バイク呉服屋の忙しい日々

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銀座の、老舗履物店を訪ねてみる  小松屋・銀座店

2016.07 02

参議院選挙の投票日まで、あと一週間あまり。どの政党・候補者を選ぶか、ということよりも、そもそも投票所へ足を運ぶか否か、で迷っている。積極的に一票を投じたいという人物もいないときは、消去法で考えて、より「まし」な選択をする他はない。

 

今回から、選挙制度が変わり、18歳から投票に行けるようになった。どれほどの若者が投票所へ足を運ぶのか、わからないが、ぜひ行かれた方が良いだろう。

少子高齢化に伴い、年々増え続ける社会保障費だが、予算のほとんどが高齢者に向いていて、若者・子育て支援への対策は手薄である。こんな現状を変えるためには、一票で政府を動かす以外は無い。

前回の衆議院選挙の年齢別・投票率を見ると、20歳代は約32%・30歳代は約42%である一方、60歳代は68%にも及ぶ。タダでさえ、高齢者に人口構成が偏っている上に、これだけ投票率に差があれば、政府の対策は、否応無く高齢者重視になってしまう。こんな「シルバー民主主義」のままでは、いずれ国が立ち行かなくなる。

 

バイク呉服屋が、初めて選挙に参加したのは、今から36年前の東京。1980(昭和55)年の参議院選挙である。当時参議院は、全国区と地方区に分かれていて、それぞれ一人ずつを選んで投票する方式だった。この時、自分で選んだ二人の候補者は、今でも覚えている。東京地方区は宇都宮徳馬で、全国区は市川房枝。

 

宇都宮徳馬は、戦前京都大学でマルクス主義者・河上肇の薫陶を受けて、共産主義者となるものの、治安維持法で逮捕された後に、転向。戦後は自由民主党に所属しながら、平和共存外交を目指し、対ソ連、中国、北朝鮮との国交回復を主張する。

自民党の中でも、最左派といわれ、「ハト派」の代表的人物だった。あまりに左よりだったために、党内から孤立し、この時の選挙は離党して無所属だった。生涯を通じ、政治家として軍縮という命題に立ち向かった人物でもある。

 

市川房枝は、1919(大正8)年、女性の社会的地位の向上を目指し、平塚雷鳴とともに「新婦人協会」を発足させる。半世紀以上も、女性の権利獲得のために、働き続けた方。高校の日本史の教科書にも、その名前を見つけることが出来るような人が、まだ議員として存在していたのだ。

当時の年齢は、87歳。どの政党にも属することなく、無所属議員の集まりである「二院クラブ」に席を置いていた。市川の選挙は、何の組織にも頼らない。運動員は個人的な支援者に限られ、みんな手弁当で汗を流した。金としがらみの無い清潔な運動は、選挙の理想と讃えられた。

 

今の候補者の中に、宇都宮や市川のような、政治家として一本スジの通った人物を探すことは出来ない。組織や利害だけで有権者と結びついたような人物や、政治を家業とするような世襲議員には、何の魅力も感じない。生涯にわたり、大きな命題を持ち続けるような政治家が消えてしまったことが、この国が停滞する一つの要因かもしれない。

 

世襲議員の三種の神器は、言わずと知れた「地盤・看板・鞄」である。親の代から続く、強固な後援会組織と、政治一家として知られる知名度とを受け継ぎ、その上に潤沢な資金を持つ。徒手空拳の普通の人物では、とても敵うものではない。

議員ばかりではなく、会社も同じで、子どもを始めとした親族で経営権を持ち続ける企業は、中小まで含めると、日本全体で95%にも及ぶ。ほとんどが、ファミリー企業であり、言うなれば家業みたいなものだ。

 

我々のような、小さな個人経営でも、代を受け継いで商いをさせて頂いていると、多かれ少なかれ「地盤・看板・鞄」の恩恵を受けている。これを総称して「暖簾」と言うのだろうが、現代では、この暖簾を守ることが容易ではない。先代と同じように、顧客を守っているだけでは、商いは細る一方である。継承するものを大事にしながら、自分なりに工夫して行かなければ、たちまち立ち行かなくなる。

前の稿から時間が空いてしまったが、今日は、銀座の老舗履物店の続編を書くことにする。ぜん屋さんに続き、もう一軒の老舗・小松屋さんについて、ご紹介しよう。長く受け継がれた暖簾の下で、どのような商いをされているか、店舗をご案内しながら、お話してみたい。

 

小松屋さんは、1924(大正13)年に開業。今年で、創業92年を迎える老舗であり、皇室の履物誂え司として、知られている。

赤坂で創業した後、1967(昭和42)年に、銀座7丁目の資生堂ビル内で銀座店を開業。7年前、資生堂ビルの建て直しに伴って、現在の銀座ナイン・2号館内に移転。

 

