バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

京都弾丸日帰り、一人仕入れツアー  午前編(松寿苑と捨松)

2017.04 09

今、京都では、なかなか宿が取れない。特に、桜の花が咲き誇るこの季節は、なお難しい。大幅に増えた海外からの旅行者に、古都の春を満喫しようとする日本人が加わり、市内は大混雑している。出張の時にいつも使う、四条烏丸近辺のビジネスホテルはどこも満室で、ネット予約もままならない。

統計によれば、昨年京都市を訪れた観光客は、5684万人。消費された額は約9700億で、外国人観光客の宿泊数は315万人あまり。いずれも、過去最高を記録した。

特に、外国人宿泊数は、前年の182万から7割も増加している。これだけ急速に増えていては、宿が足りなくなるのも無理は無い。民泊施設も整備されつつあるが、全く需要に追いつかず、そのため無許可営業の宿も、後を絶たない。

 

仕事で泊まる宿なので、だいたい5、6千円を目安にしているが、この価格辺りが一番需要があるらしく、探しても見つからない。出張の時にいつも世話になる、帯問屋・やまくまの女主人・山田さんも、「どこも、取れへんのですぅ~」などと困惑気味だ。

いっそ、バックパッカーだった若い頃のように、寝袋を持参し、三条大橋の下か、上賀茂神社の社務所の軒下に泊まることも考えたが、不審者として通報されても困る。バイク呉服屋は人相が悪いので、余計危ない者に見える。

そこで、仕方なく、「日帰り弾丸・京都仕入れツアー」を決行することにした。もちろん、いつものように一人である。丁度桜も7分咲とのことで、時間があれば「みやこの花見」もしてみたい。

 

ということで、今回と次回は、私が京都のどんな場所で、どのように品物を選んでいるのか。皆様に見て頂くことにしよう。果たしてバイク呉服屋は、桜を愛でることか出来ただろうか。

 

烏丸通りから、六角通りを少し東に入ると六角堂がある。華道発祥の地として知られ、代々、家元の池坊家が住職を務めている。この寺の前にある「六角会館」で、松寿苑が秋の新作展を開いている。

甲府から京都へ出張に行こうとすると、到着はどんなに早くとも昼過ぎになる。だから、日帰りで訪ねることの出来る仕入先は、頑張っても3軒ほどだ。特に帯は、製造している織元で選ぶことが多いため、一軒あたりに費やす時間が、ある程度必要になる。

移動にかかる午前中の時間のロスを避けるために、前の晩は、家内の実家で世話になる。家内の家からだと、東京駅まで40分ほどで着く。これなら、朝早い新幹線に乗ることが出来て、9時過ぎには京都に入れる。

 

東京駅7時13分発・新大阪行のぞみに乗り、京都駅着は9時33分。これで、午前中にひと仕事出来る。地下鉄乗り場に急ぎ、松寿苑の展示会場・六角会館に向かう。最寄り駅は、烏丸線・烏丸御池。朝の9時過ぎだというのに、新幹線のコンコースは、外国人旅行者や日本人の団体客ですでに大混雑している。この日は、天気にも恵まれて暖かく、絶好の花見日和だった。

六角会館の前には、松寿苑の新作展の看板。キモノにせよ帯にせよ、メーカーの秋モノ発表会は、3・4月がピーク。昨年の秋から製作していた新しい品物が、この時期には出揃う。今回選ぶ品物は、今年の秋以降の商材として使うことを考える。つまり半年先を見据えて、仕入れをするという訳だ。

 

展示会場は、一階の広間。約30畳の広いスペースに、ゆったりと品物が並んでいる。入り口には、個性的な杜若模様の訪問着と、北村武資の代表柄の一つ「天平立枠模様」の経錦帯。さらに、新しく模様を起こして製作した、樹木文の付下げが飾られている。

松寿苑は、品川恭子や北村武資、型絵染の釜我敏子、古典と現代を融合させた感覚で友禅を作る湯本エリ子や内田万里子、絞りの森健持など、主に日本工芸会に所属する、いわゆる「工芸作家」と呼ばれる人たちの作品を数多く扱っている。

モチーフは、古典の文様や草花を独創的に図案化したものが多く、その地色や挿し色は、あくまでも優しい。どの作品にも、はんなりとした印象が残る。作家に依頼して作るものだけに、数は少ないが、どれも松寿苑の発表会でしか出会えないような品物ばかりだ。

正面に三点並ぶ訪問着は、左から湯本エリ子・品川恭子・釜我敏子。品物を一生懸命見て、モノ選びに集中していたため、写真を撮ることを忘れていた。靴を履き、会場を出る直前にそのことに気付き、あわてて写したため、遠目からしか作品が見えていない。そのため、皆様に詳しい品物の姿をお目にかけられず、申し訳ない。

