バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

西陣織工業組合のこと 眼鏡型証紙と品質表示(前編)

2015.08 21

10月から、国民一人一人に背番号が付く。マイナンバー制度のことである。年金や保険、税の納入や受給などが、効率的で公平に運用出来るようになると、政府は述べているが、果たして利点だけで問題はないのだろうか。

とどのつまりは、国が個人の情報を一括して管理するということだ。けれども、人の生活の基盤となるような社会保障の分野で、もし情報が漏洩するようなことがあれば、それこそ大変である。

無論、万端を整えてこの制度に臨むのだろうが、今年6月に日本年金機構がサイバー攻撃を受けて、125万件もの個人情報が流出したばかりである。行政の効率化を計るのも良いが、裏返せばかなりのリスクを背負うことになる。この制度で、将来取り返しの付かないようなことが、起こらないことを祈るばかりである。

 

さて、呉服屋が扱う品物の情報は、消費者にわかりやすくなっているのだろうか。

染モノの場合、加賀友禅などは、落款を見れば誰の作品なのかわかるようになっているが、京友禅や江戸友禅には一部を除いて、具体的な表示はほとんどない。分業で作られているため、難しい面があるので仕方ないが、せめて手描きなのか、型なのか程度の表示があっても良いだろう。これは、小売屋のためでなく、あくまで消費者に品物の価値をわかりやすくするために、である。

もし品物に、「型糸目・手挿し」とか「インクジェット」などと、具体的な製造方法が明示されてあれば、価格を理解しやすく、納得のいくモノ選びが出来るように思えるが、そんな表示はほとんどなされていない。

織物の場合は、産地組合の表示などで、品物の出所がある程度わかる。では帯はどうか。最大の帯産地、西陣の場合では、帯に番号の付いた証紙をつけることで、製造先がわかるようになっている。そして、どのような材料が使われているかわかるような、品質表示もされている。

このように、「西陣の帯」を管理しているのが、西陣織工業組合である。この組合がどのような役割を果たしているのか、二回に分けてお話してみたい。今日はまず、証紙とその番号について。

 

眼鏡型・西陣帯証紙 2300番・紫紘 この番号は、織屋のマイナンバーである。

西陣織工業組合が現在の形になったのは、1973(昭和48)年のこと。それまで組合は、帯・着尺など三品種に分かれて、別々に存在していた。それが合同して、今の組合組織となったのである。

西陣織の同業者組合はかなり歴史が古く、1885(明治18)年には、西陣織物組合という名で、初めて結成されている。そのことは、昨年の年初に組合が、創立130年を祝う行事を催したことでもわかる。

戦前の組合は、分離や改編を繰り返しながら活動を続けてきたが、1944(昭和19)年に解散となる。これは太平洋戦争による国内の経済統制の影響を受けたもので、特に七・七禁令(1940・昭和15年7月7日に出された法令・国家総動員法に基づく奢侈禁止令)は、贅沢品の製造販売を禁止したものであったために、西陣織の生産は大きく影響を受けた。

アメリカとの戦争が始まった昭和16年以降は、衣料が配給品となり、もはや贅沢な帯地などを織ることが出来るような環境になく、軍などが発注する品物で、糊口を凌いでいた。昭和19年の組合解散は、その名称を西陣織物統制組合と変えるためのもので、それによっても、この時代の西陣の立ち位置がわかる。

戦後になって復活した組合では、責任あるモノ作りを各々の織屋に求め、西陣ブランドを明確化しようと考えた。これが、「証紙」の誕生や、「西陣」という名前そのものを商標として登録したことに繋がる。

 

証紙は、番号によって生産者(織屋)がわかり、さらに帯の種類別に色と表示が変えられている。

「京袋」帯は、緑色証紙。(龍村美術織物・光波帯) 袋帯は金色で、「袋」と表示。

この他、爪搔綴帯の証紙は黒色で、証紙そのものにも高級感がある。

この証紙制度は、1953(昭和28)年に始まり、当時の組合加盟社の中の38社が、最初の登録に参加した。番号は、当時参加した織屋の名前・いろは順で決めていった。先頃このブログで御紹介した紗袋帯を織ったメーカー、秦生(たいせい)織物は8番なので、第一回の登録に参加した織屋だということがわかる。

