バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

母と娘でシェアするキモノ  同じ黒留袖を、どんな帯で使い回すか  

2017.03 14

諸外国に比べ、日本の労働時間は長い。高度経済成長の時代から、半世紀近くこの問題が叫ばれているにも関わらず、一向に解決しない。

つい先頃も、電通の新入女子社員が、過度な残業を命じられた挙句、過労のため自殺してしまうという、痛ましい事件が起こったが、これは氷山の一角に過ぎない。自殺まで行かないまでも、うつ病などの精神疾患を患い、仕事を辞めざるを得なかった人は、一体どれほどいるのだろうか。

日々の糧を得るための仕事は大切だが、人生の全てではない。まして、会社は、命を捧げるほど、身を削らねばならぬ場所でも無い。利益を優先するあまり、人間性を失うような働かせ方をする組織は、それだけで失格と思うが、労働環境にまで心を配る経営者は、あまりに少ない。中小企業では、そんなことに目を向けるほど、経営に余裕がないのかも知れない。

 

労働時間を短縮する手段として、「ワークシェアリング」がある。これは、一つの仕事を何人かで「共有」することにより、働く時間を短くするもの。単純に考えれば、一人の仕事も、二人ですれば早く終わり、負担も減る。

だが、ワークシェアは、現場ではほとんど定着しない。この考え方は、時間で賃金を割り出せるような、単純労働にしか向かないからだ。想像力や企画力、判断力を求められる仕事には、賃金と時間との関わりが無い。その人でなければ出来ない難しい仕事においては、共有・分散など不可能である。

バブル経済崩壊以来、企業は正規雇用を減らし、パートや派遣などの非正規雇用を増やし続けてきた。その結果、正社員は過重労働に苦しみ、非正規社員は低賃金に苦しむという、日本社会で働く者にとっては、厳しい労働環境が生まれてしまった。これは、会社が生き残るために、人を人として扱って来なかった「ツケ」が、今になって廻っているとも言えよう。こんな企業の雇用制度を許した、政府(特に小泉内閣の構造改革)の責任は、重い。

 

バイク呉服屋のような、人を使わない零細自営業者は、働き方を自分で決めるしかない。自分が倒れれば、そこで店が終わる。そうかと言って、仕事があれば、無理をしない訳にはいかない。稼げるときに稼がねば、いつ仕事が無くなるのか、わかったものではない。そういう不安には、いつも苛まれている。

家内からは、「必ず、私より後で死んでください」と、言明されている。後に一人残され、店をたたむことは大変だからだ。やはり、一人仕事は、世間で求められるワークシェアやワークライフバランスとは、ほとんど無縁な生き方だと思える。

 

さて、時間や仕事をシェアすることは難しいが、品物をシェアすることは出来る。キモノや帯でも、上質な品物を、親子でシェア・共有出来れば、使う場面も広がり、利用価値も高まる。

今日は、母と娘でシェアしている黒留袖と、それぞれがこのキモノに合わせて使っている帯をご覧頂き、改めて「品物を共有すること」について、考えて頂こう。まずは、この黒留袖がどのような仕事が施され、製作されたものか、そこからお話する。

 

(道長取 御所解模様 手挿し京友禅・黒留袖 北秀  甲府市 N様所有)

黒留袖は、言うまでもなく第一礼装だが、母と娘が同じ婚礼の席で、同時に着用することは、少なくなった。以前の婚礼だと、出席する縁続きの者のほとんどが、一堂揃って黒留袖を着たものだが、今は母親だけのことが多い。

例えば、嫁いでいる娘が、実家の兄弟の式に参列する場合、母親は当然黒留袖だが、娘はどうしても黒留袖を着用せずとも良くなった。代用として、色留袖や、少し格の高い訪問着を使うこともよくあるが、それが相手に対して礼を失することにはなるまい。

また、嫁いだ娘の子どもが結婚する場合には、母親たる娘は黒留袖を着用するが、祖母にあたる娘の母親だと、色留袖や訪問着、時には色紋付無地などを使う。孫の結婚式では、祖母が黒留袖を着用する義務は生じない。

