バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

アトキンソン氏の提言について考える(3)供給者の理屈 流通現場編2

2015.10 25

先頃、約2年間の厳しい交渉を経て、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)が大筋で合意に至った。これにより大手の製造業などは、関税の引き下げに伴って輸出が増大し、より利潤が上がりやすい環境になったことは、間違いないだろう。

一方、農業分野では、関税が撤廃されることにより、多くの外国農産品が安い価格で流入し、厳しい競争を強いられることになる。その中で政府は、米・麦・牛乳(乳製品)・牛豚肉・砂糖類(サトウキビや甜菜糖など)の五品目を、国産品の聖域として定め、一定程度保護することになっている。

この五品目は、国産と輸入品の価格差が大きく、関税をかけて守らなければ、この分野の国内農業が、大きく疲弊すると危惧されるからだ。農水省の試算によれば、農業分野で全ての関税を撤廃すると、農業生産額は現在よりも4.5兆円程度減少するという。

 

現在の国内食糧自給率は、39%ほど。第二次大戦後、自由貿易を推進しようとする世界の動きの中で、日本の農業は国から保護を受け続けてきた。例えば、コメには法外な関税がかけられて、輸入米の参入を阻止してきた。また、農業者そのものを保護する政策も取られてきた。「農業者個別所得保障制度」などは、その最たるもので、販売費が生産費を下回っている農産物を生産している小規模兼業農家には、その差額を政府が助成していた。つまりは、生産者に損はさせないということになる。

その結果、専業農家は減少し、ひいては農業就労者の高齢化と減少に、歯止めがかからなくなっていく。現在の農業従事者は約250万人で、平均年齢は、65歳を越える。

 

致命的なことは、日本の国土の狭さにあることは、誰もが判っている。農家一戸当たりの耕地面積は、EU諸国の約10分の1、アメリカの約100分の1、オーストラリアに至っては、約1800分の1。これでは、生産性から収益効率を考えれば、まるで競争にはならない。価格で競うのは、そもそも無理がある。

では、安い輸入品に対抗する手段は何か。当然価格以外のことになる。外国では、日本より食品添加物や残留農薬の規制基準が緩い。食の安全は日本の農産物の切り札だ。また品質の良さは、味覚や見た目の面からもかなり追求されている。

この日本の農産品における利点を生かし、海外輸出へと転じる「攻めの農業」を政府は目指しているが、問題は国内需要がどうなるかであろう。これは、消費者が価格でモノ選びをするか、安全性や品質に主眼をおくか、という二者択一である。

 

農産品に限らず、どんな品物でもそうだが、消費者がモノを選ぶ時に、何を主眼とするかで、購入するものが変わる。価格の安さなのか、それとも質の良さなのか、は大きな分かれ道だ。消費者は、この両方の情報を吟味して、品物を購入する。モノ選びの主役は、あくまで消費者にあり、供給者は「まな板の上の鯉」である。

けれども、我々が扱っている呉服というものは、価格も質も、実に見え難いものである。自分が買おうとしている品物の価格が安いのか、高いのか、わからない。また、上質なものなのか、そうでないのかもわからない。何もわからないまま、というより、何も知らせてもらえないまま、品物を購入している消費者が実に多い。

だから、商いの場において主導権を握っているのは、消費者ではなく、供給者。つまりは、供給者の理屈が優先されてしまうことに繋がる。

今日は、我々小売の者が、どんな理屈を付けて価格を決めているのか、それを少し考えて見ることにしよう。ここに、呉服が手の届き難いものになっている、大きな原因があるように思う。まずは、呉服の価格というものの見極めがいかに難しいものか、その辺りから話を進めてみよう。

 

今日のウインド。飾ってあるのは旧・北秀が作った江戸友禅の黒留袖と、紫紘の金地引箔帯。このような品物だと、店内には入り難い雰囲気になってしまう。上質なモノを街行く人に見ては頂けるのだが、その反面重厚な店構えになる。ウインドは店を映す鏡だけに、どんな品物を飾るか、いつも悩ましい。

 

質の良さを理解して頂く第一歩は、まず品物を見て頂くこと。その上、どんな作り方がなされているのか、説明しなければならない。そして上質な品は、何故価格が高いのかということの理由、つまりお客様に納得して頂けるだけの情報を提供する必要がある。

小売屋はどのように価格を決めているのか。これはそれぞれの店の業態や販売方法、さらに仕入れ方などで大きく異なる。その上、メーカーや問屋側が価格設定するような商品がほとんどないため、ほとんどの小売価格は店の裁量に任されている。

竺仙の浴衣や龍村美術織物の光波帯のように、メーカーが小売価格を設定し、それを取引先に厳守させるような商品は、例外的なことなのだ。もし、このように作り手側に、価格の主導権があるのならば、もう少しマトモな業界になっているはずである。

 

このように価格に関しては、ほぼ小売屋が決定権を持っているために、不透明さが増す。ネット時代になって、消費者がそれぞれの品物を検索して、価格を比較することが容易くなった。しかしながら、これは一部の商品についてであろう。証紙の付いている紬類や、織屋が表示されている帯類などでは、ある程度参考にはなる。

厄介なのは染モノで、加賀友禅のように作家名が特定されるものはまだしも、分業で作られているものは、ネットの情報だけでは判り難い。例えば菱一・千切屋治兵衛・千總などとメーカーが明記されていても、これだけではどのような価格が適正なのかは、全くわからない。これらのメーカーは、ともに型友禅も手描き友禅も作っているために、品物を実際に見ないことには、判断できない。「型か手描きか」を見抜くことは、品物を前に置いたとしても、消費者には難しいことであろう。

