バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

取引先散歩(5) 竺仙・日本橋小舟町

2014.06 06

朝顔・撫子・ほおずき・鉄線・露草・菖蒲・桔梗・萩・・・。いずれも「竺仙・浴衣」の図柄・モチーフとして使われている花植物である。これらは皆、初夏から初秋(立夏から立秋)の頃に花が色づき、暑さに負けずと咲きほこる。

江戸天保年間に浅草で創業した竺仙は、今に「江戸のデザイン」を伝える会社だ。麻の葉や瓢箪、波に千鳥など、また「役者柄」ともいえる、くる輪繋ぎや菊五郎格子などがその代表柄で、そのどれもが、「江戸の粋」を感じさせてくれる。

 

昨日ようやく梅雨入りしたが、その前は、30℃を越える日が続いていた。先日、当店も薄物に模様替えした。今日は、久しぶりの「取引先散歩」として、夏には欠かすことの出来ない取引先、「竺仙」さんのお店の様子をご紹介しよう。

「竺仙」には小洒落た、いかにも竺仙らしいHPがあり、その店の雰囲気を伝えているが、店の中の様子までは伺い知れない。ここでは、HPには載せてない店の売り場や、店先のことなどをお話していくことにする。

 

渋い竺仙の玄関先。木の引き戸になっているところなど、すでに「歴史」を感じさせてくれる。

竺仙に向かうには、地下鉄人形町駅のA5出口から出る。階段を上るとすぐ左手は人形町の交差点。ちなみこのA5出口の右2軒目に「バイク呉服屋御用達」の「小諸そば」がある。

竺仙のある小舟町は、人形町の西隣の町会なので、人形町交差点から西へ歩く。辺りはビル街になっていて、江戸情緒などを感じることはできない。100mほど歩くと、正面に首都高速の高架が見える。江戸橋のICで、その下には川が見える。

この川は日本橋川で、ここにはかつて、東西から堀留川が流れ込んでいた。江戸初期のこの辺りは「河岸」であり、物資輸送の基地として重要な場所であった。「こぶな町」の名は、そんな江戸みなとの「荷揚げ場」から由来して、付いたものである。以後、明治・大正期になっても、そんな荷揚げ場の名残を留めていた。すなわちそれが、廻船問屋や、鰹問屋(鰹節)、綿布問屋がひしめく「問屋街」としての、発展である。

歩き進むと、小舟町の交差点(上の画像)近くに、「みずほ銀行・小舟町支店」があり、ここを北へ入る。実はこの銀行支店は、由緒正しい支店なのだ。なぜか、と言えば、ここは、みずほ銀行(この銀行は、バブル崩壊後の金融危機に伴う金融再編で、日本興業・第一勧業・富士の三行が合併して出来たもの)の前身の一つ、富士銀行発祥の地だからである。

明治期の小舟町には、実業界、金融界の大物が多く居を構えており、その中に、四大財閥の一角だった、安田財閥・安田善次郎がいた。彼はこの地に新しい銀行、安田銀行(後の富士銀行)を作ったのである。そんな訳で、昔の富士銀行では、この小舟町に支店長として赴任することは、「出世コース」とされていて、他の支店とは格の違う位置づけになっていたようだ。

 

竺仙の前へ到着。隣は駐車場だが、周りは鉄筋のビルばかりで、「のれん」が掛かっていなければ、見落としてしまうような店構えだ。この辺りではめずらしい木造3階立ての建物で、相当年季が入っている。近藤くんという、うちの担当者(まだ30代と思われる若い社員)に、「耐震は大丈夫か」と聞いたことがあるが、たぶん何とか持つでしょう、と心もとない返事である。

では、木の引き戸を開けて、中に入って見よう。

玄関先には、上がりまちがあり、靴を脱いで上る。その先は畳敷き、正面の奥は事務所になっていて、脇には階段がある。入り口の棚には、竺仙の型紙で染められた、色とりどりの日本手拭が並んでいる。問屋ではあるが、小売もしてもらえる。

