バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

2月のコーディネート  雨水を過ぎ、春らしさを着姿に映す

2018.02 28

今年は、近年にない寒い冬のように思える。例年であれば、東京で朝の気温が氷点下になるのは、ひと冬に2,3回なのだが、先月中旬から今月上旬あたりにかけては、連日のように氷点下を記録していた。

また、北陸や東北の日本海側では異常なドカ雪に悩まされ、交通機関ばかりか生活そのものに支障をきたした。先月12日には、新潟・三条市で信越本線の列車が雪に阻まれて立ち往生し、600人もの乗客が、15時間も車内に閉じ込められる事態となったのは、記憶に新しい。

 

北陸の福井や富山、新潟では、これまでにも、数年おきに豪雪に見舞われている。その中でも、1962(昭和38)年の三八豪雪と、1981(昭和56)年の五六豪雪は、災害を伴った豪雪として、多くの人の記憶に残っている。

特に昭和38年の三八豪雪では、家屋の倒壊や雪崩事故により、東北と北陸合わせて200名以上の死者を出した。道路の除雪が追いつかず、孤立する集落が続出、そして鉄路も閉ざされ、物資の供給は完全に止まった。

 

この時の雪の凄さを物語るような、鉄道のエピソードがある。昭和38年の1月23日の夕方4時過ぎ、上野行きの急行・越路号が新潟駅を出発。この列車は通常だと、6時間後の夜10時には、上野に着くはずだった。

この日は夕方から、信越・上越の沿線で、風を伴った暴風雪となり、度々運行は止まっていたが、この急行列車も止まっては進みを繰り返すうちに、三条市の保内駅で雪の吹き溜まりに突っ込んで停車。(なお、この保内駅から二つ先の東光寺駅付近で、今年の事故が起こっている。)

何とか除雪して、動かしたものの、15キロ先の押切駅で、再度動かなくなる。この時、車内の暖房が動かなくなったため、国鉄は火鉢を差し入れる。しかし窓を開けて空気を入れ替えることが出来ず、乗客400人余のうち、300人が一酸化炭素中毒を起こす。重症だった3人は、ラッセル車で緊急搬送。

押切駅から脱出したものの、長岡駅に着いたところで、除雪が出来なくなり、列車は完全に動かなくなった。すでに、出発から2日が過ぎて1月25日になっている。長岡駅構内のレールは、降り積もった雪で完全に凍りつき、ラッセル車でも除去不能。人間がつるはしを使って、叩き割る以外に、方法が無かった。

 

当時の国鉄は、自衛隊に災害支援を要請。千人あまりが出動して、雪と格闘した。乗客は、長岡市内の旅館に分散して、宿泊。そして、列車がラッセル車に先導されて長岡を出発したのは、28日の深夜1時45分。上野に着いたのが、28日朝の8時29分。新潟出発から5日、この列車の遅れは、実に106時間21分で、この延着記録は未だに破られていない。

現在、東京と新潟の間は、上越新幹線で2時間。レールの回りには、スプリンクラーを備えて、融雪している。もちろん、雪で運行が止まることは、ほぼ無い。今から50年前の、除雪技術が伴わない時代の話であるが、雪の降り方には、昔も今も変わりはないだろう。だからそんな雪国の方々は、苦労した分だけ、春を待ち焦れる。

二十四節気の雨水を過ぎ、寒さの中にも、僅かに春の気配を感じる。今月のコーディネートでは、そんな穏やかな季節を待ちわびながら、街歩きを楽しめる春の品物を、ご紹介することにしよう。

 

(多色 椿重ね模様・泥大島紬  萌黄色 子持ち縞模様・紬八寸名古屋帯)

その時々にふさわしい着姿を、自分らしくどのように作っていくのか。これは、キモノを着用する時の大きな課題であるが、自分のワードローブを見ながら、あれこれと悩む時間は、楽しいものだ。

カジュアルモノの場合、フォーマルの時と違って制約がなく、色や模様も自分の好みを優先して、品物を選ぶことが出来る。自由だからこそ、難しいと言えるが、何を着用するか決める時に、その日の天候や気温に左右されることが少なくない。

