バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

呉服業界の後継者問題(6) 小売を継ぐ者、継がぬ者(前編)

2014.06 20

うちの店舗は、商店街のアーケードの中にある。前の紳士服店も隣のメガネ店も二代目、三代目が跡継いで、商いをしている。どこの地方都市でも、中心商店街にある店舗は、代々「家業」として受け継がれてきたところが多い。

しかし、大型資本による地方への進出が状況を一変させる。とくにロードサイド店や、大型商業施設での店舗集約などは、「車」が生活の中心になっている地方の人々の「消費行動」を大きく変えた。

そして、旧来の顧客に頼っていた古い商店街や、駅前の店舗などは、簡単に時代の波にのまれてしまった。「店を開けば客は来るもの」というのは、昭和の時代の話である。さらに、時代は進んでITによる革命的変化が起こると、「店舗」の存在そのものが問われるようになる。あまりにも早い世の中の変わりように、多くの個人小売経営者はついて行けず、結果的に「シャッターが閉まったら二度と開かない」ような街を、日本中に生み出すことになってしまった。

「家に居ながら」にして、日本はおろか世界中からモノを買うことが出来る現在、ITを使った商いを考えるのは当然である。個人経営と言えども、規模にもよるが、よほどの「個性」を出さない限り、家業の存続は不可能であろう。

 

体の小さい者が、体の大きい者を倒すにはどうしたらよいか。まともに組み合ったら当然勝ち目はない。何とか生き残るには、「体の大きな者には繰り出すことの出来ない技」を身につけることしかない。それが、自分にしか使えないものであるならば、なお有効なものとなる。

家業経営はまさにここで、「個人の技」を磨く以外に、未来はない。とてつもなく早い世の中の流れを横に見ながら、いかに「自分らしさ」を仕事に出し、お客様の共感を得ていくかが問われている。

今まで五回に渡り、業界の「後継者問題」についてお話してきたが、最後に「小売店」における跡継ぎ、いわば「未来」のことを考えてみよう。今回は、小売現場の現状と将来への課題を見つめる。そして、次回の最終回では、バイク呉服屋自身の「後継者」問題をお話したいと思う。

 

単に「呉服屋」と言っても、様々な形態があることは、ご存知であろう。「家業」といっても多店舗経営のところや、人を大勢雇い入れているところと、「家族だけ」の経営では、「規模」が違い、「振袖販売」に特化した「特殊な商い」をする店、ITを頼りにして「ネット販売」を重視する店、そして旧来型の「専門店」では、それぞれ「商いの方法」も違う。

おそらく、それぞれの呉服屋の形態により、未来への考え方は異なると思う。そして、現在の経営状況がどのようなものかが、「後継者」の問題と大きな関わりを持つのであろう。

 

うちの取引先は、ほぼ「専門店」を相手に商売をしている。そんなメーカーや問屋の者に話を聞くと、「若い跡継ぎ」がいない店が本当に多いようだ。私も50代だが、それ以下の年齢の「経営者」を探すことは難しいと言うのだ。

何代も続く「老舗」には、古くからの顧客がいる。呉服屋は、「人の節目」に関る仕事を受けてきた。結婚式、葬儀、子どもの成長に伴う儀礼的行事(宮参り・七五三・成人式)など、顧客の家そのものと深く関る仕事と言える。うちのお客様を考えても、その家と「世代を越えて」お付き合いしていることが多い。つまり、お客様も三代目なら、店側の者も三代目になっている。

現状のように、「店側」の方で、「受け継ぐ者」がいないということは、それまでその店に付いていたお客様の方では、大変困ることになる。親や祖父母の代、もしかすれば、その前の代から、その家のすべての「呉服」に関する仕事を請け負ってきた店を「喪失」することに繋がる。

本来ならば、そんな店は古くからの顧客の信頼を守るために、何としても店を「継続」させなければならない。大げさに言えば、「後継者」を探す「社会的責任」がある、ということになろうか。

 

だが、そんな「責任」を放棄せざるを得ない理由がある。第一が、社会一般から「呉服」の必要性が薄れたこと。以前では、どこの家も「儀礼」に「キモノ」は「欠かせないアイテム」であったが、今その意識を持つ家は多くない。それは、たとえ古くからの顧客でも、代が変われば、請け負う仕事が無くなることに繋がる。簡単に言えば、「需要」の著しい減少が引き起こした結果である。

これは、店側が、大切な顧客のために、後継者を探す必要がなくなったこと、つまり将来店を残さずとも、「責任」を感じなくてもよいということになるのだ。もちろん個々の店の現状の経営状態の良し悪しで、店を継続させるか否かの判断はあると思うが、古くから続く店にとって、この呉服屋として「社会における役割は終えた」と思えるような、生活様式や儀礼の変化は、将来を見つめる上で、決定的なことだった。

このことを踏まえ、本来の姿とはかけ離れた「振袖屋」になってしまう店や、ネット販売に特化して現状を打破しようとする店、あるいは古着を扱い、「リサイクル店」として形態を変える店など、将来「呉服屋」を続けるために、様々な道を「模索」している。「家族経営」の「家業店」よりも、人を雇い入れているような店の方が、好むと好まざるとに関らず、何としても「店を維持する」方向で、考えざるを得ないのは言うまでもない。

