バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

現代振袖考(前編)「第一礼装」なのか、それとも「舞台衣装」なのか

2017.01 15

袈裟は、お坊さんが仏前に向かう正式な服であり、当然居ずまいを正す衣装である。形状は、宗派ごとに少しずつ違うが、いずれも小布を縫い合わせて作られており、左側の肩だけにベルトのようなものが付いている。右側の肩が開いているのは、仏への崇拝の念を表すという意味があるようだ。

四国八十八箇所の霊場参り・通称お遍路さんたちも、袈裟を付ける。但し、僧侶のように本格的なものではなく、肩のベルト部分だけを取り出したような、平らなリボン状のものを首に掛ける。この簡略化した袈裟のことを、畳袈裟とか、折袈裟と呼ぶ。

信者のお参りには、袈裟と念珠は欠かせないもので、どちらも丁重に扱わなければならない。寺院によれば、この二つを持たなければ、正式な参拝とは認められないそうだ。

 

袈裟の象徴とも言うべき、この肩のベルトのことを、「威儀(いぎ)」と言う。そう、「威儀を正す」という言葉の語源となっているものである。威儀が、折れたり曲がったりしては、戒律を守る僧侶として格好が付かない。きちんと身なりを整えるということが転じて、姿勢を正すとか、きちんとした振る舞いをするという意味で使われるようになった。

礼装とは、居ずまいを正して臨まなければならない儀式で、着用する衣装のこと。まさに、威儀を正す服装ということになり、誰の目から見ても、「整っている」という印象を持たれるようにしなければならない。

 

さて、先週はほとんどの自治体で、例年通りの成人式祝典が催された。相も変わらず、奇抜な衣装で参加する者や、会場で無法を働く者がいる一方、東北や熊本の被災地で、決意を新たにする新成人のけなげな姿も報道され、式に臨む若者達の姿勢の違いが、鮮明に映し出されていた。

そこで、今日から二回に分けて、現在振袖というアイテムが、世の中でどのような捉えられ方をしているのか、考えてみたい。もちろん、バイク呉服屋には、呉服専門店としての立ち位置があり、振袖の使い方に関しては、それなりの意見がある。(今までこのブログでも度々、振袖に関わる私見は述べてきた)

今日は、そんな自分の考えは横に置き、出来る限りフラットな目線でお話してみよう。

 

(威儀を正す「第一礼装」のための振袖 加賀友禅・成竹登茂男 昭和50年代作品)

現在、我々が「キモノ」と呼んでいる衣装は、近世・江戸期において「小袖」と呼ばれていたもの。小袖と付いた名前は、袖が短いからではなく、袖口が、かろうじて腕を通すほどの小ささで作られていたからである。

従来小袖は、天皇や公家など、身分の高い者が使う装束衣装・「大袖」の下に着用される、下着のような存在であった。大袖は、袖下を縫わずに、袖口が大きく広がった形になっており、これを何枚も重ね着していた。だから、袖が広がった大袖に対し、小袖と呼ばれたのである。

 

上流階級の衣装だった大袖も、公家勢力が衰えた室町期以降になると、簡略化されて、下に着用されていた小袖を、表着として使うようになる。そして、それはまず、力をつけた商人など一般町人の富裕層の中へ広がっていく。

初期の小袖は、袖丈・袖巾とも狭く、その上、袖付けは袖いっぱいに縫い閉じられていて空きが無く、「振り」のない形であった。また、身丈はかなり短く作られており、女性は、お端折が無い「対丈」として着用していた。身丈が長くなったのは、江戸中期からで、その頃は、裾を引きずるような長い丈になっていた。長い裾は、家の中に居る時はまだ良いが、外に出る時は邪魔になる。そこで、裾を引き上げて長さを調節した。これが、今の「お端折り」の始まりである。

 

小袖の袖は、江戸元禄期以降、徐々に長くなっていく。そして、袖丈が長くなると袖付が短くなり、振りが生まれた。1650年頃の万治年間には、1尺5寸程度だった袖丈は、貞享年間(1685年頃)には2尺に、享保年間(1720年頃)では2尺5寸となり、宝暦年間(1760年頃)以降は、2尺8寸~9寸と、現在の振袖とほぼ同じ長さにまで及んでいる。

この袖の長い、振りが出来たものが「振袖」となり、未婚者の衣装になった。そして、短い袖で振りの無いものが、「脇をふさいだ袖=脇を留めた袖=留袖」となり、既婚者が使うものとなった。すなわち、振りの有無によって、未婚者が使うモノと、既婚者が使うモノに区分されたことになる。

