バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

小学校の式典では、和装をどのように捉える必要があるのか

2018.04 09

毎朝、バイクで店へ通勤する途中、娘達が卒業した小学校の前を通る。一昨日は、入学式。少しおめかしした新入生が、両親に付き添われて、学校に入っていく。そして校門前では、写真を撮ったり、ビデオを回したりしている。おしなべて、親は嬉しそうな表情を浮かべているが、子どもは、恥ずかしそうにしていたり、誇らしげであったり、とまどいがちであったり、千差万別だ。

この小学校は、甲府市の中心部にある、いわば街中の学校。ここは、今から10年ほど前、中心市街地での小学生の減少に伴い、付近の三つの学校を統合して出来た、新しい小学校である。

娘達が通っていた頃は、まだ統合する前で、全校生徒が70人に満たない小さな小学校。一クラスが10人ほどなので、もちろんクラス替えなど出来はしない。そして街中の学校ゆえに、サラリーマンよりも商店の子どもが多かった。親達も、全校児童の名前と顔を知っていて、親同士も自然に親しくなる。刺激には乏しいが、アットホームで居心地が良かった。

 

多くの公立小学校には制服は無いが、バイク呉服屋が通った学校にはあった。入学したのは、昭和41年。その当時、甲府市内の公立小学校のうち2校だけに制服があったのだが、たまたまその一つに当たったのである。

制服とは言っても、今のように全てが整っている訳でなく、上っ張りのような上着があるだけ。これは、幼稚園の園服と似たようなモノで、シャツやズボンやスカートが指定されている訳では無い。だから、「制服」と呼べるような代物では無く、この学校の子どもと見分ける「印」みたいなものだった気がする。

簡単な上っ張りは、高価ではなく、誰もが二着は持っていたと思う。当時の子どもは、毎日放課後校庭で遊んでいたので、どうしても汚れてしまう。母が、家に帰った私の姿を見て、「どうしたらここまで汚すのか」と嘆いていたのを、よく覚えている。

 

もしそれぞれの小学校に制服があれば、入学や卒業など、節目の儀式で着用するのは当たり前である。私立の小学校や、中学・高校には制服があるので、式典に何を着用すれば良いのか、迷うことは全く無い。

問題は公立小学校である。制服が無いばかりに、何を着せるのか親は悩ましい。一般的な服装は、男の子はスーツかジャケットにズボン、女の子はボレロの付いたワンピースやスーツを使っている。このスタイルは、入学式・卒業式ともに変わりはない。

価格は1万円前後から、5~6万もするようなブランドモノまで、様々である。式服だけに、購入しても使う場は限られており、その上子どもはすぐに大きくなる。勿体無いといえば、勿体無い。

 

けれども最近、和装を取り入れる子どもが増えている。特に卒業式における女の子の袴姿は、かなり目に付く。そして、この姿を容認するか否か、各学校で問題になるケースを多く見聞きする。

果たして、制服の無い公立小学校で、和装はどのように捉えられているのか。門出の式で、容認されるべきものか。はたまた否定されるものなのか。今日は、我が家の娘が卒業式の衣装として、どのような考えで袴姿を作ったのか、それもお話しながら、この問題を考えてみたい。もしかすると、現代社会の中で和装が、どのように認識されているのか、その一端が見えてくるかも知れない。

 

2013(平成15)年3月 長女の小学校卒業式・袴姿

上の画像は、今から15年前に、私の長女が袴姿で小学校の卒業式に臨んだ時に写したもの。今とは違い、和装で卒業式に出席する子どもが、誰もいなかった頃である。

娘が和装を望んだ理由は、前年秋の運動会で、応援リーダーの女の子がはいていた袴姿が印象に残っていたからと聞いた。親としては、他の子どもと同じように、スーツを購入する予定であったが、娘の気持ちを尊重し、キモノを着せてあげたいと考えるようになった。無論そこには、私や家内が「うちは呉服屋だから、娘にキモノを着せなければ」などという意識は、全く無い。あくまで、本人の自由意思から出た話である。

