バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

アトキンソン氏の提言について考える(4)供給者の理屈・流通現場編3

2015.11 29

バイク呉服屋には縁が無いことだが、世間では冬のボーナス支給日が近づいてきた。

お歳暮、クリスマスと贈り物をする季節でもあるので、この日を待ちわびている方も多いだろう。最近では、他人に贈り物をするだけでなく、自分へも「一年間頑張ったご褒美」として、少し贅沢なモノを購入する方が増えているらしい。

これから師走商戦のピークを迎える百貨店だが、そこには「ご褒美」と呼ばれているアイテムがある。ご=呉服、ほう=宝飾品、び=美術品。いずれも、高額品が多く、贅沢な品物なので、これらの品物の売り上げは、業績に直結する。

昨年あたりから、アベノミクスの効果などで、一部の富裕層には資金の余裕が出来、また、業績の良い大手企業のサラリーマンなども、給料やボーナスが増えたことで、百貨店の「ご褒美」品の売り上げは伸びているようだが、今年はどうだろうか。

 

さて、百貨店の稼ぎ頭とも言うべき、ご褒美の品々は、何れも消費者が「高いモノ」と意識しているモノばかりだ。そしてそれと同時に、価格がよくわからないモノでもある。呉服、宝石類、絵画の値段などに、一般の方で精通している方は少ないと思われ、価値と価格を見分けることが難しい。

一般の方が、これらの品物を購入しようとした場合、売り手を信用するしかない。とりあえずは、「老舗デパートならばモノも価格も安心できるだろう」ということになり、百貨店の看板に信頼をよせてとられた消費行動なのだ。

呉服を始めとする高額品の価格は、供給者側に委ねられてはいるが、果たしてそれが適正なものだろうか。消費者が「高いモノ」と思い込んでいる意識を利用して、より以上に価格を上げているようなことはないだろうか。これはデパートばかりでなく、個々の小売店でも同じである。

 

これまで二回、流通現場での供給者の理屈について、考えてきた。今日は、二つの事例をお話しながら、呉服の価格が高額化する要因を探ってみたい。

 

うちには、昨年から扱えなくなってしまった西陣の帯がある。原因は、仕入れ価格の極端な上昇だ。

この織屋は、西陣手織協会に所属する老舗であり、他の織屋では真似の出来ない技法により、個性的でモダンなカジュアル帯を作っている。どこの織屋なのかわかってしまうので、具体的に品物のことを書く訳にはいかないが、一昨年までは、当店でもこの織屋の帯を置いていた。

 

この織屋が価格を上げたのは、あることがきっかけだった。それは、ここの帯を売ったある小売屋が、仕立をしてもらうために、帯を織屋に送り返してきた。その際、帯には小売屋が消費者に売った、小売上代(価格)の札が付けたままになっていた。

この小売価格を見た織屋は、仰天した。それには、卸価格の数倍の値段が付けられていたからだ。まさか、これほど高い価格が付いているとは思っていなかったのだろう。流通量の少ない、手織り帯としても、ベラボーな価格だったらしい。

これに怒った織屋は、「小売屋がこんなに高く売っているならば、価格を上げる」と値上げを宣言したのだ。流通段階の者が、作り手の数倍もの儲けを出していることに、我慢がならなかったのだろう。苦労して一本の帯を織り上げた手間を考えれば、無理なからぬことであった。

織屋は、どこの小売屋でも同じような価格設定をしていると判断し、値上げに踏み切ったのだろうが、これにより、バイク呉服屋が考えるカジュアル帯の価格限界を、越えてしまった。この織屋にしかない優れたデザインの帯だったので、扱えないのがなんとも口惜しい。

作り手は、モノを買ってもらう立場なので、小売屋に強く出ることが出来難い。いくら高く売られていようが、それを非難することが出来ない弱い立場にある場合が、ほとんどである。この織屋は、自分の作っている帯に絶対の自信があり、その上希少なものだからこそ、値上げが出来たのだ。

 

しかし、どうして小売屋は価格を高くするのだろうか。人件費や家賃など経費がかかる営業形態になっている場合は、ごく自然に上乗せ額が大きくなってくることも考えられるが、まずは、求めやすい価格でと考えるのが普通だろう。特に、このような趣味的なカジュアル帯であれば、なおのことである。

この帯は、ネットでもほとんど見かけることが無いので、比較する価格がない。だから安心して、値段を吊り上げられるという訳ではないだろうが、理不尽に高額化する一つの事例である。

 

もう一例、御紹介しよう。これは、先頃あるお客様から聞いた、某百貨店の販売方法。

どこの百貨店でも、高額品を求めてくれる顧客は、何より大切である。そこで、この上得意先だけを集めて、特別な催しを行う。都内ならば、グレードの高い著名ホテルのバンケットを借り切り、例の「ご褒美」アイテムだけを集めて、販売会をしている。

特別な顧客だけに、様々な仕掛けをし、贅を尽くしたおもてなしをして、気分を高揚させ、ゆったりと贅沢品を選んでもらおうというもの。

 

このお客様に宛てられた特別案内状を見せて頂いた。数百万円単位の宝飾品や時計、さらに絵画や陶磁器などもパンフレットに載せてある。もちろん、呉服もある。会場は当然、都内の一流ホテル。

