バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

白地 花車模様 総絞り振袖・黒地 南蛮唐花模様 龍村袋帯

2018.07 03

7月にならないうちに、梅雨が明けてしまうとは、一体どのような了見だろうか。これは関東・甲信越地方に限ったことだが、ロクに雨が降らないうちに、灼熱の季節を迎えてしまった。関東各地のダムでは、軒並み貯水率が下がっていて、今から水不足が憂慮されている。

最近こそ、館林や熊谷などの北関東各地が、その日の最高気温を記録する常連であるが、以前は甲府も暑い場所として、知られていた。ご存知の通り甲府は、山に囲まれた盆地なので、空気の逃げ場が無く滞留しやすい。それに従って熱が貯まり続け、気温が上昇してしまう。

ここ数年は、9月も彼岸を過ぎないと、涼風が吹かない。また、10月に入っても体育の日辺りまでは、気温が30度近くになる日もあり、これでは、3ヶ月以上も夏が続くことになる。

 

冬、寒風吹きすさぶ中でのバイク運転もつらいが、射すような太陽にさらされる真夏のバイク仕事も、相当に厳しい。還暦近くなり、以前と比べて体力も落ちているので、消耗が激しい。しかし、体重は一向に減らないのが、不思議である。これは、水を飲んだだけで太るという、異常な体質のせいだろうか。

そんな訳で、体をシェィプアップし、ハードなこの夏を乗り切ろうと、先月から夫婦でジムに通い始めた。バイク呉服屋の体型は肥満そのもので、メタボ確定だが、うちの奥さんは、どうやら「隠れ肥満」らしいのだ。週に二、三回、自転車を漕ぎ、ランニングマシンで歩き、筋トレをする。費やす時間は、だいたい一時間半ほどだが、長年の運動不足もあって、最初はかなりきつかった。

ひと月が過ぎて、ようやく体が慣れてきた感じだが、続けなければ意味が無いだろう。とりあえずの目標は、体重を5キロ落とすこと。汗を出して体を絞り、少しでもマトモな姿に近づきたいものである。

 

さて、人が体を絞るにはトレーニングしかないが、絹の生地を絞ると、美しい品物が生まれる。前置きとしては、かなり無理なこじつけだが、今日は、先頃店に里帰りしてきた上質な総絞りの振袖と、これに合わせていた龍村の帯をご紹介してみたい。職人が技を駆使した素晴らしい品物で、ひと時暑さを忘れて頂きたい。

 

(白地 花車模様 総絞り振袖・黒地 南蛮唐花模様 袋帯 笛吹市・I様所有)

どういう訳か今年は、振袖に関わる仕事を多く頂く。こう書くと、バイク呉服屋は儲かっていると思われるかも知れないが、うちはよそサマのように、振袖を商いの中心に据えていない(営業努力を何もしていない)ので、新しい品物が右から左へと、次々に動くようなことは全く無い。

依頼される仕事のほとんどが、すでにお客様が持っている振袖や帯の汚れを落としたり、寸法を直したりと、手を入れることである。新しく買い直すものは、刺縫衿や伊達衿、帯〆・帯揚げの小物類。それも全て替えるのではなく、一部分のことが多い。

母から娘へと品物が受け継がれるまでには、およそ25~30年。着用後の手入れの有無や保管の方法で、品物それぞれの状態は異なるが、「使えない」などということはまず無い。キモノや帯だけでなく、小物類や草履、バッグも、使おうと思えばそのまま使える。小物を替える理由は、上から下まで何も変わらないのは、親として娘に何もしていないような気がするので、せめて小物だけでも新しくしてあげたいという、親心からである。

私が呉服屋になって、今年で34年。今、代替わりのために店に戻ってきている振袖は、父が提案したものや、駆け出しの私が何もわからないまま売ったものばかり。今日ご紹介する一組の振袖も、そんな品物の一つである。

 

(白地 花車模様 総絞り中振袖・藤娘きぬたや)

