バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

呉服業界の「後継者」問題(3) 「加工職人」の後継者難(前編)

2014.04 01

今日は、年度始めの日。多くの企業で「入社式」がとり行われた。厳しい「就職戦線」を勝ち抜き、「社会人」として第一歩を踏み出す「門出」の日である。

昔から、会社を辞めたくなる節目は、「三日、三ヶ月、三年」だと言う。入社して、三日目で「入ったこと」に後悔する。三ヶ月で、「会社の仕事内容が自分に合わない」と後悔する。三年で、「長く勤めるような場所ではない」と悟る。

三年での「離職率」は3割以上。「年功序列・終身雇用」の大原則がなくなり、「出来高払い、能力主義」が根付いた現代では、この「離職者数」は年々増える一途である。

 

「会社」という組織である限り、「利益最優先」が大原則。「利潤」という目標に向かい、全社員が一丸となり智恵を絞り、技術を開発し、消費を促し、モノを作り、モノを売る。当然このことに対する意識の共有は必須であり、会社のやり方に「疑問」を挟む余地はない。たとえ会社の方針が、人間として「理不尽なこと」と感じても、在籍する限り、受け入れざるを得ない。これに「耐えられなく」なると、辞めざるを得なくなる。

能力のあるごく限られた人だけが、自分を評価してくれる組織を選びながら、段階的に「ステップアップ」して、次々と会社を亘り歩くことが出来る。究極は、自分で「起業」する。

「市場原理」に基づく、「新自由主義経済」が「格差社会」を助長させたと言われている。「競争原理」に基づく社会形成は、「貧富の差」を拡大させた。高度成長時代が、ある種の「共同体的社会」で、「一億総中間層」という意識だったことを考えれば、国の形、社会そのものがこの二十年で大きく変わってしまった。

「競争」しなければ、人が生きられないようになった国、それが今の日本である。「人を蹴落としてでも、自分が先に進む」という気持ちがなければ、自分の存在が危うい。この国のこんな歪みは溜まる一方である。

 

こんな現代の「日本型社会」から、完全に取り残された「呉服業界」の将来像は、まったく見えてこない。「後継者」問題の三回目は、「加工」する職人について考えてみたい。

今日はまず、「加工職人」(和裁士・紋職人・洗い張り職人・補正職人など)が置かれている現状をお話して、その問題点を探ってみよう。

 

我々呉服屋が扱う品物は、モノだけ売ればそれで終わりということはほとんどなく、どれも「加工」しなければ、納品することができないものばかりである。その「加工」に携わる職人の業種は様々だ。

反物の余計な糊を落とす「湯のし・湯通し」職人。仕立を受ける「和裁士」。紋を入れる「紋章職人」。品物の汚れやヤケを直す「補正職人」。さらに品物の再生にかかわる仕事を請け負う職人がいて、品物を解き、洗い張りやすじ消しをする「洗い張り職人」や、しみやカビ、変色を直す「しみぬき職人や丸洗い職人」がそれに当たる。

「石の上にも三年」という諺があるが、「職人」として一人立ちできるまでに、どのくらいの時間がかかるのだろう。

 

当店の仕立を担当する、三人の和裁職人、保坂さん・中村さん・小松さんはほぼ同じくらいの年齢(50歳前)である。三人とも親方の下で修業し、「のれんわけ」で独立して仕事を始め、20年以上が経つ。修行期間は6年前後、自信を持って仕事が受けられるようになるには、やはり10年は必要だと、口を揃える。

紋章職人の西さんは、「三代」続く「紋の家」に生まれたので、先代の父親から、直接技術の指導を受けている。それでも、和裁士たちと同じように、10年が一つの目安だと言う。

補正職人の「ぬりや」さんは、6年ほど「住み込み」で修行され、職人歴は40年以上だが、「色ハキ」や「変色直し」に自信がつくには、品物の数をこなす以外に上達の道はないと言い、10年では、まだ一人前ではないらしい。洗い張り職人の加藤くんに至っては、職人になって20年だが、まだ「修行中の身」と自分の事を称している。ちなみに「バイク呉服屋」の私も、何とか「小売屋」としてお客様の前で「困らない」程度になったのは、40歳を過ぎた頃である。それでも私もまだまだ、ある意味では「修行中の身」だ。