特に今のように、冬から春へ移行する季節は、日によって温度差があり、着心地が変わる。穏やかな陽の光を感じる小春日和であれば、優しい春色パステルの小紋を着たくなるだろうし、どんよりと曇った冬の延長のような日には、少し濃地の紬類を選ぶだろう。前の日に用意していたものが、当日になって変わることも、よくある。

三寒四温を繰り返しながら、迎える春。少しだけ先取りして、着姿に映してみよう。

 

(泥染め多色 光琳椿連ね模様 モト絣9マルキ大島紬・菱一別誂 恵織物)

紬を愛用する方からは、真冬は、真綿糸使いの暖かい結城紬が着たくなり、少し春めいてくれば、大島紬の軽やかな着心地を楽しみたくなる、とよく聞く。大島に使う糸は、紬糸ではなく絹撚糸を使うために、滑るような生地の質感と、着心地の軽さが特徴的。この糸質から考えれば、紬ではなく、大島絣と呼ぶべき品物かと思う。

大島は、使用する糸の染め方により、地色が変わる。泥染めした糸は、黒褐色の泥大島となり、蓼藍を使った糸は、藍色系の藍大島となる。そして、双方を併用して微妙な色合いを出す藍泥大島や、糸染めをしない白大島もある。

今日御紹介する品物は、椿の図案を反巾全体に連ねているため、地の黒い部分はほとんど見えない。そのため、泥染と意識することが、ほとんど無い。絣図案をまばらに配置し、褐色の地色を印象付ける、いわゆる「地空き」の泥大島とは、対極にある品物と言えよう。

 

絣の作成は、まず考案した図案を方眼紙に描き、その図案に合わせて、絣糸になる経糸と緯糸の長さと本数を揃える整経をしておく。大島の絣は、「締め機」と呼ぶ機を使うが、経に綿糸、緯には絹糸を張って固く締めながら織り、「絣莚(かすりむしろ)」を作る。

絣締めは、方眼紙で表した図案の一直線上にある模様ごとに行うが、綿糸は、図案の線や点に相当する機の筬(経糸を通して密度を揃えて並べ、そこに通された緯糸を前に打ち付ける織機用具の一つ)に引きこまれていく。この本数により点や線の太さが変わり、当然それが、品物の模様の上にも表れてくる。つまりは、この経綿糸の密度が、絣の細かさを決めていることになる。

絣締めは、模様の配列により様々な技法を使うが、この品物のように一方向に連なる模様の場合には、袋締めという技法を使い、地を多く空けた飛柄であれば、回し締めという技法により、輪形状の絣莚となる。

経綿糸の上下糸で、緯絹糸を締めつけ、絣莚のままで染めると、締められた箇所には染料が入らずに残る。結果的には、経綿糸が括り糸の役割を果たすことになる。どうしても強い力が必要となる絣締めは、やはり男の仕事だ。

 

絣で表現された椿図案を、拡大してみた。

画像では、十字型の絣が見えるが、これをモト絣と呼ぶ。この絣は、経緯二本ずつの糸を合わせて、絣を作っている。一方で、T字型に表れる絣があるが、これはカタス絣と呼ぶもので、経緯一本ずつの絣合わせである。

モト絣とカタス絣では、絣の合わせに手間の違いがある。価格が高いのは、当然二本の糸を合わせる十字(モト)絣。大島紬の価格を見極めるとき、多くの方が、マルキと呼ぶ絣糸の本数の多さを大きな基準にされていると思うが、この絣の合わせ方(絣模様が十字かT字か)も、品物を見る一つのポイントである。皆様も大島を選ぶ時には、ぜひここに注目して頂きたい。

なお、マルキとは、経糸1240本に対する絣糸の本数のことで、1マルキ=絣糸約80本。5マルキは464本、7マルキは576本、9マルキは768本となる。経糸の中で絣糸の比率が上がれば上がるほど、模様は細かいものであり、絣を合わせる手間が多くかかる。先ほどの、合わせる本数の違いと、この合わせる回数の違い、どちらも手間の掛かり方が、品物の質、ひいてはその価格に反映されてくる。