30年以上前、このお客様・Iさんが振袖を求めに来られた時のことを、今も覚えている。呉服屋というのは、振袖に限らず、どんな品物でも、商いの記憶は残るものだ。

Iさんのお宅には、二人のお嬢さんがいた。今日の品物は、妹さんに誂えたもので、この数年前にはお姉さんの振袖も、うちで作っている。振袖は二人とも同じ、愛知・有松の絞りメーカー・藤娘きぬたやの総絞りの品物。帯は、姉が紫紘で、妹は龍村。当時まだ健在であったお母さんと姉妹の三人で、この一組を選んだ。

この時商いをしたのは父で、私は傍でじっと見ていた。他所の呉服屋はどうか判らないが、私の父は私に商いのやり方を教えなかった。なので、モノが売れるようになるためには、「盗む」より他にない。そして、ただ真似をするだけでは駄目で、自分なりの品物の売り方を確立しなければ、いつまでたっても呉服屋の跡取りにはなれない。

戻ってきたこの振袖を見た時、そんな駆け出し当時のことを、ふと思い出した。呉服屋は懐しい品物に再会した時、過ぎてきた時の流れをしみじみと感じるのだ。

 

椿や藤、菊を満載した花車をモチーフにした振袖。平安期の貴族達は、外へ出向く際に美しく飾り立てた牛車=御所車を使った。車は、使う人の位によっても装飾に違いがあり、時にはその優美さを競い合うこともあった。

源氏物語・第九帖「葵」の冒頭には、六条御息所の話として「車争ひ」の場面が出てくる。これは、賀茂の斎院で行われた「みそぎ行列」に加わった光源氏の姿を、一目見ようとやってきた「正妻・葵の上一行」と「愛人・六条御息所一行」が、乗ってきた牛車の置き場所を巡って、ひと悶着を起こすという、他愛もない話である。

平安貴族にとって、車は一つのステイタスであり、こだわりでもあった。ということで、この装飾された牛車は、源氏物語に展開される貴族社会の象徴と見なされ、「源氏車」の名前が付いた。そしてこれは後に文様化して、キモノ意匠の中にも数多く見られるようになったのである。

 

御所車文様は、牽引する牛や搭乗する人物を描くことはなく、草花と一緒にあしらわれることがほとんど。この文様は後に、車輪だけを描いて御所車の存在を表現するようになり、それを「源氏車」と呼んだ。また、この振袖のように、花を満載して描く車文様のことを、「花車文」としたのである。

源氏車を拡大してみた。車輪や、持ち手の輪郭を絞りの粒を繋げて表しているが、これは予め生地に図案を描き、その線にそって木綿の針で縫いつめ、その糸を引き締めて染める「縫い絞り技法」によるもの。また、内輪の白くぼやけてみえるところは、桶絞りによる。

 

車と一緒にあしらわれている花は、メインが椿で、その周囲には菊や藤の花も見える。花を紅色や桜、明るい藤紫などで華やかに彩っているのに対し、葉や車輪は鼠系のくすんだ色を使っている。模様を鮮やかに浮き立たせるために、それぞれの模様の色にもアクセントを付けている。

椿の花を拡大してみた。花弁や中心の萼は鹿の子絞りで、花柱が縫い絞り、そして蘂が小帽子絞り。一輪の椿花を表すにも、三つの絞り技法が駆使されている。この辺りを見れば、如何にこの振袖に手が掛かっているのかが、よく判ると思う。

これは車から垂れている紐を表現した部分。薄グレーの紐が縫い絞りを使うことで、より立体的に見えている。背景には、所々に鹿の子を入れ、模様と地の間に陰影を作っている。

 

花車総絞り振袖の後姿と前姿。こうして改めて模様をみると、ピンクを基調にした花々が優しく咲き誇り、そこに埋もれるように源氏車があしらわれている。地の白さを生かした、絞り特有の柔らかい色が、この振袖を優しく、若々しく演出しているようだ。豪華である上に、品を損なわないことが、上質な品物の証と言えよう。