そして、嫁いだ娘は、もし夫の兄弟の婚礼に出席する場合、母の持っている黒留袖を借りても良い。結婚する際、嫁入り道具の一つとして、黒留袖を持っていくことなど稀であり、こんな時には、実家の母に留袖があれば、それを使わない手はない。

 

現代では、結婚式のあり方そのものが、様変わりした。昔のように、両家の親族がうち揃って黒留袖を着用するような、重々しい式は、ほんの一部に限られる。だから、家に黒留袖が一枚あれば、嫁いだ娘であれ、嫁であれ、共用して使うことが出来る。

その品物が上質なものであれば、なお使わないのは勿体無い。だが、気になるのは、共用する人達の年齢差である。母と娘ならば、大体30年前後の差があるだろう。これは、母が自分の留袖を、どの年齢で作ったかということにも関わる。もし、自分が嫁ぐ時に用意したものならば、割と派手であり、子どもの結婚を機に作ったものであれば、やはり落ち着きのある模様になっている。

だが、黒留袖という品物は裾に模様があるだけで、上半身は黒無地。少々地味でも、帯でカバーすることが出来よう。もちろん派手モノなら、そのまま違和感なく使うことが出来る。

では、最初に画像でご紹介した黒留袖が、どのように帯を変えて、母と娘でシェアされているのかを、ご覧頂こう。

 

裾いっぱいに広がる唐花の間に川を流し、所々に松や桜・楓の木を置いている。模様の中心となる、上前おくみと身頃には、柴折戸と楼閣、さらに橋を掛けている。この黒留袖のように、一つの風景の中で、草木や流水と一緒に特徴的な道具を配置している文様のことを、御所解(ごしょどき)と言う。

御所解文様には、明確な定義がなく、ある意味では型通りで、個性に乏しい類型的な模様であるが、花の大きさや配する位置、使う道具(御殿や楼閣・御所車・扇・柴折戸・柴垣・扇面)などで変化を付け、表現されている。

この文様は、江戸中期頃の上流武家女性が着用していた小袖の中に見られる意匠で、友禅染の技法(糸目の白上げ・色挿し)に、刺繍や摺り疋田などのあしらいが併用されている。現在、慣習的に絵羽モノ(黒留袖・色留袖・訪問着等)で使われている京友禅や江戸友禅の模様姿は、この時代の小袖が原型である。

「御所」と名付けられた文様だが、宮中の公家女性の衣装モチーフではない。こんな意匠が、江戸時代の武家女性に流行した理由の一つは、雅な宮廷生活(特に平安期の)への憧れがあったからではないかと思う。

 

この品物にも、江戸期の御所解文様のように、多彩な友禅の技法を見ることが出来る。少しご紹介してみよう。

模様の中心・上前おくみに置かれた楼閣。一見して、お寺の堂のようにも思える唐風の建物だが、朱色の欄干や屋根の模様は、全て刺繍が施してある。画像では、光って映るので、判ると思う。

堂に上る階段の手すりを拡大してみた。朱に近い橙色糸で縫いつめられている。これは、平面を立体的に見せる「縫い切り」という技法。花弁を強調して表現する時に、よく使われている。

 

こちらは、柴折戸。竹の穂や小枝を編んで作った、簡単な戸のことだが、御所解文様の中では、よく見られるポピュラーな道具の一つ。戸や回りを囲む垣根には、友禅の白上げ技法が見える。

友禅の白上げとは、白く引いた糸目をそのまま使い、模様として表現すること。上の画像に見える、垣根の中の不揃いの白い筋が白上げ。人の手で、一本一本糸目を引いているからこそ、このように、筋に微妙なブレが出る。すこしぼやけてしまったが、柴垣を束ねる金の支えは、駒繍。

手が尽くされた友禅の仕事は、品物を見れば見るほどに、その繊細さが判り、決して飽きが来ない。遠目から見たときの美しさは、一つ一つの丁寧なあしらいを積み重ねることで、作られている。この黒留袖は、何人もの職人の手仕事の跡が伺える、良い品物と言えよう。

 

さてこのお客様が、この品物を誂えたのは、かなり前のこと。私が見立てたものではなく、先代、すなわち私の父の時代・昭和の頃である。ただ、嫁入り支度として実家から持参したものではなく、仲人を引き受けた際に、誂えたもの。少なく見積もっても、求めた時から、30年は経っているように思う。

