バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

触れると冷たい不思議な繊維、「アイスコットン」とは

2018.05 27

最近すっかり、街でネクタイ姿を見かけなくなった。日中30℃近くになるこんな時期にも、しっかりとスーツを着込んでいるのは、就活中の学生くらいであろう。ハンカチを手にしながら、スマホで情報を確認し、足早に歩く。今年は空前の売り手市場らしいが、そんな姿を目にすると、一日も早く就活から解放させてあげたいと思ってしまう。

2005(平成17)年から政府が提唱して始まった、夏季の衣服軽装化・クールビズも、すっかり定着した。省エネルギー対策として、冷房を節約することを目途とし、室温28℃以上でも能率的に仕事が出来るようにする。そのために、ネクタイや上着を使用しない服装を、国を挙げて推奨したのである。

当初クールビズの期間は、6月~9月の間に設定されていたが、ここ数年はそれが早まる傾向にある。官公庁の職員は、5月初めからネクタイを外し、一般企業でも、連休明けからクールビズに移行するところが多い。最近では、5月でも夏日を記録することが珍しくなく、こんな衣替えの前倒しもやむを得まい。

 

和装において、袷から単衣に移るのは6月から。絽や紗などの薄物は、7月になってからとする「一定の原則」が存在するが、現在の気候に則して考えると、そぐわない面もある。無論、カジュアル着として使う時には、この原則を四角四面に守らずとも良く、その日の気候や場所に応じて、着用する方が臨機応変に対処すれば良いだろう。しかし、フォーマルとなると、やはり「原則」が重みを増してくる。この時期、何を着用するのかは、なかなか悩ましい。

このように、現代の衣替えの原則が固まったのは、明治になって「太陽暦」が採用されてから。では、それ以前の季節ごとの装いは、どのようなものだったのだろうか。

 

そもそも明治以前は、衣替えではなく、「更衣(ころもがえ)」である。更衣を「こうい」と読むと、天皇のそばに仕える女官という意味になる。当初更衣という役職は、天皇を始め、高貴な人の着替えを手伝う役割を担っていたものの、着替=寝室に入ること、つまりはプライベートな関わりを持つという仕事柄、その位が上がり、天皇と寝室を共にする女御(にょうご)のすぐ下の地位を、得るようになっていった。

さて少し話が外れたが、江戸期の更衣時期はどうなっていたのか。この時代の暦は、太陰暦なので現代の暦とズレがあり、月ごとの様子も異なる。

 

江戸の時代、袷の時期は旧暦・4月1日(今の暦・5月15日)から一ヶ月と、9月1日(10月9日)からの一週間ほど。単衣、帷子(かたびら・麻モノ)に変わるのが、5月1日(6月14日)。それ以外の9月9日(10月17日)~3月31日(5月14日)までは、綿入れ着用となる。

こう見ていくと、単衣や薄物の着用時期は、今とほぼ同じだが、袷着用が40日間と短く、綿入れを着用する時期が約半年と、異常に長い。冬着である綿入れは、端午・重陽の節句を境に脱着するのが習慣だったが、今の気候に照らし合わせてみれば、江戸の人々はよほど「暑さに我慢強い」と言えるだろう。現代のように、空調設備が整っていない中で、5月半ばまでの綿入れ着用は、とても考えられない。

江戸庶民にとって、更衣とは着るモノを替えることではなく、裏を外したり付けたりすること。つまりは「縫い直すこと」であった。季節ごとに品物を替えることが出来るのは、中流以上の限られた人たちだけであり、庶民は冬も夏も同じモノ(多くが木綿)を着用したのである。

当時各々の家では、女性が針を持ち、季節ごとに家人のキモノを夏用・冬用に整えた。それは縫うばかりではなく、洗い張りや丸洗いも自分で行い、布を長く使うために様々な工夫を凝らす。衣類を貴重な品物として大切に扱っていたことが、よく判る。

 

現代では、自分でキモノを縫ったり、始末をする人がほとんどいなくなってしまったが、これからの汗の季節、せめて洗いくらいは自分で出来るような品物を、と考える人は多い。そうでないと、カジュアルの場で、気軽に夏薄モノを楽しむことが出来なくなるからである。

今日は、自分で手を入れることが出来、その上特別な涼やかさを感じることが出来る新しい素材について、お話してみよう。

 

アイスコットン素材・綿麻混紡(綿85%・麻15%)長襦袢 近江・川口織物

夏の日常着として使う素材は、浴衣に代表される綿を始めとし、小千谷縮や能登上布は麻であり、絽小紋のような染モノや夏大島、明石縮などは絹素材の織物。また、絹紅梅のように、綿と絹の混紡で出来ているものや、綿と麻、あるいは綿と絹の混紡で形成されている品物もよく見かける。いずれにせよ夏場に使う品物は、冬モノと違って、素材がバラエティに富んでいる。