松寿苑が力を入れている品物の一つ・シケ引きの小紋。画像右側の薄いピンクの反物。シケ引き職人が刷毛を使って、丁寧に染め上げていく。微妙な擦れは、人の手による染だからこそ表れる自然な映り。そこがこの品物の大きな魅力である。

シケ引き小紋は、画像のような薄く上品な色ばかりで、単衣にも向く。さりげない表情だけに、通好みの品物とも言えよう。

この新作展が開催されるのは、2日間だけ。私が訪れたのは、後の日である。今回のメインとして出品されていた、品川恭子や釜我敏子、湯本エリ子の品物のほとんどには、すでに売約の札が付いている。

社長の松本さんによれば、これらの品物を求めるために、何軒かの小売屋は初日の朝早くから並ぶらしい。数に限りのある作家モノだけに、機会を逃すと手に入れ難くなる。まだ、全国の小売屋の中には、上質な品物を扱おうとする意欲のある店が、残っている証であろう。

 

さて、素晴らしい作家モノは、熱意のある有力な専門店にお任せして、今回バイク呉服屋が目当てにしてきた商品は、ちょっとお洒落で、品の良い小紋。明るく薄地色でモダンな図案で、帯を工夫することにより、着用の機会が広がるような、使い勝手の良い品物を探しにきた。

会場全体を写した画像で、反物を真ん中に広げ、イスが四脚並んでいるのが見えている。敷き紙の上に置かれている品物が、目指す小紋と染帯。ここで松本さん夫妻が、反物を次々と横に置き換えながら、模様を見せてくれる。仕入れをする私は、イスに座り、一つ一つの反物を見ながら、自分の目に止まるモノを探していく。

およそ40反ほどの中から、薄いピンク地で星のような菱文様の飛び柄と、ベージュ地にクローバー模様、そして鶸色で小さな花の丸模様の三点の小紋に目が止まった。そしてしばらく迷った末、最初の二点だけを仕入れることにした。

皆様は、一点くらいの仕入れの違いは、どうということもないと思われるかもしれないが、品物を買い取ることには、慎重さが必要だ。鶸系の小紋は、在庫に残っていたことを考えて、今回は見送った。店頭に並ぶ品物というのは、こうして悩んだ末に選び抜かれたモノなのである。

 

品物を選んだ後、後継者の長男・松本輝之くんと、少し話をする。創業者の父・昭さんの片腕として、作家との交渉や意匠の提案などを受持ち、すっかり頼もしくなった。

彼はまた、京都の和装業界で、意欲的なモノ作りをしている若手経営者の集まり・NPO法人・きものアルチザン京都の一員としても活躍している。この活動には、紫紘の野中兄弟や、京鹿の子の老舗・藤井絞の藤井浩一さんなども参加し、業種を越えて、次世代に手仕事の品物を繋ごうとしている。

少なくなったとはいえ、きちんと質に目を向けながら、モノ作りを考える若手の存在は、ひとすじの希望だ。そんな彼らの頑張りに期待しつつ、会場を後にした。

 

西陣・笹屋町通にある帯屋捨松の玄関先。

六角会館を出た所で、やまくまの山田裕記子さんに電話をする。以前にもお話したが、彼女は、帯買継問屋の三代目。大正中期、祖父の熊治郎氏が創業した老舗問屋のひとり娘だが、様々な事情があり、今はひとりで仕事を受け継いでいる。(詳しくは、2015.1.17・取引先散歩の稿をお読み頂きたい)

100年も続く帯専門の買継問屋だけに、これまで多くのメーカーと取引をしてきた。その数は150社にも及ぶが、現在は一人仕事なので、扱う数には限りがあり、ご無沙汰になっている織屋も多いらしい。だが、様々なメーカーと橋渡しが出来ることには変わりがない。

彼女の取引相手は問屋で、小売屋はほとんど無い。うちの仕入先である菱一や、今日最初に訪ねた松寿苑とも、関わりがある。本来ならば、やまくまが扱う帯は、一軒問屋を挟まないと手に入らないのが普通だが、有難いことに、直接取引をして頂いている。もちろん価格は、流通の過程を一つ飛ばしているだけに、安い。

そして、私にとって貴重なのは、織りの現場で直接品物を見て、選べること。そこでは、それぞれの帯メーカーが、どのようなテーマで図案を考え、どのような技術が駆使されて、一本の帯が織り出されているか、作り手の話を聞くことが出来る。「現場を踏んで仕入れが出来る」というのは、やはり何物にも替え難い。

