バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

3月のコーディネート(前編・1) サクラは、にっぽんの良き花

2016.03 10

岐阜県の最北部、根尾という村に、一本の大きな桜の古木がある。樹齢は1500年以上、植えられたのは467(雄略天皇11)年頃と、言い伝えられている。

愛知県・一宮市の真清田(ますみだ)神社。この社に所縁が深い、土田という家から真清探當證(ますみたんとうしょう)という古文書が見つかっている。その記述によれば、ヤマト王権の皇位継承を巡り、雄略天皇から迫害された大迹王(をほどのおおきみ・26代継体天皇)が、根尾村に隠れ住んだ後、この地を離れる時に桜の木が植えられた。

古事記や日本書紀によれば、継体天皇は、応神天皇の5代後の子孫で、越前(福井県)で育ち、この一帯を支配していたとされているが、何せ謎の多いヤマト王権時代のことゆえ、本当のところはわからない。この継体天皇が、現在の皇室へと続く、最初の天皇という説もあるようだ。

 

由来はさておき、この桜の木は、高さが16m、枝は東西26m・南北20mにも及ぶ大木。種類はエドヒガンザクラで、その名前の通りに、春のお彼岸の頃に花を咲かせる。ソメイヨシノの開花よりも一週間ほど早いが、この桜は、長寿の種を持つ花としても、知られている。

根尾の桜の別名は、「淡墨桜(うすずみざくら)」。蕾の時には薄いピンク色で、満開時は白、散り際になると淡い墨色に変わる。この淡墨色に特徴があり、それが印象的なために、この名前が付いた。

 

淡墨桜は、1500年もの古木故に、これまで何度と無く枯死の危機を迎えている。すでに1922(大正11)年には、国の天然記念物として認定されてはいたが、戦後すぐの調査で、3年以内に枯れると判断される。この時は、山桜の若木の根を200本以上接いで、再生に成功する。

最大の危機は、1959(昭和34)年9月に襲来した伊勢湾台風で受けた被害。豪雨と強風により、ほとんどの枝が折られ、無惨な姿となった。村では、修復に尽力したものの、なかなか元の姿に戻すことは出来なかった。

 

転機が訪れたのは、8年後の1967(昭和42)年。一人の作家が根尾村を訪れ、衰えた淡墨桜を見たことに始まる。その人の名は、宇野千代。小説家としてはもとより、彼女がデザインしたサクラ模様は、「宇野千代ブランド」として、今も健在だ。

誰より桜の花を愛した宇野千代。この朽ち果てようとしている淡墨桜の惨状を、世間に知らしむるべく、「太陽」というグラビア誌に寄稿する。そして、当時の岐阜県知事に書簡を送り、何とかこの桜の保全を善処するように求めた。これが契機となって本格的な保護事業が着手され、今もその美しい姿を見ることが出来るのである。

 

「桜の作家」として知られる宇野千代らしいエピソードだが、彼女に限らず、桜ほど日本人の心の琴線に触れる花はないだろう。3月末から4月初めという、人生の節目の季節に彩りを添える。人々は時を経ても、花とともに思い出が甦る。

ということで、今月のコーディネートでは、「桜二題」として、桜をテーマにしたキモノと帯の組み合わせを、三回に分けて御紹介していく。なお、最初のコーディネートは、二回の稿に分割させて頂いた。

気軽に春を感じて頂こうと思うので、草木染紬のキモノと染帯を使ってみよう。

 

(ピンク濃淡縞 米沢紅花草木染紬・塩瀬白地 桜模様染名古屋帯)

赤系統の色を、天然素材で染め出す時に使われる代表的な植物は、茜、蘇芳、紅花。中でも、茜染の歴史は古く、現存する正倉院裂や法隆寺裂にその色を見ることが出来る。染料として使われていたのは、根の部分で、採取した後、三年ほど乾燥させたものを使う。これを水洗いして漬け込んでから、釜で煮沸し、そこで出来た汁を使う。

植物染料には、一つの系統の色しか抽出できない単色性のものと、複数の色を産み出すことの出来る多色性のものがある。この二つでは、色を発色させる工程がまったく違う。茜のような多色性染料の場合、色を染めるためには、その仲立ちを努める金属塩・媒染剤が必要となる。この媒染剤により、発色が違ってくる。

媒染剤には、アルミニウムや鉄を含んだものが多いが、古代茜に使われていたのは、主に木灰の灰汁。木灰とは、生木を燃やして出来た灰だが、中でも、椿の木が使われることが多かった。

古来から追求されてきた色を染める技術とは、どんな媒染剤を用いるかという所に、大きなウエイトが掛けられていたように思える。植物素材それぞれに適合した媒染剤を探しながら、求める色に近づけていく。おそらく、ここに沢山の智恵を傾注したのだろう。

 

さて、鮮やかな桜の色・ピンク系統色を表現できる草木染といえば、誰もが紅花を思い出す。今日御紹介する品物は、この紅花と幾つかの植物染料を組み合わせて、春色ピンクを演出したもの。化学染料を全く使わず、天然素材100%の置賜・米沢紬である。

(置賜草木染紬 紅花・ラックダイ・たまねぎ・オオバヒルギ 米沢 野々花染工房)

江戸時代、山形県を流れる最上川の流域は、一大紅花栽培の基地であった。紅花から産み出される美しい色は、布を染めるだけでなく、口紅やほお紅としても使われ、当時は大変な貴重品。

摘み取った花は、発酵させた後、餅のように臼の中に入れて杵で突き、これを手で丸めて「干花餅(ほしはなもち)」という形状にする。この花餅を、北前船の寄港地である酒田まで持って行き、そこから京都・大坂方面に運ばれていった。