証紙番号が若いほど、古い織屋だと思われがちだが、そうではなく上記のような事情による。西陣でもっとも古い織屋は、室町末期の1550(天文19)年に創業した紋屋井関。この織屋は御寮織物司に任じられ、朝廷や公家の装束を織っていた。もし、創業の古い方から番号を付けるとすれば、ここが1番でなければならない。

 

現在証紙に登録されている番号は、2500余。そのうち生きている番号は300ほどである。廃業したり、組合を脱退した織屋の番号はそのまま廃番となり、二度と使われることはない。最初に登録された38社のうち、現在残っているのは三分の二ほどである。ちなみに1~3番は廃番で、残っているもっとも若い番号は4番の篠屋という織屋。

番号を調べていくうちに、不思議に思えることもある。例えば、最初の画像・紫紘の番号は2300番だが、うちの在庫にある紫紘の帯の中には、34番と1560番という違う証紙番号の品物がある。34番を調べてみると山口静樹という個人名が出てくる。この方は紫紘の創業者・山口伊太郎翁の三男にあたる人。いわば紫紘とは兄弟会社にあたるのだが、どうして紫紘の帯として売られたのかは、不明だ。また、1560番は廃番になっていて、紫紘が2300番という比較的新しい番号で登録されているのは、何か訳がありそうである。

現在、在庫として店にある帯の番号を見ると、龍村美術織物644番、捨松48番、梅垣織物442番、斉城織物184番などで、比較的若い番号が多い。ちなみにもっとも若い番号は7番・北尾織物匠(1947年創業)の名古屋帯。このように見てくると、若い番号は老舗織屋だと、ある程度は言えそうである。

 

2008(平成20)年3月まで使われていた以前の証紙。

今から7年前、証紙の表示が変えられた。現在の証紙と比較してみると、以前の証紙には「正絹」との表記が見える。今の証紙は、「西陣織」と記されているだけだ。

これは、以前のように大まかな意味での「正絹」と記すよりも、より具体的に品質の表示をして、消費者にわかりやすく質を理解してもらうことを目途にして変えられたのである。そのため現在では、帯を製造した織屋が責任を持って品質表示を別途に付けている。それは、帯の素材に何が使われているか、具体的にその割合を明示するということである。このような厳格な表示は消費者や我々小売屋にどんなことを伝えているのか。

次回は、この品質の表示から見えてくる帯というものの材質と、その価値について話を進めようと思う。また、現在休刊中であるが、組合が発行している情報誌「西陣グラフ」についても、御紹介したい。

 

西陣を取り巻く環境の厳しさは、消えてしまった多くの証紙番号からもわかる。組合が調査した、昨年度の西陣生産概況がHPに公開されているが、それを見ると、よりはっきりしてくる。

例えば、組合員の数は、298社。これは今から40年前の、1975(昭和50)年の1074社から見ると、27.8%となり、実に当時の四分の三近くの織屋が廃業したり、脱退してしまったことがわかる。

織機の数や生産本数を見れば、さらに顕著だ。1975年の織機台数は21571台、それが現在は3135台で比率は14.5%。また生産本数も、40年前が733万本余だったのに対し、昨年はわずか40万本あまりで、1割にも満たない数字になっている。織られた帯の内訳は、袋帯が31万本、名古屋帯が5.5万本余、人の手でしか織ることの出来ない爪掻綴帯は1044本、丸帯に至っては僅か100本である。

織屋や織機、さらに生産数の著しい減少は、熟練した職人や個性的な商品という人・モノ両面の枯渇を容易に想像することが出来、ひいては西陣と言う町そのものが、厳しい局面に立たされていることを、理解することが出来る。

この状況の中で、何とかして伝統に培われた技術を守り、町を未来に繋げていくかという、難しい課題をどのように乗り越えていくのか。呉服というものが未来に残せるかどうかは、この西陣の存亡にかかっていると言っても、決して言い過ぎではないだろう。

 

帯に付けられている証紙番号は、織屋の責任を明確にするということで、大変重要なものです。帯を仕立てた際には、取られてしまうことが多いですが、もしお手元に残っているものがあれば、どこの織屋で作られたものなのか、簡単にわかります。但し廃業してしまったような織屋が作ったものでは、無理ですが。

今残っている織屋では、たいていHPを持っているので、消費者が番号を辿ることにより、どんなところでどのように織られている品物なのか、その情報を得やすくなっています。

皆様も、一度ご自分の帯についてお調べになると良いでしょう。また小売屋からお求めの際に、番号を確認するのも良いと思います。そして西陣という町についても、少し興味を持って頂くと嬉しいですね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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