バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

裄は、長いか?短いか?  寸法意識の変化と、対応の難しさ

2016.10 21

最近、若い人の間で、手の甲や、手そのものが全て隠れてしまうような服が、流行っているらしい。袖先が長すぎると、食事の時など汚しやすくなり、何かをするたびに袖を捲らなければならず、使い勝手が悪いと思うのだが、着用している本人達は、そんな不自由さが気になっていない。

この、手を覆うような袖のことを、「萌え袖」と言うのだそうだ。バイク呉服屋などには、そもそもここに使われる、「萌え」の意味がわからない。普通「萌える」とは、「若葉が萌える」とか「木の芽が萌え始める」というように、草木が芽吹き始める時に、使う動詞である。

 

だが、最近の「萌え」とは、アニメや漫画、さらにゲームのキャラクターなどに、好意的な感情を表す時に使われている。そしてその対象は、架空の人物だけでなく、リアルな場面でも使われる。

手が隠れるような服を着ている女の子の姿が、若い男子(女子にも)にはかわいいと感じられるのだろう。だからこその「萌え袖」である。

「萌え」と表現されるのは、服装だけではなく、仕草もある。これを「萌えシチェーション」と言うそうだ。どんなことが、「萌え」に当たるのか少し気になったので、ネットで少し調べてみた。

男子が萌える女子の仕草とは、「服の裾を軽く掴まれること」とか、「朝起きた時に、自分のために朝食を作ってくれている姿」とか、「コップを両手で持つ仕草」などだと言う。また反対に、女子が萌える男子の行動は、「そっと耳元で囁かれること」とか、「頭を軽く撫でられること」らしい。

 

いずれにせよ、この「萌え」という表現は、若者限定であろう。

その証拠に、私など、毎朝家内から、「洗濯するからそのシャツ脱いで」と、裾を軽く掴むどころか、かなり乱暴に引っ張られているが、まったく奥さんに萌えはしない。また、問屋の支払日の前などは、「どのくらい銀行に残高があるのか」などと、家内の耳元でひそひそと囁いているが、萌えるどころか、迷惑そうだ。

 

話が、大分それたが、洋服の萌え袖はかわいくても、キモノの萌え袖は、不恰好である。必要以上に手が隠れてしまったら、美しい着姿とは言えない。また、反対に、あまりに手が見えすぎても、格好が付かない。

キモノでは、この部分が「裄」にあたる。つまり、裄は長すぎても、短すぎても、駄目ということだ。そして、「どのくらい、手を見せるか」ということは、着る人それぞれに、感覚が違うように思える。

 

30年ほど、この仕事を続けてきて、寸法の中で、裄の長さほど様変わりし箇所はない。もちろん、女性の身長はかなり大きくなったが、裄の長さは、それ以上に長くなったように感じる。しかも、裄の長さに対する感覚が、人により違うので、採寸の時に悩んでしまうことがある。

そこで今日は、裄の寸法をどのように、考えれば良いのか、また、適切な長さとして、どのくらいの寸法が理想なのか、考えてみたい。そして、キモノが持つ構造が原因となって、裄を広く出来ない事情もある。また、それぞれの反物巾の長短で、巾には限界がある。

普段ではあまり話すことのない地味なテーマで、確固とした答えが出ないかも知れないが、お話してみよう。

 

ひと昔前の、標準的な女性の寸法(並寸法と呼ぶ)は、身丈が4尺(151.5cm)で、裄が1尺6寸5分(62.5cm)であった。これは、女性の平均身長が、150cmほどだった頃の話なので、今の寸法には、全く当てはまらない。

体格の大きくなれば、寸法も当然変わる。現代女性の平均身長は、158cm程度なので、それに照らし合わせれば、身丈は4尺2寸~4尺2寸5分(160cm前後)程度が、標準的寸法(並寸法)になるだろうか。

 

丈の長さは、身長にリンクしているので、それに合わせて大きくすれば、ほとんど問題はないが、難しいのが裄寸法である。裄は、衿ぐりから手首までの長さで、キモノの部位で言えば、肩巾と袖巾を足した寸法になる。

