バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

立秋の花野 秋草模様の柄行き(薄物編)

2013.08 23

暦の上で、今日は「処暑」。本来ならば、「夏を閉じる」ことになっているのだが、とてもそんな気配ではない。

キモノの柄行きと季節は密接な関係にある。その時々の「旬」を身に装うことが、民族衣装としての「和装」の特徴でもあり、美しさでもある。

「温暖化」に伴う「異常気象」は、そんな、「季節感」を表した「きものの文様」にはおかまいなしなのだが、「立秋」も過ぎたことなので、今日から二回にわたり、「秋」にまつわる草花と柄行きの話をさせて頂きたい。

 

そもそも日本の「春夏秋冬」の区切りはどうなっているのか、をまず考えたい。一般的には、「春」は3~5月。「夏」は6~8月。「秋」は9~11月。「冬」は12~2月とされている。しかし、「暦の上」ではどうであろう。「春」は立春~立夏(今年の暦では2月4日~5月4日)。「夏」は立夏~立秋(5月5日~8月6日)。「秋」は立秋~立冬(8月7日~11月6日)。「冬」は立冬~立春(11月7日~2月3日)である。そして、「暦」では、「春」は1~3月。「夏」は4~6月。「秋」は7~9月。「冬」は10~12月に大別されているのだ。

だから、年賀状の挨拶に「迎春」とか「新春」とか、「春」を使うのは、この「二十四節気」に基づく「区分」によるものである。一般には1月は「冬」なのだが、「時候」の挨拶には「節気」を使っている。これは「日本人」の慣習の中に「節気」というものが息づいている証左であろう。一般の「季節」と「節気」とはおよそ1~2月の「ズレ」がある。「節気」の方が、前倒しされているのだ。

だから8月のまだ暑い最中、「立秋」を迎える。今年の8月7日といえば「夏の高校野球」が甲子園で始まる前日である。とても「秋」とはいえない。だが、この日を境に「暑中見舞い」から「残暑見舞い」に変わる。

「暦の上の秋」は、その中をいくつかに区分されている。例えば「立秋~処暑」までの15日を5日ごとに区切るものがある。「七十二候」と呼ばれる区分けだ。これによれば、8月7日~11日は「初候・涼風至」と呼ばれ、「涼やかな風が立ち始める頃」。12~16日は「次候・寒蝉鳴」と呼ばれ、「蜩(ひぐらし)が鳴き始める頃」。17~22日は「末候・蒙霧升降」と呼ばれ「深い霧が立ち込める頃」。

また「秋」の中には「節気」が5つあり、「処暑」「白露」「秋分」「寒露」「霜降」がそれに当たる。「秋分」は「秋の真ん中」に位置し、「立秋~立冬」の中間日(9月23日)である。

長々と「節気」についてお話してきたが、これから何点かのキモノを取り上げて本来の季節と節気のズレを文様で感じ取って頂きたいと思う。これは、いかにキモノ文化の中に「節気」が取り込まれているかということの証でもある。

 

(藤袴色地秋草模様・桔梗・撫子・萩 平絽江戸友禅付下げ 菱一)

 

「秋の七草」のうち、「桔梗」「撫子」「萩」を使った典型的な「秋草模様」の柄付けである。注目して欲しいのは、これが「絽」の付下げであるということだ。「絽」は言うまでもなく「薄物」である。「薄物」を使うのは基本的に「夏」それも7,8月に限られるというのが一般的であろう(最近はその意識が変わり、6月下旬や9月中旬まで使うこともあるが)。「夏」のキモノの模様に「秋草」のみのあしらいのものを使うのに、少し違和感を覚える方もおられるだろう。

だが、夏薄物に秋草模様をあしらうことは「よくあること」なのだ。それは、「節気」と関係があり、「立秋」を8月初旬に迎えることから、8月つまり薄物の季節でも、「秋」と言う考え方に拠るのである。だから、「秋草模様」のモチーフが「絽」に使われることは、「誤り」ではない。

上の画像の付下げは、地色にも注目していただきたい。「藤袴色」の「藤袴」とは、秋の早い時期(つまりは立秋を過ぎた頃)に小さい花を付けるキク科の草花である。これも「秋の七草」の中の一つで、「柄行き」ばかりでなく、「地色」にも「秋草」を思い浮かべることができる色を使っている。

 

(朱鷺色地秋草模様 桔梗・萩 平絽京友禅付下げ トキワ商事)

(水色地陰雪輪に秋草模様・桔梗・撫子・女郎花 平絽江戸友禅付下げ 菱一)

 

上の二点はいずれもシンプルな「秋草」のみをモチーフにした柄行き。これまで見てきた品の「秋草」は、いずれも「秋の七草」と呼ばれているものの中から採られたものばかりだ。

「秋の七草」は「女郎花(おみなえし)」「尾花(おばな・ススキのこと)」「桔梗」「撫子」「藤袴」「葛」「萩」の七種を指す。「秋の七草」は、「春の七草」と違い、これを「食する」ような習慣はもちろんない。では、どこからこの「七草」が選ばれてきたのだろうか。

その由来は「万葉集」の中にあるとされている。「山上憶良」が詠んだ次の二首に依るものだ。

・秋の野に 咲きたる花を指折り かき数えれば 七草の花(万葉集・巻8 1537)

・萩の花 尾花 葛花 櫂麦の花 姫部志 また藤袴 朝猊の花(万葉集・巻8 1538)

二首目に七草が列挙されている。「櫂麦」は「撫子」、また「姫部志」は「女郎花」、そして「朝猊」は「桔梗」とされている。秋の草は古来より短歌や俳句に詠まれることが多く、「観賞するもの」という意識があったのだ。また、秋の野花が咲く原は「花野」と呼ばれていて、その風景を愛でることは、「日本人の美意識」の中に持ち続けられてきたものと言えよう。

「春の七草」が「春草模様」として登場することは、ない。「芹」「なずな」「御行(ははこぐさ)」「はこべら」「仏の座」「すずな(蕪)」「すずしろ(大根)」の七草。これらが「単独」でも「キモノの柄行き」に使われることはほとんどない。それは、この草は、食することで「無病息災」を得られる「風習」により存在するもので、鑑賞するものではないということにある。

「春」を意識させる花は「梅」や「桜」や「椿」などである。これはある意味、「主張」できる「花」である。それに比べ秋草は万事「控えめ」なのだ。これが模様として使われるのは、夏が過ぎ、すこし寂しい気配の野にひっそり咲く草の、「控えめないじらしさ」のようなものを、「趣がある」と感じ取れる、日本人の感性そのものが「キモノの模様」として表現された、とても「日本人の琴線」に添うものだからではないだろうか。

次回は「薄物」以外で、「秋草模様」を使った品を紹介しながら、その柄の付け方の違いなどをご覧にいれようと思う。

 

万葉の昔と違い、「亜熱帯化」した今の日本では、まだまだ、「秋」は遠いことに思えます。おそらく「秋分」の頃にならなければ、「秋の気配」を感じるようにはならないでしょう。けれども、「秋の野」を愛でる気持ちは、今の「日本人」もおそらく持ち合わせているはずです。「キモノ」の柄行きには、こんな古来より続く「感性」から形作られたものもあることを、知って頂きたいと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
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