日本手拭のほか、これからの季節に出番の多い「ガーゼてぬぐい」や、風呂敷類もある。朝顔や千鳥など、「夏柄」のものが多い。

商品が置かれているのは二階。一階左側の木の階段を昇る。結構勾配のきつい階段だ。

のぼりきった二階は、幾つかの部屋が襖で仕切られている。一部屋は6~8帖ほどで広くはないが、外観で見たところよりも大きい建物ということがわかる。間口は狭いが、縦長なのだ。この木の階段はかなり使い込まれていて、黒光りしている。歴史ある「綿布問屋」にふさわしい階段だ。

一部屋に集められている浴衣。二足の木の板の上に五反ずつ「さぎ」に積まれた反物。呉服問屋では、反物をまとめて置くとき、このような状態にする。これで、何反品物があるのかすぐ数えられる。

コーマ白地、コーマ地染め、男モノ、玉むし、綿紬など、種類別に積み分けられている。先にも話したように、「小売」もしているので、ここに置いてある品物を消費者が直接購入することも可能だ。ネット販売も積極的にしている。

我々小売屋に対しては、まだ寒い時期(1~3月)にその年の新柄発表会を行い、そこで見本帳や実物を見せながら、商売をする。つまり「受注」による生産が主であり、これにより、「染める浴衣の量と種類」を限定することができるのだ。

この稿に載せてある店の様子は、4月中旬頃のものだが、この時期はすでにほとんどの小売屋では受注が終わった後である。竺仙はやはり問屋としての位置づけに注力しているので、普段店に置いてある品物の量はそう多くはない。だから、夏の浴衣シーズン前にいきなり訪ねて行き、仕入れをするのは難しい。やはり、「発表会」などで事前に柄を選び、注文して置かなければ、思うような品物を手に入れることは出来ない。

竺仙は、浴衣や夏帯(麻やミンサー帯)に関しては小売の値段を決めて送ってくる。これは、扱う店が勝手に価格を決めることが出来ず、消費者がどこで買おうと、「竺仙の製品」は同じ値段ということになる。それだけ、作る品物の質に自信を持っている証ということになろう。

竺仙の浴衣に貼られたラベル。「鑑製」の意味は、江戸から伝えられている型紙と、染める職人の勘で作られている品物に込められている「覚悟」だと言う。「鑑(かがみ)」は手本になると言う意味であり、それが今に脈々と受け継がれている、モノ作りの「規範」なのだ。(竺仙HPより)

 

この日、竺仙を訪ねた目的の品物が、上の画像のもの。今年はもう作られていない、「さやま縮」と「みじん縞・コーマ地染め」の品を無理を言って、探しておいてもらった。男女共用に出来る、小粋な縞の浴衣はいかにも竺仙らしい「江戸好み」の品物である。もちろん三反とも買い入れることにした。

毎年作られるポスター。コピーが添えられ、その年の「代表柄」となる。今年の「ポスター柄」はまだ届いていないのでご紹介できないが、上の画像は、ここ数年のもの。「萩柄・玉むし」、「万寿菊・綿紬」、「朝顔・コーマ白地」など、その年により様々だ。いずれも、伝統から離れない、涼やかで粋な江戸好みの浴衣である。

 

竺仙さんのお店散歩、いかがだったでしょうか。鉄筋のビルの間にひっそり息づくような店構え。それは、頑なに江戸の伝統を守る心意気を、そのまま伝えてくれるような気がします。

「店」そのものよりも、「品物を作ること」に傾注する姿勢が感じられ、そこに「老舗」としての矜持を見ることが出来るといえましょう。そして、古い店でも、大切に使い続けようという意識も伺い知ることができます。

1842(天保13)年、といえば、大塩平八郎の乱や蛮社の獄(幕府の鎖国政策を批判した高野長英・渡辺崋山らが言論弾圧された事件)といった、江戸末期の混乱期に当たります。そんな時代に創業した竺仙の江戸染めの品物は、まさに「不易流行」を代表するような、今に生き続ける製品ということを、改めて感じさせてくれました。

竺仙の方々には、今回の店の写真撮影などのご協力、ありがとうございました。

 

せっかく「竺仙」さんを取り上げさせて頂いたので、次ぎの稿から二回に分けて「6月のコーディネート」として、年代別の「竺仙浴衣・コーディネート」を考え、載せてみようと思います。よろしければ、またご覧下さい。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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