バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

冬を楽しむ「遊びの帯文様」 サンタクロースと雪うさぎ

2014.12 23

「クリぼっち」という言葉をご存知だろうか。私も、つい最近知ったのだが、「クリスマス」と「ひとりぼっち」が合成されたもので、一緒に過ごす人がいない「ひとりきりのクリスマス」という意味だそうだ。

若い人の間で、「異性」の恋人や友人がいない人を揶揄したものだろうが、「御一人さま」であることが、ある程度市民権を得た世の中なので、「クリぼっち」であることが、恥ずかしいことにはならないだろう。

 

日本で「クリスマス」が「年中行事」と化したのは、いつ頃からだろうか。戦前まで12月25日が「祭日」だったことは、あまり知られていない。もちろんその頃は「国家神道」の時代なので、「クリスマス」とは何の関係もない。この日は、「大正天皇が崩御された日」だったからである。戦前の法律では、前の天皇が亡くなった日を「先帝祭」として、「祭日」にしていたのだ。

当時大都市の「カフェー」あたりでは、「クリスマス」にちなむ特別メニューなどが提供され、賑わいを見せていたようだが、「国民的広がり」を見せたのは、戦後のことだろう。キリスト教徒であるアメリカの「進駐軍」あたりから影響を受け、「ケーキ」を食べたり、「プレゼントを贈る習慣」が広がったと思われる。

 

クリスマスの過ごし方を見ると、それぞれの時代の特徴が見えてくる。高度成長期には、暮れのボーナスで、すこし奮発したプレゼントを子どもに買う父親の姿が象徴的であり、バブル期には、高価な貴金属を贈り、その後高級ホテルで「特別な夜」を演出するような、「身の程知らず」な若者が目だっていた。また数年前からは、自分の家を「イルミネーション」で飾り立て、通る人の目を楽しませるような「演出」が流行ったが、これも3・11の震災以降、「電気の無駄使いをしない」という「自粛ムード」により、少し減ってきている。

明日は、「クリスマス・イブ」。年中行事化した「西洋のお祭り」にちなみ、「堅苦しい伝統文様」から少し離れた「遊びの帯文様」を見て頂こう。

 

黒地「クリスマス」模様・九寸織名古屋帯(西陣・安田織物)

 

「リアル・クリスマス」とも言える帯。クリスマスパーティやクリスマスデートの街着に使えば、目を引く模様である。

キモノや帯に使われる柄では、「旬」を意識したものが数多く使われている。例えば、柄を「桜」に限定して描かれている品物の「旬」は、花が膨らみだす頃から散り終わるまでと考えれば、どんなに長くても3週間だろうし、赤く色づいた「楓」が散り行くさまに限定して模様が表現されていれば、ほんのわずかな、「季節の一瞬」を切り取ったものとなり、「旬」はもっと短くなる。

文様を見ると、古来から日本人が「季節のうつろい」や、その時々の「年中行事」をどれほど大切にしてきたかがわかる。それを、日々の生活の中で、「敏感」に感じ取り、「旬」を楽しんできた。

今では「春」でも「秋」でも、使い回せることが出来るような「柄行き」のものが、使い勝手のよい「便利」な品物として選ばれることがよくあるが、本来キモノや帯は、その時々の「旬」をまとうことが、基本であった。

「晴れの日」のキモノでは、期間限定の柄行きのものを選ぶことは、躊躇されるが、自由なカジュアルモノならば、「旬」を意識して楽しんでみたい。この「クリスマス柄」などは、「西洋の年中行事」を代表するものと言えようか。

 

星空の下、トナカイの引くそりに乗るサンタクロース。クリスマス模様の定番。

クリスマスに因む品物は、めずらしくなく、そのほとんどが「名古屋帯」の柄として採用されいる。「遊び」の柄だけに、「袋帯の図案」や「キモノの模様」としては当然使い難いものだろう。クリスマス柄に限らず、「カジュアルな名古屋帯」というものは、「旬のポイント」として表現しやすく、使う方も気軽に締めることが出来る。

