バイク呉服屋の忙しい日々

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娘たちの小紋 (前編) どのような品物を選んだのか

2019.01 15

皆様は、よくご存知のことと思うが、キモノは多くの場合、アイテムごとに使う場面が定まっている。黒留袖(江戸褄)は、婚礼に使い、着用する人は新郎新婦の母や、近しい親族、そして仲人。これに準ずる品物が色留袖で、婚礼の場や格式を重んじるフォーマルの場で使う。叙勲関係者が、皇居へ参内する時の衣装としても知られている。

振袖は未婚女性の第一礼装であるし、色紋付の無地は、入学式・卒業式を始め、フォーマル全般で着用出来る。付下げや訪問着も、扱いは同様だ。そして黒五つ紋付のキモノは、女性は喪服として使い、男性ならば第一礼装である。

また、カジュアルに目を転じれば、紬のキモノはどこまで行っても、フォーマルの場では使うことが出来ない。たとえ、絣の細かい高価な結城紬や大島紬でも駄目である。中には、模様位置を定めて絵羽付けになっているものもあるが、いくら様式が訪問着になっていても、織物である限り正式な場で着用する衣装とはならない。

 

このように、割と判りやすくすみ分けられているキモノのアイテムの中にあって、小紋というジャンルだけは、一筋縄ではいかない。それぞれの意匠によっては、フォーマルにもカジュアルにも使うことがある。

江戸小紋やシケ引き小紋は、その細密な模様を着姿から見た感覚が無地に近く、縫紋を施して使用することもあり、準フォーマル的な品物として扱われることが多い。地の空いた飛び柄小紋は、茶席でよく使われ、昨今では、カジュアルな結婚式やパーティなど、気取らないフォーマルの席での着用機会も増えた。

そして総柄の小紋は、街着としてのイメージが強いものの、同色同柄を二反使って振袖を作ったり、掛けキモノや三歳・七歳の祝着として使う品物もある。だから模様が密な総柄であっても、一概にカジュアルモノに限られるとは言えない。

 

小紋は、他のアイテムと比べて、色や模様を表す自由度が高く、絞りや刺繍、箔など染以外の技法を併用することもよくあり、作り方そのものもバラエティに富んでいる。そんな多彩で多様な模様構成を見極めた上で、場所を弁えた品物を選ぶことは難しいが、それだけに着用する人の個性が着姿に反映される、面白い品物と言えよう。

昨年の暮れ、我が家では、内輪だけの祝い事をしたが、その時に、三人の娘達は小紋を着用した。これまでブログの中で、七歳祝着や振袖を使った卒業式の袴姿など、娘達のキモノを何度かご紹介してきたが、折角なので、今回は「小紋」の着姿をお目に掛けることにしよう。

今日は、品物編として選んだ三点の小紋についてお話し、次回は実践編として、合わせた帯や小物とともに、その着姿をご紹介する。ご覧になった方が、少しでも小紋の魅力に触れていただければ、幸いである。

 

呉服屋が、自分の娘にキモノを着せると言っても、うちの場合には、新しく品物を選んで誂えることはない。出来うる限り、すでに着用されたものを、仕立て直しをして再利用するのが、常である。

私には三歳下に妹がいるが、彼女は小学校へ上がる時分から、花柳流の日本舞踊を習っていた。おそらくそれは、私の両親や祖父母が、呉服屋の娘らしい習い事をさせたかったという思いからである。妹は、かなり大きくなるまで踊りを続け、名取になった。

今考えてみると、私の両親は、妹を店の跡継ぎにするつもりがあったのではないだろうか。そういうフシが見える。息子(私のこと)は、東京へ出た後、何年も家へ寄り付かず、どこで何をしているのかもわからない。そもそも私は、中学生の頃から、「呉服屋には絶対ならないから」と公言していたので、後継者と考えるには絶望的であった。

この状況で、後を任せる者を探すとなると、もう妹しかいない。小さい頃から、キモノに馴染んでいたので、品物の扱いもある程度は理解している。だから、スムーズに呉服の世界にも入っていけるのではないかと。しかし現実は、青天の霹靂の如く、当てにしてなかった息子が後を継いだので、彼女は全く違う道に進んだ。

