バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

和裁職人 保坂さん(4) 長襦袢の再生 「胴ハギ」と「袖別布付け」

2014.02 04

今日、仕立職人の保坂さんと話をしているうちに、気が付いたことがある。先日このブログで、衰退した「嫁入り道具」の話をさせてもらったが、「現在では、不要になった品」の「代表的」なものを書き落としていたことだ。

その道具は「ミシン」である。昭和50年代頃までは、何はともあれ家庭には「ミシン」が必需品だった。自分の服の手直しや、夫のズボンの裾上げなどは「日常仕事」。子どもが生まれたら、服はもちろん、学校や幼稚園で使う「座布団」や「上履き入れ」、「体育着や給食着を入れる袋」など、「ミシンを使って作る」ものが溢れていた。

「母親」が、「子どもが使うもの」を自分で作るのが当たり前とされていた時代。「針を持ち繕い物をする」という母親の姿が想起できるのは、今の50代以上の人達であろう。

 

バレンタイン・ディが近づいてきたが、我々の学生時代(昭和50年代)では、「付き合っていた子」からの「プレゼント」で心に残るものは、やはり手作りのものだった。その頃の女の子にとって、「手編みのセーター」や「マフラー」は、「気持ちを伝える大事な道具」だったように思う。

今、うちの娘たちに、このことを話すと、「考えもしない」と言う。「相手の重荷になるようなものは、あげない」、「別れた時に、そんなモノが残るなんてお互い嫌でしょう」。わざわざそのために、「作り方」を覚えるなんて「あり得ない」そうである。私がとても「寂しい」気持ちになったのは、言うまでもない。

「時代のうつろい」は、「手作りのモノ」にしかない、「人の手」のぬくもりや「作る時の相手への想い」も消してしまった。もしかしたら案外こんなところに、「手仕事」が衰退した原因の一端があるのかもしれない。

今日の話は、「手仕事」でなければ出来ない「繕い」について。

 

「長襦袢」というのは、「おはしょり」のあるキモノと違い、「つっ丈」で着るもの。だから、使う人の身長がそのまま「襦袢の着丈」になる。だから、背の低い方が使ったモノを背の高い方がそのまま使うというのは、難しい。

今日は、この寸法を直して使うということも含め、「長襦袢」をどのように「再生」するか、また、「長襦袢」で工夫できることがあるか、ということで話を進めてみよう。

 

上の画像の襦袢は、背の小さい母親が使っていた襦袢を、背の高い娘さんが使うことが出来るよう、「寸法を直して」仕立てたもの。

150cmほどの背丈で標準体重の方なら、襦袢丈は3尺1寸~2寸、裄は1尺6寸5分ほどだが、それを160cmの娘さんが使うとなると、「着丈」と「裄」はとても短かすぎ、そのまま使うことが出来ない。おそらく着丈では3寸、裄は1寸くらい足りないと思われる。では、使うことが出来るようにするには、どのような工夫をすればよいか、ということである。

襦袢の「着丈」が足りない時は、どこかに「ハギ」を入れて、キレを足して長くしなければならない。通常「ハギを入れる場所」は、「胴」(胸の少し下あたり)なので、このことを「胴ハギ」と呼んでいる。

キモノの「胴ハギ」をする場合、キモノを着たときに、「ハギ」をしたところが見えてしまわないように(キレを足したところが隠れるように)工夫しなければならない。「おはしょり」や「帯の下」に入ってしまえば、「ハギ」をしたことはわからない。

ただ、キモノの場合、着方によっても「帯」を締める位置が違うことなどから、「正確」に「ハギ」をする場所を決めるのが、難しい。だから、仕事にかかる前に「使う方」にキモノを着ていただき、「位置」を割り出す必要がある。

「襦袢の胴ハギ」をほどこす場合、キモノの時ほど正確な位置を決めることはない。それは、「キモノの下」に着用するもので、着た時には、外から見えないからだ。

衿の中ほどと下部あたり、胴の部分で「ハギ」を入れたところ。ハギの巾は約3寸。これで、もとの襦袢丈3尺1寸から、3尺4寸に大きくすることが出来た。

では、この「ハギ」の生地を一体どこから持ってきたのか、ということになる。ご覧のように、まったく「違う生地」を足した訳ではなく、「同じ」生地である。

それは、「袖」から、持ってきたのである。この襦袢の元の「袖丈」が1尺7寸もあったことから、「余りの生地」が生まれた。新たに作る襦袢の袖丈は1尺3寸。単純に、差し引き4寸残る。袖二枚分で4寸づつあるので、ここが「胴ハギ」のキレとして使えた。