「クリスマス名古屋帯」の地色は「黒地」がもっとも多く、白やグレーなどもある。柄は、上の品物のような、クリスマスツリーやリーフ、サンタクロース、トナカイなどが主役として登場し、「雪の結晶」や「雪だるま」も「コラボ」されている。

 

黒地「雪うさぎ」模様・九寸織名古屋帯(西陣・安田織物)

雪国の「かまくら」を思わせるような背景と、図案化されたうさぎの模様。画像が悪いので、地色の黒が白く霞んだような色に見えているが、実際は、白い雪と錆朱色のうさぎがもっと浮き立っている。

一部だけ抽象化されて表現されたうさぎの姿が愛らしく、「かわいい帯」に仕上がっている。サンタクロースほど期間限定ではないが、冬を旬とする「遊びの帯」である。

「雪」の代表的な文様には、「雪輪文」と「雪華(せっか)文」がある。雪輪は、草花に雪が降り積もるさまを表現した「雪持ち文」が変化したもので、雪華は、六角形の雪の結晶を意匠化したもの。「雪印乳業」のシンボルマークには、この「雪華文」が使われていたのを思い出す。

この品物で表現されている丸い「雪」は、特に「霰(あられ)文」とも呼ばれ、大小様々な「丸」が不規則に付けられている。このような「あられ」を使った文様は、江戸小紋の図案にも見ることができる。

うさぎの目と耳だけに絞って表現されている図案。

「うさぎ」を使った文様言えば、「花兎文様=角倉文」である。今まで何回かこのブログでも取り上げたが、盛り土の上にいるうさぎが振り返って後ろの花を見る姿が描かれている。

この品物は「雪うさぎ」をイメージして作られたものだが、うさぎは秋の文様の中で表現されることが多い。「中秋の名月」に代表される「月」の姿、そして「月の中で餅をつくうさぎ」と、想像が連なるからである。

 

今日ご紹介した二本の帯は、共に「安田織物」が製作したもの。この帯屋は江戸文政年間に創業され、六代続く老舗である。「すくい織」や「櫛織」など、手織りにこだわったもの作りで知られ、個性的な図案のカジュアル帯を多く手がけている。

「クリスマス柄」や「雪うさぎ」のほかに、「おひなさま」や「正月飾りの餅花」を使ったもの、また、「ネコ」や「苺」だけの柄など、楽しくなるような「遊びの帯」がある。もちろん、こうしたものの他に、受け継がれてきた来た伝統文様を頑なに表現し続ける品物もあり、かなり「懐の深い」織屋である。

今日は、「冬に遊べる帯」ということで、稿を進めてきたが、春・夏・秋と、それぞれの季節に「旬」を楽しむ文様がある。皆様も、自分のお気に入り文様を探して、個性的な着姿を楽しんで頂きたい。

 

 

さて、五十歳を過ぎると、沢山の「クリスマスの思い出」がある。娘達と過ごしたクリスマス。若い頃の甘酸っぱい時間。「クリぼっち」だった年のこと。それぞれの年にそれぞれのクリスマスがあった。

そこで、今日は今まで過ごしたクリスマスの中で、もっとも印象に残る「悲惨」な年のことをお話してみよう。

 

東京で一人暮らしを始めて、2年目のクリスマス。時は70年代末のことである。当時私の学生生活は困窮を極め、その食生活はかなり追い詰められたものだった。その頃の「地方出身の学生」の多くは、同じような暮らし向きであった。

その頃、食生活における私の「三種の神器」は、「丸善ホモソーセージ」と「マルハのさば缶」、「パンの耳」である。普段ろくなものを食べていなかったので、「クリスマスくらいは豪勢な晩飯を食う」と決め、同じような境遇にあった5,6人の仲間に声をかけ、「すき焼き」を決行することにした。

