バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

8月のコーディネート  暑さ和らぐ夏の終わりに、明石縮を試す

2018.08 24

「判官びいき」とは、弱者が大きな力を持つ者と対峙する時、人々が同情して肩を持ち、応援することを言う。スポーツでは、観客の行動としてたまに見られる光景だが、特に高校野球では、球場が一体となって、一方のチームを後押しすることが多い。

では甲子園で、見ている者が思わず肩入れしたくなるのは、どんなチームだろうか。その条件は、幾つか考えられるが、一つは、野球の強豪校としてあまり知られていないことだろう。そして、地元の生徒だけで構成されているチーム。つまり「故郷のにおい」のする学校である。野球で名を馳せている学校は、県外から有力な選手を集めているところが多い。だから県の代表であっても、内実は他県出身者で占められている。ということで、必然的に公立高校に偏る。

判官びいきの応援は、すぐには始まらない。1回戦、2回戦と勝ち進むうちに自然発生的に起こってくる。特に、私学の有力校を次々に倒していくと、自分の故郷のチームでなくとも、肩入れする観客が増えてくる。

 

今年の準優勝校・秋田県立金足農高は、多くの人が思わず声援を送りたくなるチームだった。いまだに優勝経験の無い東北地方の公立高校、しかも全国的に少なくなった農業高校、そして、野球好きな地元の少年だけが集まったチームで、大黒柱の投手が予選から一人で投げ抜く。「判官びいき」を受ける条件は、完璧に整っていた。

横浜、近江、日大三と強豪高を劇的な形で次々と破り、勝ち進むその姿は、秋田県民ばかりではなく、全国の高校野球ファンを味方につけた。さすがに決勝では、疲労のせいで打ち込まれてしまったが、吉田投手を中心とした秋田の少年たちの粘り強い試合運びは、多くの人に感銘を与え、いつまでも記憶に残るだろう。100回の節目を迎えた夏の甲子園大会だが、改めて「高校野球の原点とは何か」を、再認識させてくれた大会になったように思う。

 

さて、毎年高校野球の熱戦が終わると、季節は秋へ向かって走り出す。朝外へ出てみると、風がひんやりし、空気が夏から秋へと入れ替わりつつあることを、実感する。

特に今年は、7月から息苦しいほどの猛暑続きで、外へ出ることもままならなかった。ここまで厳しい暑さだと、さすがに夏キモノで街歩きを楽しむことは難しい。けれども、30℃前後に気温が下がってくると、着る気分にはなって頂けるように思える。

そこで今日は、残り少ない夏に楽しめるカジュアル着の中で、明石縮を取り上げ、コーディネートを考えてみることにしよう。

 

(生成色 変わり波絣・明石縮  薄桜色 鉄線模様 紗九寸染名古屋帯)

夏のカジュアルモノと言えば、着心地の良さから、小千谷縮や越後上布、能登上布など麻モノが中心になる。夏大島や夏結城など、本格的な夏の絹モノもあることにはあるが、少々値が張ることもあり、手が出し難い。そんな中でこの明石縮は、他の織物には無い、シャリシャリした生地の質感に特徴があり、このサラリとした風合いが、涼を呼ぶ。そして価格が10万円台と、求めやすいのも魅力である。

「縮」と付いていることで判るように、この織物は撚糸を使用して、生地にシボを産み出した品物である。そして「明石」という名前から、産地が兵庫県・明石市と思われている方も多いだろうが、現在はほぼ新潟県・十日町で製造されている。

 

この縮のルーツは、江戸初期の寛文年間(1670年頃)に明石で作られていた織物・明石織で、これは、経糸に生糸を使い、緯糸には右に強く撚りを掛けた練糸を使って織りだした、片シボの平織物であった。なお「片シボ」とは、一方向に撚りを掛けた緯糸により、縦方向にシワ状のシボが出来ること。これに対して、左右両方向に撚りを掛けた、いわゆる両撚糸を使うと、生地面に均等なシボが表れる。これが「両シボ」だ。

明石織は別名「明石縮」と呼ばれたが、当時の明石藩の領主・小笠原忠真が寛文末期に小倉藩へ「国替え」となり、この織物技術もそのまま、小倉に移された。そして名前も「小倉縮」と変わり、藩内女子の手仕事として織り続けられていた。明治に入り、神多安兵衛(かんだやすべい」という人物により、製造体制が整えられると、需要の高まりもあって、生産は飛躍的に伸び、1932(昭和7)年には、17万反に達した。

しかし太平洋戦争の勃発に伴って、工場の操業は難しくなり、1942(昭和17)年に、製織が中止され、そのまま戦後も復活することはなかった。そして、明石縮を忠実に受け継いだ小倉縮は、「幻の織物」となってしまったが、1994(平成6)年、筑城則子(ついきのりこ)さんの手で、約半世紀ぶりに復元され、今も僅かながらこの品物を見ることが出来る。

 

菱一が、十日町・根啓(ねけい)織物に発注して作らせた二点の明石縮。

さて、少し話が横に逸れてしまったが、現在主流になっているのは、十日町の明石縮であり、今日ご紹介する品物も、十日町の織屋・根啓織物の手によるもの。そこで、明石縮がなぜ十日町で織られるようになったのか、その歴史を辿ることにしよう。

明石縮が小倉へ移った後は、西陣にも技術が伝わり、製織されていたが、明治20年代になって、新潟・柏崎の越後縮商人であった州崎栄助が、西陣から明石の見本裂を持ち帰った。そして栄助は、布を十日町の機屋・佐藤善次郎に渡して、同様の品物が作れないかと相談をした。