初期の留袖は、名前の通りに、脇が縫い閉じられていたが、江戸後期になると、脇が開けられて、振りが付くようになった。そして、振袖との区分は、袖の長さだけで、判別されるようになったのである。

 

現在と同じように3尺近い袖を持つ大振袖は、大名や旗本のような権力者の娘や、富裕な商人の娘達が使っていたが、礼装としてだけではなく、日常生活の中でも着用されていた。もう少し下の中流階級では、袖丈の短い「中振袖(袖丈・1尺5寸~2尺)」が略式振袖として着用されており、主に礼装用として使われていた。

上流階級で着用されていた振袖は、明治以降定着し、庶民にも広がっていった。江戸中期には元服以後の男子も、振袖を着用しており、男女とも未婚・既婚に関わらず、着用出来る年齢に限りがあった。当時振りの長い袖を着用できるのは、女子は17歳、男子は19歳くらいだったが、結婚年齢が上がった近代・明治になって、現在のように未婚女子の第一礼装に着用するものと、認識されていった。

 

長々と「振袖」というキモノが生まれ、発展してきた経緯を書き連ねたのは、現在、第一礼装として着用されている「歴史的な裏付け」を知って頂きたかったからである。

戦後の昭和30年代までは、紋が入った振袖もよく見られた。これは、戦前の厳格な家制度の名残であり、紋は、「その家の娘」であることの象徴であった。つまり、振袖は、黒・色留袖と同じような「格」を持ったキモノとして、認識されていたことになる。

今では、さすがに紋付の振袖などはお目に掛からないし、依頼も受けない。だが、伝統に則った第一礼装として意識があれば、その模様や着用の仕方は、やはり「威儀を正す」ようなものになって、然るべきである。これを弁えるか否かが、「どんな振袖を選ぶか」や「どんな着姿にするか」を決めている。

そして、弁えていればこそ、誰もが納得できるような、未婚女性にふさわしい、若々しく整然とした着姿、それこそ「威儀を正した姿」を、表現出来るのだ。

 

(威儀を正す「第一礼装」のための振袖 総絞り・藤娘きぬたや 昭和60年頃作品)

振袖の捉え方が変化してきたことは、時代と共に変わってきた成人式という儀式の変容と、大きな関わりがある。

以前にもブログの中でお話したが、主に自治体が主催している現在のような形式の成人式典は、戦後の産物である。1948(昭和23)年に、祝日・成人の日が制定されたことを期に、全国の各市町村単位で実施されるようになった。

初期の頃の成人式の目的は、それぞれの地域に生まれた若者の門出を祝うことももちろんだが、その地域社会の一員となって活躍してくれることを期待し、またその自覚を持って行動することを促すことであった。市町村が主催者となっているのは、この意味があるからだ。

 

今年、東北や熊本などの被災地の成人式では、「大人として、地元の復興への役割を果たす決意」が成人の誓いとして数多く語られていたが、これは、図らずも初期の成人式の目的に合致している。理不尽な災害に見舞われた地域の若者が、故郷の復興を願い、それに協力する姿勢を表すことは、当然の感情である。そして、苦難に見舞われたからこそ、若者達は他の地域の者よりも、よほど真摯に人生に向きあっている。だから被災地の成人式は、整然と執り行われる。

だが、特別な事情を抱えた地域以外では、「大人への自覚を促す」という式典の本来の目的など、遠の昔に消えており、単なる同窓生と再会する場所になり変わっている。これは、形骸化などといったなまやさしいものではなく、この先続けていく意義が全く見出せない「不思議な催し」になっていると言えよう。

 

成人式に振袖姿で出席するようになったのは、昭和30年代からだ。当時は高価な衣装を誂えられるのは一部の富裕層に限られており、振袖での参列者は少なかった。だが、高度経済成長とともに、豊かになった各々の家庭では、振袖を作る余裕も生まれ、年を追って振袖での参加者が増えていく。

そして、昭和50年代には、年々エスカレートする華美な衣装に危惧を持った自治体の中には、和装での参加を禁止するところも現れた。つまり、振袖を着用しなければ、式典に参加し難い風潮に、一つの警鐘を鳴らしたことになる。

だが、バブル経済全盛の昭和末期から平成初頭にかけては、そんな意識もどこかに吹き飛び、振袖着用者は益々増加していく。これに呼応するかのように、呉服屋は商いの中心に振袖を据え始め、後に特異な商法となる「振袖ビジネス」が生まれる契機となったのである。

