらは、鮮やかな紅色糸を使った菊の花。花弁の技法は縫い切り。花弁の向きに従って縫い詰めるこの技法は、花を立体的に表現できる。画像を見ると、一枚ずつ花弁に違う表情が見えるが、絹糸の光沢は失われておらず、とても70年以上経ったアンティーク品とは思えない。花芯は、梅花にも使っていた駒詰め。この技法が一部に見えるだけで、図案はぐっと重厚になる。

 

模様の一つ一つに、絞りと刺繍の多彩な技が駆使された長羽織。いかに戦前の品物とはいえ、これだけ手が尽くされていれば、やはり高価なものだったに違いない。今、これだけ人の手が入っていれば、繍だけでも大変な値段になるだろう。

ほとんどの意匠が、職人の手仕事で為されていた時代。その精緻な仕事を品物の上で見ることは、今となっては稀になった。こうして、過去から来た品物を手直しさせて頂くことは、時代ごとの意匠や技を見ることが出来る、唯一無二の機会とも言えよう。

また、興味深い品物をお預かりした時には、この稿でご紹介することにしたい。

 

政府が発表した突然の方針で、全国ほとんどの学校が休校となり、計画されていた卒業式や入学式は、簡略化されたり、場合によっては中止になったりしています。式典には、和装で列席すると決めていた方も多いと思いますが、ウイルスはそんな晴れやかな時間をも、消してしまいました。

人が集まる場所を避け、なるべく家の中で過ごす。スポーツは無観客で、遊園地は閉園、各種催しは軒並み延期か中止。社会に漂う閉塞感と自粛ムードは、9年前の東日本大震災当時を、嫌でも思い起こさせます。

呉服屋の仕事など、社会が平穏であってこそ、成り立つもの。今は、ブログを書くことすら躊躇してしまいますが、こういう時こそ、普段と変わらずに、情報を発信することが大切かと思えます。しばらくは、読者の方々に楽しんで読んで頂けるような題材を、出来るだけ考えたいと思っていますので、今後ともお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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