薄物や単衣モノは、着用する方が、いかに心地よく涼やかに過ごせるかということが、大きな課題となる。だからその点で重視されることが、素材に何を使い、またその糸質や製織技法によって、どのような着心地になるのか、ということだろう。

このことは、キモノばかりでなく、長襦袢の選び方にも大きく影響する。むしろ、肌に直接触れる襦袢地に何を使うかというのは、着心地に直結するだけに、キモノよりも難しい。以前このブログの中で、薄物の下に使う襦袢をどうするか、素材ごとに考察したことがあったが、綿、麻、絹、化繊と、それぞれには長所と短所があった。

夏の襦袢にふさわしい品物とは何か。それは着心地に深く関わる、材質の通気性や吸水・吸湿性、生地の肌触り感覚、着用するキモノとの馴染み具合等々はもちろんのこと、手入れの利便性をも考慮しなければならない。結果として日常着には、麻や木綿(特に細番手糸を使う海島綿)の襦袢が、使い勝手が良いだろうと一定の結論を出したが、これとて全てではない。

 

麻は、通気や吸湿の観点から見れば、涼感を得るには最上の素材と思えるが、少しゴワツキが残る生地感が気になる。人によっては、麻の涼しさは認めながらも、肌触りに違和感を覚えるために、使い難いという声を聞くことがある。また、単に麻素材といっても、使っている糸質(細さ)や糸撚りの回転数によっても、品物の質感が変わる。

では木綿はどうか。綿素材は麻と比較して、滑らかな着心地となる。特に海島綿のような極細糸を使った襦袢は、絹と遜色のない肌触りだ。けれども、素材の特徴として、通気性や吸湿性といった観点から見ると、どうしても麻にはかなわない。夏の着姿における大命題、「涼やかさを感じる」という点では、一歩後退してしまう。

この麻と木綿双方の長所を生かし、そして短所を改善できる品物は出来ないものか。そんな期待を背負って登場してきたのが、アイスコットンを使った新しい製品である。ではこの、「アイスコットン」とはどのようなものなのか、早速お話していこう。

 

アイスコットンを使用した襦袢の生地面。経糸は、綿麻の混紡糸(綿70%・麻30%)、緯糸がアイスコットン綿糸100%。

この襦袢、素材綿糸にアイスコットンと名前が付いているように、触るとひんやりとした冷たさを感じる。つまり、「接触冷感効果」を発揮する品物なのである。では、どのようにしてこんな綿糸が生まれたのだろうか。

襦袢には、アイスコットンを開発したスイス・スポエリー(Spoerry)社のタグが付いている。この襦袢が、アイスコットン糸を使用した証。

スポエリー社は、創業が1866年と古く、スイスを代表する老舗紡績会社の一つ。この特殊な糸の原料として使っているものが、長さ28.6mm以上の長繊維綿・バルバデンセ綿。長い繊維を持つこの綿は栽培量が少なく、エジプトや中国西域など限られた地域で作られている。カリブ海に浮かぶ四つの小さな島国で作られる海島綿ほどではないが、それでも稀少品であることに変わりはない。

もともと長繊維綿は、繊維を形成する炭水化物・セルロースを多く含んでいることから、外へ水を放出する力が強く、吸湿性が高い。しかも自然に撚りが付いている。スポエリー社では、この原料糸に対して、両方向に強い撚り(S撚りとZ撚り)を掛けて、超強撚糸を作っている。

この特殊な形状の強い撚り糸は、繊維の隙間を潰す役割を果たし、繊維そのものに空気の層を含ませない役割を果たす。これが、生地に触れた時に涼感をもたらす大きな要因となっている。また、肌に触れたときに生地は、肌の水分を吸い取る「毛細管的な現象」を起こし、そのために水が外に発散して、効果的に冷感をもたらす。

アイスコットンが持つ接触冷感は、化学的作用を加工に応用したものではなく、特殊な紡績技術を駆使して辿り着いたもの。長繊維綿素材と撚り技術を融合させて実現したナチュラルな涼感だからこそ、この素材に価値があるのだ。

アイスコットン襦袢の透け感。麻襦袢と比較しても、ほとんど変わらない。

ではこのアイスコットン綿麻混紡の襦袢が、どのくらい涼しさを感じるものなのか。これを数値的に示した指標があるので、他の素材と比較して見てみよう。

涼しさを定量的に表す指標は、Q-MAX値という数値で示される。この値が高ければ高いほど、涼しいことになる。この人間の肌感覚を測定するものは、精密迅速熱物性装置という、何ともいかめしい名前が付いている機械。