という訳で、妹は若い頃からたくさんのキモノを誂えてもらい、それが今も箪笥の中に残っている。おそらく両親や祖父母は、妹に着用させることが自分達の楽しみでもあったのだろう。そんな数々の品物を、私の娘達が今譲り受けているのだ。

 

洗張りを終えた三点の小紋と、それぞれに新しく誂えることにした長襦袢。

日舞をしていた妹が、もっとも多く持っていたキモノが、小紋と紬。彼女は、後に茶道も始めたので、どちらもお稽古着として使っていたものである。だから、双方のキモノに使う名古屋帯も、数が揃っている。

品物を誂えたのは、昭和40年代から50年代の終わりにかけて。つまり、呉服屋の商いがもっとも隆盛を極めた頃である。需要が多かった時代だけに、生産する数も多く、特に小紋のバリエーションは大変豊かで、様々な図案や、工夫を凝らした意匠と配色を施したものなど、それは個性に溢れていた。

 

さて、譲り受けるといっても、そのままでは着用出来ない。妹の身長は、156cmくらいで、うちの三人の娘達は、揃って165cm前後である。身丈の寸法を考えても、2寸5分は違うので、そのままだとおはしょりが出ない。そして、裄も1寸ほど長くしなければ格好が付かない。

妹の小紋は、誂えた年齢が、小学校高学年から大学生の頃までと幅が広く、その寸法もその時々の体格に合わせてあるために、品物によって寸法が異なる。そのため、着用出来るか否かは、一点ずつ寸法を確認し、どのくらい縫込みが入っているかで決まる。中には、どうしても寸法が出せずに、諦めざるを得ない品物もある。娘達の体格が良いことが、仇になってしまうのだ。

そんな中から選んだ品物が、この三点である。いずれも、1寸5分ほど中上げがあったために、娘達の寸法(4尺3寸5分)に近いところまで、身丈を大きくすることが出来た。また、肩付・袖付双方に入っていた縫込みを確認し、裄も1尺8寸近くになった。そして、胴裏と八掛けの状態も良かったので、洗張りをしてそのまま使うことにした。

では個別に、それぞれの小紋を見ていくことにしよう。

 

(水色地 枝垂れ紅白梅模様 型小紋・長女用)

娘達の今の年齢は、上から28歳・26歳・24歳。三点の小紋の中で、一番落ち着きのある地色のこの品物を、長女用とした。身長は高いが、一番華奢で、線が細い。はっきりとした性格なので、元々はビビッドな色を好むが、小さい梅花を付けた枝を立ち上げたこの模様なら、細身の彼女の体型に合うように思えた。

 

網代地紋を持つ生地に、縦に一直線に伸びる小梅の枝。挿し色は、梅花の赤と白を基調としているが、薄紫や薄いピンクが混じり、それと地色の水色もあいまって、全体にはんなりとした印象を醸し出す。

一つ一つの梅の形、配色にも工夫を凝らしている。遠目からは、一見霰にも見える模様だが、挿し色のない白い糸目の細枝がアクセントとなり、洒落た姿に仕上がっている。

八掛は、梅花の中に挿している色・橙色に合わせた、少し濃い目のぼかし。無論、元々この小紋に付いていたものを、そのまま使っている。若い人が小紋を使う場合、八掛は地色の共色(このキモノの場合は水色)ではなく、模様の挿し色の中から考えることが多い。

娘達は、振袖以外の袖丈の短いキモノを初めて着用するために、長襦袢を作る必要があった。それぞれのキモノに合わせて、襦袢の色と模様を考えてみたが、長女の襦袢は、八掛の色に近い橙色で、絞り加工を施したものを選んでみた。

 

(紅色 杜若に鳥模様 紅型小紋・次女用)