もちろん身長が大きくなれば、手も長くなる。だから、現代人の体型からすれば、昔の並寸法・1尺6寸5分などは、到底短い。また、いかり肩か、なで肩か、などの肩のラインの違いによっても、寸法に差が出る。身長だけでは割り出すことが出来ないので、裄だけは必ず測らなければならない。

だが昨今、呉服屋が測った寸法を短いと感じられるお客様が、増えた。これは、何が原因なのか。計測の方法そのものにも、問題があるのか。そのあたりを探ってみよう。

 

寸法のことは、言葉で説明するだけでは、漠然として判り難いので、家内のキモノを画像で見て頂きながら、話を進めてみたい。

家内は、身長が166cmと標準よりかなり高い。身丈は4尺4寸~4寸5分。身巾は前巾が7寸で、後巾は8寸。若い頃は、かなりやせていたが、年齢と共にすこしふくよかになり、身巾寸法も広くとるようになった。このあたりのことを書くと叱られるので、あまり触れたくないが、やせてはいても、ヒップが大きかったので、もともと身巾は広めであった。

問題の裄寸法は、1尺7寸5分。画像は、手を横に広げた状態である。あと5分(約2cm)程度は長くても良いようだが、くるぶしは隠れており、特別に短すぎるとも思えない。

今度は、手を下した画像。おそらく、見ている方の大多数は、短いと感じるだろう。くるぶしが完全に見えてしまっているので、この裄寸法は合っていないように思われてしまう。こんな手の見え方をしたキモノであれば、多くの方が、裄直しを求めるだろう。

 

手を横に伸ばした時と、下した時。裄寸法の差は、およそ1寸5分(6cm)程度である。では、呉服屋が測る寸法は、どちらを基準に決めているのか。

呉服屋が測る裄寸法は、上の画像のように、手を横に伸ばした状態。つまり、この長さが1尺7寸5分(家内の場合)なのである。だから、手を下げた状態で、くるぶしが隠れるようにするとすれば、1尺7寸5分に1寸5分を足した寸法、すなわち1尺9寸にしなければならない。

もし、手を下した状態、すなわち1尺9寸を裄丈にするとなると、手を横に伸ばせば、手首どころか、手の甲が半分以上隠れてしまう。冒頭に書いたような、「萌え袖」の状態となるだろう。

 

呉服屋の常識からすると、女性の裄丈が1尺9寸というのは、あまりお目にかからない寸法である。バイク呉服屋の経験からしても、これほど長い裄の女モノキモノを誂えたことは、ほとんどない。

「無い」というよりも、「出来ない」と言う方が適切かと思うが、その理由には、裄の丈というものには、寸法的な限界と、キモノが持つ構造的な要因があるからだ。

 

まず、寸法限界とは、以前このブログにも書いたように、反物の巾と関係がある。キモノはご存知のように、生地を直線に裁って縫い合わせ、形作られている。裄部分は、肩と袖の二枚のパーツを繋いだものである。

反物の巾が、9寸5分とすれば、単純に生地二枚を繋げば、9寸5分×2=1尺9寸。ただ、生地と生地を繋ぐために縫込みが必要なので、最低でも4分程度の長さが必要。つまり、1尺9寸の裄を作るなら、反物巾は9寸7分以上なければならない。

最近では、長い裄にも対応出来るように、女モノの反物巾も広くなった。中には、1尺5分近いキングサイズもあるが、おおよそは、9寸5分~1尺の範囲。単純にこの反巾から、裄の限界寸法を割り出せば、1尺9寸5分ほどまでは可能になる。

 

物理的には、反物巾の限界まで、裄は長く出せる。けれども、今度は、キモノが持つ構造そのものが、極端に長い裄を作ることを難しくさせている。

裄の一部を構成する肩巾。この部分は、裾に下がると後巾になる。直線に裁たれた一枚の生地を使うため、上部と下部の寸法の違いが、仕立てに大きく影響する。

女性の後巾寸法というものは、ほぼ7寸5分~8寸の間に収まる。家内の寸法を例に取れば、後巾は8寸、それに繋がる肩巾は8寸5分。これだと、一枚の生地の上部と下部の差は、5分(約2cm)となる。後巾と肩巾が同寸ではないので、一直線という訳には行かないが、この程度の差ならば、キモノは格好良く仕上がる。

