バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

9月のコーディネート(帯編) 至高の技で、モダニズムを極める

2016.09 21

日本の美術に対して、欧州の人々が注目するようになった契機は、19世紀中期に始まった、万国博覧会によるところが大きい。

初めて日本の工芸品が展示されたのは、1862(文久2)年のロンドン万博。この時出品されたものは、日本に駐在していたイギリス人・コールコック(イギリスの初代総領事)の蒐集品だったため、美術的な価値のあるモノは少なかった。

国としての参加は、明治維新直前の1867(慶応3)年のパリ万博。この時は、幕府本体から、刀剣や屏風、扇子・提灯等が出品された他、藩の産品として、薩摩藩から琉球や薩摩の織物・陶器などが、佐賀藩からは有田焼が出品された。

 

1874(明治6)年に開催されたウィーン万博は、日本政府として初めて公式に参加した博覧会であった。出品するにあたり、政府は御雇外国人の一人である、ドイツ人・ワグネルに意見を求めた。ワグネルは、欧州に比べて技術が劣っている工業製品ではなく、日本独自の美術的な工藝品に絞るべきだと、助言を与える。

そうして、出品されたのは、浮世絵などの絵画であり、漆器や細工物、それに染織品や陶磁器などであった。また、会場内には日本庭園や神社を作り、鳥居や社殿、さらには建物に続く渡り橋などを配置し、鎌倉大仏や谷中五重塔を模したものも建設された。

このウイーン万博こそ、日本の芸術文化を欧州の人々に知らしめる、大きな契機となった。後に、欧州美術にも大きな影響を与える「ジャポニズム」への端緒でもある。

 

ウィーン万博へは、文物を送り出すだけでなく、職人も送り込んだ。これは明治政府が、ヨーロッパの先進技術を学ぶことにより、遅れている自国の技術を変革し、近代化に向かおうと考えたからである。

そして派遣された一人のベテラン織職人が、西陣に革命的な変革をもたらした。それは、当時60歳になっていた伊達弥助が、オーストリア式の新鋭織物機・ジャガードを持ち帰ったからである。また時を同じくして、京都府が三人の西陣の職工(佐倉常七・井上伊兵衛・吉田忠七)をフランス・リヨンへ派遣する。ここには、この最新式紋織機を発明したフランス人、ジョセフ・マリー・ジャガールが住んでいたからだ。

 

それまでの文様織は、機の台上にいる人間が、経糸に結んだ糸を文様にそって引き上げ、それに応じて、下の織手が緯糸を打ち込むことで、文様が織り出していた。この二人一組で文様を織る機械のことを、「上=空に向かって糸を引き上げる」ことから、「空引機(そらひきはた)」と呼ぶ。

人の力で経糸を上下させるのは、かなり労力を要する。これを、機械が読み取って自由に出来れば、かなりの省力化になる。当然、一人で文様を織り出すことが出来る。

これを実現したのが、「ジャガード機」であった。この機械は、文様に応じて穴を開けた紋紙(パンチカード)を読み込み、それに応じて経糸が自由に開いたり閉じたりするという、画期的なものだった。

 

リヨンに派遣された三人の職人も、最新鋭のジャガード機を西陣へ持ち帰った。それはすぐに、織機大工職人・荒木小平によって模倣製造され、量産されていく。京都府では、この機械を普及させるために、府立の研修所を作り、リヨン帰りの職人・佐倉常七と井上伊兵衛を講師に招いた。

こうしてジャガード機は、西陣のみならず、全国の織物産地に広がっていった。紋紙のパターン(穴の有無)で制御された機械は、やがて進化し、現在では、コンピューターが発する信号を受けて、経糸を上げ下げする「電子ジャガード」が使われている。

仕事の省力化とともに、このジャガード機無くしては、複雑な文様を織り出すことは出来なかっただろう。そんな訳で、今日これからご紹介する帯も、この技術を生かし、製作者が意図した文様を、精緻に織り出した逸品である。

 

(手織袋帯 作品名「Bon  Voyage(ヴォン・ボヤージュ)」・紫紘)

テーマが決められて、品物の依頼を受けた時、バイク呉服屋がお客様に提示する品物は、5~6点程度である。その方の好みや、テーマなどを綿密に考えれば、ふさわしい品物はそう多くはない。

お客様に提示する前、どれだけ品物を吟味出来るかということが、もっとも商いの成立を左右する。それは、自信を持って依頼人に勧めることが出来る品物を探せるか、否かに掛かっている。理想的には、品物の色目と雰囲気を変え、しかも少しずつ価格帯をずらしながら、5~6点の品物を提案することだ。

