バイク呉服屋の忙しい日々

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娘たちの小紋 (後編) どのような着姿になったのか

2019.01 21

私の父も、家内の父も、1930(昭和5)年の12月生まれ。昨年の暮れで、目出度く88歳の米寿を迎えた。二人とも、まだかくしゃくとしていて、何でも一人で出来る。無論、頭も衰えておらず、至って普通に生活している。我々子どもにとって、連れ合いを亡くした父親が、二人とも元気でいてくれるのは、とても有難いことだ。

今回、娘達の小紋を手直ししたのも、二人の父の米寿祝いの席で、その着姿を見せたかったためである。成長した孫達のキモノ姿は、大変喜んでもらえた様子で、私や家内、そして娘達にとっても良い記念になった。

 

さて、そんな父二人が生まれた昭和5年とは、どのような年だったのか。当時世界は、多くの国を巻き込んだ第一次大戦の反省の下、軍縮に動いていた。すでにワシントン軍縮条約(1922年締結)やジュネーブ会議(1927年)では、潜水艦や巡洋艦などの戦艦保有量の削減を各国に求め、話し合いを続けていたが、第一次大戦の戦勝国である日本も、それに従っていた。

この時は、戦前の二大政党の一つ、立憲民政党の総裁・浜口雄幸が内閣を率いていたが、諸外国との宥和・協調外交(幣原外交)を軸に、政策を断行していた。昭和5年は、ロンドン海軍軍縮会議が開かれ、そこで新たな戦艦保有量が定められた。

日本の戦艦保有は、対アメリカの6.975割とすることが決り、浜口内閣はこれを批准・承認した。しかし、天皇の認可なしに勝手に兵力を定めることは、天皇の統帥権を犯すことだとする、いわゆる統帥権干犯問題が軍部から起こり、政治問題化する。そしてそれは11月に、首相の浜口が東京駅で右翼青年に銃撃される悲劇を生む。

この問題は、軍部が政治に介入する端緒となり、後の暴走を許すことに繋がる。浜口内閣は瓦解し、若槻礼次郎が二度目の首相の座に着いたが、翌年には満州事変が起こり、日本は泥沼の戦争へと踏み込んでいくことになる。

 

暗雲が漂い始めた時代に生まれた父は、二人とも、戦争を挟んで多感な青年時代を過ごすことになるが、その歩みはよく似ている。私の父は、旧制甲府中学(現在の県立甲府一高)、家内の父は広島の旧制呉中学(現在の県立呉三津田高校)を卒業後、それぞれ東京と千葉の大学に進む。戦後の物資乏しい時代に、二人は故郷を離れて、学生生活を送っていた。

私の父は、大学卒業後に公務員となり、数年で辞めて店を継いでいるが、家内の父も大学の教員となりながら、後に辞めて、自分の専門分野を生かし、会社や業界団体の顧問を長く務めた。組織に自分の人生を縛られたくないというのも、同じである。

そして二人とも、80歳過ぎまで仕事を続けていた。私の父は、つい5、6年前までは店に座っていたし、家内の父は、業界の招きに応じて、講演会で講師を務めていた。今、こうして元気な姿があるのも、二人とも定年がなく、長く仕事に携ることが出来たからと思える。やはり「健康寿命」というのは、社会と関わる時間が長い分だけ、保てるのだろう。

私や家内も、老いてなお元気な二人の父を見習いたいが、それはなかなか難しいだろう。激動の昭和を乗り越えてきた人と比べれば、我々には甘さがあり、耐える力が乏しい。私の娘達のような「平成世代」では、なおのことだろう。

さて、前置きが長くなったが、今日は前回の続きとして、手直しした娘達の小紋が、どのような着姿になったのか、ご覧頂くことにしよう。

 

