バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

おばあちゃんの振袖 80年ぶりの晴れ姿

2013.07 05

「手を入れる」仕事を承る時、一番大切なのが、依頼される方の気持ちだと思う。

品物に対して、どのような「思い入れ」があるかということが重要で、それによって、どの程度直してよいのか私の「覚悟」が決まる。

だから、その直す品が以前「誰が身に付けたものなのか」、また、「直してまで着たい理由は何か」ということをよくお聞きすることが、相談の始まりである。

今日はその「思い入れ」を受けて、手を入れさせて頂いた品をご紹介しようと思う。

(黒地大七宝に花模様中振袖 1930年代 甲府市G様所有 2012年補正)

この振袖は昭和10年頃のものである。ただ依頼した方もはっきり時代を特定されてはいないのだが、「おばあちゃんの花嫁衣裳」であることに間違いないという。

依頼人は「おばあちゃん」の「お孫さん」である。この振袖を何としてでも自分の「結婚式の衣装」にしたいというのだ。お母様に話を伺ってみると、一昨年おばあちゃんがなくなったあと、遺品整理をした時に、娘さんがこの振袖を見つけたという。その際、「自分の花嫁衣裳にこれを着る」と決めたのだ。

改めてこの品物を見てみよう。黒地になんとも大胆な大きい七宝模様、そしてその模様の中に四季折々の花々が、鮮やかに、また優美に咲き誇っている。型糸目ではなく、手で糸目を置いたもので、柄の中心である上前おくみと身頃の画像(下の画像)を見ると金の駒刺繍が随所に施されている。「緋色」と「納戸色」、「山吹色」を基調にし、胡粉使いを多様することで、それぞれの色が強調されている。現代ではもう手に入りにくくなった「京友禅の逸品」といっていいだろう。

これだけの仕事をするのに、何人の職人の手を経てきたのかを考える時、採算とか時間を考えず、「良い仕事をすることだけ」を考えて品物を作ると、このような品になるのだと改めて思う。

駒刺繍で表現された花(上前おくみ)

やはり駒刺繍を施した葉の輪郭(上前身頃)

上の二つの画像はいずれも「駒刺繍」が使われた部分であるが、上の刺繍は今回の手直しで改めて刺繍をやり直したところ。下の刺繍は以前のままである。そのままの方をよく見ると、その部分が少しよろけ、わずかながら生地から浮いたような状態になっている。

手直しの際、出来るだけ工賃を抑えるため、直すところとそのままの状態でも使えるところを仕分け、仕事にかかる必要がある。「直しの工賃=手間代」であるため、「刺繍部分の全て」を直していたら代金の負担が大きいのだ。どの部分に集中的に手を入れるかということ考えた時、やはり「上前のおくみ、身頃」と「袖」そして「衿の周辺」ということになろう。帯の下に入るところ、下前部分などは「目をつぶる」ことで依頼した方の負担を少しでも減らすことができるのだ。

胡粉を新たに引き直した白牡丹の花(左前の袖)

手直しせずそのままの状態の胡粉(右後ろ袖)

「胡粉使い」の場所も「駒刺繍部分」と同様の考え方で、「直すところ」と「そのままのところ」の仕分けをする。上は胡粉直しをしたもの、下は直さずそのままのもの。上の「白牡丹」の白さと下の「大菊」の白さでは、明らかにその「白さ」の違いが二つの画像からも見てとれると思う。下の「大菊」の上の花には「汚れ」も見受けられる。「白」を強調する「胡粉」は、この当時「天然素材=貝から抽出されるもの」を使っていたはずである。「天然」のものだからこそ「劣化」すると「補正職人のぬりやさん」は言う。今回の直しで使われた「胡粉」は「化学剤」が原料のものであり、皮肉にも「化学剤」は劣化しにくいのである。

画像は手入れが終わったあとの状態のものだが、預かった時点で裏地類の傷みは激しく、「胴裏」と「八掛」は新たなものに取り替える必要があった。そこで、まず第一に問題なのは、「洗い張り」に「生地が耐えられるかどうか」ということである。長く時間が経過している品は、まず「生地の劣化」ということが頭に浮かぶ。幸いにもこの品は「洗い」に耐えられたのだ。「洗い張り」が不可能と判断されれば、そこで仕事は終わってしまう。品物は、「どのように保管されていた」かや、もともと生地そのものが「どのような質の生地」を使っていたかによって、優劣がわかれてしまう。そして「仕事の成否」は、何よりもこの仕事を請け負う「洗い張り職人」の「腕」に負うところが大きいことは言うまでもない。

上の画像を見て頂こう。この振袖には「家紋」が入っている。「丸に蔓柏(つるがしわ)」の紋が背・両袖にある(三つ紋)。戦前から昭和30年代頃までの振袖には、こうした「紋」が入ったものが多く見受けられる。これは「振袖」が「その家の娘」であるということを表した証でもある。「結婚とは家と家が結びつくことだ」と考えられていた時代。振袖が、「個人よりも、家と言うものが強調された結婚式の衣装」として用いられていた時代背景の表れと言えよう。それは、主に「成人式用の衣装」として考えられている現代とは、その意味するところは大きな違いである。

私は、昨年、NHKの「梅ちゃん先生」を見ていて、「梅子」が結婚する時に着ていた、「黒地の振袖」にも「紋」が入っていたのに気が付いた。(ドラマの時代設定は昭和30年代初めだろうか)さすがNHKである。その時代の花嫁衣装をよくぞ忠実に再現したものだと、そのとき感心してしまった。昔は「結婚式」がお婿さんの家で行われるのが普通であったのだ。今となれば、それはそれで結構いいものだと思う。

(振袖と一緒に使われた濃緋色の丸紋袋帯)

この帯はもともと「丸帯」であった。「裏地張り」をして袋帯に直したものである。文様は、五七の桐・笹りんどう・揚げ羽蝶・八つ手など様々な紋様を金ひといろで織り込んだシンプルにして若々しく、重厚感もある逸品であり、この黒地の振袖にふさわしいものである。作られた年代は戦後と思われるが、今ではなかなかお目にかからない構図だ。

 

こうして、娘さんの期待に何とかお答えすることが出来、「花嫁衣裳」としてお召し頂く事が出来ました。おばあちゃんは孫の結婚式には間に合いませんでしたが、「キモノ」という形になって、それを見届けることができたのではと思います。お孫さんの気持ちはおばあちゃんに届いたに違いありません。

このような仕事は、「腕のよい職人さん」が居てくれて、初めて請け負うことができるものであり、改めて「ぬりやさん」や「太田屋さん」に感謝しつつこの稿を終わりに致します。

今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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