バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

タンスに眠るキモノや帯の行方(後編・「リサイクル品」を考える)

2014.12 15

「フリーマーケット」というものを、イベントや地域活性化の「集客の目玉」として利用する商店街や自治体が、本当に増えた。家庭の不用品を持ち寄って安く販売する。本来なら「商売」に無縁な「素人」が楽しみながら「商売」をするのだが、最近では、「フリーマーケット」専門の「商売人」もいるようだ。これは、「家にある品」を売るのではなく、どこからか「仕入」をして、販売をする。いわば、「フリーマーケット」を商いの場として使っている人達である。

「人が集まる場所」には「市」が立つ。「門前市を成す」という言葉の通り、古くから寺社の前には、「市」が立った。大勢の参詣客を見込んで、その門前には様々な店や露店が並ぶのだ。

京都の門前市で有名なのは、東寺(教王護国寺)の「弘法市」と北野天満宮の「御縁日」。

「弘法市」は、天台宗の開祖「空海」の命日にあたる毎月21日に、「御縁日」は「菅原道真公」の誕生日と命日にあたる毎月25日に開かれる。どちらも「門前市」として、古くから開かれていて、そこに並ぶものは、書画骨董、アンティークキモノ、植木、日用雑貨などから食料品まで、多岐に渡っている。

特に「弘法市」の歴史は古く、1239年に始まったというから、すでに800年近く続いている由緒ある門前市。1200もの店が並び、毎回20万人もの人出がある。この市に出店しているのは、もちろん「素人」ではなく、普段は他に店を構えているものが、この日だけここで商いをする。

ここでは、キモノ関係の店が数多く出店されており、古着やアンティークモノを扱う店や、生地を切り売りする店、「端切れ」を扱う店など、その形態は様々である。「古着」を探す人ばかりでなく、京都観光をする外国人にとっても、格好の「土産品を見つけるスポット」となっているようである。

前回の稿では、タンスに眠るキモノや帯の「引き受け手」が乏しいことをお話したが、今日は、それを「買取」ったり「無料」で引き取ったりする業者が扱う品物、いわゆる「リサイクル品」について、少し考えてみたい。

 

「リサイクル品」として世に出る品物は、「誰かが身に着けた仕立て上がりの品」ばかりではない。不思議なことに、我々の店先に並んでいるような「反物」の状態のままの品や「未仕立ての帯」もある。つまり「古着」という位置づけにはならないものだ。

なぜこのような「品物」が「リサイクル店」や「古着市」に並ぶのか。これには幾つかの訳がある。

 

「デッドストックとして、持て余している品はありませんか? 鑑定無料、高価で買取致します。」などと書かれた手紙や葉書が時々届く。中には電話などをかけて来る業者もいる。

「デットストック」とは、長く在庫として持ち続けている品物で、「売れる見込み」のないものや、店に置いているうちに色がヤケたり、変色するなど、不具合を起こして「商品価値」がなくなってしまったもののことである。

もちろんうちには現在そんな品物はなく、もし「不具合を起こしたモノ」があれば、自分でその行く末を考える。例えば、店の照明で反物の色が「ヤケ」てしまったような品物ならば、「売り物」にはならないので、うちの奥さんの仕事着にしてしまうとか、または変色部分を除いた上で、「裏地」や「襦袢の袖」として「再利用」するかである。

だが、店によっては「過剰在庫」に苦しんでいたり、後継者がなくて、商品の処分を考えなくてはならないところもある。こうした店では、買取業者の誘いを「渡りに船」と思う場合がある。

 

先日ある取引先から聞いた話だが、「後継者」のいない呉服店の経営者が亡くなった時など、あちらこちらの業者から、「商品買取」の勧誘が入るそうである。特に、商品知識のない人が、店主亡き後に残された場合、店の棚の品物をどのように「処分」してよいかわからない。例えば、親が経営していた呉服屋を息子が継がずに、まったく違う仕事に就いているような場合である。

それこそ、一般家庭でタンスの中のキモノの処分に困るように、「店の反物」の処分に苦慮する。こんな時に、「買取業者」から連絡が入れば、一にも二にも「頼みたくなる」だろう。「店をたたむ」とすれば、品物の存在は「邪魔」になる。これをまとめて買い取ってくれるならば、こんな有難いことはない。

もともと「呉服」に関して、何の知識もないので、自分で始末する方法を持たない。買取業者にとって、このような店はもっとも「旨みのある」取引が出来る店だ。なにしろ「売り手」側に知識がないので、品物の価値がわからない。つまりは、値段を安く付けようが高く付けようが、相手にはわからないことになる。結局買い取り業者の「言い値」で、品物が引き取られていくのだ。

廃業する呉服屋から、こうして未仕立の反物や帯が流れ、リサイクル店や古着屋の店先に並ぶのである。そして、現在「後継者」のいない呉服屋が多く存在することを考えれば、ますますこのような「小売屋から流出した品物」は増えていくことが予想される。

 