だが、明治になって安価な化学染料が輸入されるに従い、次第に紅花は市場から淘汰されていく。栽培が復活したのは戦後になってからで、1963(昭和38)年、米沢袴の織屋・新田秀次氏により紅花を染料とする紬が織り出されることになる。

 

今日の品物を製作した野々花染工房は、現在、新田と並んで米沢を代表している草木染の織屋。当主の諏訪好風氏は5代目であり、息子の豪一氏共々、紅花のみならず、藍・紫根・サフランなど、植物染料にこだわったモノ作りをされている。

濃ピンクと、淡い桜色、それに黄土色や茶に配色された縞。天然染料だけを使った糸なので、鮮やかながら自然の温もりを感じる。まさしく、柔らかな春を感じる色。

ここに使われている植物は、全部で四種類。紅花・ラックダイ・たまねぎ・オオバヒルギ。野々花工房の品物には、どの植物染料が使われているか、品物に明示されている。

反物に付けられている表記。伝統工芸品の証紙を始め、使われている植物材料や、織り方、さらには染料の配分まで書かれている。

かなり以前、ブログの中で紅花紬を例にとり、それぞれの品物において、草木染か否か見分ることの難しさを(2013.11。19と22の稿)書いたことがあったが、野々花工房の品物は、表記を見るだけで、どんな材料でどんな作り方をしてあるのかが、一目で判る。これだけで、モノ作りに対する真摯な姿勢が伺える。

代表者・諏訪好風氏は、紅花染・草木染のブランド化、差別化を進めるために、品物に対して、厳しい基準を設けている。上の画像に、ピンク色の証紙・紅花染之証が見えているが、この証紙色は紅花と他の天然染料を併用した品物に付けられる。それを裏付けるように、染料の配分が、紅花22%・天然染料78%と記載されている。

なお、紅花100%の証紙の色は赤で、紅花と化学染料が併用されている品物の証紙色は、黄色である。判り難い染料の中身を明確化したことは、我々のような小売の者にとって、大変有難い情報である。どのような作り方がされているのか、消費者に説明しやすくなる。それは、品物の価値そのものを明らかにすることであり、当然差別化に繋がる。呉服を扱う者にとって、もっと様々な品物に、製造過程を明記して頂きたいと思うが、なかなか難しいことだ。

 

染料の材料表記。四種類の染料が、どの色に使われているのか、考えてみよう。

まず、ピンクの濃い縞とすこし薄い縞。これは紅花とラックダイによるもの。反物の記載に、下染にラックダイが使用されているとあるが、この染料には、聞き覚えがない方も多いだろう。

ラックダイは、植物材料ではない。これは虫の分泌物を抽出したもの。東南アジアやネパールには、樹木に生育するラックという介殻虫がいる。この虫が排出する樹脂状の排出物は、シェラックという樹脂と、ラックダイという染料に分けられる。

この染料は、すでに江戸時代以前に、「花没薬(はなもつやく)」の名前で、濃赤や赤紫系の色を染める材料として使われていた。このラックダイ(ラック液)に媒染剤として錫(すず)を使うと、濃い鮮やかなピンク色が出てくる。おそらく、ピンク縞部分には、ラックダイが関わり、それを下染めに使い、さらに紅花染料を用いたのであろう。

紅花は単色性染料なので、発色方法は、媒染剤を使う多色性のものとは違う。前述したように、まず、花を発酵させて餅状にしておく。それを水で溶き、上の水を捨ててから、藁(わら)の灰汁=アルカリ液に入れる。こうして出来た液に、梅の実を蒸し焼きにして作った酢・鳥梅(うばい)=酸液を加えて、より美しく紅を発色させる。

 

この紬には、二色の細縞が見える。一つが黄土色で、もう一つが少し濃い目の赤茶色。おそらく、黄土色がたまねぎであろう。染料として使われるたまねぎの部位は、外側の皮。これを熱して煎じた汁は、媒染剤により様々に発色する。アルミは黄色、錫は赤っぽい黄色、アルカリだと赤茶、鉄では昆布茶。黄土色に使われているとすれば、アルミ媒染のたまねぎということになろうか。

そして最後の植物、オオバヒルギ(大葉蛭木)。これは沖縄以南の島々にみられるマングローブの中で育つ樹木。八重山諸島に多く、ヤエヤマヒルギの別名がある。染料として使われる部位は、樹皮。ここにはタンニンが含まれているので、取れる染料は茶や茶褐色になろう。ということで、濃い茶の縞には、オオバヒルギが使われていると推測される。

材料は明示してあるが、それぞれの色に何が使われているかは、判っていない。あくまで、植物の特徴などから、私が想像したものである。

 

さあ、この春色紬に合う桜模様の帯を見つけて、目にも鮮やかな街着を考えてみよう。

とはいうものの、あまりにも長々と草木染の話を書いてしまった。この先、帯とのコーディネートまで御紹介すると、読まれる方も疲れてしまうだろう。もちろん、書いているバイク呉服屋も、疲れてしまった。

最初の画像で、合わせた帯をお目にかけてはいるが、小物合わせなども含めて、具体的なコーディネートは、次回の稿へと廻させて頂こう。

 

淡墨桜の開花情報は、本巣市(2004年、根尾村を含む四町村が合併して出来た市)のHPで見ることが出来ます。

今年の開花予測は4月3日。満開が4月9日で、散り始めが4月13日。淡墨色の花の色が見られるのは、来月10日過ぎということになるでしょうか。仕事を休んで、ふらりと出掛けてみたいですね。

 

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日付から

  • 総訪問者数:1777584
  • 本日の訪問者数:211
  • 昨日の訪問者数:344

このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

ご感想・ご要望はこちらから e-mail : matsuki-gofuku@mx6.nns.ne.jp

©2024 松木呉服店 819529.com