まず、それぞれに役割を分担させて、「鍋」を用意する者、「コンロ」を用意する者、「食材」を調達する者に分けた。当時、基本的な生活用具というものを持っていない連中なので、「道具」を準備するだけでも大変なこと。

私は「食材」担当である。すき焼きと言えば「肉」それも「牛の肉」。「魚肉ソーセージ」か、せいぜい「豚コマ」あたりしか縁のない私は、重い課題を抱えて、西荻窪駅隣の「西友ストアー」へ向かった。

5人で食う肉の量を考えれば、最低1キロは必要。どれもグラム300円以上でとても手が出ない。ぐるぐる精肉コーナーを回るうち、片隅にパックされた「牛肉の塊」を見つけた。そして値段と重さを見て、「狂喜乱舞」したのだ。1キロ200円。思わず2パック購入で責任を果たす。とにかく、「肉」の調達だけに気を取られ、後の材料は「ネギ」と「糸コンニャク」のみ。だが、文句を言われることはあるまい。

 

さて、材料も揃い日も暮れて、死ぬほど牛を堪能するクリスマスの夜の幕が開いた。粗大ごみの中から拾ってきた、携帯用ガスコンロに無事火が付き、下宿の大家のおばさんから借りてきた「大鍋」を乗せると、期待は否応なく高まる。

しょうゆと砂糖で味付けした「割り下」を流し込み、後は肉を投入するばかりとなった。仲間達は、私と同様、キロ200円の肉塊に狂喜し、塊を包丁で切ろうとした。しかし、なぜか「切れない」。肉そのものはそれほど「固く」ないのに、どうしても刃が入らないのだ。まさか「塊」のまま鍋には入れられない。

そこで、再び大家のおばさんの所に走り、借りてきたのは、「糸のこ」。何しろ全員、「肉を切ること」しか頭にない。後にも先にも、肉をのこぎりで解体したのは、この時だけだった。

本当は、この辺りでこの肉の「怪しさ」に気付かなければいけないのだが、もう必死である。不揃いながら、ようやく肉をバラバラにすることに成功。全員「バラバラ殺人」の容疑者になったような心境である。

 

鍋へ肉を放り込み、色が変わるのを待てずに口に放り込む。次の瞬間全員が吐いた言葉。「噛み切れない」。どのように力いっぱい咀嚼しようが、噛んで飲み込むことが出来ない。

それもそのはずで、この牛の肉は「すじ肉」だったのだ。よく居酒屋などで供される「煮込み」は、この「すじ」を使ったものだが、柔らかくなるまでには、かなり長時間を要する。「すき焼き」用の肉には決してならない。

貧しい我々には、「牛」であれば何でもいいということで、肉に関する知識など持ち合わせていなかった。

 

肉が食べられないことが判明した今、鍋の中に浮いているのは「ネギ」と「糸コンニャク」だけである。エースと四番打者を一挙に失ったチームに未来はない。こうなれば、この事態の責任者である私は、「代用品」を考えなければならない。だが、家にあるものは、「もやし」と「丸善ホモソーセージ」だけ。肉を失ったことで自暴自棄になっていた我々は、この二品の投入を決意する。

そうして、「夢のすき焼き」は、今まで経験したことのない「鍋」へと壮大な変化を遂げたのだった。そのうち誰かが、「スジ肉」を噛むことで、口の中でダシを取れば、とりあえず「牛の味」を感じることが出来るといったので、全員それにならい、「ガム」のように噛み締めてみる。「ガム化した牛肉」など聞いたことも無い。

こうして、狂おしいような悲惨なクリスマスの一夜は過ぎて行った。当時、「スージークワトロ」というアメリカの女性ロック歌手がいたのだが、これに引っ掛けて一言、「スージー(スジ)喰えない」。

 

今、振り返って考えれば、こんな事態になっても、笑っていたように思います。貧しくとも、心豊かで、前向きな毎日だったとそう思えるのです。

皆様も、心豊かなクリスマスとなりますように。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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