現店舗のある銀座ナインは、JR新橋駅の銀座口から歩いて2分ほど。地下鉄銀座線・新橋駅1番出口からはすぐ。三棟ならんでいる銀座・ナインの真ん中、2号館の一番東側一階にあり、中央通りに面している。

ぜん屋さんの開店時刻が、小松屋さんより30分早かったので、ぜん屋さんに伺った後に、小松屋さんを訪ねた。銀座から、少し新橋に戻るような形にはなるが、二つの店は歩いて5分ほどしか離れていない。

 

ビル内のテナントだけに、開放的であり、気軽に店を覗ける。間口は広くないが、奥行きがある。壁際に設けられた棚には、少し間隔をあけて草履が並べられていて、すっきりとしたディスプレイになっている。所々に置かれた灯りが、美しく草履を見せるためには効果的。

 

家内が小松屋さんで選ぶ品物も、やはり普段履き。ぜん屋さんで選んだ品物は、シンプルな牛革で、高さを押さえたもの。台の色は淡い鶸色で、鼻緒はクリームだった。全体の雰囲気は、似たような感じになるだろうが、台の大きさや、判の広さが微妙に違ってくるだろう。

小松屋さんで誂えらえた草履。台は、柔らかな灰桜色で、鼻緒は白とごく薄い藤色の二重重ね。前坪の臙脂が、アクセントになっている。

草履の高さは5cmで、大きさはL判。家内の足のサイズは、24~24.5cmなので、最初に台を、2Lサイズのものを合わせてみた。接客して頂いた店の方に相談に乗ってもらうと、もう少しかかとが出ても良いのでは、とアドバイスを受ける。

L判の長さは23.5cm・幅が7.8cmで、2Lは長さ24cm・幅が7.9cm。幅はほとんど変わらないが、長さは5mm違う。このわずかな違いが、履き心地や美しい履き姿に関わってくるので、台選びは大切だ。通常、草履からかかとが2cmくらい出ているのが、格好の良い姿だと教えて頂く。

 

家内がアドバイスを頂いた、小松屋さんの「小松」さん。もう一人男性の方が店におられて、奥で仕事をされていた。

品物を見立てて頂いたのは、女性の方。胸のネームプレートには、「小松」と記されていたので、小松屋さんと縁続きの方(女将さんさんかどうかはわからないが)とお見受けした。三層重ねの台の高さは、5cmのほかに6cmのものもあるが、家内は上背があるので、低い方をすすめて頂いた。

 

小松屋さんでも、台の色や鼻緒などは、好みに応じて付けてもらえる。ぜん屋さんで選んだ色が、鶸色だったので、今度はピンク系。キモノの色への対応のしやすさを考えると、やはりおとなしい色になる。

鼻緒は台の色と同系でも、かなり白に近い色。上の画像で、二層になっていることがわかるが、これならば足への当りがかなりソフトになる。大抵の人が、草履の履き始めには、足が痛むように感じられるものだが、少しでもそれを抑えようとする工夫が見られる。そして、履いているうちに、自然に自分の足型に馴染むように、作られている。

 

草履は、左右がわかり難いので、裏に書いておいたほうが良いようだ。裏側は、小松屋さんのロゴ入りの牛革クローム。かかとを保護するために、ベージュ色のゴムが付けられている。

かかとがすり減ってくると、履き心地が悪くなるので、早めに交換するほうが良いようだ。台の表面や側面は、皮だけに雨に濡れると痛みやすく、十分に乾かしてから仕舞うことが大切になる。落ち難いしみ汚れは、自分で処理しようとせずに、店側に任せた方が安心。あわてて化学洗剤などを使用すると、変色の怖れがある。

特に普段履きは、消耗品であり、長く使うにはそれなりのメンテナンスが必要になる。後の手入れを安心して任せる店こそ、信頼出来る老舗であろう。このあたりは、キモノや帯を扱う呉服屋と全く同じだ。小松屋さんにしても、ぜん屋さんにしても、良い品物を長く使って欲しいという姿勢が、商いの中から伺える。

 

スペースをゆったりと使い、品物を置く。鼻緒をすげた完成品、台だけを置いたもの、片方だけの草履と、工夫を凝らしながら、上品に見せている。沢山の品物が並んでいる、ぜん屋さんのディスプレイとは対照的である。

小松屋さんには、都会的でモダンな雰囲気が、ぜん屋さんには、昔ながらの小粋な草履屋さんの風情が感じられる。どちらの店にも、それぞれ独特な品物の見せ方や置き方があり、店構えにも個性が出ている。

棚の上段には、礼装用の華やかな草履とバックが、何点か置かれる。小松屋さんが皇室の御用を請けるようになったのは、現・皇后陛下の美智子さまがご婚礼の際に、白金古代柄の草履を誂えられてから。この草履は、婚礼後の各宮家ご訪問の際に履かれ、その履き心地の良さが大変気に入られ、その後「履物なら、小松屋で」と指名されるようになった。