 

店の入り口にある小ウインドに飾ってある、ちりめん紫地色の福良雀模様染帯。

例えば、こんなさりげない染帯でも、価格が適正かどうかということを、ネットで調べようにも、比較する材料がない。この帯は、つい最近菱一から仕入れたものだが、同じ商品を他で見つけるのは至難なこと。以前に、全く同じモノを菱一が染め出ししていれば別だが(それとて地色や配色は変えていると思われる)、数は限りなくゼロに近いだろう。つまり、バイク呉服屋で付けられている値段がこの帯の全てであり、消費者がその価格を、客観的に高いか安いか判断する材料がない。

「染帯」とネット検索すれば、それこそ何百もの商品が出てくるが、価格は数千円から30万円を越えるような品物まで、範囲は広がっている。もちろんそれぞれの帯の、生地も模様も染め方も異なる。価格の違いは、質の違いであるが、消費者が質が価格に見合うものかどうかなど、わからない。

 

けれども、こんなカジュアルに使う趣味的な品物などは、価格だけで消費者が選ぶものではない。もちろん求めやすい価格というのも、モノ選びの重要なポイントではあるが、それよりも色や模様が自分の求めるセンスに合っているかどうか、こちらの方がより大切になる。

キモノを楽しまれる方の中には、色や模様で品物を探される方も、多い。ネットで検索する場合は、まず自分の気に入った品物が存在するかどうか、それを探す。探し当てたところがネット販売していれば、その価格を見て購入するかどうかを検討する。ただその場合も、その価格が適正かどうかの客観的な判断は難しい。

このように小ロットで生産されるものは、価格を比較することが難しく、その上それぞれの品物の質を、消費者が見抜くことが難しいという、二重構造になっている。だから価格は、扱う小売店の胸三寸に左右されることになるのだ。

 

先に挙げたメーカー(竺仙や龍村)が価格に主導権を握ることが出来るのは、いずれも一定の数が生産されるものであったり、毎年継続的に作られているもの。そして販売がある程度見込めるものだからこそ、である。

老舗染メーカーの千總などは、毎年、数十種類の型友禅の振袖を一定量生産しているが、これは三越や伊勢丹・高島屋のような大手百貨店が扱うことにより、一定の販売量が確保できるからである。千總が作るものだけに、型友禅といえども、ある程度のグレードは確保されており、価格帯も30万円~80万円までとバラエティに富んでいる。もちろん、価格は消費者に明示されており、扱う百貨店によって価格が変動するということはない。

キモノのことは何もわからない方でも、千總の振袖ならば、まずは安心して使えるだろうし(何より千總という名は、この業界では一定のブランド力がある)、そこそこの質は確保されたもの。だからこそ、大手の老舗百貨店がこぞって扱う。もちろん、もっとコアな消費者のために、より上質な品物も用意されてはいるが、千總の振袖に川島織物の帯というのが、デパートのスタンダードな合わせ方になっている。

 

今日お話してきたのは、消費者側が品物の価格を判断することが、いかに難しいかということ。そして、その付けられている価格のほとんどは、小売屋の手の内にあるということである。

小売屋が上質なものは高く、そうでないものは廉価にという、自分が仕入れた品物の水準に則って価格設定されているなら、まだ消費者には理解されやすい。また、安く仕入れた品は安く、高い品はそれなりの価格にするのも、当たり前である。しかし、現状はそうなっていない。

呉服価格の不透明性や、高額化は、品物の水準とは別の理由にあることが多い。ここにこそ、問題が潜んでいるのだ。そこには、供給者である小売屋としてあるまじき理屈というのが、あちこちに散見される。

この問題を解決しない限り、消費者からの不信感は払拭できないであろう。しかしながら、現状では問題意識さえ持たず、平然と商いを続けている者が何と多いことか。そしてこれを取引先である問屋が容認するどころか、助長しているような面もある。

アトキンソン氏が持つ価格への不信感の源は、そのほとんどが品物を消費者へと橋渡しをする、小売の段階にあるといっても、言い過ぎではないだろう。今日は、どのような原因から価格が不透明になっているかまでお話して、稿を終える予定であったが、具体的なことは何も書けずに終わってしまった。

次回は、販売のしくみ、仕入れ方法など、様々な要因で変わってしまう価格のからくりなどを順次お話して、問題点を探っていくことにする。

 

バイク呉服屋が貧しかった学生時代には、牛肉などは高嶺の花で、とても手の出せるものではありませんでした。

1kg200円の牛スジ肉に狂喜乱舞し、すき焼きの材料に使おうとした結果、肉を噛み切れず、悲惨な結末を迎えたことを、昨年のクリスマスのブログ(12.23・冬を楽しむ遊びの文様の稿)で御紹介しました。この時代、牛肉というものが、どれだけ特別視されていたのかわかると思います。

 

1991(平成3)年、GATT(関税と貿易に関する一般協定)のウルグアイ・ラウンドで、アメリカ産牛肉とオレンジの輸入自由化が認められ、これ以降、安い輸入牛肉が国内に出回るようになりました。

牛肉を生産していた畜産農家は、否応無く価格競争の波にさらされ、質の向上や安全性といった、価格以外の面に目を向けざるを得なくなったのです。つまりは、消費者に国産牛肉を購入してもらうために、全く別の視点から品物をアピールする必要性に迫られたことになります。

供給者というものは、常に消費者の行動を意識しつつ、品物を販売する努力をしなければならないのは、至極当たり前のことでしょう。

これがうやむやになっている呉服業界などは、消費者に不信感を持たれて当たり前ですね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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