だから、この方は、今の娘さんとほぼ同じ年齢の時に、この品物を選んだことになる。それから、現在まで、30年にわたり使い続けている。年齢的なことを考えれば、模様そのものは、少し派手になったように思う。だが、最初にお話したように、裾だけの模様で、後は真っ黒という黒留袖の特徴、さらに、華やかな婚礼の席に限定して使うもの、そのことを勘案すれば、このくらいの派手さは許容範囲であり、だから買い替えをされなかったのだ。

もとより、これだけ上質なものを持っていれば、新たな品物を用意することは、躊躇する。もし私が、この方から買い替えの相談を受けても、新しい品を奨めることはない。

 

母の帯合わせ。キモノはそのままでも、年齢に従って帯を変えると、着姿が落ち着く。

(金銀引箔 白鷺に秋草模様 袋帯・紫紘)

秋草と水辺に佇む白鷺。暮れなずむ秋の夕景。その落ち着いた趣きのある景色を、帯模様に映し取っている。このように、小さな図案を細かく織り込んだ帯なら、キモノの華やかさを沈めることが出来る。帯だけをみれば、使う方の年齢に合った柄行きで、むしろ少し大人しすぎるかも知れない。

 

娘の帯合わせ。娘は、母がこのキモノを誂えた時とほぼ同じ年齢なので、それにふさわしい若々しい帯を使う。

(白地 東欧彩花文錦 袋帯・龍村美術織物)

母の帯とは対照的な、モダンで華やかな図案。堅い御所解文様に、こんなヨーロッパ的な模様で、しかも柔らかい配色の帯を使うと、着姿のイメージが一気に変わる。東ヨーロッパというから、ポーランドやチェコスロバキアあたりの、古い宮殿装飾などをモチーフにしているのだろう。

 

帯を二点並べて見ると、母と娘の帯姿の違いは、明らか。同じ留袖を使っても、年齢に応じた帯を使うことで、年合いに準じた着姿を作ることが出来る。こうなると、一枚のキモノを使う時間は、相当長くなり、場合によっては「一生モノ」とも言えるのではないか。

黒留袖のような、限られたフォーマルモノの場合には、着用の機会も多くなく、手入れさえ怠り無くしておけば、品物が劣化するようなことはない。そして、上質な品物があれば、買い換える必要も全く無い。

年齢相当の帯を使うことで、年齢に関わりなく、同じキモノが使える。これは、黒留袖ばかりでなく、色留袖や訪問着、無地紋付など、他のフォーマルでも同様だ。そして、紬や小紋などのカジュアルモノでも、シェア出来る品物は多いと思われる。

 

もし、キモノの着用を考え、しかも自分に手持ちの品物が無い場合には、貸衣装を考える前に、母や祖母の箪笥を覗くことをお奨めする。一つ前の世代は、カジュアルモノは無くとも、フォーマルモノを持っていることは多い。

そして、品物が見つかったら、呉服屋で寸法の確認をしてもらうと良いだろう。黒留袖や色留袖などの絵羽モノは、中揚げが施してあるはずで、2寸(7cm程度)くらいは、長くなる。また、袖や裄にも縫込みがあるので、ある程度は大きくなる。おそらく、寸法を直す工賃は、貸衣装代よりも安く済むはずだ。

振袖の場合には、母親が着用した「ママ振袖」を使うケースが多いが、「ママ黒留袖」や「ママ色留袖」だって、当然使うことが出来る。キモノや帯こそ、「ママモノ」を考えない手は無いだろう。

世代を越えて、同じ品物を共有し、受け継がれていく。一枚のキモノ、一本の帯は、長い時を隔てながら、使うことになる。そのためには、我々呉服屋が、出来る限り良い状態で品物が維持されるように、心を配ることだと思う。

 

汚れていれば、落とせば良いし、寸法が合わなければ、直せば良い。「キモノや帯ほど、長く使うことを前提に出来る品物はない」と、私は考えます。

特にフォーマルモノは、人生の節目で着用するもの。だからこそ、その家で大切に扱い続けてきたものが、ふさわしいのです。「長い目で品物を見る」という習慣が、皆様の中に根付くように、切に願っております。

きょうも、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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