バブル崩壊後、経済の停滞で振袖販売には陰りが見えるかと思われたが、呉服屋は、安価なインクジェット振袖を使ったセット販売と、着付けや写真までをサービスするような、手管を駆使した商法で対抗する。さらには、レンタル業者の増加や、呉服屋そのものがレンタルを併用する商いを始めたことで、消費者の利便性は、飛躍的に上がることになる。そして、「成人式には振袖で参加する」という意識が、現在のように定着したのである。

 

形骸化した式と、そこで着用される形式的な振袖。この二つがもたらしたものは、どのようなことであろうか。

現在、振袖を「威儀を正すモノ」という意識を持って着用し、式典に参加する成人は、ほんの一握りになってしまっている。それもそのはずで、式典そのものは、すでに儀礼の場ではなく、同窓会的な集まりであるから、畏まる必要が無いからだ。

さらに、消費者側の親や本人にも、和装の知識が無いことを考え、それに呼応するような販売・レンタル方法を呉服屋が取っていて、形式的に着用出来るシステムが完成してしまっている。つまりは、何も知らなくても、振袖は着用することが出来る訳で、裏返せば、これは「和装を知る」という機会の喪失にあたる。

 

場当たり的とも言うべき、形式的な振袖は、当然、それを扱って商う業者側にも、着用する消費者側にも、礼装という意識は希薄である。

呉服屋やレンタル業者が製作するカタログは、和装に疎い消費者にとっては、便利なモノであるが、掲載されている品物や小物の使い方、さらに髪型などを見ると、「威儀を正す姿」とは少し違う。それは、さながら特定の場所で使う、「舞台衣装」のように見える。だが、形式的な式典に着用するだけと割り切っていれば、これで十分なのかも知れない。どんな形であれ、「振袖姿」には変わりはなく、品物を選ぶことも簡単だ。

だが、舞台衣装はエスカレートすると、花魁(おいらん)姿や、訳のわからない和装コスプレになり、九州の某市のように、徒党を組んで派手な衣装を着て跋扈する輩の出現となる。そんな者達にとって、式典は自己表現(目立つだけだが)をする格好の舞台である。

勢い余って、本当に式の舞台に飛び出し、場を混乱させるならず者もいるが、彼等にすれば、それは「晴れ舞台」なのであろう。本来の「晴れ」の式は、それをとんでもなく履き違えた者により、なお「訳の判らない式典」へと変貌していく。

 

消費者が、振袖を「第一礼装」として意識するか、または「舞台衣装」のように考えるかは自由であり、呉服屋側がとやかくと口を挟むことではない。個々の店は、自分の方針に従って「振袖」というアイテムを扱うだけであり、消費者は、自分の意を酌んでくれる店を選んで、モノを買ったり借りたりすれば良いだけだ。

時代の変化に伴い、式典が変化するとともに、品物の持つ意味も変容する。この先、どのような形で振袖というものが着用され続けるのか、だれにも判らない。

 

次回の後編では、今日の稿の後半でも少しお話した「振袖ビジネス」について、考えてみる。この特異な商いは、消費者の意識を変えたばかりか、呉服屋そのもの、いや業界そのものをも変容させている。そしてそれは、和装文化を未来に繋げるということに、大きな影を落とすものでもある。

この商法は、どこに、どのような影響を生みだしているのか。その辺りのことを中心に、稿を進めてみたい。

 

私のように、「威儀を正すこと」に重きを置いている者が、振袖について論じると、どうしても自分の考え方が滲み出てしまい、フラットなモノの見方が出来ません。

今回、この稿を書くための資料を探しているうちに、ある論文に出会いました。それは、今から15年ほど前、当時宮城女子学院大学の4年生だった、石川七恵さんが書いた「着物と成人式の歴史」という題材のものです。

この論文は、成人式の歴史を辿りながら、式典とキモノとの関わりと問題点などを探り、式のあるべき姿と、キモノに対してどのような意識を持つべきかが、若い女性からの視点で考えられています。

成人式に関わる新聞報道や統計資料を過去に遡って調べ、呉服専門店での実地調査は始め、京都の問屋筋にまで足を運んで聞き取りを行った労作であり、実によく書けています。そして、若い消費者の立場から、式典や衣装としての振袖や伝承すべきキモノ文化を、「どのように捉えるべきか」考えられている、貴重な資料でもあります。

これは、今日のバイク呉服屋の稿よりも、よほど論理的で優れたものです。論文が掲載されているアドレスを記しておきますので、ぜひご一読下さい。

http://www.mgu.ac.jp/~jfmorris/Sotsuron/2001/IshikawaNanae/Ishikawa.htm

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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