十日町には、江戸の文政年間(1820年頃)から、経糸に生糸を使い、緯糸に苧麻糸を使って織りだした、「透綾(すきや)」という絹麻混紡の夏の薄物を作っていたが、明治10年頃には、経緯ともに生糸を使用した絹織物になっていた。

佐藤は、この透綾の技術を応用して、明石縮を織ることは出来ないかと、考えた。そこで試作したのが、緯糸に強い撚りを掛けて織った透綾である。強撚糸を使ったものは、湯もみをすると、シボが生まれる。そして生地はちりめんに近い風合いとなる。元祖明石縮は、片シボだが、この十日町の明石は、両シボの透綾ちりめんとして作られたのである。

撚りと整理に改良を重ねた結果、1895(明治28)年、十日町・明石縮は完成し、世に送りだされた。そして、蒸し加工の進歩により、「濡れても縮まぬ明石縮」となり、高級な夏の織物としての地位を確立したのである。その後大正年間には、年に15万反、最盛期の1932年(昭和7)年には、27万反あまりが製織された。くしくも、この同じ年に、小倉縮も最高の出荷を数えているので、明石という縮が、この時代の女性達の間でいかに流行していたかが、判る。

さて、長々と明石の説明をしてしまったが、コーディネートをご覧頂くことにしよう。

 

生成の地色に、均等に縞を入れ、その中に三日月を横に切り取ったような絣を並べている。絣を遠目から見ると、波にも見える。こんな模様配置だと、上前や脇、さらに背の位置で、模様をずらすことなく、仕立てなければならない。キモノ全体を、一体感のある「流れるような模様」で表現する必要がある。

絣を拡大してみた。色は落ち着きのある紫を含んだピンクで、秋の訪れを告げる「萩」の花色に似ている。そして絣の形は、機織の道具・杼をも連想させる。反物で見るより、仕立て上がった姿の方が、この図案の面白さを理解出来ると思うので、ご覧に入れよう。

こうしてキモノにしてみると、強弱をつけた波紋か、壺の表面に釉薬が流れる姿を文様化した「壺垂れ模様」を連続させた形に見える。いずれにしても、反物でみるイメージとは全く違う。このような規則的幾何学文様をモチーフにした品物は、仕上げてみないと着姿の想像が付かない。

では、ちょっとモダンなこの十日町・明石縮には、どのような夏帯を合わせると良いのか、試してみよう。なお、今日のコーディネートは、今回このキモノを求められた方が、実際に選ばれた品物を使っている。

 

帯の地色は、キモノの絣色をかなり薄めた、上品で優しい萩色ピンク。図案は、バイク呉服屋が大好きな鉄線と、染疋田で表現した大きい桔梗。夏植物を、柔らかなタッチで描く染帯を使うことは、季節を着姿で表現する最もオーソドックスな方法であろう。

前の合わせ。キモノが立体的にみえる不思議な絣図案だけに、写実的な鉄線と桔梗の帯模様は印象に残る。蔓を伸ばした鉄線の花と葉、そして染疋田の桔梗の色は、いずれもおとなしく抑えられている。中でも、鉄線花の薄紫色は清々しく、この花のイメージ通りのあしらい方かと思う。

帯〆と帯揚げは、どちらもペパーミントグリーンを基調にしたものを選んでみた。優しい帯の表情を崩さないよう、爽やかな色でまとめてみた。なお、帯〆は龍工房、紗の帯揚げは加藤萬の品物。

 

ついでに、もう一つの明石縮のコーディネートも、簡単にしてみるので、ご覧頂こう。

こちらも地は生成色だが、図案は短冊を三段に色分けしたものを、不規則に配している。模様は小さく、生地の無地場が強調される、いわば「地空き」の品物。先ほどの波紋明石縮と比較すると、かなり落ち着いた地味な印象が残る。

拡大すると、短冊の中には細縞が見える。そして、三つに区分けしている鼠系の色目が、単調な図案のアクセントになっている。

手引きの真綿紬糸を織り込んだ、山城機業店の八寸帯を合わせてみた。地色は深めの墨色。図案は、縦に三本の太縞を並べ、横には矢羽に似せた模様をつけて、双方を交差させている。少し不思議な格子的な模様と言えようか。無地場の多いキモノに、こんな幾何学帯の組み合わせは、シンプルですっきりとした印象を残すだろう。

前の合わせ。小物の色目には、帯配色の中の芥子色を選んでみた。帯〆は、暖色の芥子一色では暑苦しさを感じるので、白との二色組みのものを使う。帯揚げは、ごく薄い生成色とクリームの段ぼかし。帯〆は龍工房、絽の帯揚げは加藤萬。

 

涼風が立ち、夏の終わりを告げる今は、盛夏の麻モノとは違う、本格的な夏キモノ・明石縮をまとうには、ふさわしい時期かと思う。皆様も、シャリ感のある独特の着心地を、一度は試して頂きたい。

 

すっかり「敵役」となった大阪桐蔭高校ですが、決勝戦の戦いぶりは、まさに横綱相撲で、寄せつけない強さをみせてくれました。元々能力の秀でた生徒の集まりですが、ここまで隙の無いチームを作り上げるためには、かなりの鍛錬が必要で、まとめあげた監督の手腕も相当なものと言えましょう。これはこれで、大変なことです。

金足農高のような、素朴なチームがある一方、プロを目指す選手を養成する大阪桐蔭のようなチームがある。けれども、野球にかける高校生の情熱はどちらも同じで、そのひたむきさこそが、人々を惹きつけるのだと思います。

酷暑の中で、懸命に頑張る若者の姿は、忘れかけた大切なことを、思い起こさせてくれるような気がしますね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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