現・皇太子妃の雅子さまや、秋篠宮妃の紀子さまも、ご成婚の時には、小松屋さんで草履を誂えられ、ご持参されている。

美智子皇后が使われた草履と同じ、正倉院華文・白金皮製のバッグは今も、製作されている。この他に、若い方の振袖や訪問着用としてビーズバッグや、少しカジュアルな有職文様の布バッグも置かれている。

あくまでも上品な小松屋さんの草履は、どんな礼装用のバッグに合わせても、よく馴染む。スタンダードな良品の姿は、時代を経ても美しい。

 

今回、小松屋さんとぜん屋さんで、家内が誂えた二点の草履。どちらも牛皮の三層重ねの台と、皮の鼻緒。色は違うが、優しい色を組み合わたもので、雰囲気は似ている。

サイズ的には、高さは、ぜん屋さんのものの方が、わずかに低い(ぜん屋・4.5cm、小松屋・5cm)。幅はほぼ同じだが、長さは小松屋さんの方が少しだけ小さい。台の寸法は、店ごとに微妙に基準が違うので、実際に店を訪ねて、相談に乗ってもらうほうが、確実であろう。

 

キモノを着る時、草履は、欠かすことの出来ない重要な品物。履き心地の良い草履ならば、キモノで出掛けることも苦にならない。特にカジュアルモノを使うときには、自分の足にピタリと馴染むような歩きやすい草履は、必須アイテムとなる。

自分の足に合う台を見つけることはもちろん、台や鼻緒、前ツボの色など、自分の好みに合う組み合わせを考えるのも楽しい。もちろん、今持っているキモノの色や柄、それに履いていく場所なども思い浮かべながら、選んでいく。

ご紹介した小松屋さんや、ぜん屋さんでは、まず、使う人の話を丁寧に聞いた上で、的確にアドバイスをする。老舗ではあるが、決して敷居が高い訳ではない。ぜひ皆様も気軽に出掛けて欲しい。きっと、満足されるはずである。

 

小松屋さんの営業時間は、毎日11:00~20:00まで。第三日曜日は、銀座ナインビル全体がお休みのため、閉店しています。ネットでの販売もされていますが、ぜひ一度は、店舗の方を訪ねてみて下さい。

 

小松屋さんが創業した年・大正13年は、藩閥や枢密院を主体とする清浦圭吾内閣が倒れ、護憲三派(立憲政友会・憲政会・革新倶楽部)による加藤高明内閣が誕生した年。「憲政擁護・閥族打破」のスローガンの下、政党政治の実現や、普通選挙実施などを求めた、いわゆる護憲運動の高まりを受けて成立しました。

翌年には、普通選挙法が成立し、25歳以上の男子全てに選挙権が与えられます。それと同時に、言論や信教・出版の自由などを制限した悪法・治安維持法も制定され、いわば「飴と鞭」を兼ねた法整備になっていました。

 

バイク呉服屋が政治家として、尊敬する人物は二人。戦前、粛軍演説を繰り返して民政党を除名された斉藤隆夫。国家が戦争へと傾く時代、最後まで反軍と反ファシズムを言葉で体現し抵抗を続けた、稀な政治家でした。その勇気と、意思の強さには、驚くばかりで、戦前の政党政治の中で、一際光を放っています。

もう一人は、戦後の政治家・松村謙三。敗戦直後の東久邇宮内閣で厚生大臣、その後の幣原内閣で農林大臣を務めます。富山県の大地主でしたが、自らが進めた農地改革により、自分の土地をほぼ没収されてしまいます。また、中国との国交回復を誰よりも早く主張し、生涯にわたり関係改善に尽力します。

まだ、中国に誰も見向きもしなかった1950年代、半官半民の貿易・LT貿易(廖承志・高碕達之助による)実現に尽力。私費で中国に渡り、周恩来と独自のパイプを築き上げ、後の日中国交回復の礎となりました。自由民主党にありながら、ハト派の代表的な人物で、昭和34年の総裁選挙では、当時の岸信介首相のタカ派的な考え方を徹底的に批判するために、負け戦と判りながらも出馬しています。

 

政治的な実績もですが、松村の素晴らしさは、「政治家は公僕である」ことを体現したこと。息子が学校に提出する親の職業欄は、いつも「無職」だったそうです。公僕=社会奉仕をする仕事は、職業ではない。それが政治家のあるべき姿だと考えていました。

選挙では金をかけず、組織を持たず、応援する人達は、手弁当。そんな松村を知った全国の市井の人たちからは、「貧者の一灯」として、寄付が寄せられていました。その私生活が質素そのものであることを、知られていたからです。選挙区だった富山県・福光の人たちからは、「けんそはん」と親しまれ、尊敬されていました。

考えてみれば、市川房枝、宇都宮徳馬、斉藤隆夫、松村謙三、この人達はみな世襲を許していません。政治家としてよりも、人としての気位の高さを感じさせてくれます。

今は、どこをどのように探そうと、こんな政治家には出会えませんね。ついぞ、長い後書きになってしまいました。お許し下さい。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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