では、少し視点を変えて、「リサイクル店」や「古着店」の存在意義を考えてみよう。

この十年の間、店舗数は本当に増えた。大手百貨店の中に「テナント」として入る古着屋あり、ネット販売だけで高級品ばかりを扱う店あり、古い銘仙や希少な木綿のものなどの、いわゆる「アンティーク品」に絞って品揃えをするところあり、とその業態や扱い品は様々である。

店が増えたということは、供給する品物が増えたということになる。先にお話したように、「家庭のタンス」から出る「仕立て上がり品」や、「廃業する店や在庫整理する店」から出る「未仕立て品」の数が増え続けているという裏返しとも言える。

あとどれくらいで家庭に残されている「古着」が無くなるか、予想は付き難いが、何せ現時点で2億点以上のキモノや帯が存在していることから考えれば、まだ、先は長いと思える。

 

リサイクル店が「多様化」したのは、品物を求める消費者のニーズに合わせて「細分化」されたものだろう。それは、キモノや帯を求める人の「購入先」として、ポピュラーな場所と認知された結果でもある。

キモノを着てみたいと思う若い人は予想以上に多い。「潜在的なキモノファン」なのだが、いざ「購入」するとなると、ネックになるのはやはり「価格」である。例えば街着を作りたいと呉服屋の暖簾をくぐる。キモノ、帯、襦袢から小物、草履まで揃えるとすれば、10万円以内で収まることはほぼ不可能であろう。

これを、「リサイクル店」で考えれば、十分可能になる。若いOLや学生でも「何とかなる」価格になる。「古着屋」の存在意義の一つは、キモノ購入に対するハードルを決定的に下げたところにある。そして、「敷居の高い」呉服屋でなくても、気軽に、自由に、品物を見ることが出来る点もポイントが高い。

「自分の身に着けるモノ」として、キモノや帯は、他の洋服類に比べて「以前誰かが着ていたモノ」であることが「あまり気にはならない」ようだ。もちろんリサイクル店の店頭に並ぶ時には、出来る限りしみや汚れは落とされていて、「良い状態」になっているのだが、元々「キモノは古いモノ」という意識が根底にあるからなのかも知れない。

 

古着屋やリサイクル店に注目するのは、キモノ初心者ばかりではない。ある程度キモノに精通する人が使うこともある。それは、「古着」でなければ流通しないような質の高い商品や、希少品に巡りあえるからだ。

すでに亡くなってしまった作家の品や、生産量が激減した産地の織物、または手を尽くした良質の友禅や精緻な型を使った小紋、それに有名メーカーの帯などがそれに当たる。稀に呉服屋の店頭にあったとしても、「高額」なものでなかなか手が出ないものが多い。

「古着」であることを除けば、品物の質はあまり変わることはなく、価格も安い。品そのものに価値を認めることが出来るような、「品物がわかる人」にとって、そんな商品と出会える「古着屋」には魅力を感じ、利用価値がある。

もちろん、このような「質の高いリサイクル品」を扱う店は、品物の知識が要求され、それと同時に品物を供給するルートが必要になる。「素人」ではとても開けない「古着屋」であり、「呉服を専門に扱ってきた」者が、この形態の店で商いをしていることが多い。皆さんも、一度ネットでこのような店を覗いて頂けば、どんな品物が高額で買い取られているのかがわかる。

 

以上、二つの形態の「リサイクル店」を見てきたが、これからは「価格」や「質」に特化した店ばかりではなく、もっと細分化した店が増えていくかも知れない。例えば、「カジュアルモノ専門」の古着屋とか、「若い方向けの品物ばかり集めた」古着屋、「男物専門」の古着屋などが想像できる。

それと同時に「寸法部分直し」や「洗い張りして仕立て直し」など、購入した人の寸法に合わせて品物を「直す」仕事を要求されるだろう。「古着」であっても、やはり着る方の体型には近い方が良いからだ。寸法に関する知識を持つ古着屋は、利用者にとっては重宝である。そして、キモノと帯、小物類のコーディネート力も要求される。特に初心者が品物を選ぶ際、店の者の的確なアドバイスが必要となる。

 

「リサイクル店」は、呉服というモノの「敷居」を低くする役割を果たしたが、これを考えてみると、そこには、既存の呉服店では出来なかった消費者への対応力や、商品価格の問題点が浮かび上がる。

扱う品物が高額なことから、店側で客を選んでしまっていることとか、良質な品を、消費者の購入しやすい価格で提示してこなかったことなど、一言で言えば、「消費者目線」で商いを進めてこなかったということに尽きる。

すでに、「古着屋」や「リサイクル店」は、呉服小売店にとって無視出来ない存在であり、改めて学ぶべきところも多い。その上に立って、我々既存小売店に出来ることは何かを考えることが必要であり、それは自分の店が社会の中で、どのようなスタンスで商いをしていくかということにも、繋がっているように思う。

 

うちにも「後継者」がいないので、いずれは、「棚に並ぶ品物」の行く先を心配しなければならない時が来るかも知れません。

なるべくならば、自分の手で仕入れた品物は、出来る限り売り切って終わりたいと思います。「自分の娘のように愛着のある品」が「見知らぬ業者」に貰われて行くくらいなら、値段などいくらでもよいので、せめて「自分の知るお客様」に使って頂きたいですから。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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