バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

キモノのしきたりを考える(前編) 季節を区切るアイテムの曖昧さ 

2017.09 13

今、中学や高校で規則の無い学校など、ほとんど無いだろう。制服に始まり、鞄、靴、靴下に至るまでの服装、そして頭髪など身だしなみに関わることまで、それこそ学校で生活を送ること全てにおいて、細かく規定されている。

学校に所属する生徒は、規則を遵守することが求められ、外れると注意を受ける。規則の前提になっているのは、「中学生らしい服装」とか、「高校生らしい生活習慣」とかである。何をもって「~らしさ」と規定するのかは、全く曖昧であり、何を基準にしてこうした生活規範が設定されているのか、よくわからない。

 

バイク呉服屋が通った高校は、制服こそあったものの、後はほぼ自由だった。例えば、男子のズボンの色は黒と決まっていたが、素材に決りが無いため、黒いジーンズを着用する者がいた。また、靴も自由で、私は水虫予防のために、夏になると素足にサンダル履きで登校した。

頭髪も、さすがに派手な色に染めている者はいないが、長髪あり、坊主頭あり、パーマありで、実に個性的。特にバンカラさが売り物の応援団員などは、ほぼ全員がパンチパーマだった。

昼休みに外にメシを食べに行って、そのまま帰ってこない奴、前の授業まではいたのに、いつのまにか途中で消えている奴、休んだと思ったのに、放課後の部活になると姿を見せる奴など、授業の出欠確認も、怪しかった。それでも学校側が、生徒の生活態度に干渉することは、あまり無く、ほぼ全てが自主性に任されていた。

 

「自主自律」を校訓に掲げる学校は多いが、私の母校のように、学校生活そのものを、ほとんど生徒任せにするようなところは、今から40年前といえども、大変珍しかった。学校側は、「高校は義務教育ではないのだから、生徒が自分で考え、自分で行動し、自分で自分を律することは、当たり前」と考えていたし、生徒達も自覚していた。

こうして規則で縛らず、野放図にしたところで、問題行動を起こすような者はいなかった。一人一人が自分の規範に従って行動し、その責任は自分で負う。今考えれば、「すでに大人としての扱いを受けていた」と理解が出来る。

 

さて、規則で縛るということが、キモノに関してもよくある。規則というより、「しきたり」のようなものであろうか。例えば、季節ごとに着用するアイテムが変わること、またフォーマルとカジュアルでは使うモノが変わること、さらに着用する場のキモノに合わせて、帯のアイテムも変わることなどである。

このキモノの常識として、「やるべきこと」と「やってはいけないこと」を理解せず、間違った使い方をすると、咎められることがある。けれども、そんなTPOの中で、厳然として守らなければならない一部のことは別として、曖昧なことも多い。つまりルールが定まり難い部分が存在するということだ。そこで今日から二回に分けて、この曖昧な部分を、消費者はどのように考えたらよいのか、一軒の小さな呉服屋の立場から、お話することにしたい。まず今日は、季節ごとに区切られるアイテムについて考えてみる。

 

9月になって、薄物から単衣や袷用の品物に、店を模様替えした。けれどもまだ、薄物を求めて訪ねてこられる方も、多い。先週の日曜日などは、時間を置いて3人のお客様が見えられ、その都度、売り場から仕舞った品物を出さなければならなかった。

もちろんお客様は、来年着用するために、品物を求めに来られる。私も、商品を来年に持ち越すよりは、今売ってしまった方が良いので、当然価格をかなり下げる。そんな売り手の心理を見計らってやって来られる方は、賢い買い物が出来る方であろう。

 

左・薄水色 水玉飛柄 立絽小紋  右・空色 小唐花の丸飛柄 単衣向き小紋

9月、30℃を越える残暑厳しい日。皆様が着用されるとすれば、左の絽小紋だろうか、それとも右の単衣小紋だろうか。

 

お客様からよく質問されることは、それぞれの薄物の着用時期についてだ。例えば、麻の小千谷縮は、いつからいつまで着れるのかとか、絽や紗素材のモノは、7、8月の盛夏に限られるものなのかとか、絹紅梅と綿紬の浴衣では、季節の使い分けがあるのか、とかである。