この装置を使い、四枚の異なる素材の生地のQ-MAX値を測った実験がある。それぞれの生地は、この襦袢と同様のアイスコットン使用で、綿85%・麻15%混紡のもの、麻100%のもの、アイスコットンを使わない綿85%・麻15%混紡のもの、そして綿と麻が50%ずつの混紡のもの。

実験の結果、それぞれのQ-MAX値は、アイスコットン使用混紡が0.120、麻が0.114、アイスコットン不使用混紡が0.090、綿麻折半混紡が、0.094となった。この値からは、アイスコットン混紡襦袢は、麻よりも涼しく、また同じ混紡でも、アイスコットンを使わないものと比べると、格段に涼しいことが証明されている。

 

これまで綿麻混紡の品物は、綿と麻両素材の長所を生かすことを目途にして作られてきた。涼をもたらす麻生地のシャリ感は、時として不快な肌触りを感じることがある。これを軽減するために綿を混ぜて織るが、綿の混紡比率を上げると、やはり涼感が損なわれる。「こちらを立てれば、あちらが立たず」ではないが、綿と麻双方の長所を生かしきった混紡品を織り成すことは、大変難しいことであった。

このアイスコットン使用の襦袢は、これまでの混紡品にはない、麻・綿双方の利点だけを生かした良品と言えよう。麻素材の通気性と吸湿性に、木綿の柔らかな肌触りをプラスする。しかもその上に、肌に触れたときに冷やりと感じる、これまでにない「特別な接触冷感」をも持ち合わせている。通常、強撚糸を使うと、強いシャリ感が残るものだが、特殊な技術を駆使したスポエリー社のアイスコットンには、それがなく、優しい木綿の風合いをそのまま生地に残している。

 

左側は、アイスコットンと近江麻との混紡・夏着尺。襦袢同様に、生地に触れると冷たさを感じる。

この襦袢は、1889(明治22)年から、近江上布や秦荘紬を織り続ける近江の老舗麻織メーカー・川口織物の品物だが、京都の織問屋・廣田紬を通して仕入れをした。廣田紬と川口織物は縁戚関係に当たるそうで、それもあってこの問屋では、アイスコットンや近江縮などに特に力を入れており、品揃えも豊富だ。

バイク呉服屋と廣田紬さんとはこれまでご縁が無かったが、昨年若い跡継ぎの方からメールを頂いたことがきっかけで、今年の正月に初めて店を訪ねてみた。その時に出会ったのが、このアイスコットン襦袢であり、混紡の近江縮である。若い後継者の手による廣田紬のHPは、なかなか良い出来映えで、「問屋の仕事場から」というどこかで聞いたことのあるようなタイトルのブログもある。今日の稿を書くにあたり、このブログを参考にさせて頂いたが、アイスコットンに関して詳しい解説が載っている。興味のある方は、ぜひ一度訪ねて頂きたい。

 

なお、アイスコットンと近江麻をコラボしたこれらの品物は、襦袢・着尺ともに、家で洗うことが出来る。まず最初仕立てをする前、水に通して予め生地を縮めておく方が良いだろう。洗う時は手洗いか、ネットに入れて洗濯機の手洗いコースを選び、陰干しする。生地を縮めておくと、洗濯しても生地の詰りは最小限に抑えられる。

薄物の下に着用する襦袢は、自分で洗えることが肝要。その点でも、このアイスコットン製品は、使い勝手が良く、重宝する品物と言えよう。

先日、このアイスコットン襦袢を誂えたお客様から、着心地を伺うことが出来た。この方は、麻の肌触りが自分の体質に合わないため、通気性の良い麻襦袢を使うことが出来なかったが、この襦袢は滑らかで優しく、それでいて冷やりとした生地感が、今までにはない良い着心地だったようだ。皆様もぜひ一度、アイスコットンの心地よさをお試しあれ。

 

江戸庶民の更衣が、「縫い直すこと」だったように、バイク呉服屋も学生だった若い頃には、季節ごとに替える衣類がなく、衣替えの頃になると、縫い直しや補正をして、服やジーンズを使い回していました。

もちろん自分ではどうにもならず、依頼したのは、手先の器用な友達の女の子。肘が擦り切れた長袖の綿シャツは半袖に直し、同じように肘が切れたセーターには、当て布を縫い付けます。また、膝が破れたジーンズも、ワッペンを縫い付けて補修し、そのまま使えるようにしてもらいました。

今の仕事で「直し」にこだわる理由は、もしかしたら、こんな経験があるからなのかも知れません。工夫を凝らしながら、大切に長く着用したものには、どんなものでも愛着が湧きます。そんな貧しかった学生時代に着ていたシャツの色や模様は、40年近く過ぎた今でも覚えています。

皆様は、心に残る品物を、どれくらいお持ちですか。今日も、長い話にお付き合いを頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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