このように、「職人」として「飯」が食べられるようになるまでには、10年単位の時間がかかる。だが、現状では、多くの職人達が「飯が食べられない」状況に追い込まれている。その理由は何によるか、考えてみよう。

 

「飯が食べられない」ということを簡単に言えば、「仕事がない」ということだ。もちろん「呉服の需要」そのものが激減したことが、主な原因だが、もう一つは呉服屋そのものが、「職人」を軽視して、品物を扱っていることも大きな要因である。

以前、「仕立職人がいなくなる」の稿でも紹介した通り、「キモノの仕立」は、ベトナムを始めとする海外縫製や、国内の「縫製工場」でひとまとめにして縫ってしまうことが日常化している。例えば、「浴衣」はほとんど「仕立て上がり(いわゆるプレタ)」で売られているが、その「縫製代」は海外縫製では50円程度である。普通のキモノでさえ、一枚数千円で縫われている。

つまり、「工賃の安さ」だけに、主眼を置いた呉服屋が増えたことで、従来の「和裁士」に仕事が行かなくなったのだ。職人の手縫いで、「浴衣」を縫えばやはり7,8千円から1万円程度は工賃がかかる。その他のキモノなら1万円以下ということはほとんどないだろう。

もちろん海外縫製であれば、丁寧な柄合わせや、「ぐししつけ」など、細やかな仕立ての技術が駆使されることはほとんどない。「和裁士」に仕事を出さない呉服屋は、「仕立」に関する意識は驚くほど低い。しかし、キモノの知識を持たない「消費者」が大多数を占めてしまった今、いい加減とも思える「大雑把」な仕立てでも、まかり通ってしまうのである。「振袖屋」と呼ばれるような店では、このことがなお顕著であることは言うまでもない。

呉服屋そのものに、仕立に関する知識が欠如し、「S・M・L・LL」式に、大体の寸法になっていれば、それでOKというような認識では、「和裁士」に仕事を出すことなどなくなる。また、その方が加工代が安く済み、その分利鞘が抜けるのだから、まともな「仕立」をすることなど、眼中にないだろう。

こうした意識の低い呉服屋が増えたことで、仕立職人が、苦労して身に付けた技術を発揮する場が無くなった。

 

紋章職人の西さんによれば、「紋」を入れることなど、誰でも出来るようになるという。それは、「紋」が入っていれば、その「描き方」など関係ないということを危惧しているのだ。先ほどの「仕立」の場合と同じで、身に付ける消費者には、「紋」のことなどわからない。

極端なことを言えば、「紋」をコピーして切り抜き、接着剤でキモノに貼り付ければ、それで「紋が入っている」ことになる。つまり「入っている」ことが全てで、それを「どんな職人の技術を駆使して」描かれているかということなど、誰も重要視しない時代になっているということだ。

これも、「呉服屋」の責任に負うところが大きい。紋付のキモノを請け負った時に、「紋」というものが、どのような職人の技術で描かれているのか、依頼人である消費者に説明するべきと考える。職人と依頼人の間を結んでいるのは、呉服屋である。呉服屋がこのことを伝えなければ、誰が、「職人の技術」を伝える人がいようか。

消費者から、「紋の代金」を貰い受けるのだから、当然その仕事の内容を説明する責任がある。職人の仕事に対して、意識の低い呉服屋では、どんな方法で「紋入れ」がなされているか、覚えようともしない。だから、職人の仕事の内容について「説明」することが出来ない。

どんな小さな仕事でも、お客様に「わかっていただく」ことが基本になる。話すことで、知識を身につけてもらえば、職人の仕事を理解していただくことが出来、ひいては、優れた仕事を残すことにも繋がるのだ。

 

今、山梨県内に、「紋章職人」と呼べる人は、西さんただ一人である。その西さんにしても、「紋」だけでは飯が食べられないという。県内には、大量にモノを売る店もあるのに、その仕事は回ってこない。どこに出すかといえば、売れたものは、「問屋」経由で、よそへ持っていってしまうのだ。