これまでは、6・9月は単衣、7・8月は絽や紗、麻などの薄モノとすみ分けられるルール・しきたりが存在していた事実はある。けれどもこれは、近年少しずつ崩れてきたように思える。その理由は、夏が長くなっている気象の変化に伴い、着用される方の着心地が優先されるようになったからであろう。

単衣と言えども、暑ければ5月初めから着用する方もおられ、小千谷縮を6月中旬から着始める方もいる。また、9月になっても、残暑厳しい日には、盛夏用の絹紅梅や紋紗で、街歩きをする方もおられる。

要するに、何を使うかということは、着用する方が感じる「暑さ」に応じたものであり、明確なルールとして、着用するアイテムを決め付け難いことになる。つまり、「着用される方各々に応じた品物」ということだ。そしてそれは、その日の温度や湿度などの気象条件だけではなく、着用する場所によっても変わる。例えば、冷房が効いている室内に限って着用する方なら、9月ということを考えて単衣を使うだろうし、陽射しを受けて街歩きをする方は、9月と言っても、絽を着用したくなるだろう。

 

自分が身につけるモノを、気象的、環境的なことを考慮せずに、ルールとして決め付けられるというのは、ある意味で苦痛を伴う。だから、このすみ分けは、もっと自由であるべきと考える方が自然である。

もちろんこれまでのように、袷・単衣・薄物と、季節を区切って着用される方は、おられるだろう。また、伝統芸能や茶道に関わりのある方々にとっては、厳格に守らねばならぬ規範かとも思う。けれども一般的な消費者に対してならば、このしきたりは強制されるものではなく、また咎められるようなことがあってはならないと思う。着る方それぞれが、その時に応じて、着用するアイテムを考え、自由に着用する。それで良いのではないだろうか。

キモノ初心者では、季節に応じた品物を、どのように着用したら良いのか、思い悩むことも多い。今は、ネットでいくらでも情報を得ることが出来るが、どこかでこの「規則」に触れると、そういうものなのかと理解してしまう人もいる。また、この規則を教条的に守っている方から話を聞けば、「間違えると、恥をかくかも知れない」と考え込む人も、おられるだろう。

もちろん、呉服屋によっても、またキモノに関わる方それぞれによっても、考え方は異なるだろう。これはあくまで、バイク呉服屋個人の考え方だ。是とするか非とするかは、読まれた方が個々に判断されれば、と思う。

 

この狭義なしきたりが、個人の自由度を尊重して、変えられていくということは、実際にはすでに、かなり現実化している。特に夏のフォーマルの席で着用されるものは、この傾向が顕著であり、季節に応じた品物を使うことより、便宜的な品物を使うことの方が、優先されている。どのような状況になっているのか、お話してみよう。

左・虫籠模様 絽黒留袖  右・秋草模様 黒留袖

7~8月、盛夏の結婚式。皆様が、式へ出席しなければならなくなったと仮定してみよう。その時にもし、右のような袷の留袖しか持ち合わせていないとすれば、わざわざ、左のような夏用の絽の留袖を誂える、もしくは借りるだろうか。それとも手持ちの冬モノを代用として、着用してしまうだろうか。

 

以前、盛夏に結婚式を挙げるカップルは少なかったのだが、最近はかなり増えたように思える。式という儀礼が、家同士から、個人と個人を繋ぐことへ変容したこともあり、新郎・新婦の仕事の都合や、休暇を優先して、式の日取りを決めるからなのであろう。また、式場の方も、結婚式としてはオフシーズンにあたる夏は、価格を下げている。そんな事情もあるようだ。

さて、盛夏に式を挙げると決まった時、新郎・新婦の母親が着用する黒留袖は、何を使うのか。もちろん、今のことだから、式の形態によってはキモノそのものを着ないというケースもあり得る。ここでは、とりあえず留袖は着用するという仮定の下で、話を進める。

 