 

大島の技法ばかりに説明が過ぎてしまったが、改めてこの椿模様を見てみよう。

織り出されている椿花は、写実性を削ぎ落とし、単純化したいわゆる「光琳椿」。江戸中期を代表する画家・尾形光琳は、独特の感性でモチーフを意匠化し、特に植物は、丸みを帯びた線を使って単純化していた。キモノや帯の中で表現される椿と梅には、このような光琳デザインを使うことが、よくある。

椿は、年の暮れから3月頃に咲く花で、冬から春に向かうこの時期が、旬にあたる。その中でも、梅の盛りを過ぎ、寒さが緩むものの、まだ十分な暖かさを感じない雨水を過ぎた頃が、椿にとって一番ふさわしい時期に思える。

連なる椿の色は、錆朱・芥子・青緑・白の四色。バランス良く散りばめた色により、華やかさが増している。泥大島のイメージが全く無い、こんな個性的な泥大島だと、モダンな春姿を映し出せるのではないだろうか。

 

この大島を製作したのは、鹿児島の機屋・恵織物。大島証紙には、上の画像に見える旗印と、地球儀印のものがあるが、旗は鹿児島の組合、地球儀は奄美大島の組合を通った品物。どちらも本場大島紬である。

恵織物は、奄美の名工と呼ばれた創業者・恵積五郎氏が、鹿児島へ移って工場を開いたことに始まる。積五郎氏は、精緻な絣の男モノを製作することを得意とし、昭和天皇へ品物を献上したことでも知られている。

後を継いだ息子の美知雄氏は、女モノに転じ、薩摩焼の原料・白土を使った白泥大島を開発する。白大島は、糸染めしない白糸を使うので、泥大島の持つ風合いとは違う。そこで美知雄氏は、白大島にも、泥大島と同じ風合いを持たせるため、泥の中に白土の粒子を揉みこむことを思いつく。その結果生まれた白泥大島は、それまでの白大島には無い泥の風合いと、変色に対する強さを兼ね備える、優れた品物になったのである。

しかし、これだけ高い技術と伝統を誇る恵織物には、後継者がいない。本来継ぐべき息子は、芸能人になってしまった。お笑いコンビ・ホンジャマカの恵俊彰が、その人。相方は「まいう~」の石塚英彦。従って、これから製作される恵の織物には、ある程度限りがあると予測が付く。

 

なお、この椿連ね大島は、画像で「別織・菱一」と織り出されているように、菱一だけのオリジナル・別誂品。デザインと配色を菱一が起案して、恵織物に託した品物ということになる。おそらく6反ロット、つまり同じモノを六反織り、菱一がその全てを引き受けたはずである。

昨年11月、菱一の恵比寿講セールに行った時、この品物に出会ったのだが、織った六反のうち、売れ残った最後の一反だという。思い切り見切った価格が提示されていたので、迷い無く仕入れることが出来た。「残りモノには、福がある」の典型的な品物。こういう仕入れが出来た時は、かなり嬉しい。

 

さてさて、かなり話が長くなってしまった。大急ぎで、コーディネートした帯をご覧に入れよう。

(萌黄色 子持ち縞模様 手織紬八寸帯・西陣 都織物)

草木の息吹を感じさせる、柔らかな萌黄地色。紬糸を使っているため、軽くしなやかで、優しい手触り。帯地色としては珍しい色だが、帯地のフワッとした質感と相まって、いかにも春を想起させる。

この縞柄は、太い線の両側に細い線を添わせている。このような縞柄を、両子持ち縞と呼ぶ。太縞を親、細縞を子に見立てて、この名前が付いたのだろう。基調となる親縞は芥子色で、子縞は白、黒、グレー、臙脂の四色。これを左右対称となるように、規則的に配置している。