展示会などで扱われているのは、問屋からの「浮き貸し(委託)」商品がほとんどであるため、もしそれが売れた場合、「紋入れ」も「仕立」も商品を出品した「問屋」へ「丸投げ」してしまう。品物が誰の手で紋が入れられ、仕立されるのか、売った呉服屋自身が関知しない。

つまり、自分で職人のところへ品物を持っていって、仕事を依頼することなどない。だから、「地元の職人」のところに仕事が行かないのである。呉服屋が自分の店の責任として売った品物が、自分の目に見えるところで加工されていないという現実がある。

 

このような、呉服屋の「丸投げ」加工は、紋や仕立ばかりではない。「しみぬき」や「洗い張り」「補正」でも、全て取引先の「問屋」へ丸投げし、自分の手で仕事をしようとしない。これでは、「知識」を持てと言う方が無理で、呉服屋の質はどんどん劣化するばかりである。

「しみぬき」や「補正」などの仕事は、「面倒」とばかりに、適当なことを言って請けようとしない所もある。その背後には、手入れや直しに対する工賃が安く、儲けの足しにならないという姿勢が見受けられる。ひどい所だと、「直すことが出来る」ものなのに、「直せない」として、「新しいモノ」を勧める口実に利用する輩もいる。

もともと、手入れの仕事は、「労多く、儲けが少ない」のが当たり前で、「しみぬき代」が高いものであれば、誰も気軽に「直し」に出そうとはしない。「安く」直せるからこそ、また「キモノ」を着てみようと思うのである。

 

ここまで、加工職人たちを取り巻く現状を見てきた。それは、いかに「呉服屋」が職人の存在を「ないがしろ」にしてきたか、ということである。その仕事を理解しようともせず、自分で知識を持とうともせず、ましては、その仕事を消費者に説明することもない(知識がないので、出来ない)。これは、「形」にさえなっていれば、作り方はどうでもいいという不遜な考え方が浮き彫りになっている証である。

これでは、いくら苦労して腕を磨き、努力してきた職人達でも、仕事がなくなり、飯が食べられなくなるのは当然の帰結だ。

「不遜な呉服屋」が増えれば増えるほど、職人に仕事は行かなくなる。このような現状がある限り、新たに「職人」を目指す人はいないだろうし、また、「職人」に成りえたとしても、「生活」するだけの仕事と賃金を得ることは、難しい。

では、どうしたら「職人」の手に仕事を戻すことが出来るのか。将来、優れた腕を持つ和裁士や、紋職人がいなければ、美しい仕上がりのキモノを生み出すことは出来ない。また、しみぬきや補正、洗い張りをする職人がいなければ、キモノの「再生」はほぼ困難になる。「よい手仕事の品を世代を越えて長く使う」という、「バイク呉服屋」の大前提は、完全に崩れてしまう。

この大問題を解決する糸口はどこにあるのか、それを見つけることが出来なければ、本来の「呉服屋」としての生き方が不可能になる。いわば、我々にとっての「生命線」ともいえる「職人」の枯渇は、何としても防がなければならない。

次回、この難題を自分なりに何とか考えてみたい。

 

「人の手」でされてきた仕事が、機械にとって代わられる。「日本人」がしてきた仕事が「外国人」にとって代わられる。このようなことは、今まで数限りなく見受けられ、それが「当たり前」のように受け入れられてきました。

しかし「呉服」というものは、「にっぽん」固有の品物です。長い時間と多くの人々により、受け継がれてきた技術の結晶であり、その背後には伝統と文化が息づいています。

「自動車」や「家電」や「ユニクロに代表されるような衣料品」と同じような考え方で、モノ作りがされてよい訳がありません。もしそれが「容認」されるようならば、「民族衣装」という名前を返上するべきと考えます。

「身につけた技術」だけで職人が生きていける、こういう生き方が日本の社会の中で残っていかなければ、それこそ、「他人と競争するだけ」が人生という、殺伐とした社会にしかならないでしょう。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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