キモノが5,6点とすれば、用意する帯は、10本程度になる。私の中では、「このキモノだったら、この帯を」と、ほとんど決めている。品物をお目にかける場合、まずキモノを選んで頂き、決まったら帯に移る。逆から、モノ選びをすることは、ほぼない。

 

加賀友禅「さざなみ」にふさわしい帯、と決めていた「ヴォン・ボヤージュ」

帯を製作したのは、紫紘。この老舗織屋の品物については、今までにも度々ブログの中でご紹介してきたが、多くが、古典的な図案をモチーフにしたものだったように思う。それは、創設者・山口伊太郎翁の手で織り出された、「源氏物語絵巻」と同様に、雅やかな平安王朝の風景や、儀礼を切り取ったような文様であった。

「ヴォン・ボヤージュ」は、これまでの紫紘の帯が持っていたイメージとは、まったく違う。画像を見ればお判りになるように、これは外国、それもヨーロッパのどこかの国の風景を、そのまま織姿に出したものだ。

 

紫紘は、数年前から「ウイリアム・モリス」シリーズの帯を製作している。ウイリアム・モリスとは、19世紀に活躍したイギリスのデザイナーで、新たな美術運動である「アーツ・アンド・クラフツ運動」の創始者、「モダンデザインの父」とも呼ばれる人物。

産業革命以後、急速にヨーロッパで進んだ産業の機械化は、いかに効率良く、沢山の商品を安く作るか、ということに主眼が置かれていた。モリスは、このようなモノ作りを先行させる社会に対して、疑問を投げかけ、一石を投じる。それが「アーツ・アンド・クラフツ運動」であった。

モリスが理想とする社会は、16世紀のイギリス・チューダー朝時代。まだ、産業革命が始まる以前のイギリス社会では、手仕事によるモノ作りが主体であり、品物の中のデザインには、自然や伝統につちかわれた美の表現があった。それは、この時代に生きた人々が、穏やかで、あるがままに暮らしていた証でもある。

人々が暮らしの中で、心に潤いを持つことが出来る品物。そこには、人の手による美しく、独創的な装飾デザインが欠かせない。もの作りを通して、受け継がれてきた普遍的な美の再興とは、「生活の中に芸術を見出すこと」であり、それこそが、モリスの求めていたことであった。

 

モリスが装飾に使った品物は、家具や壁紙、ステンドグラスなどのインテリア商品や、書籍の表紙やカバー。それは、人々が日常生活の中で、いつも目にするものばかりであった。デザインの題材にしたものは、自然の中で育つ樹木や草花が多い。そんな何気ないものを、日々の暮らしの中から見つけて、モチーフにした。

良く知られたモリスのデザインの一つ、「いちご泥棒」。いちごの枝の下に、対のツグミが描かれているものだが、これは、モリスが庭で育てていたイチゴの実を、鳥が食べてしまったことがヒントになっている。

紫紘が、モリスのデザインを帯に使おうとした理由は、模様そのものが美しいだけではなく、モリスの精神に共鳴したからだろう。文様をデザインとして、生活の中に残すことは、日本も同じこと。そして、その仕事は人の手でなければ、生まれてこない。

 

今日ご紹介する帯模様は、モリスとは直接関係がない。だが、優れたヨーロッパのデザインをモチーフとする中で、紫紘の製作者がこの風景に出会い、図案にしようと決めたものと考えられる。そこには、ここ数年来ウイリアム・モリスシリーズを製作していることで生まれた、「モダンデザインへの意識」が働いていたのだろう。

前置きの話がかなり長くなってしまったが、具体的に帯のデザインを見てみよう。

 

帯の腹部分。どうやら、どこかの橋の姿を描いたものとわかる。

この帯の模様には、実在の場所が使われてる。それは、イタリア中部の都市・フィレンツェ。上の橋は、街の中心を流れるアルノ川に掛かる「ポンテベッキオ」。古い橋という意味を持つ名前の通り、この橋が建設されたのは、1345年のこと。この街の橋は、第二次大戦下ですべて破壊されたが、ポンテべッキオだけが、唯一残った。

橋の上には家々が並んでいる。実際にこの橋の上では、金細工や宝石職人達が、小さな店を構え、軒を並べている。家々の色は、朱・緑・白のイタリアンカラーを使って織りだしている。

橋の背景には、うっすらと町並みが浮かび上がっている。

これは、フィエーゾレの丘。フィレンツェの中心から、バスに30分ほど揺られると、この丘に着く。ここからは、フィレンツェの街が一望することが出来、特に夕景は素晴らしく、街そのものが浮かび上がるようにも見えるそうだ。