それまでに、卒業式に袴を着用した例は、おそらく無い。そこで、袴を使うにあたり、それが許されるか否か、家内は学校に相談してみた。すると、袴姿は式服として認められるとの許可を頂いた。これは、うちの仕事が「呉服屋だった」ことも、考慮されてのことかも知れない。

この時、長女のクラスは僅か11名。そのうち女の子は6人である。小さな学校なので、普段から親同士の意思の疎通は十分出来ている。そのせいもあり、他の子の親は、うちの娘が「卒業式に袴を使うこと」に対して、好意的であった。ここでも、「呉服屋さんの子どもだから、それも自然なこと」という意識が働いていたように思われる。

 

親とすれば、「スーツを買う必要が無くなった=出費が無くて助かる」というのも、本音である。着用したキモノは、私の妹が若い頃使っていた、白地に朱色の雲取模様の訪問着。彼女は小学校の頃から日本舞踊を習っており、派手なキモノを沢山持っていた。

袴は、紺無地のウール袴。以前うちの店では、袴だけは貸し出しをしていたので、サイズをそろえて10点ほどある。半巾帯は、浴衣用の赤い無地の博多帯。ということで、新しく誂えた品物は何も無く、手持ちのものだけで済ませた。無論、費用は何も掛かっていない。

 

式典での着姿。古い写真なので、写りが悪いことをご容赦頂きたい

当日、袴を着付けたのは家内。この時、長女はショートカットだったので、髪をアップにすることも出来ず、ほぼそのままの状態。もちろん、化粧などすることは無い。また、草履は履かずに体育館履きを使用。これは、不慣れな袴での転倒防止のため。

最も大切なことは、厳かな式にふさわしい着姿を考えること。そのため、余計なものは出来る限り排除し、あくまでシンプルに着こなすことが必要となる。

そして心掛けたことは、袴姿をあくまでも「式服」として意識し、それにふさわしい振る舞いをすること。歩き方や姿勢など、きちんと身を正していないと、和装本来の良さはまるで無くなってしまう。これを忘れたら、正式な場で使うものと、誰からも認識されなくなる。「きちんとしている」と周囲から見られることは、とても重要だ。

折角校長先生をはじめとして、皆さんが気持ちよく許してくれた袴姿である。出席される方々に、「卒業式には、和装も良いものだ」と、感じて頂かなければ、申し訳ない。着用を望んだ娘には、その責任がある。

 

現在流行している、小学校卒業式における袴姿。これに対する批判の声は、強い。自治体によっては、自粛を呼びかけたり、規制をかけるところもある。学校側でも、対応に苦慮しているとも聞く。

なぜ、袴姿はいけないのか。その理由は、幾つもある。慣れない袴での転倒や、トイレ時の始末、また着崩れた時に直す人がいないなど、着用した時に起こる様々な不具合が、実際に予想出来るからだ。親も教師も、和装の心得を持つ人がほとんどいない中では、式典の妨げになる事態が起こっても、対応することが難しく、式進行に大きな影響を及ぼすと見られるからである。

そして、着用したくても出来ない家庭の子もいるという事実も、問題視される。厚生労働省の調査による子どもの貧困率は、昨年13.9%。6人に1人が貧困状態にあるという、深刻な現実がここにある。公立小学校には、様々な家庭の子どもが通う。だからこそ、弱い立場の子どもに対する配慮がなお必要とする意見も、当然理解出来る。

 

そして、もう一つ。私は、これが問題となる最大の理由と思うのだが、それは、袴姿が「華美」と捉えられていることだ。そして、卒業式の式典の衣装にはそぐわないと感じられている。つまりは、式服として和装が認められていないということになる。では何故、式にふさわしくない姿と意識されてしまうのか。その原因を考えてみよう。

 

今、卒業式で袴を着用する子どものほとんどが、レンタルを利用していると思われる。自分のキモノでとか、母や祖母の使った品物を使ってというケースは、少ないだろう。そして袴に関しては、キモノ以上に手持ち品を使うことは、稀であろう。

