バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

ネット販売をどう見るか 時代遅れの呉服屋の視点 

2013.09 10

私の容貌は「怖表て」のようである。家内によれば、どう見ても「呉服屋の旦那」には見えないらしい。

「バイク使用」のため、夏場は日焼けしており、なお「迫力が増す」とのことだ。その「容姿」を利用して問屋を「脅し」、品物を「安くさせる」ということはもちろんない。

このブログを立ち上げるとき考えたのが「ミスマッチの妙」である。「バイク」も「怖表て」も「呉服屋」には似つかわしくないだろう。「仕事の考え方」は、もしかしたら本当に「カタギ」ではないかも知れない。そんな「面白さ」を読む方々に感じていただけるようなものにしていきたい。

 

さて、今日は「ネット」での販売について少し考えてみたい。

「呉服」は値段が「わかりにくい」ものの代表であった。一昔前までは、その「基準」を知るにも、どこでその情報を得たらよいかもわからなかったのではないだろうか。

それを変えたのは「ネット販売」の登場である。今では、数え切れないほどのサイトで品物を売っている。足を踏み入れることも躊躇するような、「銀座の高級専門店」から、「ネット販売だけにシフトした業者」まで、ネットを利用して商いをする店の形態は様々である。

ネットは、品物の価格を消費者が知る上で、非常に便利なツールだ。例えば「紬」なら、産地の証書を提示して品物を紹介している。そのことで、消費者がある程度品を見極めることが出来、価格に見当が付くのだ。

また作家モノと呼ばれて、知識のある消費者ならば、「どのような品なのか」わかるものも「比較しやすい」。例えば「加賀友禅の誰それのモノ」がどのくらいで売られているのか、比較できるであろうし、帯に関しては「織屋の名前」が提示されているので、これもわかりやすいと思う。

我々「小売屋」も結構、「ネット価格」は見ている。また、見ていなければいけないと思う。「ネット」での販売というのは、それに関る「人件費や販売費」を削ぎ落とした上で「提示された価格」と見ることができるからだ。それがこれまでされてきた「展示会」などの販売方法や百貨店等に見られた「浮き貸し商い」で付けられた価格よりも「数段」安いことは当然である。

 

「買取」によって商いしている店ならなおのこと、この「ネット価格」は参考になる。うちと同じ仕入先の品がどのくらいの値段が付けられているのか、「よその店の情報」を得るには実に便利なものだ。だが、これは全ての品ということではなく、「わかりやすいモノ」に限定される。

参考になるのはそればかりではない。見ていれば「扱いの少ない品」というのがわかる。つまり「ネットで見かけない品=生産が少ない品」ということだ。何が市場に多く出回り、何が希少性があるのかということは、自分でモノを仕入れる時の情報として生かされるのである。

もちろん同じ織屋のモノでも、同じ作家のモノでも、同じ産地の紬でも、その価格が「均一」なものでなく、「手間のかかり方」により差が出る。そのあたりまでは「ネット上の情報(画像や説明文)」から知ることが出来る。見ていれば、店を構える「専門店」より、ネット販売に特化した「サイト」の方が「価格が安い」ようである。この辺りのことは、ネット専業の業者が、「消費者にわかりやすい(値段の比較がし易い)モノ」にアイテムを絞りこみ、商いをしていることの表れといえる。

今では、コンタクトをとってきたお客様にはまず、「品物を送って実際に見てもらい、それから購入を検討してもらう」ということまでしている店やサイトもある。「画像」だけで品物を判断して、「失敗」しないように、という手助けをしている。

このように、「ネット販売」は、価格設定、販売方法の工夫、また消費者の目線にたった店側のコンタクトの仕方など年々進化をとげているようで、これからは益々その取り扱いの数は増えていくものと思われる。

 

では、ネット販売では、難しい商いとはどういうものだろうか。ここでは、「価格」や「品物をわかり易く紹介」することだけではつかめない、「商いの本質」というものを考えてみたい。

「相対」でお客様を前にして「品物をおすすめする時」、大切なことは、何より「着る方に似合うこと」や「着ていく場所にふさわしい品」であることではないだろうか。それを「売る人」と「買う人」が同じ時間を共有して、一緒に考えることができる、ここが大切と思う。

「価格」や「品物に施された仕事がどのようなものか」ということも、商いをする上では、もちろん重要だ。その情報をお客様にお話して理解して頂いたり、ご自分でネットなど参考にされて知識を持たれることは、買い物をするときの「基本」になるだろう。しかし、それだけで「商い」が成立するのは、何かが欠けているような気がする。

「自己責任」でモノを買うネットの世界と違うのは、売る側の「責任の重さ」なのではないか。お客様にものをすすめることは、その後の「責任を持つ」ということを考えなければならない。顧客と店(売る人)の距離が近ければ近いほど、店の責任は重くなる。つまり、「失敗」は許されないということになるだろう。

「相手を知る」ことで、より「ふさわしいもの」を提案することができること、それこそが、「相対」での商いの最大の「利点」である。例え「最高の仕事」のものでなくとも、「お客様の考えている予算の範囲」で「よりよい仕事」のものをすすめることができるし、本人の「心に響く柄行きや色目」のものを一緒に考えながら、「選ぶ」ことも出来る。

フォーマルとして使うものは、「質がある程度保証できる品物」をおすすめすることが基本ではあるが、紬や小紋などは、着る方が考えている「色や柄行きの好み」のほうが優先される。絣の細かい結城紬より、モダンな十日町紬の方を選ばれることは大いに結構なことである。専門店を開く者としては、消費者が「着てみたくなるような」センスがよく、あか抜けていて、「価格」も「こなれている」品を探しながら提案してゆくというのが、「商いの楽しみ」でもある。

私が、「ネット販売」の利点を認めつつも、それを取り入れようとしないのは、「人と人」が「品物」というものを前にして向き合う「時間」の方が好きだからであり、「呉服屋の仕事」としてあるべき姿と考えているからだ。これはおそらく自己満足に過ぎないことであろう。「売る者と買う人」の「距離」は近くなければならないというのは、「時代遅れ」かもしれないが、最後まで変えられないと思う。

 

おもしろいもので、「ネット」の価格を見ていくと、ネットだからと言って「安く出来ない」商品があります。

「龍村美術織物」の「光波帯や元妙帯」、「竺仙」の「浴衣各種」等がそれに当たります。何故かといえば、これは、「龍村や竺仙」が「小売価格」を設定して、それを厳密に守らせているためです。(高島屋でも松木呉服店でも同じ値段ということですね)。そしてその価格は、「小売店」が通常考える「利鞘」より「安く」付けられているからです。つまり、「小売」にとって「商いのうまみ」の薄い品物と言えましょう。

商品に自信のある品ならば、モノを作る「メーカー側」にその価格を決めることが出来、そのことは大変よいことと思います。もっとこういう商品があってもよいですね。

また、「龍村」などと「直接取引き」する店や業者が限られており、それができない業者は、とても「設定価格」では「売ること」が難しくなるからです。「大手のネット業者」でも「安く出来ない」というのはこのような理由からです。

メーカーが扱い店を限定することは、商品を大切にしている証でもあり、消費者に価格や品質をわかりやすく提案するには、必要なことと言えましょう。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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