娘達三人の着姿。合わせている帯も、妹が若い頃締めていた品物。

米寿の祝いと言っても、家族だけの席なので畏まる必要は無い。だから、付下げや訪問着を着用し、袋帯を締めるような仰々しい姿はいらないが、さりとて紬ではくだけ過ぎる。こんな時に小紋は実に便利なアイテムで、特に若い人向けの品物は、華やかに個性を演出出来る。

ご覧のように、着用している三点の小紋は、地色も模様の配置や彩りも異なり、それぞれ雰囲気が違う。娘達の年齢は、あまり離れていないが、その着姿は三人三様である。では、品物ごとに、どのような帯と小物を合わせているのか、見ていくことにしよう。

 

(長女の着姿 水色地・枝垂れ梅模様小紋 黒地・梅模様型染帯)

一番年上の長女は、落ち着きのある柔らかい空色地に、枝を伸ばした小さな紅白梅模様の小紋。キモノだけ見れば、少しおとなしすぎるきらいがあるので、インパクトのある帯を使って、華やかさを出してみた。

図案化した色とりどりの梅を散りばめた、大胆で若々しい帯模様。梅がひしめき合っている密集した図案なので、地色は目立たないが、黒地だからこそ明るい梅の挿し色が浮き立つ。キモノも帯も「梅」をモチーフにしているが、描き方が全く違う。

小物は、帯〆・帯揚げともに、帯の梅模様に挿しているサーモンピンク色を、より濃くした色でまとめてみた。帯の梅色は、ピンク、藤色、薄芥子色、水色と多彩だが、どれも柔らかい色相なので、帯〆の色をこれよりも一段濃くすると、着姿がぐっと引き締まってくる。

帯の後姿。型紙を使って模様付けをした型絵染による梅図案。手描きの染帯とは異なる、図案の面白さが表現出来る。「梅尽くし」とも呼べるコーディネートだが、同じモチーフを使うくどさを感じさせない。

 

(次女の着姿 紅色地・杜若に鳥模様 紅型小紋 白地・牡丹模様絞り帯)

三点の小紋の中で、最も華やかで個性を放つ紅型小紋。普段でも可愛いモノ好きのこの子らしい選択。特徴的なキモノの図案だけに、帯はその強い色を包み込むような、やさしい雰囲気の品物を選んでみた。先ほどの長女の合わせとは、逆の効果を狙っている。

この帯が柔らかい印象を与える理由は、地の色が白であるだけではなく、絞り技法を駆使し、模様を描いているからである。絞りのふんわりとした表情は、この紅型小紋のインパクトを鎮める役割を果たしているため、着姿に優しさを与える。

この帯は、前と後だけに模様のあるポイント柄で、少し大きい牡丹の花をあしらっている。桶出し絞りで輪郭を描き、花弁には疋田絞り、花の中心には縫い絞りと技法を変えている。地の白い部分は全て、疋田絞りを使っていて、帯と言えども大変手をかけた品物と言える。これは、名古屋の絞りメーカー・藤娘きぬたやが手掛けたもの。

小物は、帯〆には牡丹の挿し色、橙色に近い色と白、黄色を組み合わせた角組紐の一つ・奈良組紐を使う。一色ではなく、組み目に三つの色が並ぶこの紐形が、さりげない主張となって着姿に表れる。帯揚げは、クリーム地に赤い飛び絞りのものを選んだ。

帯の後姿。キモノの鮮やかな紅色と、帯の牡丹色がリンクしている。キモノが総模様だけに、帯は一つの柄で大胆にアクセントを付ける方が、バランスが良くなる。

 

(三女の着姿 納戸色・蔓椿模様 絞り併用小紋 真紅色 揚羽蝶模様・緞子帯)

一番引き締まった納戸色の小紋を、末娘に使う。上の二人より体格が良いことが、画像からも判ると思う。身長は姉達と同じくらいだが、肩幅が広くガッチリとしているので、はっきりした濃地色を使う方が、着姿が引き締まる。けれども、やはり一番若い子だけに、可愛らしさも欲しい。そんな意味でこの帯を選んだ。