この当時、うちで扱っていた絞りの振袖には、このキモノのような絞り技法を駆使した模様表現のものと、予め模様を描いておいてから、全体を鹿の子に絞る「小紋バック」と呼ぶ品物があった。全ての模様を絞りで表したキモノの価格は、小紋バックの二倍以上するという、大変高価なものであった。

そして扱った絞り振袖の地色は、白と黒に限られ、他の色目はほとんど無かったように思う。お客様が絞りを希望される時、うちの父は、着用する娘さんの雰囲気を見極めて、白黒どちらかの品物を奨めていた。

 

(黒地 南蛮唐花模様 袋帯・龍村美術織物)

読者の中には、この模様の帯を、最近のブログの中で見かけたことがあると気付かれる方がおられるかもしれない。今年4月にご紹介した、加賀友禅・桜色ぼかし椿梅模様の振袖に合わせた帯と、同柄の地色・配色違いである。

白地の絞り振袖は、加賀友禅と同様に、柔らかい雰囲気を着姿に醸し出す。そこで、合わせる帯を考える時には、着姿全体の印象を損なわないようにすることと、帯としての存在感を示せることが重要になる。おとなしい振袖に、おとなしい帯では、着姿がぼやけてしまう。

そこで、龍村の華々しく個性的な模様と大胆な配色の帯や、紫紘のカッチリとした大きな古典柄の帯を使うことが多かったのである。

 

前の合わせを見ると、この南蛮唐花帯の迫力がよく判る。はんなりとしたキモノの優しさとは対照的な、帯の色使い。しかし、双方が引き立てあい、着姿のグレードを上げている。白地のキモノに対して、黒地の帯を使う。正反対の合わせは難しいが、帯模様のビビッドな配色と、龍村独特の光に映える金糸は、それを補って余りあるように思う。

唐花を拡大してみた。模様に使っている全ての色が、思い切り主張している強い色。所々に織り込まれた金糸の使い方が絶妙で、地の黒から花が浮き立つようだ。これは黒地だからこそであり、他の色ではこれほど模様が映えないだろう。

龍村の同じ「南蛮唐花帯」地色違い。地色が変われば、模様の配色は微妙に変わる。片や鮮やかなパロットグリーン、もう一方は黒。爽やかさと重厚さ、明るさと深み。同じ図案でも、双方の印象は異なる。

 

たとえ30年前の品物でも、上質な仕事が施されているモノの価値は、何も変わらない。それどころか、職人の手が少なくなり、モノ作りは厳しい環境に置かれることが容易に予想される。そんな未来を考えれば、その価値は上がるばかりだろう。

今、このような品物に直接触れることが出来るのも、仕事の先人・祖父や父が良質なモノを見極める目を持っていたからこそ、である。そして品物の価値を認めて、求めて頂いたお客さまがいらしたからこそ、だ。受け継いだ私は、その品物をが未来へ繋がるように、ただ務めるのみだ。最後に、ご紹介した品物を、もう一度ご覧頂いて、今日の稿を終わろう。

 

一組の品物を間にして、呉服屋と母娘の三人が向き合う時間は、楽しいものです。母は自分が着用した若い頃のことや、一緒に品物を選んでくれた母親のことを思い出したりします。呉服屋は呉服屋で、当時品物を扱っていた父の姿や、まだ何も仕事を理解していなかった自分のことを、懐かしく思い出します。

そして品物は、娘さんに受け継がれ、未来へと向かっていきます。そして彼女は、今度は母として、まだ見ぬ娘にこの振袖を譲る日が来るかもしれません。未来のことは誰にも判りませんが、少なくともそう予想して仕事に当たることは、とても大切です。

えっ?、直してばかりでは、少しも儲からないではないのか、ですって?。呉服屋本来の仕事とは、そういうものです。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

ご感想・ご要望はこちらから e-mail : matsuki-gofuku@mx6.nns.ne.jp

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