表から拡大した「ハギ」の部分。

 裏からみるとこんな感じ。「ハギ」を入れた縫いあとがわかる。

この品のように、たまたま袖が長く、「同じ生地」で「胴ハギ」が出来るような場合は少なく、大概、「まったく別の生地」を用意して足すことになる。それでも「襦袢のハギ」の場合、違う柄でも使うことにそれほど気にはならない。

「表」から見たところでも、「共キレ(同じ生地)」ならば、ほとんど「ハギ」は意識されず、「見た目」もきれいに出来ることがわかると思う。

 

さて、もう一つまったく違う形での「襦袢の再生」の例を示してみよう。

「袖」と「胴」が違う生地と柄行きになっている、「再生」された襦袢。

「袖」部分に使われている生地は、「古いメリンスの襦袢」。依頼された方の希望で、「思い入れ」のある襦袢をどこかに残そうとして、出来上がったものである。

本来は、「メリンス」襦袢をそのまま仕立て直したかったのだが、如何せん全体が「虫に食われ、穴があいた状態」だったため、無理である。考えた末、「胴」は新しいもので、「袖」は古いものを使うことにしたのだ。

キモノを着た時、「袖からチラっとのぞく襦袢の色」というのも、「こだわり」の一つである。「胴」と「袖」の柄が異なったものでも、着姿に問題はないだろう。特に「紬や小紋」などおしゃれ着を着た時など、「襦袢」の色や柄に「遊びごころ」のあるものを使うのは、「隠れたお洒落」とも言える。

「袖」部分と、「胴」部分の拡大。「袖」は絞り模様のメリンス。「胴」は波模様の紋織生地。

「メリンス袖」の拡大。見て頂けるとわかるように、「袖」の下部(画像の右側)」に「ハギ」がしてある。これは、元のメリンス襦袢の袖丈が1尺2寸だったため、新しく仕立てた1尺3寸の袖にするには、生地が足りなかったからである。これを作る際には、メリンス襦袢の「袖」だけはずして、「洗い張り」をした。「洗い張り」も「すじ消し」も使う部分だけ「取り外して」仕事をすれば、無駄が出なくて済む。

元のメリンス襦袢と、胴で使った新しい生地の残り。

「メリンス袖」をはずし、「胴」と同じ生地にする時には、左側の残り布を使う。「袖」に使うには十分の長さが残っている。

 

このように「袖」と「胴」に別々な生地を使い、襦袢を作るのは、難しいことではない。うちのお客様の中に、「銀鼠地色」のキモノを着る時、必ず襦袢袖も「銀鼠色」に揃える方がいらっしゃるが、この方は「袖」の生地分だけわざわざ「鼠色」に「別染め」される。つまり、襦袢の「胴は白」で「袖は鼠色」になるのだ。

この応用として、「色や柄を違うものにする」のではなく、「素材の質」を変えるような仕事を受けることがある。それは、「夏の襦袢」に関してだ。

単衣や薄物に使う襦袢というものは、なかなか悩ましいものである。「化繊素材」のモノは、自分で洗うことが出来て便利だが、「通気性」が悪い。「暑さを感じる」ことにおいては、これほどつらいものはない。そうかといって、「絹」では、手入れが大変である。「麻」はよいが、「値段が高い」ので、何枚も持つことが難しい。「安くて、使い勝手や通気性もよく、自分で洗えるような」襦袢を求められる。

夏の「カジュアル」に使える「襦袢」を考えた末、提案したのが、「胴」は晒で、「袖」はシンモスで作る「半襦袢」。素材はどちらも「綿」であるが、織り方が違い、肌へのなじみも異なる。「胴」は生地目が粗く通気性がよい「晒」で、「袖」はすこししっかりした「シンモス」ならば、使いやすい。手入れも自分で出来、値段も安く作れる。このように、「ちょっとした工夫」で様々なことを考えられる。

 

「キレ」や「生地」を生かすことは、難しいことではない。「反物」そのままで仕立てをするのもよいが、「発想を変えれば」、別の楽しみ方も出来る。「人の手」による仕事だからこそ、形が変えられる。

和裁の職人さんは、我々が提案したことに対して、いつも誠意を持って当たってくれる。お客様の依頼に答え、我々と職人の間で「創意工夫」して、新たなモノを作っていくことは、仕事をする上で、「楽しみの一つ」である。

 

「手をかける」ということは、「気持ちを込める」ということです。人が作るものだからこそ、出来ることがあります。職人さん達が持つ経験と豊かな発想こそ、守り続けて行かなければなりません。それには、我々がお客様に、その技術を生かす仕事を提案し続ける必要があります。

呉服屋が扱う品物のほとんどは、そのままでは使えません。「職人さん」の手が入って初めて装うことが出来るのです。「お客様」と「職人さん」の間に立つ我々が、どこまで、職人の仕事を伝えられるか、ということに尽きるのではないでしょうか。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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