バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

少し贅沢な浴衣を作ってみる(1)  ふわりふわりと、絹紅梅

2016.08 03

灼熱の中で取引先を歩き回ることは、かなり苦痛を伴う。普段バイクばかり乗っていて、歩くことがほとんどない。運動不足による体力の低下は、年齢とともに著しくなっている。歩くことを全く厭わなかった、バックパッカーの面影は、かけらも無い。

我々のような地方で暮らす者は、ほんの少しの距離でも車やバイク、自転車を使ってしまう。そもそも日常の中に、「歩く」習慣が無いため、都会の駅や街で、人の流れに乗って歩こうとしても、そのスピードに全くついていけない。

 

ビルばかりの問屋街で、ゆったりと休む場所を探すのは難しいが、明治座の裏手にある浜町公園は、歩きつかれた時にくつろぐことが出来る数少ない場所。うちの取引先で言えば、帯メーカー・紫紘の東京営業店から目と鼻の先にある。

この公園、江戸時代までは肥後・細川家の下屋敷があったところで、中央区にある公園の中では、最も古く、最も広い。園内には、区立のスポーツセンターや、日帰りバーベキューを楽しめる施設があり、木陰や休み場も多い。オフィスで働く人や区民の憩いの場となっている。

公園の東側はすぐ隅田川で、夏場は川を渡る風が心地よい。川の上を見上げれば、首都高速向島線が通り、すぐ下には新大橋が掛かる。ここを渡れば江東区になる。

 

隅田川は荒川の下流部の別称。北区にある岩淵水門で、本流となる荒川放水路と分かれる。川の右岸は、北・荒川・台東・中央区、左岸は、足立・墨田・江東区で、東京湾に行き着く。

川の右岸と左岸を繋ぐ橋は、全部で十六。「隅田川十六橋」と呼ばれるこの橋の姿は、どれも個性的。アーチ形の白鬚(しらひげ)橋や厩(うまや)橋、X形の桜橋、橋柱の見えない蔵前橋や両国橋など、それぞれの橋が幾何学的で美しい姿を見せている。

 

毎年7月末に開催される隅田川花火大会は、十六橋の中の、桜橋から言問橋にかけての第一会場と、下流の駒形橋から厩橋にかけての第二会場に分かれ、合計二万発の花火が打ち上げられる。

大会の源流は、江戸・享保年間に、暴れん坊将軍・8代徳川吉宗が死者を慰霊するための法会・川施餓鬼。江戸の花火師として名高い「鍵屋」が打ち上げを担当し、その後鍵屋からの暖簾分けとして生まれた「玉屋」とともに、江戸庶民の目を楽しませてきた。

 

先週の土曜日、厳重なテロへの警戒の中で開催されたが、約95万人もの人達が、江戸の夏の夜のひと時を満喫した。華やかに打ち上げられた花火と共に、見物客の様々な浴衣姿も、彩りを添えたであろう。

という訳で、今日から三回に分け、浴衣コーディネートの番外編として、少し贅沢な浴衣姿をご紹介してみよう。まずは、絹紅梅を取り上げてみる。

 

(絹紅梅 蘭模様  新粋染)

通常、竺仙の浴衣価格は、コーマ生地、綿紬、綿絽、玉むしなど、生地と色使いにより多少の違いはあるが、ほぼ3万円台で収まっている。だが、これからご紹介する絹・綿紅梅や長板中型、さらに奥州小紋や松煙染といった品物は、浴衣といえども、通常のものとは別格であり、むしろ「夏キモノ」の範疇に入ると思われる。

価格は通常品の倍ほどする贅沢な品物だが、生地にこだわり、染め技法にも工夫を凝らしたものだけに、その着心地、着姿は特別だ。浴衣の極みとも言える品々を、ゆっくりとご覧にいれよう。

 

昨年のブログでも少し取り上げたが、紅梅と言う名前は、特徴ある生地目から付けられたものだ。紅梅は、薄手の地に太めの糸を織り込んむことで、生地に格子状の凹凸を付けたもの。絹紅梅の場合は、地糸の絹に綿糸を織り込むことで、表面に段差が付けられる。

模様付けされていない絹紅梅反物の耳(端)。ここを見ると、生地の地の目がよくわかる。

障子の骨組のような格子状の織りと、その内側の平らな織りとでは、高さに勾配が付いているのがわかると思う。この生地の特徴から、勾配=紅梅という名前が付けられている。絹と綿糸の交織のものが絹紅梅で、綿糸の太さを変えて織り出されているものが綿紅梅となる。

 

この絹紅梅のモチーフは、大ぶりな蘭の花。少し図案化された連続模様なので、風車のようにも見える。白地に藍で染め抜かれた花と葉のコントラストが鮮やかだ。

風車のような花びら。黒く配色された花の中心・蘂が模様のアクセントになっている。反物で見るより、仕立て上がった姿を見ると、この模様の大胆な美しさがよく判るので、後でお目にかけよう。

 

この品物を製作したのは、日本橋人形町に店を構える新粋染(しんすいぞめ)という染屋。HPを見ると、「ほんとうの型紙で、ほんとうの浴衣を作る会社」とある。また、型紙にこだわる理由は、創業者が「型紙職人の家系だから」と記されている。

