バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

コプト文様とスキタイ文様 異文化が伝えるもの(2)

2013.10 22

「文様」の再現と言う点からみると、「龍村」の果たしている役割は大きい。特に「上代裂」という「正倉院・東大寺」や「法隆寺」に伝わる数々の「裂」の「うつし」は龍村の品を通してほとんど理解することができる。この「上代裂」は多くが中国(隋・唐)からもたらされたものであり、その中には、シルクロードの果てのペルシャやオスマン=トルコで装飾されていた文様も含まれている。

「龍村の帯」といえば、真っ先に「高価な袋帯」を思い起こすが、この「裂のうつし」を再現している品は「光波帯・元妙帯」と呼ばれる名古屋帯のシリーズや、バッグ、財布、テーブルセンター、めがねケースなどの小物類である。

名古屋帯は仕立て上がりで98、000円(去年秋、久しぶりに値上げされた)、小物類は数千円で買えるものも多く、馴染みやすい品であり、低価格で「名物裂」を実感できるものになっている。

この龍村による再現された「裂」は、「上代裂」だけではなく、他にも様々なモチーフを使い、ユニークなラインナップになっている。もちろん、「適当」にデザインしたものではなく、その柄にはそれぞれ出自がある。今日は前回の続きで「上代裂」の範疇に入らない「裂」を紹介しよう。

 

(パジリクの午 仕立上り名古屋帯・光波帯 龍村美術織物)

この文様に付けられている「パジリク」というのは、古墳の名前である。これは、南シベリアのアルタイ共和国・パジリク遺跡のことで、そこから出土した「世界最古の絨毯」に施された文様を再現したもの。

では、この「パジリク古墳」とは、いつの時代でどのような民族の遺跡だろうか。この絨毯が発掘されたのは1949年のこと。ロシア人考古学者「ルデンコ」により発見された。この墳墓群は、それより20年前より調査されていたが、研究によりスキタイ族遊牧民「マッサダイ」の王墓ということがわかっていた。

この墓の年代は紀元前4~2世紀の間と推定されているが、「スキタイ族」がこのあたりを統治していた時代、紀元前6~3世紀にだいたい合致する。そもそもスキタイはユーラシアの果て黒海北方流域から、南シベリア一帯(今でいえば主としてウクライナ地方)を支配した「騎馬系遊牧民」だった。それは「イラン系民族」だとする説が有力で、草原の民であるが騎馬を使い、縦横無尽に活躍の範囲を広げ、西アジアのアッシリアやアケメネス朝ペルシャを苦しめた。

スキタイには、独自の文化があり、独特な形の馬具、「ハート」を逆さまにしたようなアキナケス剣と呼ばれる武器、そして「スキト・シベリヤ様式と呼ばれる動物文様」をほどこした美術品の三分野に大きな特徴を見ることができる。この「パジリク古墳」でも、この「独自の品々」が発掘されており、「スキタイ文化」を見る上で重要な遺物が多い。

 

「パジリク絨毯」に織り込まれた文様の再現を改めて見てみよう。まず「馬」の「鞍」に注目されたい。普通であれば、「鞍」が付いているところに「敷物」が乗せられている。また、馬を引く傍らの「騎士」の服装は細いズボンと靴そして、独特な被り物だ。これは「ペルシャ」の影響を受けたいでたちである。

次に、上の画像でわかるように四角に囲まれた「花模様」が施されている。これは、「松かさ」と「蓮の花」を模したものであり、「アッシリア」模様から影響されたものだ。

この文様からも、スキタイ文化が「ペルシャ」や「アッシリア」のものを融合したものであり、これは「ユーラシア」と「西アジア=中東」の複合的産物であると言えよう。スキタイの「動物文様」でもっとも多いモチーフは、やはり「騎馬民族の象徴」である「馬」だが、その他に「獅子(ライオン)」や「豹(ヒョウ)」なども見られる。

またスキタイ美術のもう一つの特徴として、金属加工に「金」を使用していることが挙げられる。「黄金」を贅沢に使った様々な装飾品(馬具などをモチーフにしたもの)が多数出土している。絨毯のような「腐食」しやすい織物が彩色をとどめ、原形に近い形で見つかることができたのは、「パジリク古墳」の置かれた気象環境によるものだ。この場所は「標高1600mのシベリアの永久凍土」にあることが最大の要因であり、いわば「氷付け」の状態にされていたことで、様々な遺物を「良い状態」で保存することが出来たのだろう。

最後に「横写し」でもう一度画像をどうぞ。この文様が、唐などから伝えられた「上代裂」とはまた「一味違う」文様の雰囲気がわかる。手元に、「出土した絨毯」の画像があるが、色や文様もある程度「忠実に近い形で」再現されているように思う。

 

この後しばらくこのカテゴリーでは、様々な「裂」の文様をご紹介してゆこうと思います。特に「上代裂」は帯、キモノの文様の「基本・原点」とも呼べるものであり、龍村の品々はもっともわかりやすくその文様の成り立ちや「いわれ」を説明できるものと考えます。

例えば、この他にも「動物文様」を使ったものは、以前紹介した「兎文の角倉文様」や「鹿文の有栖川錦」また「獅子文の狩猟文」などがあり、インカ文明のチャンカイ文化の染織品をモチーフにした「チャンカイの申(さる)」やアッシリアの宮殿跡のレリーフに刻まれたものを写した「獅子とり王子」など、ユニークな文様が沢山あります。

「龍村」の文様を再生する心意気と、デザインとしての美しさを楽しんでいただけるように心がけ、稿を進めて行きたいと思っています。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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