8寸に取られた後巾は、裾から身八つ口近辺まで伸び、そこから、ほんの少し角度を付けて生地を広げながら、肩ヤマへと至る。つまり、身八つ口から肩ヤマの間で、5分の差を徐々に付けていくのだ。

 

このように、上下の差が僅かなら、仕立職人の仕事も難しくない。問題は、肩巾を広く取らなければならない時、つまり極端に裄が長い時である。例えば、1尺9寸の裄ならば、肩巾はおそらく9寸5分程度。身巾は、どんなに広くても8寸なので、その差は1寸5分(6cm)以上に開いてしまう。

最近の若い方は、スタイルが良くなり、高身長の割には、ウエストが細くスマートである。ということは、身巾は必然的に狭くなるので、裄が長くなればなるほど、後巾との差は大きくなる。

先に、このキモノ上部と下部との寸法差は、身八つ口付近を境に調節すると書いたが、差が広がれば、広がるほど、身八つ口から肩ヤマまでの間が、極端な角度で広がることになる。呉服屋では(私だけかも知れないが)、この状態を「扇になる」と言う。仕立職人も、出来る限り上手く仕上げようと努力するが、やはり上で大きく広がる形状は、格好が良くない。

 

裄の寸法が、手を横に伸ばした状態で測られ、極端に長くならないということは、反巾や仕立の構造から考えても、理に適うものだが、それでも、広い裄を望む方は、大変多い。

ではなぜ、呉服屋側が考える裄の長さと、お客様の考える長さに差が出来るのか。それは、洋服における裄の感覚が、大きく影響していると思われる。洋服ではおそらく、手を下した時にくるぶしが見えるようなことはなく、手首はほぼ隠れているだろう。だからこそ、キモノ裄の短さに違和感があり、長い裄を望むのだ。

 

手を前に組んだ時には、さすがに少し短いと感じる。けれども、家内が着用しているこの小紋は、倉庫で眠っていた古い棚晒し品(売り物に出来ない品)だったので、反巾が9寸2分と狭く、仕立が可能な裄寸法は、1尺7寸5分が限界だった。

30年も前の品物ならば、反巾が狭くてもやむを得まい。その頃ならば、1尺7寸5分以上の裄を求められることは、あまり無かったからだ。

 

そもそもキモノの裄寸法は、日常生活の中で着用することを前提にして、洋服より短く考えられている。それは、料理をしたり、食事を摂ったり、掃除をしたりなど、キモノの袖が家事の妨げにならないための工夫と言えよう。長い裄では、手が使い難くなり、袂も邪魔になりやすい。動くことを考えた時代の、裄の短さなのだ。

今の時代、キモノで日常生活を送る人はほとんどなく、その上、洋服における裄の感覚もある。だから、呉服屋が考える裄の長さと、消費者が考える長さとの間に差が生じてしまう。

この意識の違いを解決するためには、呉服屋が「キモノと洋服では、裄寸法の概念が異なること」を、予めお客様に伝えておく必要がある。そうでなければ、なかなか「寸法の差」は埋められないだろう。

今日は皆様に、呉服屋の立場から、裄の寸法についてお話してみた。現代の感覚では、なかなか「短い裄」を容認することは難しいかも知れないが、読まれたことで、一考して頂ければ、ありがたい。

 

家内には少し短めの裄でも、この小紋のキモノは仕事がしやすいと話しています。本文でもお話したように、長い寸法にしようにも反巾が狭いので、この長さが限界です。

いつの時代に仕入れたものか、全くわからず、倉庫の棚の隅で転がっていたもの。かなり、カビくさかったので、サービスで丸洗いをしてあげました。ついでに、合わせて締めている染帯も、ヤケとしみのため、「棚晒し品」になったものです。

呉服屋の女房が使う仕事着などは、ほとんど「売りモノ」にならないモノ。少々の裄の短さなどは、問題になりませんね。こんな品物ばかり着用させるので、私の「囁き」に「萌える」はずなど絶対ありません。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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