バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

京繍の多彩な技を見てみよう  菅繍・相良繍・鎖繍

2015.09 25

花束を作ってもらうと、メインの花と一緒に「かすみ草」が添えられることが多い。花の見映えが引き立つように、あるいは色のアクセントとして、使われる。かすみ草は、白い小さな可憐な花で、自己主張しない。だからこそ、脇役として役割が果たせるのだろう。

秋の七草の一つ「薄(すすき)」も、文様の中では、かすみ草と同じような役割を果たしている。キモノや帯の中で、すすきの花を単独で描いた品は、ほとんどお目にかからない。だいたいが、菊や女郎花、桔梗などとともに使われ、その存在はあくまで脇役に徹しているようだ。

 

そのススキが、主役に近づく日がある。十三夜と十五夜のお月見。この日ばかりは、この花が飾り物の中になければ、格好が付かない。月見団子や栗、里芋などと一緒に、窓辺に供えられる。

月を愛でる優雅な習慣が始まったのは、平安中期・10世紀頃。世は、延喜・天暦の治と呼ばれた天皇親政の時代で、国風文化が大きく花開いていた。宮廷内で、花や月を愛でる行事が季節ごとに催され、和歌を詠み合い、弦に耳を傾け、酒肴に興じるという、雅やかなものであった。今に続く年中行事である、ひなまつりや端午の節句、七夕、そして月見なども、この時代には始まっていた。

 

今年の十五夜は、今度の日曜日の27日。十三夜は来月25日。ススキの穂の色はまだ小麦色、後の月と呼ばれる十三夜の頃には、少し白くなるだろう。こんな些細なことでも、季節のうつろいを感じることが出来る。ススキの別名は「尾花」。伸びる穂を、動物の尾に見立てて名付けられたものだ。皆様も、月や団子だけでなく、ススキの様子にも注目して頂きたい。

 

前回のコーディネートでは、京繍の品物を御紹介した。そこで今日は、様々にほどこされる縫い取りの技を見て頂こうと思う。基本的な技法は15種類であるが、代表的なものを幾つか選んで、どのように品物の中であしらわれているか、お話してみたい。

 

大陸から伝わった染織技術は、律令制度下においても重要視され、711(和銅4)年には、錦や綾、羅などの高級な織物を製作する国家機関・織部司(おりべのつかさ)が設置された。この役所は二官八省の中の大蔵省(内蔵寮)に属していたものである。その後、808(大同3)年に、中務省(朝廷職務の全般を把握する機関)の中に置かれている縫殿寮に、大蔵省の縫部司を合併したことで、後宮(天皇の妃)や朝廷の役人達の衣服製造が本格的に始まった。

縫殿寮というのは、元々は女官人事と縫製を監督する役所であった。これは、後宮十二司という天皇・后の家政機関があったので、ここに勤務する女官や製造される衣服について、取り仕切ることが必要だったからである。平安京に遷都した際に、この縫殿寮も移される。これが、京都へ染織技術を持つ多くの職人が集まる契機になったのである。

 

では、染織技術の中で、「繍」はどのように日本に伝わってきたのか。最初に入ってきたのは、仏画を刺繍で表現した「繍仏(ぬいぶつ)」という、信仰対象の掛け物であった。これは、刺繍そのものに価値があるのではなく、あくまでも、描かれている仏を拝めるものであり、いわば仏像などと同じように扱われたものだった。

繍仏は、飛鳥から白鳳、天平期にまたがり数多く製作されたが、現存している最も古いものが、「天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)」である。

この帳(とばり)は、推古天皇が聖徳太子を偲ぶために作らせたもので、極楽にあるとされる「天寿国」の様子を描いたもの。甲羅に四文字の字文を背負った亀と、踊るような兎の姿が楽しげに描かれている。

もちろん全ての模様が刺繍で表現されており、「返し縫い」という技法が取られている。これが、日本最古の刺繍となっている。なお、この天寿国曼荼羅繍帳については、以前このブログで詳しく解説したことがあるので(2013.11.10・聖徳太子と飛鳥文様 中宮寺編)、よろしければそちらの方も、ご一読願いたい。

平安時代以後は、繍が装飾の意味を持って使われ、貴族の装束にあしらわれる技法として、役割を果たすことになる。これは、時代を追って豪華に華やかに表現されるところとなり、江戸初期に流行した寛文小袖には、競うようにして、贅沢な繍が模様としてあしらわれていたのである。

では、京繍の様々な表現を、具体的に見ていくことにしよう。

 

(菅繍・すがぬい)

キモノにおける刺繍には、模様のほぼすべてを繍で表現しているものと、友禅の中の一つの技法として、染や箔、絞りなどと併用して使われている場合とがある。前回のコーディネートで御紹介した品は、柄の全てを繍で表現したものだったが、今日も、出来るだけ繍だけで模様が付けられているものを選んで、その技法を見ていくことにしたい。

最初の技法は「菅繍(すがぬい)」。これは、前回の白鼠地色の付下げにほどこされた技法と同じである。前の品では、同色の上にその糸の色が薄かったため、どのような縫い方がなされているか、判り難かったように思える。

 