今の親世代は、留袖を持っていないという人の方が、多い。この場合、借りなければならないが、それは絽にするのか、それとも、袷で間に合わせてしまうのか、ということだ。留袖は、もっとも格の高い、第一礼装に使用するキモノである。これを踏まえると、やはり季節に適した絽の留袖を選択することが、常道かと思える。

けれども、式場の貸衣装部や身近なレンタル店には、絽の留袖を置いているところが少ない。借りる時になって、袷ならばあるが、絽は無いという事態に遭遇することの方が多いと思われる。そして、自分の留袖を持っているという方でも、絽の留袖を用意してある人は、稀だ。大概が、袷である。

 

さあ、このような時に、現実にはどのように対処されているのだろうか。結論を先に述べれば、ほとんどのケースで、袷が代用されていると言ってよいだろう。レンタルの場合では、袷を借り、すでに袷の留袖を持っている方は、それをそのまま使っている。

先ほど、袷、単衣、薄物の使い分けは、自由であって良いと述べたが、いくら何でも、盛夏に袷を使うことは、通常ではありえまい。7・8月に袷で街歩きをするなど、到底考えられないからだ。けれども、季節外れの袷を、薄物の時期に使っている現実が、ここにある。

 

きちんとしきたりを守らねばならない一部の業界人や、特別にこだわりを持つ人は別として、一般の人では、物理的に季節に応じた品物を着用することが、難しくなっている。無論、呉服屋としては、絽の留袖を使って欲しいという希望はあるが、それは現実的では無い。

留袖に限らず、友人として出席する方が着用する振袖も、絽はまず見られない。やはり袷だ。また、親戚周りの方が色留袖使ったとしても、それは袷であろう。薄物を使う季節は短く、作っても着用する機会が限られていると想像出来る。「いつ使うかわからないモノを購入することは、勿体無い」という意識が、否応無く働くのは当然であり、ましてフォーマルモノの価格は、ある程度高額になる。これでは、袷が着用されても、やむを得まい。

すでに一般では、第一礼装の場で袷を代用することが、失礼には当たらないと認識されている。これは、季節を区切るしきたりが、一部で形骸化している証であろう。呉服屋としては、薄物の需要を喚起したいのはヤマヤマだが、こんな厳しい現実があることも、理解していなければならない。

 

今日は、季節ごとに変化するアイテムをどう捉えるのか、呉服屋の視点で考えてきた。

袷と単衣、単衣と薄物の着用時期を、個人に任せて自由にすることと、盛夏のフォーマルでは、すでに便宜的に袷が着用されていることを考え合わせてみると、これまでのしきたりに従い、季節に応じた品物を着用することが、どれ程難しいかが、判って来る。

キモノや帯を着用する時、旬を意識することは、欠かせないこととは思うが、それはある意味「贅沢なこと」と認識すべきだろう。もちろん、呉服専門店として、季節ごとに存在する様々なアイテムを、お客様に提案していきたいのは当然である。

これからは、いかに手軽な品物で、多くの方にそれぞれの季節を感じ取ってもらえるようにするか、が課題になっていくように思う。それは、フォーマルモノではなく、むしろカジュアルモノの方が、提案しやすいのかも知れない。大変難しいことだが、努力するしかない。

次回は後編として、準フォーマルの席で着用できるものは何か、を考える。使える品物、ふさわしくない品物の境界は、どこにあるのか。その曖昧さを探ることにしよう。

 

 

勉強嫌いで、いい加減な性格のバイク呉服屋が、規則の無い自由な高校へ入学したというのは、まさに「虎を野に放ったようなもの」でした。

おかげで、麻雀、パチンコ、煙草、ピンク映画と、悪事のほとんどはこの高校時代に覚えてしまいました。当時、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」をもじって、「立てばパチンコ、座れば麻雀、歩く姿はアルバイト」などと言ったものです。

 

昭和の時代は、様々なことに今より寛容だったように思います。それは若者に限らず、社会全般においてもです。規則でがんじがらめにすればするほど、個性は育たち難いものです。私には、今の風潮が、多様化する社会とは逆行しているように思えて、仕方ありません。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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