この帯を織ったのは、都織物。櫛織やすくい織り、つづれ帯を得意とし、手機カジュアル帯の良品を作る帯メーカーとして知られている。これも、先ほどの大島と同じように、菱一のバーゲンで掘り出した品物。

菱一の担当者に、何故これが売れ残っていたのかを聞いたところ、萌黄の地色がネックになっていたと話す。バイク呉服屋など、この地色だからこそ良いと感じたので少し不思議に思うが、ツボに入る品物は人それぞれなのだろう。長いこと誰も手を出さなかったおかげで、これも破格な値段で仕入れることが出来た。このような仕入れ方を、「ハイエナ仕入れ」と言うのだろう。

都織物の、西陣証紙番号は385番。みやこ=385で語呂合わせになっている。車のナンバープレートには、自分の好きな番号を付けることが出来るが、この証紙番号もこれと同じように、都織物が西陣織組合の方へ番号の希望を出したに違いない。バイク呉服屋だって、このブログのアドレスは819529(ばいくごふく).comだ。

画像の左側に「手織之証」と記した証紙が見える。これはこの帯が、西陣の手機で織られた品物であることを証明するもの。この証紙を発行する西陣手織組合は、昭和40年代に設立されたが、当初30軒以上あった織屋も今は僅か8軒。この都織物の他に、紫紘や藤田織物、白綾苑大庭など、このブログでもお馴染みのメーカーが並んでいる。

では、この帯を使って、コーディネートしてみよう。

 

大島が総模様とも言える、密な連続柄なので、やはりすっきりとした帯姿でまとめたい。もう少し無地感のある帯でも良いだろう。ワンポイントの塩瀬帯も効果的と思えるので、後で試した姿をご覧に入れよう。

お太鼓よりも前姿の方が、あっさりした帯感が出ている。地色の萌黄色が、実際の色よりぼやけて写っていることをお許し頂きたい。

縞の基本となっている親縞の芥子色を、もう少し明るくした菜の花色の帯〆を使ってみた。帯地の萌黄色とも相性が良く、より春らしくなるように思うがどうだろうか。錆朱や、深緑を試しても良い。なお、帯〆は木屋太のゆるぎ、薄グレーに黄色飛絞りの帯揚げは、加藤萬の品物。

 

椿模様の白地の塩瀬染帯を合わせてみた。帯とキモノが椿同士なので、くどい気がしたが、キモノは図案化した椿、帯は写実的な椿と描き方に違いがあるので、思うほど違和感がない。帯の挿し色・橙色椿に合わせた帯〆の色も利いている。

椿リースと呼べるような、丸みを持った枝ぶり。白と橙色、くすんだ疋田の青緑色を挿した花のバランスが良く、地の白さを生かした爽やかな印象を受ける帯になっている。すでに売れているので、仕立て上がった姿でご覧頂いた。なお、この帯は菱一、帯〆は龍工房、帯揚げは加藤萬の品物。

 

基本的にバイク呉服屋は、パステル系の優しい地色が好きなので、どうしても扱う品物に春向きのモノが多くなってしまう。小さな専門店では、店主の好みが前に出てしまうことは仕方が無いが、私の場合は度が過ぎているようにも思える。それが個性と言えばそれまでだが、もう少し偏向を無くしたい気がする。

4,5月のコーディネートも、より春を感じて頂ける品物を選んで、皆様にお目にかけたい。なお、最近とみに稿が長くなるきらいがある。まとめる力が無くなっていることを、自分でも感じているが、皆様には、読み難さを何卒お許し願いたい。

 

バイクで走っている時、体の中で一番寒さを感じるのが、顔です。風を避けるためには、鼻の上辺りまでマフラーで覆わなければなりません。こうすると、外に出ているのは眼だけになりますね。

この姿を見た家内からは、「その格好のまま、絶対コンビ二に入らないように」と釘をさされました。どうみてもコンビ二強盗にしか見えない、ということでしょう。つまり、バイク呉服屋の防寒=暴漢となります。バイクに乗らないうちの奥さんは、ただの傍観者です。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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