バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

龍村帯に見る『色違い』 角倉(花兎)文様と早雲寺文様

2014.04 30

我々の学生時代、「ペアルック」のカップルを見かけることがよくあった。「私たち付き合っています」ということを、外部にアピールしたい気持ちはわかるが、そんな姿を目にした周囲の者は、今の言葉でいえば、「ちょっと引く」ような、感じになっていたように思う。

「ペアルック」の服が、「まったく同じもの」ではなく、「色違い」とか「柄違い」とかならば、まだ「さりげなさ」を出すことが出来る。当人達だけで楽しむなら、傍目からはわからない「靴」や「小物類」で「ペア感」を出す方がセンスがよい。

 

「同じ柄の色違い」というのは、シャツやブラウスなどでは当たり前のようにあるが、我々呉服屋が扱う品物にも見ることができる。洋服に見られる色違いの印象と、「帯」や「小紋」などで見ることが出来る印象は、だいぶ違うように思える。

今日は、「龍村」の帯で、「同じ柄の色違い」を見ていただき、受ける印象や使う年齢の違いなどを考えて見たい。

 

(黒地市松地紋・角倉(花兎)とナツメヤシ文様袋帯 龍村美術織物)

「花兎鶏頭文」と名付けられているが、「角倉文様」といえる構図。柄の配置は「市松模様」のようになっていて、「花兎」と「ナツメヤシ」が交互に織り出されている。

この「花兎文様」については、以前ノスタルジアのカテゴリーの中の、「米沢新之助」作品で取り上げた。この作品(付下げ)でも、「花兎」とともにあしらわれているのが「ナツメヤシ」であり、この二つには何か相関関係がありそうである。

「花兎」を拡大したところ。前足を上げて花を振り返り見ている兎は白で、地面の盛り土と花の色は明るめの黄土色、木と枝は胡桃色が使われている。地の黒に「白兎」がくっきり浮かび上っている。「ナツメヤシ」の色使いもこの三色だけで表現されている。

二つの文様を同じ色使いで連続させている「単調」なものだが、それがかえって印象に残る雰囲気をかもし出しているようだ。黒無地色と柄が市松模様を織りなしていることと、「黒」に映える色使いをしていることで、きっちりと「主張」できる帯になっている。

 

(白地市松地紋・角倉(花兎)とナツメヤシ文様袋帯 龍村美術織物)

この「白地」の方が、織り出された「市松地紋」がよくわかる。遠目には、「斜子織」のような、「籠目模様」に見えるが、市松柄が地紋に織り出されている。「斜子」は別名「七子」あるいは「魚子」と字が当てられていて、生地自体ふくよかな手触りとなる。この織り方は、平織りにおいて、経糸、緯糸の数を増やして織られたもので、織り出しの表面は、「籠」のようになる。別名では、「バスケット織」などとも言われている。

 こちらの「花兎」も大きくしてみた。地色は「白」というより、「生成色」。兎は桜色で、花と盛り土は青磁色に近い色、木と枝は藤色。ナツメヤシも、黒地の帯と同じようにこの三色で柄が表現されている。

白地色を生かすように、押さえた色糸が使われ、優しく上品な印象を受ける。こちらの方は、帯としての「主張」を出来るだけ控え、キモノとのバランスを柔らかく表現できる色使いと言えよう。

 

二本並べてみたところ。「同じ柄の色違い」でも、かなり印象が異なる帯である。中に使われている色により、使い道が変わってくるようだ。「帯」はキモノとのバランスを考えながら使い回すものだけに、まず、全体としてどのような印象にしたいのかを考えながら選ぶことが大切になる。

 

(銀地 撫子様蔓唐草 早雲寺文台裂文様 元妙帯 龍村美術織物)

もう一つ、「色違い」を例にとって見て頂こう。このブログでも度々取り上げている、「光波帯・元妙帯」の仕立て上がり帯のシリーズから。

この「早雲寺文台裂」というのは、箱根湯本にある「早雲寺」に伝わる「文台」と「硯箱」に使われていた「裂」を復元したものである。この「文台」は室町時代の連歌師、「宗祇(そうぎ)」が使用した由緒あるものとして伝えられ、現在国立博物館に収納されている。

「早雲寺」というのはその名前でもわかるように、小田原を中心に支配していた戦国大名「北条早雲」の菩提寺である。宗派は鎌倉仏教をリードした禅宗の一派「臨済宗大徳寺派」。連歌師である「宗祇」とこの寺の関わりは、宗祇が没したのが、箱根湯本の旅館だったことにある。

宗祇が連歌を志したのは、30歳を過ぎて京都の相国寺(臨済宗)に入ったことに始まる。彼は、幕府の公家や武士と交わり、さらに地方の有力大名を訪ね歩きながら、「幽玄」の心を理想とする数々の歌を詠んだ。宗祇は、平安末期に活躍した和歌の「西行」、江戸初期における俳句の「松尾芭蕉」と並び、「漂泊の三歌人」とも称される。

1502(文亀2)年、越後、美濃に向かう旅の途中、ここで亡くなった。そして、その場所にほど近い「早雲寺」との関わりが生まれた。それは、彼の宗派(相国寺)とこの寺が、同じ「臨済宗」であることも大きな要因であろう。ここには墓所も設けられており、愛用の「文台」が伝えられている。

改めて柄を見てみよう。地は銀箔で埋められ、「撫子」に良く似た花を蔓唐草の中に取り込むようにして、表現されている。いわゆる「銀欄」と呼ばれる「裂」の地色と文様を忠実に再現している。

花にあしらわれている色、撫子のような花のえび茶や紫、また「蔓」の色の若竹色のような緑も、実際の文台や硯の上に貼られた「裂の色」と同じである。

この文様の帯にも、「色違い」がある。

(金地 撫子様蔓唐草 早雲寺文台裂文様 元妙帯 龍村美術織物)

オリジナルは上の品物、「銀欄」を意識して作り上げたものだが、「色違い」のものは「金欄」のようになっている。花や蔓の色も地色の金に映えるように、「鮮やかな」色が使われている。「浅葱色」や「萌黄色」を使った花と「藍色」の蔓が、華やかな印象を与える。

この色違いの帯、上の品は50歳以上、下は40歳以下の方に向く。同じ柄でも、使われている色により、ふさわしい年齢が出てくるという典型的な帯であろう。

並べてみると、「同じ文様」とは思えないほど、「印象」の違う帯である。

 

龍村という会社は、様々な「裂」を再現しながら、色の変化により、「印象」を変えたり、使う「年齢」を変えたり出来るよう、その商品に工夫を凝らしている。もちろん、「使う色」のセンス次第で、帯としての雰囲気も変わるため、その配色と組み合わせは難しい。

扱う店としても、「色違い」の品を両方仕入れるのか、片方に絞って仕入れるのか、悩むところだ。それでなくとも、「光波帯・元妙帯」などは、多種多様に再現された「裂」がモチーフにされていて、いちいち全ての柄を用意することなど出来ない。

モノ作りの基本が、現存する裂の文様に忠実なことであり、そのことがたとえ「色違い」で表現されようとも、不自然さを感じさせない。今日取り上げた二つの文様を見ただけでも、このメーカーの地力というものがわかるような気がした。

 

今日ご紹介した帯を、もし「色違い」で母と娘が同時に使ったとしても、「ペア感」はほとんど出ないと思われます。もしかしたら、傍目には「同柄色違い」であることがわからないかも知れません。

この、「わかりにくさ」こそが、「さりげなさ」に繋がる色違いであり、やはりこれは、「作り手」である龍村の配色センスのよさの裏返しということになるでしょうか。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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