新粋染の創業は、戦後まもない1951(昭和26)年。創業者・伊藤弥良は、伊勢型紙・縞彫の天才と呼ばれた重要無形文化財保持者(人間国宝)の児玉博の従兄弟にあたる。

 

児玉博は、伊勢型紙の故郷・白子(現在の鈴鹿市)の生まれ。やはり縞彫りの職人だった父・房吉氏について修行を始め、この道に入る。当時の白子には、型紙彫師が二千人ほどいたが、その中で縞彫職人は、わずかに二人。そのうちの一人が房吉氏だったが、それほど「縞」の型紙を彫るというのは、難しいことであった。

縞模様を彫る場合は、定規を当てて均等に筋を引かなければならない。作業に入る前には、まず地の紙を二枚にはがして分けておく。これは、縞のような細かい模様では、染めの段階で型紙がよれてしまったら台無しになるので、それを防ぐために、あらかじめ型紙を切り離し、補強のための糸を入れておく。

この紙(柿渋紙)を生糸で繋ぐ作業のことを「糸入れ」というが、この作業にも熟練の技が必要になる。あまり知られてはいないが、白子在住の城之口みえさんというおばあちゃんは、この糸入れの技術だけで人間国宝に認定されている。なお現在、この糸入れの技を継承した者は存在していない。

 

技術的なことに少し話が逸れるが、縞の型は、型紙を一度に7,8枚重ねて引かれる。児玉氏は一本の筋を引くのに、三回刃を当てていた。力任せに一気に引くと、型紙が浮いてしまい線がずれてしまうからだ。氏は、「縞は作業を途中で中断すると、模様の調子が変わってしまう。」と言い、8時間以上も、もくもくと筋を引き続けていた。彫をする前日は、飲み物をあまりとらず、トイレにも立たないよう心掛けていたらしい。恐ろしいまでの「職人魂」である。

そんな児玉氏は、父に付きながら技術を習得した後、東京浅草へ出て来る。同じ伊勢出身の型彫師・伊藤宗三郎の下で修行をし、縞専門の彫師としての腕を磨いていく。確認した訳ではないが、新粋染の創業者は、同じ伊藤姓であり、児玉博の師事した宗三郎とは縁続きと考えられる。

縞模様・絹紅梅。縞彫名人・児玉博と所縁のある染屋にふさわしい柄行き。

絹紅梅の「透け感」。反物を通して、下の畳のへりが透けて見えている。生地は、少しの風でもふわりふわりとそよぎ、着ている人の体に風を通す。他の浴衣には見られない、抜群の着心地となる。

 

仕立てあがった「風車蘭」の絹紅梅。風車のような蘭の花が、キモノ全体に咲き誇る。精緻な型紙と染めの技術が作り出した、美しい作品。その上、生地は、これ以上ない着心地を感じることが出来る絹紅梅。浴衣の最高品だが、とても浴衣の範疇に入るような品物ではないと思われる。

この紅梅とコーディネートした帯があるので、ついでにそれをご覧頂こう。

 

(白地 幾何学模様 櫛織夏八寸帯  都織物)

どことなくオリエンタルな雰囲気を感じるモダンな夏帯。黄緑色の四枚葉の模様が、絹紅梅の蘭風車とリンクする。キモノの模様が密になっているので、帯はすっきりとしたワンポイントの太鼓腹のものを選んでみた。

この帯を製作したのは、西陣手織協会に加盟している8社の中の一つ、都織物。技法は、櫛を使い、人の手で糸を打ち込むという「櫛織」。

この技法は、通常の機ならば、緯糸を通した経糸を筬を使って引き寄せながら織り込んでいくのだが、櫛を使うことで、斜めにも曲線にも文様を織り出すことが出来るという、手織りならではのもの。この方法を取ると、織る人の手仕事が、そのまま織模様の中に反映されることになる。

(帯揚げ 橙色絽ちりめん飛絞り模様・加藤萬  帯〆 白と橙色羅織・井登美)

小物は、帯揚げ、帯〆ともに、前模様に付いている葉の橙色で合わせてみた。紅梅は藍と白だけで、ほとんど挿し色のないシンプルなものなので、暖色系の橙色を使って、着姿の中にポイントを作ってみた。

 

このひと組を求められた東京のお客様は、隅田川の花火大会の日に着用されたはずだが、さぞかし、その着姿は目立っていたと思われる。今日は、風にそよぐような軽さと、抜群の涼やかさを感じることが出来る絹紅梅をご紹介してきた。次回は、綿紅梅について話を進めることにしたい。

 

この絹紅梅を作った「新粋染」とは、初めて今年から取引をさせて頂きました。現社長の伊藤卓弥さんが、自ら見本布携えて、店に来られました。

竺仙と比べれば、規模は小さい会社ですが、作られている品物は「ほんとうの型紙で、ほんとうの浴衣を作る」という社是にふさわしい、素晴らしいものばかりです。

さすがに、稀代の縞彫師・児玉博と縁続きの店。職人の魂は、しっかり受け継がれています。小さいながらも、頑固に技術を守る会社の品物を、これからも応援して行きたいですね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

日付から

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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