最初の画像を見て頂くと、生地の地の目にそうようにして、繍われているのがわかる。そして、繍と繍の間には、わずかな隙間があるように見えている。

菅繍の繍目を拡大したところ。よく見ると模様の場所により、繍と繍の間隔が異なっている。金糸で付けられた一部の葉と枝の繍と、白い花の繍、さらに、橙色の小花の繍の違いに注目して頂きたい。

まず、金糸の一部の葉と枝の繍には、間隔がなくびっしりと並んでいるところがある。これは目詰めと呼ばれ、地の目を開けることなく繍をほどこす方法である。次に、白い花を見ると、わずかに隙間が出来ている。この、地の目を開けた菅繍技法を目飛ばしと言う。

目飛ばしには、地の目を一目置きに飛ばす方法と、二目置きに飛ばす方法があるが、一目より二目のほうが、繍と繍の隙間が広い。従って、上の模様では、白い花が一目飛ばし、それより少し広く見える赤い小花が、二目飛ばしで繍われていることになる。

また、繍糸の目を長い目と短い目に使い分ける場合がある。この長短不揃いに糸を渡す方法は、消し落としと言われるもの。これは、太さを半分にした糸を重ねて、針で継ぎ足しすことによって表現できる。

裏面から繍のほどこしを見てみた。繍と繍の間隔の空き方が、模様の部位により違うことがわかる。菅繍は、緯糸沿いに糸を引き渡し、それを繍閉じて押さえるという技法が取られている。繍目の間隔などは、よくよく注意して見ないとわからないが、模様を表現することに対して、繊細な試みがなされていることが理解出来よう。

菅繍がほどこされた品物(付下げ)の上前部分。最初の画像は、この模様を拡大したところ。途中の小花模様は、袖部分のあしらい。遠めに見ると、繍というよりも、織り込まれているようにも見える。これが、菅繍の特徴とも言えよう。

 

(相良繍・さがらぬい 鎖繍・くさりぬい)

仏教における7つの宝具の一つ、「宝輪」をモチーフにした図案。独特なこの輪模様の起源の元は、古代インドのチャクラムという武器であった。仏教では、教義を他人に伝えることを「転法輪(てんぽうりん)」と言うが、この武器を、世俗的なものを論破する道具に模したと考えられた。

千手観音や如意輪観音が持っているものが、この宝輪であり、また密教においては、中央に安置されるものである。仏教を象徴的に表現するような、大変尊いものだ。

宝輪をよく見ると、輪の中心から8方向に放射状に線が延びているが、これはインドにあった八つの部族を示している。つまり、インドの中の八方向に教義を広めるという意味だ。インドの国旗には、真ん中にこの宝輪が描かれているが、仏教の国のシンボルとして、いかに尊重されているかがわかる。

 

では、この宝輪模様にほどこされている繍を見てみよう。すこし判り難いが、丸いビーズの粒のように見える部分が、「相良繍(さがらぬい)」。この柄の中で「輪」を表現しているところは、全てこの技法が取られている。相良繍は、別名「玉繍(たまぬい)」と呼ばれ、生地の表面に結び玉を作って刺されるもの。数多い繍の中でも、特徴的で、わかりやすい技法の一つ。

模様を拡大したところ。丸い粒の相良繍で、丸い輪を描く。この繍の特徴が生かされたあしらい方。

そして、もう一つ。この輪と輪を繋いでいるのが「鎖繍(くさりぬい)」という技法。読んで名の如く、鎖のように線を表現するために使われるもの。繍技法の中でも、もっとも古くから使われている技の一つで、数多くの繍仏にこの繍が残されている。

この繍の特徴は、輪郭や模様を繋ぐ線を太くし、強調するために使われる。上の模様でも、九つの丸の真ん中に交差している菱型は、かなり太い線で表されていて、宝輪模様の「八方向に伸びるスジ」を意識的に印象付けている。

相良繍と鎖繍がほどこされた品物(付下げ)の上前部分。銀糸だけで繍われた宝輪文様は、控えめながらも仏教文様として独特の雰囲気を出している。繍糸が、銀と白だけを使っていることから、かなり個性的な品物に見える。

 

あと幾つかの繍技法を、御紹介しようと考えていたが、長くなりそうなので、次回にこの続きを書くことにする。次ぎの稿では、友禅の中で付属的・補足的にあしらわれた繍、つまり柄の一部に使われているものとしてどんなものがあるか、見ていくことにしたい。

 

どうやら27日は晴れる予報なので、十五夜お月さまを愛でることが出来そうです。今は、団子と一緒にススキを売っている店も多くなり、わざわざ自分で川原へ取りに行く人も、少なくなっているように思います。

ススキは、尾花という名の他に、「茅(かや)」とも呼ばれます。あの「茅葺き屋根」の材料の茅です。世界遺産になっている、岐阜・白川郷や富山・五箇山の合掌作り集落の近くには、茅を葺くためのススキ原があります。

秋が深まっていくごとに、穂は白くなり、晩秋の頃に風が吹くと、散らされて飛ばされていきます。日暮れの早まりと呼応するかのようなそのさまは、なかなか趣がありますね。

皆様も、十五夜のススキは、ご自分でご用意されたらいかがでしょうか。川原や野で採れば、それだけで季節を感じられますので。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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