バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

仁義なき商い 展示会の浮き貸し品とは

2013.06 28

ブログを始めて、1ヶ月になるが、様々な方にお読みいただき、本当にありがたいことだと思う。

ITに不慣れな(難民といった方がよいかも知れぬ)私だが、毎回書くテーマを決めて閉店後に一気に仕上げるようにしている。文章力のなさを実感しているが、出来る限り自分の伝えたいことを素直にお話しすることを心がけていくつもりだ。

さて今日は「カテゴリー」の中でもっとも「気が重い」、現代呉服屋事情について書く。

「気が重い」というのは、この業界、消費者であるお客様からすれば「目を剥く」ような話がゴロゴロあるのだ。何からお伝えしてよいやら沢山ありすぎて「嬉しい悲鳴」でなく「悲しい悲鳴」である。

この業界がもっとも「市場規模」として膨らんでいたのは、1981(昭和56)年の約1兆8千億円、それが昨年は約3千億円で約6分の1に落ち込んだのだ。原因は様々考えられるが、生活様式の変化はもちろんのこと、特に冠婚葬祭のあり方や「嫁入り道具」として呉服が必需なものでなくなったこと、また、「自分で着ることができない、面倒なモノ」になったこと、さらに「呉服=高額品」という意識が消費者に根付いてしまったこと、など枚挙にいとまがない。

呉服小売をしている店の経営は、この「市場規模の極端な縮小」に対抗するため、必死にならざるをえない。「店を守る」という口実の元「仁義なき商い」が繰り広げられたのである。それは、「消費者不在」の「売り上げ至上主義」というものである。今でもこのことは業界に蔓延する不治の病だ。

数年前、数百億規模で売り上げを作っていた大型販売店のT社とA社が破綻した。両者とも「展示会方式」の販売で売り上げを伸ばし、その「犯罪的」ともいえる「強引な商い」は破綻後社会問題にもなった。

お話するのも憚られるが、「展示会」にきた人を「キモノアドバイザー」と称する販売員(展示会に出品している問屋から派遣されてくることが多い)や社員や問屋の人間が取り囲み、購入するまで(ローンのハンコを押すまで)帰らせず、困り果ててトイレに逃げ込み携帯電話で助けを求めたとか、認知症とわかっている方(モノを購入する判断がつかなくなってしまった)に商品を売り、その方が亡くなった後「着てもいないキモノのタトウ紙」が山積みになって残され、しかも「代金のローン」は引き落とされ続け、残された親族が呉服屋を訴えたとか、よくもそこまでのことが出来たものとあきれることばかりである。

私が問題だとするのは、もちろん「非人間的な商い」をする会社もだが、その「悪徳呉服屋」の「展示会」に商品を出品していた「問屋」である。当時「売り上げ」で1,2を争っていたT・Aの両社には多くの大手問屋や織屋が出品していた。「砂糖に群がる蟻」のように、「売り上げ」が見込めるなら「何でもよい」から取引するということである。

「どのように売っても、そんなことはかまわない、モラルに反しようが、その品を客が着ようが着まいが知ったことじゃない、とにかく売り上げになりさえすれば何でもよい」という意識が如実に現われている。だから「無理」をする。そして上記のような問題を引き起こす。全てが斜陽になったこの業界の人たちが「背に腹は変えられない」「食っていくためにはやむをえない」という言い訳のもとでなされたことだ。「自分で自分の首を絞める」とはこのことであろう。

「展示会」というのは通常そのほとんどが「問屋」からの「応援商品」であり、通常の「仕入れ」勘定とは違う「浮き貸し」と呼ばれている品物である。マトモな呉服屋ならお客様から注文を受けた時にそれに見合う品がなかったとき、問屋に一時貸しをお願いする。それとて、問屋にこちらから出向いて貸してもらう品を見際める。それが「浮き貸し商品」の使い方だ。

「浮き貸し品」の扱いは小売屋にとって重宝もので、それが売れれば問屋に支払いをするし、売れなければ返品するばいい。「リスク」を背負わないのである。しかし、これは日常の商いからすれば、「例外的」なことにしなければいけない。「買取」で「仕入れ」をしなければ、それは「呉服屋としての覚悟やプライド」を捨ててしまうことだと言っていい。

仕入れの「買取リスク」とは、その代金は一定の期間のうちに、問屋やメーカーに支払わねばならぬこと、またその品物が早く売れればよいが、呉服のような回転率の悪いモノは「在庫」として残る可能性である。この在庫が過剰に膨らめば、当然経営を圧迫することになる。だから、「仕入れ」の成否は直接その店の浮沈にかかわる重要なことなのだ。

「仕入れ」は呉服屋としての力が試される場である。例えば「3,40代の方に向く柔らかい色で単衣にも使える付け下げ」を仕入れるとしよう。そのために何社かの取引先を廻ることになるが、1社あたり3~40反を見る。まず最初に「大選り」(だいたいにより分けること)をして5反ほどの「仕入れ候補」を選ぶ。その中から実際に仕入れるのは1反で、自分が納得できなければそのまま「帰る」こともある。問屋の社員からは「特別な値段で出すので」などと「甘言」をささやくが、「妥協して仕入れた品」はやはり駄目である。少々高くても「納得して、商品に惚れて」仕入れることが大事なのだ。

「仕入れ」はその店の主人のセンスやものの見方が問われ、それにより「店の個性」や「店の格」につながる、「商いの基本」なのだ。無論「買取の仕入れ」の方が「浮き貸し」の場合より安く品物が手に入ることは言うまでもない(差のあるものだと1.5倍もの値段の開きがある)。また、マトモな問屋や織屋はマトモな商品をむやみに貸したりしない。「買取仕入れ」が基本で、「買い取ってもらえるような商品」をつくることに力を傾けている。だから良い品を求めるのなら「マトモな問屋、作り手」と取引するのが第一である。

つまり「安易な展示会」に「安易に浮き貸し」をし「モラルのかけらもない売り方をする小売屋」を助けるような「問屋」はそれだけで業界人として失格である。このように「リスクを背負わない小売屋」と「お助け問屋」のもたれ合いの構図は、今もあたりまえのように見られる。「売らんがため」の消費者不在の商いの実態はまだまだある。悲しいことだが、それがこの業界の事実の一部にしか過ぎないのだ。

 

「良い品」を「買取」それをできるだけ「安く」お客様に提供する、というどの業種、何の商いでもあたりまえのことが、呉服業界に欠けています。「値段のわかりにくい商品」だからこそ、モノを売る際に、店の主人自らがお客様に納得してもらえるよう努力しなければいけません。「商品説明」や「コーディネート」はもちろん、なぜこの品をそのお客様にお奨めしているのかをお話するには、「買取仕入れ」をして自分の目で選び抜いた品でなければならないと思います。「展示会」の「浮き貸し品」を「商品アドバイザー」といわれる人任せに商いをするのは、私には「恐ろしくて」できません。

「たくさん売り上げを作り、たくさん利益を出す」ことに執着しなければ、この仕事は楽しくなります。そして「何が大切か」ということをいつも心に刻み、お客様と接していきたいと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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