フィエーゾレは小さな町だが、14世紀に建立されたサンフランチェスコ教会が現存するように、古くからキリスト教の拠点都市として栄えてきた。歴史的に見れば、フィレンツェより古い。帯の模様の中に、教会の塔らしき建物が見えるのには、訳がある。

 

中世の帆船をイメージしたような気球が、お太鼓の模様。遊び心がいっぱい詰まった、見ていて楽しくなるような飛行船。

気球が係留している船に乗って、街を見下ろす。船には樽や鳥かご、家のミニチュアなどが一緒に結わえられていて、さながらメリーゴーランドのようだ。かなり細部まで密に描かれている模様だが、これは絵画ではなく、織の表現である。この精緻な仕事こそ、紫紘の真骨頂である。

気球部分を拡大してみた。結わえられた縄は、少し緩んだような姿で織り出されているので、自然に映る。手で描いたとしても、ここまでリアルに表すことはなかなか難しいだろう。これを「織」で表現してしまう技術とは、どれほどのものなのだろうか。

模様そのものは、コンピューターを使ってデザインされているので、どんな複雑なものでも考えることが出来る。しかし、実際に織り込んでいくのは、人の手である。いくら優れた精密なデザインであっても、織り出す職人の技術が伴わなければ、それこそ「絵に描いた餅」になってしまう。

帆船に取り付けられている、鳥籠と樽。

小さな滑車一つを織り出すだけで、一体どれほどの時間を必要とするのだろうか。しかも、模様を良く見れば見るほど、細かく色が入っている。使われている糸の種類を考えても、この帯の価値がどのようなものかが、判る。

気球のてっぺんには、足で旗を持つニワトリがいる。

ニワトリの羽は、金銀糸を使いながら、立体的に表現されている。しかも、鶏冠の赤が効いている。模様を、平面的にも、立体的にも、自在に見せることが出来る織の技は、まさに至高であろう。

 

気球に手を振る人々の姿が、帯の垂れに見える。

バイク呉服屋は、今まで沢山の帯を扱ってきたが、垂れの模様を、これほどまで図案にこだわって、しかも精緻織り出した品物には、出会わなかった。

木の上に梯子を掛けて登り、手を振る人。建物の煙突の途中で手を振る人。見送る人が連れてきた犬。気球を見上げる人は、すべて後姿だが、その様子は一人一人違う。

この帯に名前が付いているのも、気球を見上げている「垂れの人々」がいるから。この人たちは、きっと口々にこう叫んでいるはずだ。「ヴォン・ボヤージュ!」と。

この言葉はフランス語で「よい旅を!」という意味である。ヨーロッパでは、旅行者にかける言葉としてよく使われている。フィレンツェの人ならば、イタリア語の「Buon Viaggio(ヴォン ビアッジョ)」になるが、同じ意味だ。

見送る人々は、まさしく老若男女様々。一人一人、背格好が違い、服の色も違う。後姿であっても、人々の笑顔が思い浮かぶ。ストーリーのある作品は、手間を惜しまぬ仕事があるからこそ、生まれる。これは、先日ご紹介した加賀友禅の「さざなみ」と同じである。

お太鼓の帯姿は、こんな感じになるだろうか。皆様も、「良い旅を!」と手を振って叫ぶフィレンツェの人々の姿が、浮かんでこられたかと思う。

次回は、「さざなみ」と「ヴォン・ボヤージュ」をコーディネートした姿をご覧に入れよう。作者の自由な発想から、ストーリーのある模様が生み出され、それを、伝統に基づく技で精緻に表現し、一つの作品とする。そんなキモノと帯を組み合わせると、どのようになるのだろうか。

 

紫紘とフランスとを結ぶ縁は、深いものがあります。山口伊太郎翁が、その晩年に精魂込めて織り出した「源氏物語絵巻」が、フランス国立・ギメ東洋美術館(ルーブル美術館の東洋部門)に寄贈されています。

これは、伊太郎翁が、西陣の発展に多大な貢献をした「ジャガード」という機を生み出したフランスに対して、感謝と敬意を表したことに他なりません。それは、この機の存在なしには、西陣を語ることは出来ないということになるでしょう。

 

過日、西陣・東千本町にある紫紘の本社に立ち寄った時に、仕事場を拝見することが出来ました。図案を作成している方々や、手機で織仕事をしている職人の方々の姿を拝見し、改めて紫紘という織屋に対する理解が深まりました。

また同時に、「源氏物語絵巻」を織った機や、これまで紫紘で織り出された、おびただしい数の帯の布見本なども、見せて頂きました。近いうちに、この時の様子を、「取引先散歩」の稿として、お話したいと考えています。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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