だが、「専門店」としてのプライドを持つ店、扱ってきた品物が確かなものである店ほど、「あきらめ」も早い。自分の商いのスタイルを変えてまでも、店を続けたいとはなかなか思えないでいる。それは、「後継者」を探すことを諦め(というより、後を継がせない)、自分の代限りと仕事に限を付けてしまう。「人を雇っていない店」ならば、決めるのは容易である。

 

「良い仕事」の品を扱ってきた店にとって、将来を諦める原因は需要の減少ばかりではない。これは、今まで五回にわたり、業界の後継者問題について話して来た様々な事と大きく関わりがある。

「モノ作り」の現場、「加工職人」の立場、流通の一翼を担う「問屋やメーカー」の現状など、「技術」・「品物」・「人」そのいずれもが苦境にあると言っていい。そのもっとも大きな問題は、どこを切り取っても「後継者」を見通せないということである。

この「後継者」を見通せなくなった最大の原因は、著しい需要の落ち込みだが、それに輪をかけたのが、業界の川下である「小売店」の変容にあることは、これまでも度々述べてきた。振袖を始めとする、「人の手」を必要としない品物が流通の主流を占め、その品物は、「人の手」を経ずに(日本の職人を使わずに)加工され、消費者に届けられる。仕事の「効率化」を最優先にする店の増加が、「職人の後継者」を消した一因でもある。

 

「モノ作り」や「加工」の現場に職人がいなくなることで、打撃を受けるのは、やはり呉服本来の姿を守ろうとする専門店ということになる。顧客の高齢化や、需要の落ち込みと共に、将来を見渡して、「売りたい品物を仕入れること」と、「きちんとした加工をすること」が困難になると予測されることで、「店」の存続を諦めてしまう。

「諦めて」しまえば、商いへの意欲は削がれ、仕入れの減少や消極的な販売へと繋がる。そしてそれはまた、業界川上のモノ作りの職人やメーカー、また加工職人の仕事に打撃を与える。まさに、「負の連鎖」とも言うべき悪循環が生まれている。「専門店」の側が、業界の将来像をどのように描くか、ということを放棄していることになるのだろう。業界衰退の原因は、「マトモな呉服屋」のこんな現状も大きく影響していると言っていい。

 

これから呉服屋の後継者(専門店の)になる者が、越えなければならない課題は「山」のようにある。それも、自分の努力だけではどうにもならない問題も多数見受けられる。それに向かってゆくには、かなりの勇気と努力が必要になるだろう。

但し、「良い品物」を必要とする消費者や、受け継いだ品物を大切に使い続けようとする人は、どんな時代になろうとも「零」にはならない。これだけは確かだ。周りの店が閉じていく中で、残っていければ、必ず最後には大きなものが得られるはずだ。そんな店こそ、この先何代も続く「老舗」として、その地位は揺るがないと思う。それは、目先の利だけを追わず、長い目で将来を見通せる後継者が存在する店だけに与えられるものだと思う。

 

ともあれ、現状ではすでに多くの良質な呉服専門店が、店を閉じた。今置かれた状況や、将来の見通しが立たずに「跡継ぎ」のいない、「閉店予備軍」のような店も多い。減り続ける店と減り続ける消費者の需要は、どの辺りで「折り合い」が付き、「均衡」になるのか、誰にもわからない。そして、モノ作り職人や、加工職人がそれまで残っているかどうか。その見通しも付き難い。また、大都市と地方では、置かれた状況も違う。最後まで呉服というものが必要になる「階層」は、やはり首都圏を中心とした、人口の多いところであろう。地方の専門店は、そんな不利な条件にもどのように対処していくのか。

そして、「販売の方法」はどのように変わるのか。対面ではなくネット販売が主流になるのか。「展示会」形式の販売は、廃れるのか。消費者にモノを売るという形態がどのように変わるのか判然としない。職人・メーカー・問屋・小売・消費者と続く流通の構図は劇的に変わり得るか、という点も大きく影響するだろう。

「後継者」を持つ店では、否応なくこの様々な難題に向き合っていくことになる。跡継ぎは、ほぼ自分の子どもであろう。次の世代に、この不確実な商売を続けさせ、成功させなければならない。受け継がせる親も、受け継ぐ子も、よほどの覚悟と強い気持ちを持たなければ、乗り越えられないことだけは間違いない。親は、子どもが「ひとり立ち」するまで、引退など許されないということになろう。

 

ここまで書いてきた小売店後継者の問題は、良品を扱い、優れた腕を持つ加工職人を大切にしようとする、「専門店」についてのことです。これが、百貨店やNC、それに「振袖屋」のような形態の店の将来像については、また違う見方が出来るでしょう。

業界としては、そんな業態の会社や店がこの先どうなっていくのか、ということに大きく影響されると思います。そして、例えばこの先、今のように「成人式」に「振袖」を着るという意識が、人々に残り続けるのか、そんなことも関わりを持ってくるはずです。

しかし、「専門店」という立ち位置は、そんな一般社会の動きがどうあろうとも、「呉服」というものを必要とする人に、どれだけのことが出来るかということに尽きるでしょう。それは、「人の手」による品物を扱うことと、「人の手」による加工の提供であることが、仕事の基本になることは言うまでもありません。ここを守ろうとするからこそ、これから大変な努力が必要となるのです。

 

さて、このことを踏まえ、「バイク呉服屋」の運命は如何に。自分の仕事の将来を見据えることは、自分の「残りの人生」をどんな形にするのかにも、繋がります。次回は、私自身の「未来予想図」を少しお話してみましょう。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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