紅色と牡丹色を混ぜ合わせ、思い切り明るくしたような、鮮やかな地色。そこに、杜若と紅型ではポピュラーな図案・鳥(琉球模様でいうところのトゥイグァー)を配した、いかにも若々しい小紋。次女も背が高く細いが、顔の輪郭が丸いので、ぎすぎすした感じにならない。可愛い色が大好きなこの子は、昔から言い出したら聞かない性格。三人の中で、一番最初にこのキモノに目を付け、自分が着用すると決めてしまった。

 

雲に似せた白抜きの中に、杜若の間を飛び回る鳥。この図案を、仕立の工夫で柄合わせをして繋いでいるため、単純な小紋姿には見えない。この品物は、琉球紅型ではなく、江戸または京紅型なのだが、それでも赤・黄・青・緑の強弱を付けた挿し色は、紅型特有の鮮やかな姿を映し出している。これは、振袖として使っても良い意匠になるはず。

鳥は、正倉院の尾長鳥を思わせる姿や、小鳥、大きく羽を広げて舞い飛ぶものなど、多彩に描いている。紅型独特のこんな挿し色があるから、地色の華やかな紅牡丹色がなお引き立つ。こうした個性的で若さ溢れる小紋は、今なかなかお目にかからない。

この小紋の八掛は、地の紅牡丹色をさらに濃くした真紅のぼかし。同系色を使う場合、八掛を濃い目にすることで、裾と袖口の色が着姿から引き締まって見えるように思う。

襦袢は、キモノ地色より少しおとなしめの、ベージュピンク地色。次女の可愛いモノ好きに合わせて、うさぎをあしらった図案のものを選んでみた。

 

(納戸色 蔓椿模様 絞り併用型小紋・三女用)

末娘は、姉二人と同じくらいの背丈であるが、長いことスポーツをしていたので、ガッチリとした体格になっている。はっきりとした紺色・納戸色に、蔓を全体に伸ばした椿をあしらったこの小紋は、引き締まった着姿の中でも、若さが出せる。一番下なので、出来るだけ可愛くしてあげたいのが、親としての気持ちである。

 

濃い地色の中に、様々に描かれる椿。橙色を基調にしているが、白椿も所々に見える。ぼかしを駆使したり、絞りを施したりと、丁寧に加工された品物だと見て取れる。

桶絞りと疋田絞りで表現している椿の花。他の花弁より、濃い目の橙色であしらわれたこの花を、所々に散りばめることで、着姿にインパクトが付く。そして、絞りを使っているだけに、花の表情も柔らかい。全体から見ても、この花の色は目立ち、それがこのキモノを可愛い姿に仕上げている。

八掛けは、やはり模様の挿し色の中で、一番印象に残る橙色ぼかしを使う。この色は、丁度、上の二点の小紋に使った八掛の色の中間にあたる色目。

一番若い子なので、襦袢は、ピンクに小梅鉢模様の可愛い図案を使うことにした。

 

さて、こうして娘達が着用する三点の小紋が仕上がった。問題は、それぞれの小紋にどのような帯を合わせて、このキモノを生かした着姿を作るかということだ。それは、次回にご覧頂くことにして、今日の稿は、ひとまずここまでとしよう。

最後に、今日ご紹介した娘達の小紋を、もう一度ご覧頂こう。

 

私も、自分ではかなり甘い父親と思っていますが、私の父も、妹には相当甘かったようです。

父は年頃の妹を連れて、よく京都に仕入れに出掛ましたが、その際に、妹には自由に品物を選ばせていました。彼女の話によると、「何でも好きなモノを買っていい」などとのたまっていたそうな。妹は、若い頃から品物を見ていたので、上質なモノを見極める力があり、いつも高価なモノを選んでいたそうです。

そんな時、問屋はにっこりと笑い、父は値段の高さに青くなっていたとのこと。娘が選んだモノを、高いからやめろともいえず、結局買い与えることになっていました。父は仕入れ価格には厳しく、よく代金を値切って問屋を泣かせていましたが、娘には泣かされていたことになります。

しかし、私が若い頃、問屋へ仕入れに行く時などは、決して「何でも好きなモノを買っていい」とは言いませんでした。こんな父の性格上で店の経営を考えれば、可愛い娘ではなく、可愛げのない息子の私が後を継いだことが、正解だったのかも知れませんね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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