 

今回山田さんに依頼した品物は、紬や小紋に使うお洒落な名古屋帯で、特に若い方に向くモノ。いつも仕入れに行く前には、目的を伝えておくと、それに見合った織屋へ案内してもらえる。

まず午前中に訪ねるのは、個性的な図案と配色でよく知られている「帯屋捨松」。ここも以前、ブログの中で取り上げているので詳しくは書かないが、今回も、「どんな捨松らしい帯に出会えるか」楽しみで仕方がない。7代目社長・木村博之さんが待っておられるとのことで、思わず恐縮してしまう。

社長にお会いするのは、二年ぶり。バイク呉服屋のような地方の小さな店では、取引相手としては全く物足りないと思えるのだが、一点一点実に丁寧に品物の説明をされる。これも、商いに対する社長の姿勢の表れだと思う。

 

すでに織り上がっている帯はもちろん、帯の図案見本裂・メザシも見せて頂く。上の画像で、社長の右に置いてある箱に赤い裂が見えるが、これがメザシ。これまで捨松で織った帯図案は、こうして見本として残されている。

秋以降に使うのであれば、メザシから選んだものでも、間に合うように織ることが出来るとのお話なので、見本裂を手繰って品物を選ぶことにする。社長の左側に濃ローズ色で丸い図案の帯が見えるが、これも見本裂で、今回私が製織を依頼したもの。この秋に納品されたら、その織姿を皆様にご紹介しよう。

捨松らしく、大胆に図案化された赤い蝶模様の手織紬八寸帯。

最近出来上がったばかりの品物も、数多く見せて頂いたが、特に印象に残っている帯が、上の画像の「赤い蝶」。

社長に聞いてみると、これは先代の弥治郎氏、つまり自分の父がデザインしたものだと言う。今、多くの人が持つ捨松のイメージは、他の織屋にはどこにも見られない、時には奇抜に思えるような大胆な図案と、思い切り鮮やかな配色にあるだろう。

この原点は、稀代の図案師といわれた徳田義三に、捨松の5代目・四郎氏(現社長の祖父)が師事したことに始まる。古典文様あるいは、動植物の特徴を切り取り、思い切りデザイン化したような図案は斬新で、誰にも真似出来ないセンスを感じる。捨松の帯には、徳田義三の美的感覚が、今もしっかりと息づいている。

メザシの中から4本、そして現物から、紬しゃれ八寸1本と夏帯2本を選び、捨松を後にする。短時間に沢山の見本裂や現物を見て、選択をしなければならない。自分が選んだ品物が正しいか否かは、正直のところわからない。最後に頼るところはもう、自分の直感だけである。(なお、捨松の稿が、2015.4.10と14にあるので、興味のある方はそちらもどうぞ)

 

2軒終わっただけなのに、かなり疲れた。すでに昼を過ぎ1時近い。山田さんの仕事場には、依頼しておいた「振袖用の梅垣織物・黒地袋帯」が用意されているので、それも見なければならない。

その前に、昼飯をということで、山田さん宅に近い北山の中華レストランで、遅いランチを摂る。この後の予定を考えれば、時間の余裕はもうほとんどない。やはり今年の春も、みやこの桜を愛でることは出来ないだろうと、この時点で諦めた。

次回は、今日の続きで午後の仕入の様子を、ご覧頂くことにしよう。皆様には、時間を追うごとに、バイク呉服屋が疲れていく様子が、見て取れるかと思う。

 

「京都 大原 三千院 恋に疲れた女が一人」で始まる「おんな一人」は、1965(昭和40)年に大ヒットした、京都の代表的なご当地ソング。若い方は知らないでしょうが、我々のような50代以上の方なら、誰もが聞き覚えのある歌です。

この作者は、永六輔。歌詞を読むと、1番の女性は、結城紬と手描きの塩瀬帯姿で、大原の三千院に佇んでいるようです。続きとして、2番の女性は、大島紬に綴帯で、栂尾(とがのお)の高山寺(こうざんじ)に、3番の女性は、塩沢絣に名古屋帯で、嵐山の大覚寺に姿を見せているようです。

京都は今も、「若い女性がひとりで失恋を癒す旅先」として、選ばれることもあるでしょうが、この歌詞のように、結城や大島や塩沢を着て、寺を散策するような女性は、まず探せないでしょうね。けれども、昭和40年ならば、十分想像が付きます。まだこの時代は、紬がポピュラーな外出着だったはずなので。

今回の私の姿を歌にすれば、「京都 西陣 帯問屋 仕入に疲れたバイク屋が一人」ということになるでしょうか。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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