レンタルの価格を見ると、キモノと袴一式に、着付けや髪のセットやメイクまで含めて、3万円前後というのが相場である。写真スタジオなどでは、記念写真とセットにしているところも見受けられる。レンタルで扱う品物を見ると、キモノ・袴ともに化繊素材のものがほとんど。キモノはプリントの小紋が主流で、袴はぼかしや刺縫を施したものも多い。子どもらしく、かわいく華やかに見えることが、意識されている。

 

レンタル品は、色や模様に落ち着きはないが、この品物を着用しただけで、「華美に過ぎる」と判断されるとは思えない。では「式典にそぐわない姿」と見られてしまう原因は、一体どこにあるののか。

それはおそらく、不必要な飾りをつけたり、メイクを施すことで、着姿全体の印象が、厳粛な式服から「和装コスプレ」へと変化してしまうからではないか。つまり、目立つ必要はないのに、目立たせてしまっているということだ。

本来の袴姿は、「凛とした美しさ」を感じさせるもの。だが、この引き締まった和装のあり方がどこかへ追いやられ、「華やかでかわいいこと」だけに、主眼を置いて着姿を作ることで「コスプレ化」し、ひいては、卒業式の衣装としては如何なものかと、批判されてしまうのだ。

 

では、なぜコスプレになってしまうのか。これは、親も子どもも、そして衣装を貸す業者も、きちんとした和装フォーマルの着姿を、理解していないからである。

卒業式は、厳粛な儀式であり、小学校の課程を終える大きな節目。そんな式典の装いには、何が大切なのかを弁えていないと、場を壊してしまうことになりかねない。節度を守ることは、和装でも洋装でも同じであり、その上に立って着姿を考えなければならないことは、言うまでも無い。

この卒業式袴のコスプレ化は、成人式の衣装・振袖のコスプレ化と同根のように思える。どちらの衣装も、式の意味を弁えずに着姿を形成するところは、全く同じである。厳粛な卒業式に使う袴、未婚の第一礼装として存在する振袖。どちらも、華美に走り、目立てば良いというものでは決してないはずだ。

 

きちんとした和装フォーマルが、認識されていないことが、この問題の根底にある。だが、若い親、まして子どもがこれを理解するのは、難しいだろう。だから、衣装を貸す側が、式典の場にふさわしい衣装は何かを認識し、それにふさわしい品物を提供することが求められるのだが、残念ながらレンタル業者や写真スタジオには、その理解はほとんど無いのが現状である。そして振袖の状況を見れば、多くの呉服屋にも欠けている。

 

私は、袴姿が卒業式にそぐわないとは、全く思わない。キリリとした着姿で、姿勢を正して望めば美しく、多くの人に和装の素晴らしさを感じて頂くよい機会かと思う。

時代と共に、キモノを装う方が少なくなり、「キモノを着ていること、即ち華美で、贅沢なこと」と考える人が多いことは事実だ。けれども、式典にふさわしい節度ある和装を、ただ華美として切り捨てるのは、違う。そんなことを言ったら、民族衣装として和装は成り立たない。

けれども現状のように、式服の意味を理解せず、はき違えた「コスプレ和装」が続くようでは、小学校の卒業式に規制をされても仕方あるまい。

バイク呉服屋は、袴姿に憧れる多くの子ども達が、厳粛な式典にふさわしい着姿で、式に臨むことが出来るようにと、願うばかりである。

 

うちの娘が、袴姿で卒業式に出席出来たことには、幾つかの幸運な事情が含まれていたからと思います。一つは、呉服屋の娘だったこと。もう一つは、規模の小さな学校だったこと。周囲の理解を得るには、条件がとても整っていました。

先生方や同級生、そして父兄の方々に気持ちよく認めて頂いたからには、より式典にふさわしい着姿にしなければならないと、強く意識したことを、15年経った今でも覚えています。

注目されるからこそ、より以上に衿を正して式に臨む。フォーマルの場でキモノを装う時には、これを避けて通ることは出来ないように思います。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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