目の覚めるような真紅の帯地色。今、こうした色目の帯を探しても、なかなか見つからない。キモノの納戸色より、さらにビビッドな色目の帯を使うことで、若さを印象付ける。もしこの小紋に、淡い色目の帯を合わせてしまうと、「引き締める着姿」が消えてしまうように思える。

帯模様は、二羽の揚羽蝶だけをあしらったシンプルな意匠。揚羽蝶は、その優美さと可愛さから、祝着のモチーフにもよく使われ、若さが表現出来る象徴的な図案の一つ。地の鮮やかな紅色とともに、この蝶文が若々しさを演出している。この帯は、紫紘の手によるものだが、今もこのようなポイント柄の緞子名古屋帯を、織り続けている。

帯〆は使わず、ごく薄いピンクの三分紐に真紅の石の帯留めを通したものを合わせる。これは、すっきりとした前姿に見せるための試み。帯揚げは、キモノの納戸色とも帯の真紅色とも相性の良い、柔らかい橙色で合わせてみた。

帯の後姿。お太鼓の模様は、揚羽蝶とともに露芝をあしらっている。配色も地の紅色に負けないよう、くっきりと図案を浮き立たせる工夫が見える。中でも、蝶の色鮮やかさが目に止まる。

 

三人の娘達は、それぞれ性格も異なり、色や模様の好みも違う。その個性や体型に合わせて、出来る限り相応しい姿を作ったつもりだが、果たしてそれが上手く表現できたかどうかは判らない。ただ、娘達は、「キモノを自分で着用出来るようになりたい」と話す。今回のことがきっかけとなり、カジュアルな品物を自分で身につけ、普段の生活の中で和装を楽しんでくれるとなれば、それは嬉しいことだ。

もちろん、興味を持つことと、呉服屋の仕事の良さに気付くことは違うだろう。跡継ぎのことはどうあれ、まずは娘達がキモノを好きになってくれそうなことを、素直に喜びたい。二人のおじいちゃんも、孫のキモノ姿には目を細めていたことだし。

三点の小紋に合わせた帯は、型絵染・絞り加工・緞子織帯と、それぞれ作り方の異なる品物を選ぶことになった。キモノにせよ帯にせよ、いずれも今から30年以上前に作られた「昭和生まれのモノ」である。しかしそんな古さを全く感じさせず、こうして使ってみても、それぞれの品物に、質の良さと模様へのこだわりが感じられる。やはり、キモノや帯は、時代や世代を越えて着用すべきものなのだろう。妹からは、織のキモノも譲り受けているので、いずれ「紬編」もご紹介したい。

皆様がコーディネートを考える上で、この姿が少しでも参考になれば良いように思う。最後に後からの着姿を、もう一度見て頂くことにしよう。

 

二人の父は、元気なだけに、心配になることもあります。

私の父は、未だに免許証を手放すことが出来ずにいます。免許更新時に行う「認知症のテスト」で、90点を取ったと自慢げに話しているくらいなので、当分車の運転をやめる事はなさそうです。しかし、そうはいっても、いつかアクセルとブレーキを踏み間違えることにならないかと、気が気ではありません。素直に免許を返上してもらう方法があれば、どなたかに教えて頂きたいものです。

また家内の父は、車は車でも自転車を愛用しています。これもまた危ないです。体のバランス感覚が衰えつつあるので、いつ転んで怪我をするかわかりません。この年齢での骨折は、それこそ命取りになりますので、心配です。ただ、少し足が弱ってきているので、歩くことが大変になっており、なおさら自転車は手放せないようです。外に出掛ない訳にもいかないので、はてどうしたら良いのでしょうか。

二人とも、これまで上手に年を重ねてきました。我々家族は、この先、何事もなく過ごせるようにと、ただ祈るばかりです。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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