この案内状の表紙に、ある友禅作家の訪問着の写真が載せられている。すでに物故した、重要無形文化財保持者(人間国宝)の品物である。価格が付いているのだが、「0」の数を数えて仰天してしまった。4桁万円なのである。

お客様がこれを見れば、人間国宝の品物には何と価値があるものなのかと、思われるだろう。主催者であるこの百貨店が、どこからこの売値を算出したのかは、わからない。もちろん、百貨店がこの特別展示会用にどこかの問屋から借りた「浮き貸し品」であろう。浮き貸し品は、高額になりやすいとはいえ、常識的な呉服屋からすれば、べラボーな価格であることだけは、確かである。

お金に余裕のある「富裕層」向けの会であったにせよ、驚くべき値札の感覚であろう。もっともバブル期には、時代に便乗して品物が高額化し、適正価格などどこかに吹き飛んでしまうようなことが日常化していた。ひいてはそれが、呉服から消費者が離れる一因ともなったが、まだ、それを彷彿とさせるような商いがなされているとは、驚きである。

価格の高いモノは良いもの。それ自体は、ある意味正しいが、それも限度問題だろう。「誰にも持てないような品物を持てる」というのが、一つのステイタスになるのかもしれないが、それに便乗して価格をいたずらに吊り上げるというのは、決して市場に良い影響を与えない。

 

当店が所有している、型絵染・無形文化財保持者 芹沢銈介のいろは文様キモノ。

すでに、価格が付けられる品物ではないので、非売品にしている。キモノとしてではなく、美術品の範疇に入るようになれば、呉服屋の手に余る品物となってしまう。つまり、商いの対象からは、外れたモノとなる。

 

価値のある品物というのは、特定の作家のモノであれ、多くの職人の手が入った分業のものであれ、表現されている技と色や模様の美的センスの素晴らしさが複合されて、評価されたもの。その上に、世間的な「御墨付き」として、人間国宝などの称号が加わり、付加価値が付く。いわゆる「箔が付いた商品」となるのだ。

基本的なキモノや帯の価格は、品物に施されている手間に比例しているのだが、高額なモノになればなるほど、「箔が付いたこと」が理由で値が上がる。品物本来の価値以外のところでの価格高騰が、一般の消費者には手の届き難いものとなってしまう、大きな原因である。

キモノや帯は、飾って眺めているものではない。もちろん、グレードの高い品物には、美術的な価値が高いことは認めるが、あくまでも人が身にまとって使うモノである。価格が高くなればなるほど、「使うモノ」から「眺めるモノ」になっていく傾向が強い。

 

呉服には、「日本の民族衣装」として別格扱いされてきた側面がある。これは、長く培われてきた技術や、品物に表現される模様や色、そして、古くから根付いた年中行事に則って使われ続けていることなど、どれも日本の歴史や伝統、文化というものと密接な関係があるからだ。

だから、日本人はキモノや帯に対して、他の品物にはない特別な感情がある。それこそが、キモノや帯が特別なモノ、さらに高価なモノと考える意識の源泉なのだろう。

アトキンソン氏の目には、呉服業界全体が、民族衣装として特別視する社会の意識を利用して、「伝統の上にあぐらをかいて、商いをしている」と映っている。そして、ここを変えない限り、まっとうなビジネスとして成立しないとも言っている。

 

今日取り上げた、価格が高騰した二つの事例も、その要因は様々あるが、いずれも根底には、「民族衣装だから高くて当たり前」という意識があることに間違いない。特に問屋や小売屋など、流通段階の者は、無意識のうちに、「供給者の理屈」を価格の上に転嫁している。

アトキンソン氏は、消費者が求めやすいような価格にする努力が必要、と説いているが、それはインクジェットモノのような、簡単な技術で作れる安いモノを増やせという意味ではないだろう。出来る限り、今まで培った技術を生かしたモノ作りの方法を変えずに、価格を抑える努力が求められているのだと思う。

つまりは流通に携わる者全てが、「民族衣装だから特別な価格が付けられる」という意識を捨てることだ。この勝手な供給者の理屈を取り除き、それぞれの品物の質だけを考えて価格を決めることになれば、今よりずっと求めやすいモノになるはず。真っ先に我々が始めなければならないのは、この意識改革に他ならない。

 

次回は、消費者が品物を選ぶ視点がどこにあるのか、考えてみたい。また、アイテム別に、求めやすい価格帯がどの辺りにあるのか、当店のお客様の消費動向を参考にしながら、話を進めることにしよう。

 

お客様が「求めたい価格」と、小売屋が「売りたい価格」が近くなればなるほど、理想的な取引になることは、言うまでもありません。お客様が望まれる価格を把握して、その範囲の中で、より上質な品物をお奨めしていく。これこそが、商いの常道でありましょう。

それには、品物を見る目を磨き、価格に敏感になることが、何より求められます。呉服屋に限らず、どんな商いでも同じことですが、当たり前のことを当たり前にするということは、予想以上に難しいことかと思います。

アトキンソン氏の提言は、決して特別なものではなく、当たり前のことが、あまりにも出来ていない呉服業界に対する苦言ですね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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